mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

きおっちょら だより4

 きおっちょらの夏祭り&オープンキャンパス 開催!
          ~ 関心のある方は、ぜひご参加ください。お待ちしてます ~

 「きおっちょら だより3」の写真のなかの佑さんと和さん。昨年5月初めのジェンガのときの写真に比べると、今年5月の写真は、明らかに二人の顔つきは違って見えます。とても頼もしく、凛々しく見えるのは私だけでしょうか。
 きおっちょらでの1年が、二人を逞しくしたのでしょう。また遥さんという仲間が新たに加わったことも、二人の成長を後押ししているのではないでしょうか。
 そんなきおっちょらでは、このコロナ禍に負けず、さらに新たな仲間の募集もかねて「夏まつり」を行います。
 きおっちょらの取り組みに興味関心をお持ちの方は、ぜひこの機会に参加してみませんか。「きおっちょら」での新たな出会いと世界が待ってますよ。
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 日 時 2021年8月11日(水)10:30~12:00
 場 所 きおっちょら 自立訓練(生活訓練)
      (仙台市青葉区上杉1-16-30 東日本ビル5階) 参加費は無料!
   内 容  ● ハンドベル演奏    ● レモンソーダおふるまい
            ● ゴムシューター射的  ● 綿あめづくり  ● 活動紹介

 《参加対象の方》
  ★特別支援学校に在学中の高等部・中等部の方
  ★進路先に就労ではないところを探している方
  ★もっと自分にじしんをつけたいと考えている方
  ★きおっちょらを知りたい方

 申し込み&連絡先(下記 連絡先に直接申し込み下さい。)
  電   話 022-796-2064
       F A X 022-796-2390
  Eメール WE483287@tg8.so-net.ne.jp
               f:id:mkbkc:20210730154151j:plain
   上記QRコードから参加申し込みメールを作成できます。  

 ( ホームページ https://manabinetlargo.jimdofree.com

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関玲子さん、少年院生とのコラボ展を開催

 7月29日(木)の河北新報に、関玲子さんと少年院の院生たちのコラボ展開催の記事を見つけました。

 少年院で美術を教える関さんの取り組みについては、2018年の「冬の学習会」で話してもらったことがありましたし、みやぎ教育のつどいでも報告してもらったことがありました。関さんはとても素敵な作品なのに、多くの人に見てもらうことができないのが残念だと話されていたことを思い出します。
 そんな関さんの思いに少年院の方々が応えてくれたのでしょう。関さんと少年院の職員のみなさんとの間に互いの信頼がなければできなかったことだと思います。関さんにとっては、とてもうれしい取り組みに違いありません。本当に良かったです。そしてこういう取り組みができることは素敵だなと思います。関係者のみなさんに感謝です。

 新聞記事によると、以下の会場・日程で開催されます。コロナ禍で不自由な日々が続きますが、ぜひ足を運んでいただければと思います。

東北工大一番町ロビー》 連絡先 022-723ー0538
  7月30日(金)~ 8月3日(火)

《メリラボ》 連絡先 022-264-3010
  8月8日(月)~ 14日(土)

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きおっちょら だより3

 このDiaryに、運営委員のさくまさんが始めた自立訓練(生活訓練)事業所の取り組みを紹介したのは、昨年1月末でした。研究センターからは歩いて10分ほどの場所にあるのに、このコロナ禍ということもあり、なかなか行かずにいました。そうしていたら先日、さくまさんから、この1年の取り組みを知らせるメールが送られてきました。全障研の機関誌『みんなのねがい』(2021年8月号)に掲載されたものだそうです。気負わず、焦らず歩む「きおっちゃら(カタツムリ)」、この1年の歩みを以下で紹介します。

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 みんな仲間だよ  ー きおっちょらの1年 ―
                      (佐久間 徹)     

 はじめに
 きおっちょら(*)は、開所4年目になる自立訓練(生活訓練)事業所です。障害者の学びの場を作りたいと、2016年に運営の母体となるN P O法人を立ち上げ、2018年4月に仙台市の認可を得て運営をはじめました。昨年の4月に、二人の青年が入りました。この二人と、きおっちょらの1年を振り返ってみたいと思います。
 (*きおっちょらはイタリア語でカタツムリのことです)

