mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

高橋源一郎さん高校生公開授業、あっという間の2時間!

◆高校生公開授業は、いつも産みの苦しみ
 高校生公開授業が終わって2週間近く経つ。心底ホッとしている。そしてじんわりと、その余韻とうれしさが広がっている。その思いを叫びたい気もするけれど、そんなことをしたら周りはドン引きだろう・・・だから心の中で叫んでみる。

 コロナ禍で4年近く開催してこなかった高校生公開授業を、今回再始動。センターの企画では、もっとも大変な企画。なぜ?って、高校生の参加がなければ成立しないのだから。教育委員会や行政が主催なら、《各学校から生徒〇名の参加を》と声をかければ、すぐ集まるだろうけど・・・、私たちのような民間は、そうはいかない。まさに企画内容と自力で高校生に参加してもらわなくてはならない。産みの苦しみだ。これまでも大変だったけど、今回ほど大変だと感じたことはなかった。

 それには幾つか理由があった。一つは、県内の高校の多くが、ちょうど定期テストや修学旅行の時期とぶつかって、多くの生徒たちの意識はそちらに向いていただろうし、先生たちもこんな状況だから積極的に参加の声がけがしにくかったようなのだ。二つに、コロナ禍での4年近くのブランクで、私たちの企画の趣旨を理解してくれていた先生たちが転勤していたり退職していたり。そのため学校の状況や先生自身の立場が変わって、これまでのようには協力してもらえなかったりした。

 それでも、やっぱりこの企画を支えてくれていたのは、学校現場の先生たち。今回も、上記のようなとても厳しい学校現場の状況にもかかわらず、生徒たちに声がけをしてくれた先生たちが何人もいた。そういう先生たちの理解と好意によって、この企画は成り立っている。本当にありがたい。だからまた、そういう先生たちの、そして参加してくれた高校生たちの期待に応えらえるような企画にしなければとも思っている。

  

◆事件は、起きたか?
 高校生公開授業を始めたときのセンター所長は、このDiaryにもちょくちょく登場する〈春〉さんこと春日さん。春さんは、この企画について《学校だけが学びの場ではない。学校以外にも学びの場はあっていい。学校とは違う学びの場をつくりたい。一期一会の出会いのなかで生徒たちの心のなかに事件を起こしたい》とよく言っていた。その思いは、今も変わらず生きている。さらに付け加えるなら、参観に来てくれた教員や保護者、市民のみなさんにも「事件」が起きたらいいなと、欲張りだが思っている。今まで疑うことのなかった、問うことのなかった日常や世界(人と人の関係や社会と自分、あるいは自分自身など)が揺らいだり違って見えたり、楽しくてわくわくしたりドキドキしたり、そういう「事件」が「経験」が起きたらすてきだ。

 授業後の、高校生をはじめ参観者のみなさんが書いてくれたたくさんの感想をみるかぎり、それぞれにそれぞれの「事件」が起きていたんだなあと思った。それらについて、ここでは具体には取り上げないが、以下に、翌日19日の河北新報の記事を書いてくれた記者さんとのちょっとした「事件」?を紹介する。

 こんな新聞記事になること自体、私にとっては十分「事件」ですが、記事を書いてくれた記者さんは、授業が始まるすこし前に控室にやってきた。高橋源一郎さんに簡単なあいさつを済ますと、私に《今日は他の用もあるので、最初の1時間だけ授業を見せてもらいたいと思っています。後でわからない事とか、聞きたい事があったら連絡させてもらいます》と告げて、会場に戻って行った。控室を出ていく後ろ姿を追いながら《えっ、1時間だけで帰っちゃうんだ》と思った。ところがところがである。実は上の記事の内容は、1時間目のものではない。いないはずの2時間目のもの。あれ?、2時間目はいなかったんじゃ??? 何はともあれ、記事にしてくれたことがうれしくて、早速お礼の電話をした。
 すると話のなかで記者さんは《実は、私自身は高橋源一郎さんをよく存じ上げていなくて、取材に行くと言ったら同僚からは羨ましがられました。2時間目は参観する予定ではなかったんですけどね、1時間目の授業を参観して、これは2時間目も参観しなくてはと思ったんです。授業後の高校生の感想も聞きたかったですし、とてもいい会でした》と話してくれた。当初予定していなかった2時間目の参観という事実のなかに、記者さんは、記者さんとしての「事件」を目撃したのだろうと感じた。その「事件」について具体に語ることはなかったけれど。

 あっという間の2時間だった。その中で永遠が秋のように色づくといい、そして時間(とき)が満ちるといい、と思った。(キヨ)

