mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

いいんです! 国体で村井知事と意見が一致

 全国知事会会長の村井宮城県知事が国体の廃止に言及したことには驚きました。意外にも意見が一致したからです。
 昨今、各種競技団体による大会が世界でも国内でも数多く行われている現状を考えれば、開催県による人的・財政的負担の大きさから当然の提言と思われます。

  「戦後の荒廃と混乱の中、スポーツで国民に勇気と希望を与えよう」と始まった国体が、全国を2巡するなかで各県の競技団体の活動が活性化されたり、競技施設が整備されたり、競技人口が増えたりなどスポーツの発展に大きく貢献してきた点は評価できます。

 一方、誰が考えても運営の仕方に無理があるのでは?と思えることもありました。例えば「38大会も連続で開催県が優勝するって不自然過ぎないか?」「毎年、開催県を転々とする『優勝請負人』選手が存在するのはおかしくないか?」「開催地代表だけが予選なしで全競技に出場できる仕組みってあり?」「開催県が地元以外の有力選手を県職員や学校教員などとして採用し、『地元代表』として出場させるって、何の意味があるの?」など、疑問は尽きません。

  スポーツは本来、一部のエリートだけのものではありません。障害の有無に関わらず、いつでも、誰でも、どこでも関われる環境をつくりあげることが理想です。全国知事会には、地域のスポーツ振興や健康増進のために、すべての国民を視野に入れたスポーツ政策を提言してほしいと思います。(エンドウ)

落合恵子さん来仙! ストップ女川原発再稼働

 4月21日(日)の企画という差し迫った紹介ですが、「子どもたちを放射能汚染から守り 原発から自然エネルギーへの転換をめざす女性ネットワークみやぎ」さん主催の講演会です。講演会の講師は、落合恵子さんです。

  止めよう!女川原発再稼働
    落合恵子さん講演会

  
   ※ ZOOMからの参加は ココ から。
    ミーティング ID:831 8667 2022
    パスコード:335296

 元旦の能登半島地震で、「能登志賀原発は大丈夫か」と、大きな不安を抱いた方も多いでしょう。その後も、全国各地の地震報道が頻繁にあり、日本が地震列島であることを思い知らせています。
 私たちは13年前の福島原発事故を忘れることはできません。いまだに、事故原因も解明されず、故郷に戻れない住民は3万人以上います。
 女川原発は、巨大地震震源地近くにあり、大きな地震に何度も遭ってきた「被災原発」です。13年以上も止まっていたこの原発を、東北電力は「今年9月に稼働させる」と、発表しました。能登自身の状況を知れば、「避難計画」は少しも役に立たず、原子力災害対策が無力であることは明らかです。
 「原発は、女川にも日本のどこにもいらない」と、大きな声と運動をご一緒に広げていきましょう。(チラシ呼びかけ文から)

 

 

季節のたより145 コチャルメルソウ

  奇妙な花びら  昆虫に合わせて進化した固有種

 春の山地に咲いていながらあまり気づかれることもない小さな花。もし見つけてその変わった花びらを見たら、これは何?と驚かれるでしょうね。

 水辺に咲く花は 孤独でした。
 小魚の骨のような 花のすがたを 悲しんで
 きれいな花びらが ほしいと
 小さな花は つぶやくのでした。
     (Fotopus:写真絵本「コチャルメルソウ」)


          水しぶきのなかに咲くコチャルメルソウの花

 名前も花の形も変わっているコチャルメルソウ。咲いていたのは、山地の小さな渓流沿いで、水しぶきをあげて流れる水際から少し離れた湿地でした。


       谷川や滝の近く、水しぶきのかかる環境に生息していました。

 最初、何かの実かと思いました。それにしても、4月の上旬に実ができるのは早すぎます。近づいて見れば見るほど奇妙な形です。

 
    コチャルメルソウの全体の姿        コチャルメルソウの花

 中心にあるのは雌しべと雄しべ。するとまわりにある小魚の骨のようなものは、花びらでしょうか。初めて見た草花です。図鑑を開くと「コチャルメルソウ」とありました。

 コチャルメルソウはユキノシタ科チャルメルソウ属の仲間。チャルメルはチャルメラともいい、ラッパのような形をした中国の楽器のことをいいます。
 昔、この楽器の音色を夜の町に響き渡らせて、ラーメンの屋台を引くおじさんがいたものでした。今はなつかしい昭和の風景はもう姿を消していますが、チャルメルソウの名は、花の後にできる実の形がこの楽器に似ているからだそうです。コチャルメルソウはチャルメルソウより小型という意味なのでしょう。

