mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風・葦のそよぎ

西からの風39(葦のそよぎ・命名行為)

話すということは、誰にとっても、ことばが一つの行為であるという意味で、無媒介的で自発的な、生体験なのだ。反対に、体験が言葉と無縁であることは絶対にあり得ず、それでしばしば、その体験とほんとうはそぐわないのに、それを目指す古くさい表現を復活…

西からの風35(葦のそよぎ・「本来的自己」の逆説)

疎外は抑圧の諸帰結の一つであるどころか、疎外は抑圧の一つの因子である。疎外ということで、われわれは、人間が自己自身、他者、および世界とのあいだに導入する諸関係のあるタイプを理解する。すなわち、疎外においては、人間は「他者」の存在論的優位を…

西からの風34(葦のそよぎ・カタコト)

今、ぼくは会話に凝りだしている。「会話」とあえていうからには、もちろん外国語によるそれだ。ぼくの場合はドイツ語と英語のそれだ。 現在ぼくは週に二回大阪市内にあるドイツ語学校に通っているし、またぼくの勤める短大には外国人の英会話教師が十人ほど…

西からの風30(葦のそよぎ スイミング・プール)

清さんが泳ぎを覚えたのは、大人になってしばらく経ってからのこと。その泳ぎの修得を通じ得た快楽についての思索は、前回の「西からの風29(葦のそよぎ・泳ぐ快楽)」で論じらえています。 今回の「スイミング・スクール」は、それからおよそ3年経過した段…

西からの風29(葦のそよぎ・泳ぐ快楽)

少し間が空いてしまった。7月23日の朝日新聞「耕論」は、「水泳授業は不要不急か」と題し、「泳ぎを学ぶ機会は義務教育に必須なのか、泳がなくてもいいのか」と問いかけ、3人の識者がこれに応えた。そのなかの一人は、長く宮城の中学校で体育を教え、現…

西からの風28(葦のそよぎ・雨の連休)

五月の連休に、ぼくは二人のこどもを連れて、テントを肩にかつぎ南紀をまわった。紀伊半島を勝浦まで列車で南下し、そこから捕鯨の発祥地として有名な太地に遊覧船で渡り、そこでキャンプをはった。つぎの日、新宮から十津川をバスでさかのぼり熊野本宮に宿…

西からの風25(葦のそよぎ・祈願)

――著者は、なぜ、この詩人の認識を指して、「敬虔な祈りの声のようにもきこえます」というのだろう? ぼくは教室で学生達にこう問いかけた。それは、ぼくの授業で輪読を重ねている詩についての小さな本、そのなかで、著者が或る詩人の詩について述べた感想に…

西からの風24(葦のそよぎ・読書感想文)

ここに学生の書いてきた読書感想文の束がある。先の冬休みにぼくが教師の地位を利用して彼女達に無理強いしたそれら。ぼくは、いくつかの本を提示し、そのうちの一冊を読むことをあたかも単位に関わる冬休みの〈課題〉のように見せかけて強制したのだ。 しか…

西からの風21(葦のそよぎ・好きになれたら)

今年もあと少しで終わりだなあ~などとしみじみ感慨にふけってみたいものだが、そうはいかない。今は次号の「つうしん97号」をどうするかで頭を悩ませている。今回は「授業」をテーマにしようと決まったのだが、その具体的な内容と執筆をどうするか・・・、そこ…

西からの風20(葦のそよぎ・祭にて)

串本の宵宮を見物しての帰りであった。海沿いの国道を周参見(すさみ)をめざして友人の車で走っていくと、右前方をつつむ暗闇のなかに高張りちょうちんの行列が浮かび上がっているではないか。夜の十時半近くであった。すっぽりと山かげに抱きとられたよう…

西からの風19(葦のそよぎ・だんじり祭り)

九月下旬ともなれば、六時にはもう日はとっぷり暮れて街には灯がともる。ちょうどそのころぼくは鳳駅に降りたつ。そこから十分も自転車をこげばぼくの家だ。 僕はいま堺市の南端にある下田という町に住み、和歌山市にある短大に勤める。晴れた日のぼくの楽し…

西からの風17(葦のそよぎ・そうしき)

奄美大島でおこなわれた親戚の葬式にぼくはこのあいだ出かけた。父の従兄弟にあたる老人の葬式だから、実のところわざわざぼくが出向く理由はなきに等しい。しかし、ぼくは父の名代という口実のもと奄美に出かけたのだ。 奄美の葬式を見たかったのである。 …

西からの風16(葦のそよぎ・一つの悲歌)

隠れん坊における「隠れる」という演技は、社会からはずれて密封されたところに「籠る」経験の小さな軽い形態なのであって、「幽閉」とも「眠り」とも、そして社会的形姿における「死」とも比喩的につながるものであった。要するにそれもまた、社会から一時…

西からの風15(葦のそよぎ・物語の消滅)

虚構の物語の方では、実際に作者は糸を操り、遊びを指導しているのである。虚構の物語は作者を明らかにする。それはちょうど、すべての芸術作品がだれかによってつくられたことをはっきりと示すのと同じである。このことは真実の物語の性格についてはいえず…

西からの風12(葦のそよぎ・心のある道)

葦のそよぎー心のある道ー ——わしにとっては、心のある道を歩くことだけだ。どんな道にせよ、心のある道をな。そういう道をわしは旅する。その道のりのすべてを歩みつくすことだけが、ただひとつの価値のある証しなのだよ。その道を息もつかずに、目を見ひら…

西からの風10(葦のそよぎ・裸形と境界)

葦のそよぎ ー裸形と境界ー ここではあらゆる習慣的カテゴリーが混乱しているが、それゆえにこの境界状況とは、既成の一切の構造的確言にたいするラディカルな否定であると同時にまたあらたな観念やあらたな社会関係が誕生してくる元になる純粋可能性の領域…