  

季節のたより136 ススキ

  茅原は日本の原風景  農家の生活を支えてきた植物

 ススキの白い穂が野原でゆれています。「すすきのほ」という語感から、詩人はこんなイメージを見せてくれます。


               初冬に立つススキの穂

 ススキは『万葉集』(783年)では秋の七草として数えられ、古くから和歌にも詠まれてきました。人々の暮らしとも結びつき、ススキの群れ生える茅原(かやはら)は、日本の懐かしい原風景の一つになっています。
 茅原のカヤ(茅・萱)ということばは、植物の名前ではありません。イネ科のススキ、ヨシや、カヤツリグサ科のスゲなどを総称することばで、昔から、いわゆる茅葺(かやぶき)屋根の材料として使われてきた植物のことをいいます。その茅原の代表的な植物がススキです。

 ススキはイネ科ススキ属の多年草で、日本各地に分布し、日当たりの良い山野や草原のどこにでも見ることができます。
 ススキは冬になると地上部は枯れてしまいますが、地面の下では根茎や根が生きていて、春がくると茅原で芽を出します。


            春に茅原で芽を出し、成長するススキ

 ススキの生える茅原は、日当たりがよいので、タチツボスミレ、キジムシロ、ノアザミなどの草丈の低い春の植物も一斉に芽を出し、花を咲かせて、急いで実を結んでいきます。ススキは、春の植物たちの背丈を追い越して、伸びていきます。


    タチツボスミレ        キジムシロ        ノアザミ

 ススキはすくすく伸びて、やがて梅雨を迎えます。降り続く雨はススキの成長を助け、茅原ではススキの長い葉がしだいに目立ってきます。


        梅雨から夏にかけて、ススキの成長は旺盛です。

 夏になると、草丈はさらに高くなります。茅原では、オカトラノオ、シシウド、コオニユリなどの草丈の高い夏の花たちも伸びて花を咲かせます。
 ススキはこれらの花を追い越して成長し、茅原は緑の海のようになります。


     オカトラノオ         コオニユリ        シシウド

 夏の盛りが過ぎ、茅原に秋の風が吹きわたるころ、ススキの花穂が伸びてきます。花穂を出し始めのころは、真っすぐ立ちあがり、しだいに横に開いて、小さな花を咲かせる準備をします。花穂がしなやかに風にゆれる姿は美しい眺めです。


   最初はまっすぐ    しだいに開いて   もっと開いて    穂には小さな花が

 秋の七草の始まりは、『万葉集』にある山上憶良の歌に由りますが、ススキは「尾花」の名で詠まれています。

 萩の花 尾花(をばな) 葛花(くずはな) 瞿麦(なでしこ)の花 姫部志(を
   みなえし)また藤袴(ふぢはかま) 朝貌(あさがほ)の花
                     山上憶良万葉集巻8-1538 )

 ススキの花穂や綿毛の種子の穂から、当時の人々は狐や狸などのけもののしっぽを連想していたのでしょう。

 
      花穂を広げたススキ         晴れた日のススキの光景
 ススキの花は花びらもガクもなく、風の力で花粉を運んでもらう風媒花です。
 雄しべと雌しべは、苞頴(ほうえい)と呼ばれる殻に包まれていて、そこから姿を現します。
 1つの花には雄しべは3つ。ごく細い糸につながる黄色いものが雄しべの葯です。葯には花粉がたくさんつまっています。白いブラシのようなものが、雌しべの柱頭です。

 
     ススキの花       茶色のものは花粉を出し終えた葯でしょうか。

 ススキの花穂を見ていると、黄色がかったススキと、紫色を帯びたススキがあることに気がつきます。ススキの穂全体が紫色を帯びているものは、ムラサキススキと呼ばれているようです。
 紫色のススキの花穂が突然風にゆれて、大量の花粉が飛び散りました。しばらく空中を漂い、あたりに吸い込まれるように消えていきました。
 1つの花穂から飛び散る花粉は大変な量です。1本のススキだけでどれだけの量の花粉を飛ばすのでしょうか。風媒花の花は花粉をつくるためにすべてのエネルギーを注いでいるという感じがします。
 ススキの花は、雄しべが花粉を出し終えてからブラシ状の雌しべの柱頭が成熟し、雄しべと雌しべの成熟時期をずらすことで、自家受粉を防いでいるのだそうです。