 佑くんと和くん
 2020年4月1日、二人の青年がきおっちょらの入所式を迎えました。佑くんは、高等部を卒業したばかりの18歳、和くんは1年先輩の19歳です。佑くんは、高等部から実習を重ねてきました。和くんは、安心して過ごせる場所を求めて入所してきました。この日から、佑くん、和くんたちとの不思議で楽しい日々が始まったのです。
 でも、コロナウィルスの感染が広がり、街のようすが一変しました。街は寂しくなり、公共の施設も使えなくなりました。和くんの大好きな図書館も閉まってしまいました。行き先は限られましたが、公園や神社など、緑と花を求めて外に出ました。室内では、べっこう飴や果物飴を作ったり、ヨガマットを使って体をリラックスさせたり、吹き矢をしたりと施設は狭く、設備はなくても、できるだけ多様な活動をやってきました。

 少しずつ、二人の変化
 雨が降って外に行けない5月、ジャンボジェンガをやってみました。午前中にジェンガのピース(段ボール箱)を組み立て、午後にゲームをしました。
 佑くんに机まで移動させてと頼んだら、 すぐに、「できません」と、断ります。それでも、支援員が「自分たちでやるんだから、二人でなんとかしてね」と話し、二人の動きを待ちました。佑くんがしばらく考えてから両手で積み重ねられたジェンガをしっかりと抱え、机の上に運んでくれました。
 ゲーム開始。あまり関心がなさそうにしていた和くんが、動き出しました。迷わず箱を抜きます。二人とも見る方向を変え、少し触っては動く箱を探して抜き取ります。交代で箱を抜いては上に重ねていきました。抜き取るときの真剣な表情、うまくいったときの笑顔、生き生きとした二人の対決は続きました。20分経過するころ、和くんは抜く箱がなくなり、箱を抜いたとたんバラバラと崩れました。二人がいっしょにゲームを楽しんだ初めてのことでした。

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 ジェンガ対決の後でノーサイドの肘タッチ。
 まだぎこちなさが残る二人です。

 そのころの二人に変化が現れました。佑くんは、買い物に行っても、車の中で待っていました。ところが、家族で買い物に出かけたある日、「いっしょに行く」と、自分でカートを押してお店の中を歩いて買い物をしたそうです。ずっとしてきたように、自然にカートを押して歩いていたそうです。
 和くんも自分から話してくれるようになってきました。お弁当を食べているとき、「嫌いなものは残してもいいですか」と、聞いてきたのです。学校のときはどうしていたのと聞くと、「残さずに食べていた」と、答えました。きおっちょらでは、自分で決めて良いよ、残しても構わないよと、伝えました。和くんは、そのときは食べ切りました。それから、焦って口に詰め込むような食べ方から、ゆっくりと食べるように変わってきました。「残してもいいですか」「パソコンやっていいですか」など、要求を少しずつ話してくれるようになってきました。

 佑くんが自分で決めた
 佑くんは、ズボンの紐を結べませんでした。紐を結んでほしいときは、「紐を結んでください」と、頼んできます。紐の結び方を教えてみることにしました。
 ゆっくりと、片方ずつ、動かし方を見せながら繰り返すと、3回目くらいで輪を作って結べるようになりました。一人で結べた時に、「できたね」と、言うと、にっこりしていました。きおっちょらでは結んでも、家ではまだ結んでもらっていました。

 11月のある日のことです。佑くんを送ってきたお母さんが、「今朝、自分でズボンの紐を結んだんです」と、うれしそうに話してくれました。その気持ちを、書いてくださいとお願いしたら、メールで送りますと即、承諾。夕方迎えに来たお母さんが、「メール届いてますか?」と聞かれても、着信が見つかりません。お母さんが、「あらーっ、お父さんに送ってしまった」と、お父さんの「その通りです」という、返信メールを見せてくださいました。家族のうれしい瞬間に立ち会えました。いただいたメールです。

