mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

2012-01-01から1年間の記事一覧

12月28日

昨夜、Mさんから「19日のA新聞の『人』欄の94歳の川島さん、読んだか」と言われた。たまたまなのだが読んでいなかった。 今朝、寝起きに探して見つけた。本当に驚いた。読んでいる耳にテレビから、日本未来の党の分裂の話が聞こえてきた。(なんだ、な…

12月26日

「方丈記私記」(堀田善衛著)を読んだ。刊行されて40年になることを考えると、あまりに遅かったことを残念に思った。それでも、この本の与えてくれた感慨は読んだのが3・11後であったことの違いはあったのではないか。 堀田善衛と言えば私にとっての作…

12月21日

「センターつうしん」69号が別冊とともに昨日で校了し、あとは27日午後の発送作業を待つだけになった。 前号休んだ別冊も今度はつくった。休んだことに関しての反応はとくになかったが、私自身がこのまま休んではおれなかった。 勝手に名づけた「宮城の…

12月18日

16日、投票を終えて、知人2人と在仙のAさんに会った。目的はお父さんのHさんについての話を伺うことだった。 Hさんについてはお名前を耳にした以上のことは何も知らなかった。 この日のきっかけは、埼玉の知人Nさん編による「ある教師の戦後史―戦後派…

12月13日

子どもをとりまく環境の悪さを声高に騒ぎ、どうならなければならないか幸せの道を説くだけではほとんど何も変わらない。学者・研究者はそれでもいいのかもしれないが、教師はそれではいけない。他のせいにするだけでは子どもと一緒に教室にいる意味はないの…

12月6日

今週は毎日、1月20日の公開授業「新しい世界の発見 新しい自分の発見」への高校生募集のための仕事。年1回のセンター企画「高校生公募公開授業」は、受講者高校生集めに四苦八苦する。今年は「数学」と決めた時から例年にも増して苦労するだろうと覚悟は…

12月4日

大津いじめ事件後、学校の子どもたちへの対応がよくテレビに取り上げられる。 そのたびに思い出すのがかつて6年生の終わりちかく転校していったK子のこと。K子はほとんど何も語らなかったが、その事実は私の中に今でも鉛のように沈んでいる。K子は黙って…

11月29日

昨日のニュースで、「福島が苦渋の選択で、県内に中間処理の場所探しをすることにした」と報じていた。聞いていても、何もできない自分がもどかしい。引き出しにしまっていた2枚の切り抜きを取り出した。 1枚目。次の短歌は、2・3カ月前 朝日歌壇に載った…

11月26日

23日、フォーラム1「今どきの“友だち”事情」が終わった。 初めに、4人の話題提供者(児童館勤務・中学教師・保護者・中学養護教諭)から、15分程度とこちらで限った時間の短い話をしていただいた。4人の方のお話から、今は端から見ているだけの私のも…

11月19日

「東日本大震災の被災地のすべての子どもたちにゆきとどいた教育をもとめる請願」の署名集めに一生懸命取り組む人々の中で私はなかなか動けない。そこで、知り合いの人々に用紙を送って頼んだ。かつての勤務地で一緒に活動した保護者のMさんもそのおひとり…

11月14日

今週の17日(土)に予定していた「第3回戦後教育実践書を読む会」は、残念ながら、案内人の佐々木さんの急用で延期することになった。参加予定をされていた方にはたいへん申しわけない。ここしばらくいろいろな集まりが毎週のように入っているので、いつ…

11月7日

今年の「教育のつどい」が終わった。私は2日間、2つの分科会に出た。自分を振り返ると、県の教育研究集会は他では感じることのできない独特の熱気をもち、疲れながらも充足感で満たされる場であった。それが年々参加者が減りムンムンとした空気は会場に流…

10月31日

昨日、久しぶりに昼食を外でとっての帰り、この建物の裏口で「カスガセンセイですよね」と声をかけられた。42年前の6年生を担任したときのTさんだった。申しわけないことに私は「名前は?」と聞かなければならなかった。しばし立ち話をする。 Tさんたち6年…

10月26日

昨夕、札幌のアイヌ文化伝承家・小川基さん志保さん来室。今日からのFデパートでの用事で来仙。空港からまっすぐ会いに来てくれたのだ。1年ぶりだが、刻まれたスケジュールのなかで会いにきてくれるなんて感激。このような気持ちを決して忘れまいと思うし…

10月23日

15日の日記に、「パキスタンで女性の教育を否定するタリバン運動(TTP)に約3年前からブログをとおして批判してきたことが理由で14歳の少女マララ・ユスフザイさんが銃撃され意識不明がつづいているという悲しいニュースを聞き、奇跡的回復を祈る」と書い…