紫色を帯びたススキ      飛び散る花粉          紫色の花

 ススキが穂を出し始める時期に、ススキの根元で紅色の花を見つけたことがありました。ススキの根に寄生するナンバンギセルと呼ばれる一年草の花でした。
 ナンバンギセルの種子はとても微細で、風に浮遊し広く飛んでいきます。寄生植物という性質上、ススキなどの宿主の根にたどりつかなければ発芽できません。幸運にもたどりついた種子はその根から栄養をもらって成長し、花の時期になると、突然地上につぼみを伸ばして、花を咲かせます。

 
     ナンバンギセルの花(草丈20㎝ほど)        ススキの根に寄生

万葉集』ではただ一首「思ひ草」という古名で詠まれている歌があります。
現在、これがナンバンギセルであるとする説が有力です。

   道の辺の 花が下の 思ひ草 今さらさらに 何をか思はむ  
                  作者不詳(万葉集巻10-2270)

 ススキの下に人知れずひっそりと咲く「思い草」。愛しい人を陰ながらに思う一首のようですが、このころからナンバンギセルがススキに寄生することが知られていたのでしょうか。
 ナンバンギセルは「南蛮煙管」と書きます。桃山時代に南蛮からタバコとともに渡来したキセルの雁頭に花形が似ていることに由ります。俳句の世界では「南蛮煙管」や「きせる草」ともに、今でも「思い草」ということばは、季語として生きています。


               風になびくススキの穂

 ススキの花が終わると種子ができます。種子は熟すと白い毛が生えて、穂全体が白銀色の穂になっていきます。
 ススキの種子には綿毛があって風に乗って飛んでいきますが、簡単に穂からは離れません。強風の時を待って少しずつ離れていきます。日によって変化する風向きを利用して、できるだけ遠くに広範囲に飛ばすことをねらっているのでしょう。
 種子の旅立ちのために、ススキの親がしていることは、きわめて合理的で自然のしくみにかなっています。

 
    白銀色に輝く種子      遅くまで残る種子       種子の形 

 ススキなどが生える茅原は、かつては農家の人々にとっては大切な場所でした。
 牛や馬を飼うための放牧地になり、ススキは年に数回は刈られて、栄養のある飼料になりました。畜舎に敷かれたススキは堆肥として使われ、田畑の貴重な有機肥料となりました。
 山で炭焼きが行われると、ススキは炭俵の材料となり、そして何よりも茅葺(かやぶき)屋根に使う材料として使われていました。
 茅葺き屋根の家屋は、断熱性と通気性があって、夏に涼しく冬に暖かいため、四季のある日本の風土に適していたのです。


  ススキの草原は、毎年草刈りや野焼きが行われることで維持されてきました。

 冬の終わりごろに、ススキの茅原には火が放たれ、野焼きが行われます。枯れ草や小さな樹木は残らず燃えて一面の焼け野原になりますが、焼け跡の灰は肥料になり、地面は日当たりがよくなります。ススキは地面の下では根や地下茎が生き続け、ススキの新たな再生が始まります。
 茅原を放置すれば、しだいに樹木が生えて森林へと遷移し、ススキは姿を消していきます。農家の人々は草刈りや火入れを定期的に行いながら、茅原の状態を維持し、ススキを暮らしのなかに生かしてきたのです。

 ススキの生える茅原は里山や田園風景と同じように、人の生活に密着した二次的な自然の風景です。本来の自然とは異なりますが、その地に生きる人々の、自然を敬い、その恵みに感謝し、自然の循環のしくみにそった暮らしがつくりだした風景です。私たちが日本の原風景に出会って、心安らかさを覚えるのは、そこに自然に対する人間の謙虚で誠実な暮らしの営みを感じるからなのかもしれません。(千)

◇昨年11月の「季節のたより」紹介の草花

どんな授業になるんだろう? 高校生公開授業

 今週末18日(土)に予定している高橋源一郎さんの高校生公開授業が迫ってきました。

  

 授業のタイトルは『ぼくらの学校なんだぜ!』です。当初、センター所長の達郎さんは、源一郎さんの著作タイトルにもある『ぼくらの民主主義なんだぜ』でどうだろうと打診しましたが、ご本人から『ぼくらの学校なんだぜ!』で行きましょうとの返事を受けました。その後、源一郎さんとは、お忙しいために連絡がつかず、どんな授業の内容になるのか? どんな事前準備が必要なのか? たいへん心配しましたが、ようやく先週連絡がついて、ちょっと安心しました。