 あらためて独特の花の形をルーペで拡大して見ると、花は5角形に近いお皿のような形。お皿の底にあたる花盤の縁から奇妙な形の花びらが5つ出ています。その根元近くに雄しべが5つ。淡黄色の雄しべの葯が割れて、ここから花粉が出るのでしょう。雄しべに囲まれた真ん中に雌しべがあって、雌しべの花柱が2つに分かれていました。

  
   横から見た花の形     正面から見た花の形    中央に雄しべと雌しべ

 この奇妙な形の花について調べていたら、チャルメルソウ属について長年研究してこられた奥山雄大さん(国立科学博物館植物研究部多様性解析・保全グループ/筑波実験植物園研究員)が、HP「おくやまの研究ページ」でこれまでの研究成果を公開していました。

 チャルメルソウ属は世界に20種あり、日本には12種が自生、うちの11種が日本の固有種とのことです。日本のチャルメルソウの仲間は、日本列島の温暖湿潤な環境で多様な進化を遂げた属のひとつで、山地の小川や渓流、滝のすぐそばなどの水しぶきのかかる場所に好んで生育し、多くの種が限られた地域に生育するなかで、例外的に広範囲に分布しているのがコチャルメルソウなのだそうです。
 東北地方でも多くの場所でコチャルメルソウが自生しているのが見られ、奥羽山脈の東西に沿って局所的に分布しているのがエゾノチャルメルソウという種で、宮城県での分布を調べてみると、この2種の分布が確認されていました(『宮城県野生植物目録2022』宮城植物の会)。

 奥山さんのHPにはチャルメルソウ属のうちの8種の写真が掲載されていました。写真、画像等の使用は商用利用でない限り、可ということなのでお借りして紹介します。

左上から、ミカワチャルメルソウ、コチャルメルソウ、エゾノチャルメルソウ、シコクチャルメルソウ、タイワンチャルメルソウ、オオチャルメルソウ、ツクシチャルメルソウ、マルバチャルメルソウの花

       出典:「おくやまの研究ページ 」(奥山雄大氏:筑波実験植物園)

 こうしてみると、どのチャルメルソウの花も変わった形をしています。花びらが細長く枝分かれしているのが、チャルメルソウ属の特徴のようです。       
 植物にとって、花は色や形を魅力的にして昆虫や鳥などを引き寄せるのが役目ですが、この花に引き寄せられる昆虫はいるのでしょうか。           
 チャルメルソウには雌花をつける株と両性花をつける株があって群れのなかでは一緒に花を咲かせています。奥山さんによると、このチャルメルソウの花には、キノコバエという昆虫の仲間がやって来るというのです。

 チャルメルソウの花には昼間、あるいは夜もほとんど何の昆虫も訪れませんが、夕方になるとふわふわと頼りなげに小さな昆虫が飛んで来るのに気づきます。これがチャルメルソウ専属のパートナー、ミカドシギキノコバエです(下左写真)。ミカドシギキノコバエキノコバエ科に属する昆虫で、ハエといっても、すらりと足が長く、どちらかといえばカに似た姿をしています。長い足の先が必ずあの細長い花弁にかけられていることから、どうやら花弁の奇妙な形には、キノコバエの長い足でも上手くつかまれる足場としての役割がありそうです。ミカドシギキノコバエキノコバエの仲間としては特異な、長い口を持っており、それでしきりにチャルメルソウの花蜜を吸っています。花から花へ飛びうつるミカドシギキノコバエをつかまえると、その口にはぎっしりと花粉がついているので、確かにこの昆虫が受粉を助けていることが分かります。試しに、チャルメルソウの雌花を咲きはじめから網で覆ってしまうと、全く果実をつけないことからもミカドシギキノコバエの働きは一目瞭然です。 
  (奥山雄大「チャルメルソウの仲間とその花粉を運ぶキノコバエの共生系」)