<黒帯のごとく >

朝の雑踏の中、いつものように佑の着替えを急がせていると
また、ズボンの紐が結ばれていない
時間がないので、いつものように私が結ぼうとすると
彼は、ゆっくりと私に手のひらをかざしてみせ、私をせき止めた…
少し、はにかんだような笑みを浮かべながら、ゆっくりと紐を結び始めました
その姿は、まるで柔道の黒帯をしめるがのごとく、ゆっくりと堂々していました
我が子の成長を垣間見る瞬間でした
私の心に光がさし✨
きおっちょらさんに、感謝した瞬間でもありました✨
今日もありがとう
いつもありがとう (一部省略)

 仲間とともに育ち合う
 寒さが厳しくなる11月末のことです。朝から思うように動かない佑くんが、午後になって、喉のあたりを指さして「ここがあついです「と、言ってたので、早めに迎えにきてもらい、翌日はお休みとなりました。和くんに「残念ながら、今日は一人です」と、言うと、「お昼食べたら、帰ろうかな」と、がっかりしていました。一人になった気持ちを言葉にするようになっていました。

 互いに話し合うことはありませんが、仮面ライダーウルトラマンが好きな和くんと、昭和の怪獣が大好きな佑くんは、話しが微妙に重なりながらもずれていました。それでも1年近くいっしょにいると、二人の話題が少しずつ重なってきました。和くんが、佑くんの怪獣の話に入ってくることも多くなりました。また、佑くんの決めポーズも、鉄人やゴジラにウルトラアタック光線やスペシュウム光線が加ってきました。

 2月から、佑くんの同年代の遥さんが仲間入りしました。ちょうど節分の頃なので、豆まきをしました。「鬼をやってくれる人はいませんか」と、投げかけると、二人とも自分から、鬼になって、豆をぶつけられていました。二人とも、家では鬼になったことはなかったそうです。自分たちで盛り上げようとしたんだと、改めて二人のやさしさを感じました。
 3月半ば、佑くんと遥さんが休むことが多くなりました。佑くんは「修了式は行く」と、言っているので、自分で決めるのを待つことにしました。修了式の前1週間は和くんだけの日が続きました。「一人じゃ、何もやることがない」とか「見捨てられた」と言って、活動に集中できませんでした。
 修了式には佑くんは自分で決めて参加しました。二人に修了証を手渡すと、誇らしい表情で受け取ってくれました。和くんは「ぼくのきおっちょらベスト5」を発表。「手伝ってください」と、支援員に発表用のボードを持ってもらうように頼みました。自分からお願いしたのは初めてでした。佑くんは、僕の好きな怪獣を発表してくれました。

 二人は、4月になっても休んでいる遥さんを心配していました。遥さんは休んで家にいても、送っていたお便りを見て、二人のようすを楽しんでいたそうです。オンラインで話をした後に自分で来ることを決め、今は、おばあちゃんとお母さんの助けをもらって通所しています。仲間たちといっしょに過ごすことがみんなの力を引き出していると実感しました。

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   今年5月26日、遥さんが提案して、
     みんなで作ったベイクドチーズケーキ 

 きおっちょらは、ようやく青年たちの自分づくりの場として動き出しました。この “ かたつむり ” は、海が荒れ狂っても、みんなを乗せて海底をゆっくりと進む “ 大海かたつむり ”(ドリトル先生)のように、仲間たちを乗せてゆったりと進みます。これからもゆっくりと。
          (全障研『みんなのねがい』2021年8月号 掲載より)

季節のたより80 ノリウツギ

  夏空に似合う花 サビタの花とも呼ばれて

 夏の暑さをやわらげるように山野にノリウツギの白い花が咲き出しました。梅雨明けの夏空に似合う花がノリウツギの花です。
 ノリウツギは北海道から九州にかけて分布するユキノシタアジサイ属の落葉低木です。夏の山に入ると、平地から高山までいたるところで見られる低木ですが、丈が4m近くになるときもあり、アジサイの仲間ではいちばん大型のものでしょう。

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        野山に咲くアジサイの仲間、ノリウツギの花

 ノリウツギのウツギの漢字表記は「空木」で、茎の中が空洞になっている特徴に由来します。茎が空洞の植物はたくさんあって、よく知られているのは「夏は来ぬ」で「卯の花」と歌われている「ウツギ」です。他にも「ミツバウツギ」、「ハコネウツギ」なども身近に見られます。