 それにしても、どんな授業になるか。前から気になっているのは、「ぼくらの学校」と銘打った、その「ぼくらの」の意味合い、力点の置き所です。タイトルからみると、集まった高校生たちと理想の学校について話し合うのかなとか、そうではなくて高校生たちが現にかよっている学校について、うちの学校は・・・なのかな?とか。はたまたタイトルは授業の中身ではなくて、今回の高校生公開授業そのものを「ぼくらの学校」にしちゃおうぜ!ということなのか。そんなふうに考えているうちに、「ぼくらの」の「ぼくら」には、源一郎さんも含まれているのかいないのか・・・などなど。どんな授業になるのか、わかるようでわからないだけに、いろいろ想像してわくわくしたり心配してみたり。

 主催なのに、どんな授業かわからなくてどうする!と言われそうですが、そもそも授業は、どんなにシラバス(授業計画)でたいそうなことを書こうと、どんなに完璧に準備しようと、なかなかその通りにはいくものではありません。なにかの商品のように、これはこういう機能があって、こういう効果がありますなどとは言えないのです。先生と生徒の出会いのなかでしか生まれない魔訶不思議なものが授業です。

 開催が目の前に迫ってきました。もうこの場に及んでは心配しても何も始まりません。今は、公開授業が実り多きものにと当日の準備に励んでいます。(キヨ)

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季節のたより135 カタバミ

  光を感知し種子を連射  小さな草花の超能力

 立冬がすぎて、木の葉が散り花の姿も見えなくなりましたが、目に入ったのがこの花でした。空き地の土留めに並べられた丸太のすき間にわずかにたまった土に根をはり、茎を伸ばして花を咲かせています。カタバミの花です。


          丸太のすき間で花を咲かせたカタバミ

 カタバミカタバミ科カタバミ属の多年草。日本全土の日当たりの良い場所に生育し、畑、庭、道ばたなどのいたるところで見られます。有史以前に農耕とともに日本にやってきた史前帰化植物といわれています。

 カタバミはふつう、葉は緑で、花は黄色、花の中心部は薄い緑色をしています。ところが、葉や茎が赤紫色で、花の中心部にオレンジ色の模様のある株もよく見られます。濃い赤紫色の葉のものはアカカタバミ、緑色と赤紫色の中間色のような葉のものはウスアカカタバミと呼ばれ、主として葉の色の違いによって品種として区別されていますが、これらは同種で、総称としてカタバミと呼ぶことが多いようです。

   
    カタバミの葉と花     アカカタバミの葉と花    ウスアカカタバミの葉と花

 カタバミの花期は5~10月頃ですが、今年は平均気温が高く、今も直径8mmほどの黄色い花を咲かせ続けています。
 花びらは5枚。雄しべは長いものと短いものが5本ずつ。雌しべは1つで花柱が5本に分かれています。雌しべの柱頭と長い雄しべの葯が同じくらいの高さで並んでいます。

 
    雌しべの柱頭と雄しべ        曇りや雨の日は、花は閉じています。 

 花は太陽の光を受けると朝に開花し、晴れている日は午前中咲き続け、夕方には閉じています。日かげにある花は、太陽の光が回ってくるのを待って咲き出します。
 花が咲き出すと、ミツバチや小型のハナバチ、ハナアブたちが次々とやってきて花粉を運んでいきます。
 曇りや雨の日は一日中閉じたままです。虫たちが活動しないときは花を閉じて、花粉が無駄に流失しないように防いでいるのでしょう。

 
   シジミチョウ(ヤマトシジミ)   ハナバチの仲間    アナアブの仲間

 カタバミの葉は3つの小葉が集まっています。シロツメクサの葉に似ていますが、シロツメクサの小葉は丸みを帯びて、カタバミの小葉はきれいなハート形をしています。
 カタバミシロツメクサの葉には、雨上がり、かわいい水玉ができていて、風にゆれるとコロンとこぼれ落ちます。ハスの葉やサトイモの葉にはもっと大きな水玉ができて流れ落ちます。これらの葉の表面には、水をはじくしくみがあって、葉を水の重さから身を守ったり、光合成の効率を高めたりしているのです。

 
  シロツメクサの葉(左)とカタバミの葉(右)    カタバミの葉の上の水玉

 カタバミは夜には葉を閉じています。日中でも太陽の光が強いと葉を閉じます。カタバミの3つの葉の合わせ目部分には、細胞内の水分量を調節して葉を開閉する組織があって、光の量でオンオフを操作する「自動開閉システム」が働いているのだそうです(多田多恵子著『したたかな植物たち』ちくま文庫)。
 夜間は放射冷却によって熱が奪われないように保温し、昼の強光のときは、水分不足にならないよう蒸散活動を抑えていると考えられています。
 この時の葉のようすが、半分欠けて食べられているように見えることから、「片喰」もしくは「傍喰」が、カタバミの語源になったといわれています。