 
 チャルメルソウの花を訪れ、吸蜜する  コチャルメルソウの花を訪れ、吸蜜す
 ミカドシギキノコバエのメス      るクロコエダキノコバエのメス

 チャルメルソウの花の形は、昆虫を引き寄せるためではなく、やって来たキノコバエが長い足で上手くつかまる足場ではないかと奥山さんは推測しています。なるほど、これなら小魚の骨のような花びらであることも納得です。

 日本のチャルメルソウの仲間は生育する地域が限られていても、チャルメルソウとコチャルメルソウのように2種が隣り合って咲く地域があります。チャルメルソウとコチャルメルソウはお互いに近縁で、人工的に交配を行うと簡単に雑種ができてしまうのに、自然界では不思議なことに2種の雑種を見かけることはほとんどないそうです。

 チャルメルソウの花を見ると、開花してもガク片が完全には開かず、花の形はやや釣鐘型。一方、コチャルメルソウの花は、ガク片がそり返り、花びらは平らに開いて、蜜を出す花盤が広く、皿型です。
 奥山さんが、日本に自生するチャルメルソウ属のほとんどの種で調査すると、釣鐘型の花の種には長い口が特徴のミカドシギキノコバエがやって来て花粉を運び、皿型の花の種には主に口の短いキノコバエ類がやって来て花粉を運んでいる(上右写真)ことが明らかになりました。つまり、隣り合って咲くチャルメルソウの仲間の種と種の間では、花粉を運ぶ昆虫の種類が異なっていて、お互いの間で花粉のやり取りが起きないようになっていたのです。

 では、チャルメルソウの仲間は、どうやって昆虫を引き寄せるのでしょうか。
 奥山さんは、チャルメルソウの花から出される奇妙な匂いに注目。実際にチャルメルソウの花の匂い成分を与えて反応を調べる実験をしたところ、その匂い成分が一方のチャルメルソウの種の花粉を運ぶキノコバエには好まれ、もう一方のチャルメルソウの種の花粉を運ぶキノコバエには反対に嫌われる性質があることを発見しました。
 チャルメルソウの仲間は夕方になると、種ごとに花からそれぞれ少しずつ異なった香りを漂わせ、キノコバエの仲間を呼び寄せているそうです。つまり、それぞれの花が、それぞれ異なる送粉者(ポリネーター)を選択し共生していたのです。

 奥山さんは、さらに研究を進め、日本のチャルメルソウの仲間のDNA配列を調べることで、花の香り成分が進化して変わり、それに伴い花粉を運ぶ昆虫が変わることが、日本列島では繰り返し起きていて、チャルメルソウの新しい種の誕生につながっていることを明らかにしました。
 日本でのチャルメルソウの仲間の独自の種分化には、花の香り成分が重要な役割を果たしていたということなのです。
 今後はどのような環境要因が引き金となって花の匂いの進化が起きたのか。その謎を解き明かす研究が進められています(「おくやまのページ」論文紹介(Okamoto, Okuyama, et al. 2015) 花の香りが変わると新種誕生!)。

 
  チャルメラにそっくりな     チャルメルソウ類は、小川や渓流沿いに生育し、
  チャルメルソウ類の果実     その環境を生かして仲間を増やしています。

 花の後、チャルメルソウの仲間に実ができます。花の時は横向きに咲いていますが、実になると上向きに向きを変えています。種子の散布には都合よくできています。雨が降って雨粒が「チャルメラ」のような口に上から落ちると、なかに詰まっている種子ははじき飛ばされ、あたりにばらまかれます。時には沢の水に流されて遥か遠くにも運ばれることもあるでしょう。フデリンドウ季節のたより97)の種子散布のしくみにそっくりですが、チャルメルソウは雨粒だけでなく、滝や小川の水しぶきも巧みに利用しているようです。
 コチャルメルソウを見つけたときは、渓流ぞいの湿地に群落をつくっていました。チャルメルソウの仲間は、種子での繁殖だけでなく、地中を横に這う根茎があって、ランナー(走出枝)を出し仲間を増やしているようです。

 さて、冒頭の写真絵本の物語ですが、じつは初めてコチャルメルソウに出合い、その奇妙な花を撮影しながら、ふと心に浮かんだお話を写真に組んで、写真サイトに投稿したものです。続きは次のように展開しました。