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    ウツギ         ミツバウツギ         ハコネウツギ

 ノリウツギの樹皮をはいで水に浸してみると、外皮の下にある軟らかな内皮から粘液が出てきます。かつてこれが紙を漉くときの「ねり」とか「のり」に使われていました。ノリウツギ(糊空木)の名の由来もそこからきていて、地方によって、ノリノキ、ノリギ、キネリ、トロロノキ、ネバリノキなどと、どれも「糊」にちなんだ別名が見られます。
 和紙製造が盛んな1940年代までは、ノリウツギが紙漉きに広く利用されていましたが、現在ではトロロアオイという植物の根が多く使用されるようになっているそうです。ちなみに「ねり」とか「のり」といわれるので、紙を漉くときに原料の繊維と繊維を接着するものと思われますが、「ねり」や「のり」は接着力は全くなく、美しい紙を漉くために、繊維を水中に1本1本むらなく分散させておく役目をしているのだそうです。(「和紙の原材料」・阿波和紙伝統産業会館)

 ノリウツギの花が見られる時期に、山地では同じアジサイ属のエゾアジサイツルアジサイ季節のたより54)も咲いています。
 山野に咲き出すアジサイ属の花はどれも似ているように見えますが、ノリウツギの花は横からみると円錐形になっています。エゾアジサイツルアジサイの花は平らに開いている感じがします。それにエゾアジサイの外側に広がる花(装飾花)は、青から淡紅色の変化に富んだ色をしており、ツルアジサイは大きな樹木にツルになってまきついているので、容易に区別ができるでしょう。

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   ノリウツギ        エゾアジサイ        ツルアジサイ

 ノリウツギの花は、大きな装飾花と装飾花の内側に集まる小さな花からできています。装飾花の白い花びらのように見えるものはガク片が変化したもので、花全体を目立たせる役目をしています。装飾花の中心にも小さな花がありますが、これはおしべとめしべが退化していて実ができません。ノリウツギの本当の花は、装飾花の内側に集まる小さな花です。これを真花(シンカ)と呼んでいます。
 真花である小さな花の1つひとつには、花びらが5枚、おしべが10本、3つの花柱のあるめしべがあって、ここに実ができるようになっています。

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   ノリウツギの大きな花の装飾花と小さな花の真花(つぼみと開いた花)
  円形のなかにあるのが真花(拡大)。花びら、おしべ、めしべがあります。

 ノリウツギの花が咲き出すと、円錐形の花の集まりが遠くからでもよく目立ちます。花のいい香りも虫たちをよびよせるのでしょう。蜜もたっぷり準備しているようで、いろんな昆虫が訪れます。モンシロチョウやシロチョウがむらがって、蜜をすっている姿はノリウツギの装飾花と見間違えてしまいます。春から初夏にかけて日本列島を南から涼しい地域へと北上するアサギマダラは、旅の途中でしょうか。栄養を補給している姿もよく見かけました。

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       花びらのように見えるシロチョウ      アサギマダラは旅の栄養補給か

 花が終わっても装飾花は散らずに残って、秋になるとピンクに色づきます。冬になっても枯れずに残って、ドライフラワーになっていました。春が来て冬芽が芽吹き始めても、茶色の色が抜けて白くなった装飾花を見ることもあります。

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 果実が熟すにつれ淡紅色に変化       装飾花は冬もかれずに枝に残る。

 ノリウツギの若葉は食べられるので、茹でてから干して保存し、冬の食糧にしている地方もありました。戦時中は、この若葉を刻んでコメと混ぜて雑炊にして食べたそうです。
 ノリウツギの木は庭木にも使われることも多く、その木材は白くて堅く、樹皮を剥いでも肌が酸化しないことから、木釘や爪楊枝、ステッキや傘の柄、輪カンジキの歯、パイプなどにも広く利用されていたということです。(森と水の郷あきた「樹木シリーズ89」)

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         北海道では  サビタの花とも呼ばれています。