 
   昼、開いているカタバミの葉     夜、折りたたんでいる葉(午後9時頃撮影)

 カタバミは次々と花を咲かせながら、先に咲いた花から実を結んでいきます。
 カタバミの実はオクラの実を小さくした形をしています。こどもたちがこれを見ると小型ロケットだとよく言います。
 実のなかには小さな種がつめこまれていて、熟した実にちょっとした振動を与えると次々と飛び出してきます。

   かたばみの 種に撃たるる 大暑かな  飯田龍太

 庭や畑で草取りをしたことがあるなら、この句に思い当たることがあるでしょう。こどもたちと花壇や学校農園で草取りをしたときも、まさに撃たるるごとく、小さな種子がピュピュッと顔や手に飛んできて大騒ぎ。一緒に飛び出してくるミニポップコーンのような白いものにも興味津々で、いつの間にか「種飛ばし遊び」になっていました。

 
 カタバミの実。オクラの実やロケットの形をしています。    まだ未熟な白い種子

 カタバミの種子はそれぞれ透明なうす皮の袋につつまれています。最初はうす皮と種子と一緒に成長し大きくなりますが、種子が大きくなるにつれ、うす皮の外側の伸びは止まって、内側の皮だけが細胞分裂を繰り返して伸びていきます。
 そのため「タネ(種子)が熟す頃には内側の細胞層は無理に押し縮められた状態」になって、ついには「タネのまわりの袋が内外の圧力差に耐えきれなくなり、振動をきっかけに瞬間的にやぶれて裏返って」「中のタネは文字どおりの巻き添えを食い、実の裂け目から猛烈な勢いで飛び出してくる」のです(同ちくま文庫)。
 これは、カタバミの種子の一つひとつに、振動感知センサー搭載の発射装置が備えられているようなものです。

 
    熟してきた実  種子は透明の薄皮に包まれています。  反転した薄皮の種子

 カタバミの種子が飛び散るようすは、何しろ超高速なので目が追いつきません。ところが、この種子散布の連射の瞬間を高速度撮影でとらえたものがありました。NHKが提供する教材動画(はじける種 カタバミ」 NHK for School)です。
 これを見ると、カタバミの種子と白くなったうす皮は、実の皮の裂けめから一緒に飛び出していました。驚いたことに、うす皮は斜め下に、種子は斜め上方にと仕分けられて飛び出しています。使用済みのうす皮は地面に落下、種子は高速でできるだけ遠くへということなのでしょう。
 ミニポップコーンのように見えたのはうす皮でした。種子は1mから2mは飛んでいくので、かなり広い範囲に散布されます。また、種子の表面には粘液があって、これが接着剤になり、振動を与えた人の服や靴、動物の毛や足に貼りつき、さらに遠くまで運ばれます。

 
 発射できずに残った種子と薄皮は、実についていました。   地面に落ちた皮と種子

 散布された種子は、地面に落ちるとまもなく発芽します。発芽して地表をはい、茎が地面と接すると、節から発根して地表を覆うように広がります。根は直根で、細長く、土深く伸びて、抜こうとすると途中でちぎれて土中に根が残り、そこからまた生えてきます。こうしてカタバミは、種子と根で春から晩秋まで旺盛に繁殖し、生活圏を広げています。
 小さな草花がこの地上で仲間を増やし、生き抜くための技はみごとです。そして、それは人間が知恵を働かせ、技術を生み出すよりはるか以前に、小さな草花の「いのち」の進化の過程で生み出されたものなのです。

 
   発芽した種子。葉を増やしていきます。     カタバミの茎と根

 カタバミは漢字で酢漿草(さくしょうそう)の字が当てられ、カタバミとも読まれています。酢漿草とは酸っぱい草という意味です。カタバミは体全体に酸の一種であるシュウ酸を大量に含んでいるのでこう当て字されたのでしょう。
 カタバミの葉で金属を磨くと酸の作用でピッカピカになります。こどもの頃、これで10円玉を磨いて新品のようにしたものです。大人は銅製のドアノブや真鍮の仏具などを磨いて新しくしていました。

