昨日7日付け河北新報朝刊に、春さんこと元センター所長の春日さんが自費出版した著書『叱って 笑って 支えられ ~私と子どもの教室の記録~』が紹介されました。朝、出勤して仕事場につくと間もなくして、上司である専務が「春日先生が、新聞に載ってるよ」と教えてくれました。こんなに大きなスペースで紹介されるなんて。びっくりです。

写真もとても素敵で、いつもお会いする春さんそのもの。この本の特色・ユニークさは、学級での日々の取り組みや営みを教師としての春さんが書いているのに、見えてくるのは素直で率直で、伸びやか子どもたちの姿ばかり。主役は著者の春さんではなく、子どもたちです。子どもたちの書いた文章もとてもおもしろいのです。そして、こんな子どもたちと春さんとのやりとりを、しっかり見守り支えているのは保護者のみなさんであっただろうことを感じたりもします。
次に、本の宣伝チラシに掲載されている学級だよりの文章(当時の学級だより掲載)を紹介します。
《通信表、まちがってる! 春日》
私は通信表は好きではありません。子どもたち一人一人のいかほどのことも知らないのに、子どもであろうと、ひとりの人間について、断定的なことを書きたくないからです。毎度、仕方なしに書いています。ですから、この日も、ただ機械的に配りました。
好きでないと言っても、通信表を手にした子どもの反応は何気ないふうにしていながら気にして見ています。
エイジ君は私の目の前の座席です。・・・渡し終わるのを待って、すぐに立ちあがったエイジ君が通信表をもって私のところにきて、「違う」と言うのです。
私は、「算数だな」と言うと、「そうだ」と言います。2学期の算数の時間、ちょっと遊びをと「円錐の表面積を求める問題」を出しました。「わかった」というのが黒板で説明をするのですが、次々に途中でアウトになり引き下がるというのがつづきます。
しばらく後に出てきたエイジ君が見事クリアー。間髪を入れずツヨシ君が、「エイジソンダー」と叫んだのでした。ですから、通信表の「ふつう」は間違いだというわけです。・・・・(続く)
この後、どうなったんでしょう。先生のつけた俺の成績は「間違ってる」というエイジ君、すごいですね。この自己主張、立派です。でも単にエイジ君がすごいと言うだけでないように思います。こういうことを先生に言っても「大丈夫」という信頼が春さんとエイジ君の間にあるということ、そのことの方がもっとすごいことのように思いました。
《バカな教科書 カオリ》
私は、算数のしゅくだいをわすれたので、いそいでしようと思いました。ところがちょうしがくずれました。ノートはあるんだけど教科書がないのです。
ああどうしようとこまりました。みんなにおこられるだろうなあとか、ああしゅくだいなんか出さなければよかったのにと思ったりしました。私が悪いんじゃなくて、教科書がかばんの中にないのがわるいんだ―そうだ「教科書が悪いんだ」とどなりました。でももうこうなったら、しかたありません。「リエちゃんのりこうな教科書をかりようかなあ」。
今、リエちゃんから算数の教科書を借りて来て、しゅくだいをする前に、時間表を見てそろえていたら、理科とまちがっていたバカな算数の教科書がありました。理科と思っていた本はまさしく算数だったのです。もうバカとは言えません。私の方がバカでした。よく見なかったこの目もわるいし、考えなかったのうも悪い。「かい主によくにる事がある」と言うけれど教科書もにる事があるのです。悪い所だけれども。
カオリさんの刻々と移り変わっていく気持ちが、まるで実況中継のようで、そのうえに話のオチまでついて、なんてうまいんでしょう。同時に、きっと彼女は自分でこの文章を書きながら、ひそかに春さんやクラスの仲間がこれを読んだら、おもしろがって笑ってくれるだろうと思っていたのではないかと・・・。そんな学級の様子を感じます。
《ドキドキのさようなら エミ》
今日の帰りの会。先生が、ものすごーく、おこった。せきにんを感じた。
そうじの時間、ゆっくりのそうじ。マキは最後までふいていた。先生がいる。さっきおこられたばっかり。
ジャンパーを着た。カバンを取りにゆっくり。ユウタ君が、なにか言っていた。カバンを取る。ドキドキ。メグミちゃんが来て、行ってしまった。勇気を出して、「先生、さようなら」と、教室を出ても、まだドキドキ。(明日、『おはようございます』って言えるかな?)
※前号の教室だよりにも書いたように、「帰りの会・朝の会、もうやめろ。話を聞かない練習をしているようなものだから、やらない方がみんなのためになる。話をきちんと聞けないなんて、やさしくない証拠だ。挨拶をしてすぐ終わればいいんだ」と怒鳴りました。
怒鳴った後は私も身の置き場がないのです。エミさんの日記を読む。カバンを背負った後に、私に「さようなら」をいうために、ドキドキしていたのですね。
こういう気持ちにしてしまって、本当に悪かったなあと思いました。子どものためと思いながら、こんなに心を痛めてしまって許して— でも、こんなに悩ませておきながら、私は、エミさんの優しい心をたいへんうれしく思い、エミさんには次のようなことを書きました。
エミさん、昨日のことをこのように書いてくれてありがとう。じつは、おこってしまった後に、オレもね、とっても気分がよくなくなったんです。・・・(続く)
先生に限らず、だれでも「あんなことを言わなければよかったなあ」とか、「どうして〇〇してやれなかったんだろう」と、後になって悔やむことはいくらでもあります。でも、大人になるとどういうわけか素直に謝るということが、なかなかできなくなるものです。今の政治の世界を見ていると、なんと謝ることのできない人たちの集まりだろうと思ってしまいます。のらりくらりと言い訳をし、時には開き直り噓をつき、そういう姿があちらにもこちらにも。そう考えると、春さんは実直に自分の思いを語り、謝ることのできる人なんだなあと感心し、自分もそうありたいと思います。
さて昨日の新聞の紹介で、問い合わせの電話がセンターにも寄せられています。今日は、なんと春さんの教え子や保護者の方がそれぞれに本を求め、センターにやって来られました。春さんが担任をしたのは、きっと1,2年。でもその日々が、その人たちの心のなかで、いまでも生きているのでしょう。どの方も、じつにうれしそうに本を手に取り眺めながら、大切そうに持って帰られる姿が印象的でした。その姿を見て、春さんは幸せ者だなあと思いました。(キヨ)
