 北海道を旅したとき、ノリウツギの花が山間部のいたるところで見られました。山霧に浮かぶ白い花が幻想的で、北海道ではこの花を「サビタの花」と呼んでいました。
 昭和31年(1956年)にベストセラーとなった小説「挽歌」は北海道が舞台です。作者の原田康子は北海道の地に根をおろし作品を書き続けた作家ですが、そのデヴュー作は「サビタの記憶」という小説でした。

 療養のため、とある温泉地に滞在していた女学生になったばかりの私は、そこで、いつも部屋で本を読んでいる謎めいた青年と出会います。「比田」と名のる青年の明るく率直な物言いと行動に、病弱で孤独な少女の心は慰められ、やがて惹かれていきます・・・・・・・。

 比田さんは、小さな薄黄色い花をいっぱいつけた、低い灌木の小枝を折った。花はいい匂いがした。私は比田さんの手から小枝を取った。
「なんて花?」
「サビタ」
と、比田さんは答えた。タともテともつかぬ発音をした。
「押し花をつくってやろう。うまいんだぜ」
 帰りに気をつけて見ると、その花はあちこちに白っぽく咲いていた。山城館の付近にもあった。私は比田さんが手折ったから、この花も目につくようになったのだと思った。         (原田康子 「サビタの記憶・廃園」新潮文庫

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           一枝に群れて咲くノリウツギの花

 ある日、二人が湖を散歩して帰ると、玄関先でカンカン帽をかぶった男が二人待っていました。その男たちは「ヒロセ」と青年の名を呼ぶと、手首に鉄の輪をはめ、そのまま車にのせて去っていきました。
 旅館の番頭さんや女中さんから途切れがちに聞こえてきたのは、「シソウハンらしいって・・・」の言葉。意味ものみこめず、恐くて唇を噛みしめて嗚咽をこらえる私。残されたのはサビタの花の押し葉。その年の12月に、イギリス、アメリカとの戦争が始まります。

 暗い不安な世に向かう時代、突然訪れた二人の別れに、戸惑い、哀しみ、恐れにゆれる思春期の少女の姿をサビタの花の記憶に重ねて描き、作家高見順より「若草のやうなみづみづしさ」を持つ作品と評されました。(「新潮」1954年度1月号)

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     「サビタ」は夏の季語。「花さびた」として句に詠まれます。   

 「サビタ」という、どこか異国情緒を感じさせる名の語源は、アイヌ語とも東北地方の方言からきたものとも言われていますが、調べてみると、アイヌ語ノリウツギは「ラスパニ rasupani」といい、「サビタ」はアイヌ語ではありませんでした。(帯広百年記念館 アイヌ民族文化情報センター)
 東北の青森、秋田、岩手の3県には、サシタ、サヒタ、サビタ、サプタ、サワフタ・・・・・などと、サビタ系の方言が分布しています。(倉田悟著・「日本主要樹木名方言集」・地球出版) そのおおもとは「サワフタギ(沢蓋木)」と思われ、湿り気の多い土地を好むこの花が沢を覆うように繁っていたことから名付けられ、それが変化したものと考えられるようです。(山形大學紀要・佐藤正巳著・「東北地方の樹木方言」)

 北海道の開拓時代、東北から北海道へ多くの人が移住しました。故郷を遠く離れたその人たちが、季節がくると、開拓地で故郷に咲く花と同じ花に出会ったのでしょう。人々はその白い花に故郷を偲び、懐かしい故郷のことばで呼び合っていたのではないでしょうか。それが、いつか「サビタ」の名で北海道の各地で定着したと思われます。「サビタ」という花の名がどこか哀愁を秘めて響くのも、開拓民の人々の故郷への思いがこめられているからのように思うのです。

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       行くかぎり  未知の空あり  花さびた  藤田  湘子

 真っ白い花は北国の空にも似合うようです。ノリウツギの名も、サビタの名も、人の暮らしを支えていたり、はるか祖先の思いが込められていたりしていると思うと、白い花への愛着もひとしおわいてきます。(千)

◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花 

ぜひご参加ください! 2021 夏休みこくご講座

 毎年、好評をいただいている夏休みこくご講座、今年も実施します。
 みなさんは、国語・物語の授業をどのようにしていますか? 今年は、千葉建夫先生が退職前におこなった公開授業をもとに、千葉先生本人から「教材研究をどう行ったか」、そして「授業をどう作っていったか」を話してもらい、文学作品をクラスで読み合うこと、授業することの意味を考えます。

