mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風・私の遊歩手帖

西からの風38 ~ 私の遊歩手帖16・番外編 ~

清さんは「西からの風37 ~私の遊歩手帖16~」で、「太初(はじめ)に言葉ありき」として経験される言葉の原体験を、中学時代の級友Sをもとに記している。実はSについては、別の著書『言葉さえ見つけることができれば』でも触れている。しかし、そこでは「暴…

西からの風37 ~ 私の遊歩手帖16 ~

「太初(はじめ)に言葉ありき」 ハイデガーの「故郷喪失」論へと遊歩した報告、その続きを記すはずだったのにずいぶんと間が開いてしまった。その遊歩はさらなる遊歩を生み、今に至る。 前回の続きを気真面目に書く意欲を、今浸っている遊歩の気分が打ち消…

西からの風36 ~ 私の遊歩手帖15 ~

ハイデガーの「故郷喪失」論1 最近、ハイデガーを読み直している。今取り組んでいる『格闘者 ショーペンハウアーとニーチェ』を完成させるためだ。その予定する下巻『様々な照明の下に』の冒頭を飾る「ニーチェ主義者としてのハイデガー」を書き上げるため…

西からの風33 ~ 私の遊歩手帖14 ~

怨恨的復讐心か共苦か3 高橋和巳は高校時代ニーチェ、ショーペンハウアー、キルケゴール等を耽読したそうだ。彼の指摘した「前衛者意識‐怨恨的復讐心‐権力欲望の暗き三位一体(トリアーデ)」がニーチェからの大きな刺激の下に生まれてきた視点なのかどうか、…

西からの風32 ~私の遊歩手帖13~

怨恨的復讐心か共苦か 2 ほんとうに驚きだった、あの2本のミュージック・ビデオは。あの逆説性のセンスは。 「Alright」ではこうだ。――警官たちに追われ追われ、遂にハイウエイの巨大な街路灯のサーチライトを吊るす横木の上に辛うじて逃げ切ったラマー。…

西からの風31 ~私の遊歩手帖12~

怨恨的復讐心か共苦か1 その日のおよそ1ヶ月前であった。私の『高橋和巳論 宗教と文学の格闘的契り』が世に出たのは。 その日とは、2020年5月25日、アメリカ合衆国のミネアポリスでジョージ・フロイドという黒人男性が偽ドル紙幣の使用容疑で白人警…

西からの風27 ~私の遊歩手帖11~

『ゴッホの手紙』とやっと出会う4 小林秀雄の『ゴッホの手紙』への寄り道遊歩の報告をいささか記そう。 同書は、次の彼自身のゴッホ経験、ある日新聞社主催の「泰西名画展覧会」に出かけ、ゴッホが自殺直前に描いたといわれる「「カラスの群れ飛ぶ麦畑」の…

西からの風26 ~ 私の遊歩手帖10 ~

『ゴッホの手紙』とやっと出会う3 前回からもう3ヶ月を過ぎてしまった。続きを書くはずが。 その3ヶ月のあいだに、私は小林秀雄の『ゴッホの手紙』に出会いに行った。 寄り道なくして、なんの「遊歩」ぞ! これは言い訳。 そうこうしているうちにショウペ…

西からの風23 ~私の遊歩手帖9~

『ゴッホの手紙』とやっと出会う2 印象主義の只中から、つまり外なる世界、自然と人間の色彩が画家の内なる世界・魂を光を放って刺激する、その色と光の様相の描写に専心するというベクトル、「イン・プレス」というベクトルの中から、その正反対の志向に担…

西からの風22 ~私の遊歩手帖8~

『ゴッホの手紙』とやっと出会う1 読みたい、読もう、と思いながらも、結局読まないできた『ゴッホの手紙』、ゴッホが弟テオや心許した若い友人画家ベルナールに書き送った膨大な書簡の束、それを遂に読む機会を得た。 ついこのあいだ、10月(2019年)、上…

西からの風18 ~私の遊歩手帖7~

沖縄を歩く3 前回、僕はおおよそこう書いた。「沖縄のアイデンティティーの根」は「遺棄の二重化された苦悩」すなわち、表裏をなす「遺棄される苦悩」と「遺棄する苦悩」の絡み合いが生む《遺棄されることも遺棄することも共に拒絶する意志》にある、と。そ…

西からの風14 ~私の遊歩手帖6~

沖縄を歩く 2 前回「沖縄を歩く1」で、僕は高橋和己の『堕落』について言及した。 遊歩は奇しき連想と出会いとの往還を歩む歩行である。またしても。沖縄でも。 『堕落』の主人公青木は、満州から命拾いするように(一時シベリヤ抑留も経験)日本に引き揚げ…

西からの風13 ~私の遊歩手帖5~

沖縄を歩く 1 6月23日、沖縄は「慰霊の日」を迎える。この日、日本国内で日米両軍が相まみえた唯一の地上戦であった沖縄戦、その3ヵ月を超える組織的戦闘が遂に終結した。僕はこの日糸満市のかの摩文仁の丘にある県立平和祈念公園で開催された慰霊式への…

西からの風9 ~私の遊歩手帖4~

◆ルーベンスと磔刑像 かつて私はニーチェを論じた拙著『大地と十字架』のなかに探偵Lという我が分身を登場させ、彼にこう言わせたことがある。 「実に奇妙なことだな。この惨たらしい死骸の像を信仰の核心としているなんてことは」。あるとき、ふと俺のなか…

西からの風8 ~私の遊歩手帖3~

◆「夏」— ボナール もう既に10年以上前になる。 僕は『いのちを生きる いのちと遊ぶ——the philosophy of life』(はるか書房,2007)という本を出したとき、そこに次のように書き入れていた。「僕はドイツ表現主義から2つのメッセージをもらった」と。つけく…

西からの風3 ~私の遊歩手帖2~

◆ 「叫び」― ムンク 僕にとって「遊歩」とはつねに共振すべき何ものかとの出会いを求めての歩行である。—— そう書いた。この「私の遊歩手帖」の第一回目の終わりに。ルオーの作品「ミセレーレとゲール(憐れみと戦争)」との出会いを糸口にして。その出会い…

西からの風 1 ~私の遊歩手帖1~

前のdiaryで、道(ミチ)さんが高橋哲哉さんとの出会いも含め、今週末に行われる講演会を紹介していますが、冒頭の案内チラシに描かれた印象的な絵は、当研究センターとも縁のある清眞人さんのものだ。 チラシ掲載の承諾をもらうため清さんに連絡を取ったお…