 海から さかのぼってきた 鮭が 教えてくれました。
 おまえさんと そっくりの花が 海の中に 咲いていたよ
 珊瑚といってね きれいな仲間が たくさんいるんだよ
 小さな花は 心が あたたかくなりました。
 青い海の 仲間たちを 想うと 水辺に咲く花は もう 孤独では ありませ
 んでした。                      (Fotopus:同)

 
  小さな花は心があたたかくなりました。   花はもう  孤独では  ありませんでした。

 地上の花たちのなかでは異質で孤独なコチャルメルソウの花は、海のなかに自分と似た形の珊瑚というきれいな仲間がたくさんいると教えられ、心があたたかくなり、安らぎを得たということにしたのですが・・・。

 奇妙な花の姿は、花の香りで昆虫を引き寄せ、花びらには昆虫の足場の役割りをさせるというコチャルメルソウの独自の花の進化の結果でした。姿、形の異なる生きものたちが、互いにつながりあって生きものの世界を豊かにしているわけで、このコチャルメルソウのお話は、これでおしまいにしてはいけないと思ったのです。
 続きは、コチャルメルソウの花の形をした仲間が、海だけでなくこの地上にもいて、その変わった花を何よりも頼りに生きている昆虫の仲間がいるというお話です。そのためには、コチャルメルソウにやって来るキノコバエの仲間をまず撮影しようとねらっているのですが、これが難しいのです。(千)

◇昨年4月の「季節のたより」紹介の草花

モヤモヤには厳しい追及が必要です!

 「それは国会がお決めになること」「お答えは控えさせていただきます」、国会での政府関係者の答弁を聞くたび「間違ったことは言っていないが、何かおかしい!」と、何だかモヤモヤした気持ちになることがありました。
 国会議員の裏ガネ問題で、野党から証人喚問を求められた岸田首相も「国会がお決めになること」と神妙な顔で宣(のたま)っていました。心の中では「やらないよ」と思っているくせに、自分で「やりません」とは言わないのです。その代わりに「多数派を自民党が握っていて100%否決する」ことがわかっている国会に、さも「中立的に判断する」かのような印象を与えながら「委ねる」のです。自分の手は汚さず守りながら結果的にやらない方向に持っていく極めて狡猾なやり方です。

 先日、大竹まことさんと山崎雅弘さんの対談の中で「日本社会を蝕み続ける詭弁とウソ」というテーマでこの問題が取り上げられたのを聴き、目の前の霧が晴れるような感覚を覚えました。
  国会で多用される詭弁は、「ごく常識的な言葉」を連ねてあるので一見「もっともらしく、丁寧で、謙虚そう」に見えるが、実際には聞かれたことには答えず、はぐらかし責任を取ろうとしない「傲慢で悪質な態度」であるとの説明に大いに納得しました。国会議員が悪事に手を染めたときの「その意図はなかった」「誤解を与えたならお詫び申し上げる」なども一見丁寧そうですが、そのココロには「自分は悪くない」「あなたの理解力こそ問題」との本音が見え隠れしています。つまりは反省などしていないのです。
  「お答えは控えさせて云々」には「その理由は?」と突っ込みが必要です。つまりは謙虚に見せかけた「答弁拒否」なのです。それにごまかされたのでは、国会議員も報道するマスコミも国民の知る権利の負託に応えたことになりません。「そのご指摘は当たりません」も同様。「当たるかどうかはあなたが判断する問題ではない。こちらが問題だと認識しているから取り上げているのだ。答えろ!」と突っ込むべきでしょう。

  国会議員やマスコミが政府の詭弁に惑わされずに厳しく追及を続けることで、国会が文字通り国民主権を体現する議論の場になることを期待します。(エンドウ)

 

学校給食無償化に向けてHOP⤴ STEP⤴ JUMP!