 現職のときにはさまざまな教育実践に取り組み、私たちに授業のおもしろさや難しさを語ってくれた千葉先生ですが、退職してからは自分の出る幕ではないと多くを語らずにきていました。そんな千葉先生が、今回はたっぷり1時間半にわたり自身の教材研究・授業づくりについて語ってくれます。またとない機会です。 

 第2部では、国語の授業がどうしていいのかわからない、指導書どおりでやってきたが子どもたちが授業に集中しない、上手くいかない、そんな日々の悩みを出しながら、どうしていけばよいのか考え合います。
 金曜・午後の学習会となりますが、職専免・年休をとってでも参加する価値は十分あると思います。ぜひおいでください。お待ちしてます。

 夏休み こくご講座 2021

 日 時:8月6日(金)13:30~16:00
 ところ:フォレスト仙台 2F会議室
                  (参加費は、無料)

  ◇第1部 (13:30~15:00)
 
ひとつの文学作品を教材に授業することの意味 
   ~ 私の教材研究と授業づくりから考えること ~

    講 師    千葉建夫さん(センター運営委員)

  ◇第2部(15:00~16:00)
  こくご授業のなやみQ&A 
  ※ 参加者からの質問・疑問、日ごろの悩みを出し合い、考え合います。 

 新型コロナウイルスの感染防止のため、健康不良の方は参加をお控えください。また参加の際には、手洗いマスク着用など感染防止にご協力ください。
 コロナの感染拡大などで中止等変更の場合は、Diary や ホームページでお知らせいたします。事前にご確認下さい。よろしくお願いいたします。

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門真さんを追いかけつづけ(3)

 サークル内の退職予定者のなかから “ 卒業授業 ” を行う仲間が出てきていた。
 かつては、宮教組の教育文化運動のなかで全国にも誇れる「授業実践検討会」がすすめられ、授業を公開し、研究者や他県からの参加者まで含めて、その授業を検討し合うことが、各サークルで積極的にすすめられた。これは、授業者の力を高めるだけでなく、参加者の力をも高める場になっていたと思うが、どういうわけか、しだいにその場を学校が拒否するようになり、しだいに実践検討会はほとんどできなくなってしまった。それがどういう理由かは私にはいまだにわからない。

 その後私たちで話し合ったのが “ 卒業授業 ” だった。最後の授業を仲間に見てもらい、検討してもらうことで教師生活を終りにするというもの。実際は、授業者にとっては退職を前にしてたいへんきついものだったが、実際に授業検討会をもてるということは、あとに続く者にとってはたいへん貴重な場になった。それにしても、退職する者をその場に立たせようとするのだから、ずいぶん酷な企画である。私自身のその時を、今思い出すだけでも、相当時間が経つのにまだその時の冷や汗が体に染みついている感じなのだ。

 門真さんの退職は1988年3月。門真さんと相談し、3月初めごろを予定して、私が学校にお願いに行った。学校長からは、「大学などでは最終講義があるのですから、小学校にだって卒業授業があっていいですよね、どうぞおすすめください。私からのお願いですが、その時は、うちの職員もぜひ参観させてください」と快諾を得た。
 実は、この “ 卒業授業 ” もまた、前述の実践検討会と同様、なぜか気持ちよく受けていただいたことはそれまでなかった。組合主催でも後援でもないのに2度も通い、最後には、これが本音だったようだが、「組合に協力したと思われたくないから絶対ダメだ」と言われた。仕方なく私と友人の2人が所用ということで学校を尋ね、ついでに授業を見せてもらうことにして終わったり、話し合いの最後の最後に、「少ない人数であれば・・・」という条件付きでシブシブ受けてもらったりなど、なかなかたいへんだった。“ 卒業授業 ” がなぜこんなに難しかったのも未だに私はわからない。
 ということで、門真さんの授業は非常に気持ちよくその日を迎えることができた。
 