 
  カタバミの葉をもんで10円玉を磨くと・・・ピッカピカ(下)になります。

 シュウ酸はタデ科のイタドリ、スイバ、ギシギシなどにも含まれています。これらの若芽には酸味があって山菜としても食べられますが、食べすぎると体内のカルシュウムイオンと結合して結石をつくります。
 シュウ酸は多くの生きものたちにとっては毒なので、カタバミを食べる昆虫はいません。ところがそれを逆手にとって、シュウ酸を含むカタバミを食草として食べるように進化してきたのが、ヤマトシジミという小型のチョウの幼虫です。
 ヤマトシジミカタバミの葉に産卵し、幼虫はその葉だけしか食べませんが、他の昆虫と競合しないので、豊富な餌資源を独り占めしています。
 広く分布しているカタバミがあるかぎり、ヤマトシジミの幼虫はその葉を食べ、成虫はその蜜を吸って、この地上で長く生き伸びることができます。


     カタバミの葉を食草にできるのは、ヤマトシジミの幼虫だけです。

 人間とカタバミと関わりを示す古い文献は、清少納言の『枕草子』(1001年頃)です。清少納言は、「草は・・」(第66段)で、「酢漿(かたばみ)、綾の紋にてあるも、異(こと)よりはをかし」(カタバミは綾織物の紋様になっていて、他の草より趣きがあっていいものです)とその葉の形の美しさを讃えています。
 すでに平安中期頃の人々は、均整のとれたカタバミの葉に美しさを感じて、織物の紋柄に取り入れていたのです。

 一方、戦国武将や江戸時代の武家の間では、カタバミの紋様がデザイン化され家紋として使われていました。家紋の種類も多くデザインも多様なことに驚きます。
 戦国武将や武家たちは、カタバミの生命力と繁殖力の強さに感じ入って、この小さな草花に子孫繁栄の願いを託したものと思われ、いかめしくこわもての武将たちと小さな草花の取り合わせに意外性とおもしろさを感じます。

 昔は今よりずっと自然が身近にあって、人々は小さな草花の美しさや強さを感じたり、その性質を知って暮らしのなかに生かしたり楽しんだりしていたようです。
 時代をさかのぼり、ちょうど金属器が使用されるようになった弥生時代に思いを巡らすと、この時代のこどもたちも、畑を耕す親を手伝い草取りしながら、やはりカタバミの「種飛ばし遊び」に興じていたことでしょう。そして、大人たちはカタバミやギシギシ、スイバなどの葉で、銅鏡や銅剣、銅鐸などをぴかぴかに磨いて、祭祀の準備をしていたのではないか。そんな気がしてくるのです。(千)

◇昨年11月の「季節のたより」紹介の草花

11.25 東北作文の会・学習会の紹介です!

 宮城作文の会のみなさんが、今回は11月25日(土)11時~、大崎の古川教育会館を会場に、東北作文の会の学習会を開催します。
 実践レポーターが2つ。一つは宮城作文の会の堀籠智加枝さん「生きていくために書くべき文章を書く力を!」、もう一つは秋田県作文の会の鷲谷美津子さん「こどもたちと学んだこと」です。
 どなたでも参加できる学習会です。ぜひ近隣の方も、そうでない方も、ふるってご参加ください。

季節のたより134 カツラ

  英語でもKatura  甘い香りの葉が特徴の日本固有種

 近くの公園を散歩していると、甘い香りが漂ってきました。懐かしい香りです。秋祭りの夜店でねだって買ってもらった綿菓子のような香ばしい香り。
 こどもの頃に秋の林のなかで見つけた甘い香りの落ち葉。名前を調べるとカツラ(桂)でした。香りがその名の記憶を呼び起こします。
 公園で香りのする方向に行ってみると、ハート形のかわいらしい葉が特徴のカツラの木が2本、並んで植樹されていました。黄色やオレンジ色に色づいた葉が頭上で光っていました。


         黄葉するカツラの葉、ハート形の葉が特徴


       場所によって、オレンジ色に紅葉する葉も見られます。

 カツラはカツラ科カツラ属に属する落葉高木樹です。北海道から九州までの冷温帯の渓流沿いに広く分布しています。宮城県内では主にブナ林域等の渓流沿いに多く見られますが、都市周辺の沢沿いでも普通に生育しています。街路樹や公園樹としても植栽されているようです。

 カツラの学名は「Cercidiphyllum Japonicum」。Cercidiphyllum(サーシディフィーラム)は「カツラ属の」で、Japonicum(ジャポニカム )は「日本の」という意味です。
 カツラはほぼ日本の固有種で、英語文化圏に生えていなかったことから、英名も和名そのまま「Katura」と表記されます。
 カツラの語源は、落葉した葉が甘い香りを発する「香出(かづ)る」に由来しカツラになったといわれていますが、京都の葵祭にたずさわる人がカツラの枝を冠の飾りにする習わしがあることから、挿頭(かざし)に用いた鬘(かつら)に由来し、樹木のカツラに転じていったと説く人も多いようです。
 カツラの名は『古事記』(712年)、『万葉集』(783年)、『源氏物語』(1010年頃)など、古い時代から登場しています。古人もこの木の醸し出す気品のようなものを敏感に感じ取っていたのかもしれません。