 昨年4月15日にスタートした「学校給食を実現する仙台市民の会」。現在までに2万筆を超える署名を仙台市長に届けてきました。給食は子どもたちの血となり肉となって身体をつくるもとです。そこに予算を使い、安全な食材が提供されるのは「子どもの権利」です。
 給食無償化の意義を再確認し合い、さらに取り組みを前に進め・広げるために知恵を出し合いましょう。みんなで「子育てしやすいまち仙台」をつくりましょう。

 今回の集会では、群馬県で「学校給食の無料化をめざす会」を立ち上げ、取り組みをけん引してきた元教師でもある石田清人さんを講師に迎え、「給食は教育、子どもたちの権利」と題し講演していただきます。
 なんと!群馬県では、現在県内35自治体のうち33自治体で給食の無償化が進んでいるとのことです。
 石田さんの講演を聴いてホップ・ステップ・ジャンプと、私たちの取り組みを一回りも二回りも大きくしていきたいと思います。ぜひご参加ください。 

 と き:4月13日(土)13:30~16:00
 ところ:仙台市市民活動サポートセンター 6Fセミナーホール
 参加費:500円(託児あり・必要な方はチラシ連絡先まで申込み下さい。)
               
※ZOOMからの参加もできます。

 《講演》給食は教育、子どもたちの権利
      講師:石田清人さん(元
教師)

 《経験交流・討論》ジャンプ!実現に向けて

『奈良教育大附属小学校の教育を守る市民集会』のお知らせ

 3月8日付けdiaryで、仁さんが「奈良教育大学附属小学校で起きていること(訂正版)」と題し、奈良教育大学附属小学校で現在起きている異常ともいえる事態と学習指導要領の法的拘束力について書きました。

 3月1日に結成された『奈良教育大附属小を守る会』は、一方的で理不尽な人事異動に対し「奈良教育大の付属小教員出向人事に反対する緊急署名」に取り組み、短い期間にもかかわらず活動は全国に広がり、3月11日に7444名の署名を奈良教育大学に提出しています。多くの教育学者や教育関係者が今回の事態に対して抗議の声を上げていますが、混乱は続いたままです。

 明後日31日(日)には、下記チラシの『奈良教育大付属小学校の教育を守る市民集会』が行われます。宮城からの参加は難しいですが、先ずはみんなで関心をもってこの事態を注視し、考えていければと思います。
 なお、オンラインでの参加ができるそうです。オンラインでの参加を希望される方は(nara-edu-net@ae.auone-net.jp)まで。
 また、今回の奈良教育大学附属小学校のこれまでの経過や状況について知りたい方は、下記「応援団」ホームページをご覧ください。

季節のたより144 タラノキ

  タラの芽は山菜の王様  伐採地などに育つ先駆植物

 山林地で枝がなく棒のように立つ一本の幹。鋭いトゲに覆われ、先端に新芽が開いていたら、それはタラノキの「タラの芽」です。
 この芽がおいしいことを知っているのは山のけものたち。鹿やカモシカ、冬ごもりから目覚めた熊が食べにやってきます。人間には山菜として抜群の人気があり、「山菜の王様」と形容されるほど。天ぷらやお浸し、味噌汁にとその味を楽しむために、芽吹いたタラの芽をもぎ採っていきます。
 鋭いトゲで武装していても攻撃してくる相手は多く、芽吹きの季節は、タラノキにとって受難の日々が続きます。

 
   タラノキの冬芽        「タラの芽」と呼ばれるタラノキの新芽

 タラノキウコギ科タラノキ属の落葉低木です。別名はウドモドキ、タロウウド、オニノカナボウ 、タラッボなど、地方によってもさまざまな呼び名があって、方言名は110にも及ぶとも。名前の由来も、樹皮が鱈に似ているとの説、山菜のウドを古くは朝鮮語名の「ツチタラ」と呼んだことから、似た木として「タラノキ」に転訛した説、別名のタロウウドから「太郎の木」と呼ばれて「タラノキ」に転訛した説などさまざまあって、これもよくわかっていません。

 「タラの芽」がおいしいことは昔の人も知っていたようです。文献では、平安時代の『和泉式部集』に「又尼のもとにたらといふ物わらびなどやるとて」と、知り合いの尼にワラビなどと一緒に「タラの芽」を贈った際の歌が残っています。
 はるか以前には、日本最大の縄文時代の集落跡である「三内丸山遺跡」からタラノキの種子が見つかっています。自然の恵みのなかで生きていた縄文時代の人々もその味を楽しんでいたのでしょう。

