mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風20(葦のそよぎ・祭にて)

 串本の宵宮を見物しての帰りであった。海沿いの国道を周参見(すさみ)をめざして友人の車で走っていくと、右前方をつつむ暗闇のなかに高張りちょうちんの行列が浮かび上がっているではないか。夜の十時半近くであった。すっぽりと山かげに抱きとられたようなたんぼの夜のあぜ道を山際にむかって進む二、三十程の人影であった。紀伊有田の宵宮に違いなかった。

 ぼくたちは車を止めた。興に誘われ、歩いてその行列のあとを追った。
 串本の宵宮で見た祭に各町内が御輿がわりに担ぐ屋台は、推察するに昔の長持ちから生まれたものであった。米びつ程のひつの前後に担ぎ手のためのちょうど一人分の柄が出ていて、そのひつのうえには小さなお宮をかたどった拵えものがのり、そのなかには獅子舞につかう獅子頭が納められているのだ。そしてひつの上と片側には小さな打ち太鼓がつく。この紀伊有田でも、それと同じつくりの屋台が、ただしここでは一台だけ、行列の最後尾に、小さな荷車に載せられて引かれてゆくのであった。

 先頭をゆく高張りちょうちんを担ぐのはおもに子供達であった。それに、お宮の名を記した大きな旗差し物が四本ほど、長刀と槍、鉾の拵えものが各一本づつ続き、行列の真ん中ほどに、昔の絵巻物などに描かれている貴人に従者が後ろから差しかける美しい彩色の絹の円い平たい筒型の大きな日傘が一つ、秋の夜更けの風に揺れていた。それを後ろに従えて神主さんが歩いてゆくのである。そのようにして、村人が皆して宵宮に村の鎮守の森の社に出かけてゆく。そして祭は顔見知らぬ見物人など誰ひとりとしていない、ただ村人だけのいわば身内の祭なのである。きっとこうした祭の姿が昔の村の祭の今につたわる原形なのだ。行列に従いながらそう僕は感じた。祭の空間の小ささが今度の僕の発見であった。

 行列は社の前に到着し、神殿の前にはやがて三畳ほどの花ゴザが敷かれた。その花ゴザの上で奉納の獅子舞いがおこなわれるのである。ゴザを子供や祭の実際の働き手である若者が囲んで座り、すこし離れて大人や年寄り連中が肩を並べて見物する。それはせいぜい五、六十人の空間である。その三畳の空間が祭の空間なのだ。祭はわずか三畳ほどの空間においても成り立ちうるのだ。
 小さなものがそこでは大きくなる。あるいは包むものとなる。外側に立つ者にとってはただの三畳敷の平面でしかない花ゴザも、包まれる者にとっては、それは一つの世界がそれを基底とすることによって成り立つ〈場〉あるいは球の核である。

 実はそのことを僕は串本の宵宮で練り歩く屋台を見物していたときに予感していた。この屋台については先に述べたが、これを担ぐ人員はといえば、屋台の前後に突き出した柄を肩に担ぐ者各一名、太鼓叩き一名、計五名が基本の単位で、さらにそれを囲むように笛吹きが四、五名つき従う。時にはさらに、練りに練って進む屋台の舵取り役に片手で柄の突端を向き合うかたちで押さえる男がつく場合もある。だが、それに屋台の前後を固めるちょうちん持ちを加えても、せいぜい二十名を満たない人数だ。
 大阪泉南の、綱の引手を合わせれば、一台の楽車を二百名ちかくの人間が繰り出して引く祭の様子を見慣れた僕には、串本の屋台はいかにも小さなものに見えたのだ。だが、その小さな屋台を包む空間が祭を生み出す十分な力を持つのだ。

 おそらく、このような僕の印象を串本の人々が聞けば、昔の祭はもっと人出もでたし、屋台を交代で担ぐ若者組の人数も行列に加わる者たちの数も今よりはるかに多かったのだと、いうに違いない。
 だが、串本の人々よ。ぼくを打ったのはたんに串本の祭の小ささではないのだ。その小ささが、にもかかわらず、祭を生む十分な力を持つという事実、小さなものが大きなものとなるという事実なのだ。そして、この僕の発見に関していえば、数十年時間を遡って串本の祭を見たとしても、僕の感想は変わることはないだろう。往時の祭も僕にとっては発見をもたらすほどには十分に小さなものであろう。

 何事につけひたすらに肥大化し、肥満化し、行方も知らず、だがその端から崩壊し雲散霧消してゆくのが現代である。派手派手しく、そして「我が亡き後は洪水よ来たれ」式のやけっぱちで、がなりたてているのが現代である。現代において祭はパレード式のショーと思い込まれている。
 だが、祭とは決してパレードやショーではないのだ。たとえていえば、三畳の花ゴザが、あるいは五人が担ぐ屋台が、ひとつの球形の空間のうちに人々を包み込み、小さなものが大きなものへとふくらみ、その空間のもつ集中性が人々の知覚の仕方までをも変えてしまうのが、祭なのだ。

 人々が自分の土地の祭を語る言葉を聞く他郷の人間は、必ずやその言葉を聞いたときに自分が思い描いた祭のイメージと彼が実際に見た祭での事物なり光景との大きさにおける落差に戸惑うであろう。彼は必ず実際に彼が見た祭での事物や光景の小ささに打たれるであろう。ああ、それはこんなにも小さなものであったのかと。
 そのことは原理的に必然的なことだと僕には思われる。なぜなら、祭というものがそもそも小さいものを大きくふくらます、知覚の根本的な変革の上に築かれているからだ。幼児の時の風景が持つ大きさを大人になった僕達がもはや金輪際同じようには体験できないのに似て、祭における知覚はそれ以外の日常の知覚とは原理的に異なって、大きく、球形にふくらんでいるのである。

 現代は肥大化・肥満化のなかですべてをならしてしまう。祭はショーやパレードと等号で結ばれてしまう。あの知覚の謎それ自体が解体してしまう。(清眞人)