 カツラは3月下旬頃、葉の展開に先駆けて枝先に花を咲かせます。ヤナギなどと同じ雌雄異株で、雄株の木と雌株の木があり、それぞれの木に雄花と雌花を咲かせます。どちらの花も紅色の花で木全体が赤みを帯びているように見えます。


           全体が赤味を帯びるカツラの開花

 カツラの花は、花が小さく枝も上空にあって、花が咲いていても遠目では雄花と雌花の区別がつきません。たまたま公園で見つけたカツラは、植木職人さんの心づかいか雄株と雌株の木が並んでいました。おかげで近くでその姿を観察することができました。

 雄株の雄花は華やかです。多数のおしべが根元で小さな苞に包まれています。紅赤色をしているのがおしべの葯で、苞のなかで花糸とつながっています。おしべが成熟すると葯が開いて花粉が飛び出します。

 
          雄株の枝                 雄花

 雌株の雌花も色鮮やかです。めしべの根元のふくらんだ子房部分は苞につつまれ、紅色の長い柱頭のみが3~5本外側に飛び出しています。海の小さなイソギンチャクの触手にそっくりです。

 
         雌株の枝                 雌花

 カツラの花は、花びらもガクも蜜もなく、花粉の媒介は風だけが頼りの風媒花です。約一億年前に地球に誕生したカツラは、今も原始的な花の姿のままです。

 花の役目を終える頃に葉芽が展開を始めます。最初の葉は紅色で、葉を広げながら黄色から萌黄色の若葉へと変わっていきます。

 
    雌株の芽吹く葉            雄株の芽吹く葉

 若葉は対生について、小枝の両側にすきまなく並んでいます。葉の縁にはフリルのようななめらかな鋸歯があり、葉脈は葉柄の付け根から5~7本に分かれて放射状に広がってよく目立ちます。新緑の若葉を透過光でながめる美しさは格別です。

 
    新緑のカツラの木          対生するハート形の葉


             透過光に輝く新緑の若葉

 秋になると、葉は黄色から褐色に、ときおりオレンジ色に変化し、やがて甘い香りを漂わせながら落葉します。香りの正体はマルトールという有機化合物で、多糖類(麦芽糖など)を加熱した時に生成される物質とのことです。綿菓子はザラメを加熱してつくられます。どうりで同じ香りをしていたわけです。
 晩秋にカツラの木の生えている林を歩くと、いい香りがあたり一面に漂います。拾った落ち葉を本のしおりにしていたら、1年後もいい香りが残っていました。
 自然の振る舞いにはたいてい理由があるものですが、この香りがカツラにとって何の役目をしているのかはよくわからないそうです。自然が創り出した偶然ということなのでしょうか。

 
    黄葉を始めたカツラ           香り漂う落ち葉

 10月頃、雌花のあった枝にミニバナナのような実がついていました。熟すと黒紫色になり二つに裂けて先端から翼のある種子をとばします。種子は風に乘って散布されます。

 
カツラの実(出典:植木ペディア)   熟して開いた実      実のなかの種子

 風に乗った種子は小さいので遠くまで運ばれますが、その発芽率はかなり低いようです。

 山地に播くと発芽率は2~4%、低い年は1~2%ほどだ。実験室で水も光も温度も十分に与えてもあまり発芽してこない。たぶんシイナが多いためだろう。カツラは渓流沿いでもあまり多く見られる樹ではない。シイナが多いのは多分、オスとメスとが離れていて、風まかせの花粉散布では交配のチャンスが少ないためだろう。(清和研二著『樹に聴く』築地書店)
            ※ シイナ(秕):殻ばかりで発芽能力のない種子

 雌雄異株の植物は自家受粉が避けられ、丈夫な子孫を残すことができますが、近くに異株がいないと受粉できません。カツラの木の場合、山中の沢沿いに分布することが多いので、洪水などが発生すれば、芽生えた幼木も成木もすべておし流されてしまいます。個体数が減少してしまえば受粉のチャンスは少なくなります。風媒花の受粉は風まかせ、受粉効率はさらに低下します。カツラは絶えず種の生存の危険にさらされているのです。