 
 食べごろの「タラの芽」 天然の「タラの芽」の採れるのは、桜の咲く頃が目安とも。

 タラノキは山地の伐採地や崩壊地に真っ先に生えてくる先駆植物(パイオニア植物)のひとつです。乾燥した日当たりの良い場所を好み、きわめて成長の早い樹種で、かつてはクヌギやコナラなどの薪の確保に切り拓いた薪炭林に多く生えて、人々に恵みをもたらしていました。

 タラノキは新芽が傷つけられるとゼリー状の液を出して傷口を保護し、そこから再生してきます。新芽が摘まれたり食べられたりすると、その脇や幹から新しい芽を出してきます。それも採られてしまうと枯れてしまうこともありますが、なんとか生き延び成長できたものは、やがて葉を大きく広げていきます。

 
 脇から出す2番目の芽        幹から出す2番や3番目の芽

 春の終わりごろに、葉は全長が50cm~1mにも達する巨大な葉になります。太い軸が枝分かれし、たくさんの小さな葉をつけていても全部で一枚の葉です。鳥の羽を大きく広げたような形なので、羽状複葉(うじょうふくよう)と呼ばれています。大きな葉は太陽の光をたっぷり浴びて光合成し養分をつくり、タラノキはグングン伸びて大きくなります。

 
 タラノキの一枚の葉      鳥の羽のように大きく広がります(羽状複葉)

 タラノキが葉を広げると、今度は昆虫たちにねらわれます。シャクトリムシやヒメコガネはタラノキの葉をかじるようにして食べます。カメムシやアブラムシは葉の汁を吸い、カミキリムシは卵を幹に産みつけ、その幼虫は幹にトンネルをほり、その芯を食べて育ちます。
 林の縁には多数のツル植物が生えていてタラノキに巻きつき、光を求めて上に伸びていきます。ヤマノイモヘクソカズラヤブガラシなどが幹にからみつきます。クズやフジなどは幹をしめあげ、樹上を覆って太陽の光が当たらないようにしてしまうので大変です。

 試練に耐えて、夏のおわりごろ、タラノキは木のてっぺんに花枝を出してたくさんのつぼみをつけました。

 
     たくさんのつぼみをつける花枝            つぼみ

 つぼみが次々に開くと、花枝は白い花で真っ白になります。夏の野山の緑のなかに群がる白い花が遠くからでもはっきり見えて、タラノキが山々のどこにあるかを教えてくれます。


       タラノキの花。咲き出すと遠くからでもはっきり見えます。

 花を見ようとそばに行くと、高い幹の上部に花を咲かせていて、見上げるだけです。山の斜面に登りタラノキを見下ろすようにすると花の姿が見えてきました。
 図鑑では、タラノキは雌雄同株で両性花と雄花があるということです。探してみると形の違う2つの花が見つかりました。下の写真①と②の花です。
 ①は花びらと雄しべが見えるので、雄花か両性花のどちらかですが、この段階では区別がつきません。両性花は雄性先熟で、雄しべが先に熟して花粉を放出、その後に雄しべと花びらを落として、雌しべが成熟するということです。②は雌しべの柱頭だけが見えるので、両性花の雌性期の花なのでしょう。それにしても直径3㎜ほどの小さな花ですが、自家受粉を避けて、丈夫な子孫を残す花のしくみを備えているのに驚きます。

 
 ①雄花か?:雄しべと花びらの数は5個  ②両性花(雌性期):雌しべの柱頭が5本

 花にはいろんな種類の昆虫たちが集まってきました。蜜はヤツデ季節のたより41などと同じで、花盤からたっぷり出ています。ハチやハエ、アブのような、なめる口の昆虫が多くやってきますが、蜜を吸うチョウの仲間も集まっています。小さな昆虫をねらって、トンボが飛び交っていました。
 蜜に集まる多くの昆虫たちによって、花粉が他の花の雌しべに届けられます。


 タラノキの白い花に集まる昆虫たち。ハチやハエ、アブの仲間が多く見られます。

 秋になると実ができました。実は小さいけれどものすごい数です。


               タラノキの実

 黒く熟した実には、キジバトヒヨドリホオジロメジロなどの野鳥がやってきます。黒色は人の目には地味に見えますが、鳥が食べる果実の色を調べてみると、圧倒的に赤か黒が多いという報告があって、黒色の実も赤色の実と同じように小鳥たちを引きつけます(中西1999)。
 黒色は近年紫外線を反射することがわかってきて、多くの鳥は紫外線反射が見えるので、鳥たちには目立つのだそうです(日本野鳥の会大阪支部HP和田岳さんの「身近な鳥から鳥類学」その5)。