 その日は、1988年3月5日(土)。2年生で、新美南吉作「はな」の読みの授業。
 門真さんの授業は、私などのような気負いはまったくみられない。相手が何年生であろうと、立ち位置は同じだ。子どもたちが安心して授業に入っている。先生と子どもたちが一緒になって「はな」を読んでいることがよくわかる。いつもこうなのだろうなあと想像する。
 授業が中頃まで進んだ頃、Kが、突然、座席を離れて動き出した。なぜかはわからない。でも、他の子どもたちの様子に変わりがなかったところをみると、よくあることなのだろうと思った。門真さんはどうするだろうと私は一瞬思った。私ならどうするか・・・も。門真さんは何も言わずに、ウロウロするK男に近寄り、静かになだめて座席にもどし、何事もなかったように授業は進めた。短時間授業が止まったのだが、子どもたちのその後が変わったようには見えなかった。
 その後私は、自分が同じ場面におかれたらどうするだろうかが頭を離れなかった。Kにかまわず授業をすすめるのではなかろうか・・・。もしかすると、K の傍に歩み寄ることなくきつい声をかけて戻そうとするのではなかろうか・・・。いずれにしろ、嫌な自分の姿だけがしばらく頭の中をめぐった。
 授業が終わり、参加者での検討会に入った。だれひとりKに触れる人はいなかったように記憶する。

 後日、考えてもいなかった門真さんの追悼集をつくることになり、門真さんの仕事部屋に入らせていただいた。そこには、「はな」の授業に関する資料だけをひとつにした大きな紙袋があった。
 そこには、授業のための事前の読みのメモ、授業案をつくるためのさまざまなメモ、そして、授業後に考えたこと、検討会で考えたこと、発言のメモなど、たくさん入っていた。

 そのメモには
 ・授業のテープを聞いていられない。授業の態をなしていない。
 ・授業で思っていたこと―—授業案が私の理想のかたちと言えるだろうか。言語
  と読みを結びつけたいのに。

  ―—「はな」に関して言えば、イメージをつくる時も心情を考える時も。
 ・Kのことがなくてもだめだったにちがいない。教材研究が十分いっていないの
  だから。

 ・文、段落からのアプローチがさっぱりやれていなかった。やろうとしなかっ
  た。

 など細部にわたる自省。それに、検討会で出た意見なども聞き逃すことなく、そうとう踏み込んだメモがびっしり書きこまれていた。

 それらの貴重なメモの紹介は長くなるので止めるが、門真さんがその年の8月、宮城民教連機関誌第4次「カマラード」8号に、「卒業授業報告『はな』を授業して」を書いているので、それにふれて、門真さんの卒業授業報告を閉めることにする。
 その「はじめに」門真さんは、「あれから3か月経った。以下に書くのは授業を思い返し、みなさんの検討の記録を読み直し、もう一度学級の歩みをたどってのまとめである」と前置きし書かれているが、その全体が、授業直後の紙袋に入っていたメモとの違いを感じさせ、私はホッとし、同時にうれしくなった。

 門真さんをそうさせたのはなんだったのか。最後に書いた子どもたちの感想文にあるように思った。その子どもたちの感想を紹介し、「たとえばAちゃんのように読めば、けんぼうに対するひろしの気もちはもっと親しみのあるものになる。こういう読みや考えを授業の中に引き出すことができたら、授業は一瞬のうちに緊張し、深まったのではないか。いっとき、むつけて、建築現場で授業しているような思いをさせたK君にしろ、原因は授業にもっと参加したいのを私におさえられたからなのだ。~」「検討のなかで『ひびきあいがなかった』という感想があったが、それは、教師が響き合いをさせなかったのだろう。~~」などと。

 門真さんの「カマラード」の報告を読みながら私は、教師の仕事というのは、授業中発言する子だけに助けられつづけられているのではなく、一言もことばを発することのない子どもたちにも支えられていることを忘れてはならないんだと思った。門真さんは、「『組織する』ということの意味する内容と方法は何か、それは単に『のびのびと、なんでも言えるようにする』というようなレベルで終わるものでないことは確かである。」と書き、つづいて、「生涯努力した全体を、すでに解決されて何らの検討を要しないものとして拠棄するようなことであってはならない。それは決して解決されているのではなく、真に疑いもなく検討を要する。」というペスタロッチの言葉を添えている。