 
樹高20m以上にもなります。   場所によって群生し、林になります。

 カツラが誕生してから一億年後、多くの植物たちは色鮮やかな花びらや香り、蜜などを用意して、受粉効率の高い虫媒花や鳥媒花へと進化していきました。世界の被子植物のうち87.5%の種類が昆虫や鳥の力を借りて送受粉していると考えられています。
 カツラはその波に乗ることなく、頑固に原始的な花の形を残して風媒花であり続けました。本来ならば滅びる運命にあったと思われるカツラは、自らの試練をどうのりきってきたのでしょうか。そのカギとなるのが、カツラの持つすぐれた萌芽能力であることを、次の文章が教えてくれます。

 カツラは絶えず根元から新しい幹を立ち上げている。15歳ほどの稚樹でも根元から新しい萌芽枝を出していた。放っておくとすぐに株立ちになる。コナラ、ミズナラなどは伐採されたときだけ、傷ついた体を修復するために萌芽する。(略)しかし、カツラは切られなくても萌芽してくる。(略)そして最初の幹である中心の幹が死んでしまう頃には、外側で後から萌芽した幹がすでに大きくなっていて置き換わる。どんどん外側に幹をつくり続けカツラは巨大な姿になる。真ん中の太い幹はボロボロになって大きな空洞になり、その周囲をこれもまた太い幹が数本とり囲んでいる。(清和研二著『樹に聴く』築地書店)

 一般に、ほとんどの針葉樹は萌芽能力がなく伐採されたらそれでおしまいですが、広葉樹は萌芽能力が高いものが多く、コナラは伐採されてもすぐに切り株から芽が出てきて元に戻ります。それで、かつては薪や炭を得るためにさかんに利用されていたのですが、それでもその萌芽能力は樹齢30年が限界です。ところが、カツラは「主幹を交代させながら500年以上も生きる」というのです(森と水の郷あきた「樹木シリーズ29」)。
 萌芽による更新を重ねて、巨木となっているカツラを各地で見ることができます。巨木になることで、カツラの原始的な風媒花の欠点を補い、種子による分布のチャンスを増やしてきたと考えられます。

 
  根元から出す萌芽枝     巨木のカツラ(北泉ヶ岳の氾濫原で見たもの)

 カツラの木の仲間は、かつては北半球に広く分布していましたが、今日では中国と日本に残っているだけです。古い系統の樹木のほとんどは地上から姿を消すなかで、すぐれた萌芽能力を発揮し生きてきたカツラですが、それでも他の地域で生存し続けることは難しかったのです。

 カツラが日本で絶滅せずに生存できたのはなぜなのでしょうか。
 日本列島が活発な地殻運動によって生まれた複雑な地質と地形に富む山と森の国であり、四季があり海洋性の温暖湿潤な気候にも恵まれていたということがあげられるでしょう。地形的にも気候的にも日本が多様な生きものが生存できる豊かな自然環境であったことが、カツラのような木の生存を可能にしたのです。

 カツラは樹形が美しく、ハート形の葉の新緑や黄葉の美しさもあって、昨今は街路樹として植樹されていますが、本来は高木になり水辺を好む樹木です。街路樹の植栽地は夏の暑さと乾燥の激しい過酷そのものの環境です。大木になれば伐採され、萌芽能力でひこばえを伸ばしても樹形が悪いと切り捨てられていくでしょう。
 人が人らしく生きたいと願うように、カツラの木もまたカツラらしく生きたいと願っているのでは。日本の自然のなかで生存し続けているカツラが、人間の都合で絶滅することがありませんように。(千)

◇昨年10月の「季節のたより」紹介の草花

千さん、講師で登場!『センス・オブ・ワンダーに学ぶ 子どもの世界』

 宮城子どもを守る会のみなさんが、10月26日(木)14時~/ 黒松市民センターで総会を開催します。
 総会ではセンス・オブ・ワンダーに学ぶ子どもの世界」と題して、このdiaryに毎月2回、欠かすことなく「季節のたより」を寄稿してくれている「千さん」こと、千葉建夫さんがお話をします。diaryでしか会えない千葉さんも、ここでは直接会って話を聴くことができます。
 美しいものを美しいと感じる感性、未知なるものや不思議なものに目を見張る心、そんなセンス・オブ・ワンダーと子どもの世界について、小学校教師として取り組んできた経験を交えて、貴重な話をたくさんしてくれることと思います。
 平日、昼間の開催ですが、千葉さんの話を聞くまたとない機会です。ぜひご参加ください。私たちも一緒に話を聞きたいと思ってます。