10月19日

今は「数独」という名で出ていることが多いが、私が入り込んだ20数年前はナンバープレース、略してナンプレだった。ゆえに私の場合は今でも「ナンプレ」。在職中、時間の隙をつくっては「ナンプレをやろう」とけしかけることが多く、やみつきになった子ども…

10月15日

山中伸弥さんのノーベル賞受賞発表の8日以来、関連する新聞記事・テレビ番組は今もつづいているが、どんなに繰り返されてもうるささを感じることなく、清々しい気持ちで読んだり聞いたりしている。研究内容について私は無知に近いが研究者山中さんという人柄…

10月12日

宮城の会ニュース10月10日号に江戸川区の「読書科」新設の記事が載っていた。どんな位置づけかはわからないが、なかなか思い切った試みだと思った。そのために区としての図書費の額も小さくない。子どもはまちがいなく本好きだ。もしそうでなくなっていると…

10月8日

私の夢にはこれまで出会った方がしょっちゅう登場する。そのたびにいろいろな想いがわき上がり、自分を振り返ることになるので夢での再会は歓迎だ。 数日前には、中学に勤めていた時の最初の学年主任Sさんが現れ、どういうわけか「春日さん、学校は前よりも…

10月1日

正岡子規の命日は糸瓜忌と言われる他に、「獺祭忌(だつさいき)」とも言われることを天声人語で知った。なぜそう言われるか。天声人語子は、「カワウソは多くの魚を獲り、祭るように並べて食べると言われ、子規は、書物を散らかし置く自分をカワウソになぞ…

9月26日

去年の12月、「かすかな光へ」の上映会と大田堯さんの講演会を実行委員会でもった。その後の反省会で、実行委員のひとり東北大の学生から学内での上映に取り組んでみたいという話が浮上、その場にいた人々の大きな喝采を受けた。 その実行に向けての動きが夏…

9月19日

8月の東北民教研でのことになる。 夜、飲みながらサークルのこの頃についての雑談のなかで、Wさんが「俺たちの実践の方向やその報告の書き方は、大学でのゼミ、『体育の子』の影響が大きくあるなあ」と言った。すると間おかずYさんは、「そうそう、私もそ…

9月13日

今になるも、ときどき茨木のり子の詩「自分の感受性くらい」がふっと浮かんでくる。若い時は、「ばさばさに乾いてゆく心」についてだったり、「苛立ったり」とか4連までにかかわることが多かったが、歳を重ねた今は、5連の「時代のせいにする」ことが多くな…

9月7日

Mさんからしばらくぶりに電話があった。井伏鱒二や太宰治などについてしゃべった。漱石も登場した。電話でこんな話をすることはめったにない。Mさんは、「この人たちのことを知れば知るほど、私は生まれるのが少し遅すぎたように思う」と、これら作家たち…

9月2日 こころが通じる??

本を読んでいたら、「日本語には『こころが通じる』という言い方がありますが、たぶん英語にはありません。そもそも「こころ」という言葉が英語には翻訳しにくい。スピリットもマインドも少し違うし、ソウルは近いかもしれないけれど、やはり違います。」(…

8月29日

M小の学校だよりを目にする機会があった。家庭回覧用になっているらしい。この号はA4版裏表が「平成24年度学校数値目標特集!!」で埋まっている。そのためだろうが、「学校数値目標」「学校評価」という用語が最後まで数えきれないほど繰り返し使われる…

8月24日

昨日の朝のNHKニュースで、寅さんシリーズを全巻フィルム上映が始まったことを報じていた。フィルムの回るカタカタという音も話題になっていたが、会場の後方に置かれた映写機、それを操作する技師の姿とともに私の耳にも残っており懐かしい。 その番組で…

8月20日

県教委に、来年度からの新県立高校入学者選抜制度について聞きに行った。これは、通信68号で特集を組む予定のものの一部になるが、多忙の中、快く受けてもらい、こちらのぶしつけな問いにも制度が決定するまでの事実などを話していただき、いろいろなこと…

8月15日

あの戦争が終わって67年目。私はあの時小学校4年生だった。12時という予告があった「玉音放送」をラジオのある近所の友だちの家に集まって聞いた。何を言っているか私には聞き取れなかったが、終わって大人たちは口をそろえて「戦争が終わったらしい」…

8月14日

10日から12日までの第61回東北民教研作並集会に2日目の夕方まで参加した。少々迷ったのだが、参加してよかったと思っている。 参加者数はわからないが予想通り厳しかったのではないか。これからも容易に数は増えないだろうゆえ、単に数を問題にするよ…