 
     花枝につく実            完熟すると黒くなります。    

 完熟した実を割ってみると、小さい種子が5個ずつ入っていました。実の数の5倍です。タラノキは一本でどれだけの種子がつくられているのでしょうか。
 野鳥たちに食べられた実はあちこちに運ばれ、種子は糞にまじって地面に落ちます。薄暗い林のなかに落ちた種子は、土のなかで「数十年以上、平気で眠っていることができ、光が差すなど条件が揃うと休眠から解けて一気に発芽」するといいます(月刊『現代農業』2021年1月号)。

 秋、タラノキの葉は紅葉を迎えました。晩秋に葉は太い軸のつけねから、ばっさりと落ちてしまいます。ここからも巨大な1枚の葉ということがわかります。
 葉がすべて落ちると一本の棒のような幹になり、冬空に突っ立っています。高さ1~2m、大きいものは4mほど。芽吹きの準備をして翌年の春を待ちます。

 タラノキはたくさんの種子で発芽を待つだけでなく、地上部が伐採されたり、何らかの原因で枯死したりしても、「残った地下部の根の一部から茎が形成」「1本の幹が伐採されると、何十本・何百本ものタラノキが発生してくることもある。」ということです(理科大学・植生学 Ⅱ植生遷移)。簡単には絶滅しない強い生命力を持った樹木といえそうです。

 
      紅葉し葉を落とすタラノキ         落葉後の姿。高さ5mほどに。

  タラノキには2種類あって、トゲが多く鋭いものを「オダラ」といい、トゲが無いか少ないものを「メダラ」といいます。メダラはオダラの変種で、野生のタラノキの多くはオダラですが、栽培しやすいのはメダラです。スーパーの店頭に並んだり和食屋さんなどの料理に使われたりしている「タラの芽」のほとんどが、メダラのものです。
 メダラの「タラの芽」はほろ苦さのあるまろやかな味、オダラの「タラの芽」は苦みの強さが美味となる野性の味です。食べ比べると味の違いに驚かれるかもしれません。季節が来ると「道の駅」には、地元の人が採ってきたオダラの「タラの芽」が並んでいます。機会があったら手に入れ、天ぷらで味わってみてはどうでしょう。野生のタラノキがなぜこんなにも鋭いトゲで武装しているかがわかります。
 ウコギ科のものには、タラノキの他に、コシアブラやハリギリの若芽、そしてウドの新芽がおいしく食べられるので、いろいろと旬の味を楽しむことができます。

 
 鋭いトゲで武装するオダラ(野生種)   トゲの少ないメダラ(栽培種)

 子どもの頃、山菜採りに出かける祖母についていったことがありました。祖母は山菜を採りながら「ワラビ、ゼンマイ、5本あったら、2本は残せ。タラっぽ、つむのは一番だけだぞ。2番、3番とったら枯れるぞ」と呪文のように唄うのがおもしろく、意味もわからず一緒に唄っていたことを思い出します。
 山菜とりのルールは絶滅を防ぐこと。自然を敬い、自然の恵みに感謝して生きてきた先人たちの知恵が、その言葉に込められていたのでした。

 現代の生活は便利で快適な人工的空間での暮らしが普通になり、自然とのつながりが少なくなっています。人はいつの間にか、自然のなかに生きている実感を失い、自然をコントロールできると思い込んでいます。
 ナスやキュウリ、イチゴなどが年中店頭に並び、食べ物の旬の味も季節感も感じられない生活が普通になっていることが、これから育つ子どもたちにとって幸せなことでしょうか。
 タラの芽に限らず、早春の若菜やフキノトウヨモギ、ノビルなどの野草を摘めば、旬のものを味わうことができます。そのことで自然のなかで育つ野草や山菜のいのちとのつながりを感じ、季節を感じることができます。
 科学や技術革新が進んだとしても、人は自然のめぐりに逆らい、季節を追い抜いたり、その季節にとどまったりすることはできません。
 人は季節のめぐりのなかにいて、自然に生かされているという先人たちの感覚は、今も変わらず私たちの生き方の原点になるものです。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花