 すばらしいといわれた(る)教師はたくさんいる。でも、教師の仕事に「上がり」はないということは確かのようだ。教室は、子どもひとりの出入りによってもその場は違ってくるのだ(無礼な言い方になるが、ただ教師だけが何事もなく日を過ごしているだけで・・・)。
 カマラードの門真さんの文は、私たちに、子どもと教師の関係を考えるための大きな財産と言える。それが門真さんの卒業授業であったのだ。
 そちこちで授業をつづけていた林竹二先生にお会いした時、「S養護学校で、眠るように動かない子どもに何日も声をかけつづけるひとりの教師の姿を目にしてきたが、その先生の様子を目にして、ぼくはもう授業を止めることにした」と言われたことを思い出した。ーつづくー( 春 ) 

とてもよかった! 児美川孝一郎さん講演会

  現在も、YouTubeで配信中です! 

 7月3日(土)開催の児美川孝一郎さん講演会「GIGAスクール構想と子どもが主役の教育」は、会場参加31名、YouTube視聴89名、合計120名の参加でした。コロナ禍にもかかわらず多くの方に参加いただきました。ありがとうございます。
 センターでの企画をYouTube配信したのは今回が初めてでしたが、多くの方に視聴いただけてとてもよかったです。現在もYouTubeで録画配信しております。ぜひ、まだご覧になっていない方は、ご視聴ください。

  YouTubeの視聴は、以下のURLから 
    https://youtu.be/vf2OJBlP4ww 
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《講演の感想
を紹介します》 

◆本日のGIGAスクール構想についての講演会、YouTubeで視聴しました。とても勉強になりました。教育のICT化は日本の先進国の中でも遅れているし、使えば便利だぐらいに思っていた私・・・。目を覚まされました。
 この構想が子どものために文科省が打ち出したものではなく、発端は経産省が国家戦略として、教育で儲ける→経済成長をはかるためのものだったことを今更ながら理解できました。児美川先生がおっしゃるように、ネットでは個に応じた学習プログラムの売込みが盛ん。ネット環境、お金のある家庭の子は学力アップ間違いなし。ますます格差拡大。一人ひとりにタブレット配ればIC産業も儲かる。
 コロナ禍で子どもにとって、学校が、友だちと過ごせることが、部活が、給食がどんなに大切か実感できた今、私たちは学校で何を目指すのか子どもの学びにとって大切なことは何か、タブレットはどう活用するのか、改めて明らかにしていかなければ、と思います。

◆興味深く視聴しました。惨事便乗型ともいえる教育施策ーギガスクール構想のもと、着々と、悶々と進めざるを得ない先生方の苦悩は大変なものではないか。
 目から鱗、的な感覚と、じゃあ、知ってしまった私たちはどうすべきなのか・・・みんなで考えていきたいですね。

GIGAスクール構想とSociety5.0の関係がわかりました。プラスそこにSDGsも。個に応じた教育を進めながら、本来の学校はどうあるべきかを学校の中で議論していくことが大切だと思いました。私は、何をどう教えたいのかをもっていることが必要ですね。

◆今日の日本の教育事情について分かりやすくお話をいただき感謝です。問題の深刻さを知ると、それをどう解決していけばよいのか大変だとも痛感しました。やれることをやるということでしょうか。

◆たいへん多方面にわたり問題点などご指摘いただきました。教育は、政治、経済、文化、思想、軍事の全方面にわたる社会の核であると思います。しっかりと、自立と連帯の理念の下に1つ1つ考え、実践したいと思います。

文科省が「少人数学級の現実」のために動かざるを得なかったのはコロナであり、国民の声であったのだと思います。コロナ禍の中で、文科省も動かざるを得なかったのでしょう。
 現場の教師が、どのように学校をつくっていくのか。子どもと向き合っていくのか。課題をいただいたような気がします。「ベストミックス化」すごく難しいです。内側から教師が変えられないようにしたいと思いました。ICTの流れをとめることはできないでしょう。若い人たちは、それをうまく活用していくのでしょうか。では自分は? それは、今を生きる自分の問題にもなっていると思います。現場の教師が市民と共に「力を合わせて解決していく」、それが考えるヒントになっていると思いました。