mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風30(葦のそよぎ スイミング・プール)

 清さんが泳ぎを覚えたのは、大人になってしばらく経ってからのこと。その泳ぎの修得を通じ得た快楽についての思索は、前回の「西からの風29(葦のそよぎ・泳ぐ快楽)」で論じらえています。
 今回の「スイミング・スクール」は、それからおよそ3年経過した段階での思索であり、また前回の続編にあたるものです。ぜひお読みください。(キヨ)

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 まだスイミング・プールに通っている。もう三年以上になる。この持続性はぼくにしてはまったく珍しい。なぜなのか、と考えて、ぼくはスイミング・プールに感謝せざるを得ない。というのは、明らかにその理由の根っ子には、子供時代以来の長年の懸案であった「泳げるようになる」という課題をいまやぼくは解決できた、という快感が潜んでいるからだ。持続性の底にあるのはその快感の反復の欲望だ。ある歌に「自由への長い旅」というフレーズがあった。これをもじれば、「泳ぐことへの長い旅」をいまやぼくは踏破したのだ。それを可能にしてくれたのがスイミング・プールである。

 だが、これからぼくが書くことは、この点では、いわば忘恩の徒の所業ということになるかもしれない。

 泳ぐ経験のなかには死の経験が織りあわさっている。その点が、水泳を人間の経験あるいは遊戯のなかでも一種独特な性質をもつものにしている点だと、ぼくは思う。
 誰でも溺れかけた経験をもっていて、その経験をとおしてこそぼくたちはだんだん泳ぎを覚えてきたわけだ。溺れかけたときにぼくたちの心臓をもうそれこそ鷲づかみにしたあの圧倒的な恐怖感、それは、まさに死の恐怖以外のなにものでもない。ご多分にもれず、ぼくもまたこの恐怖感に打ち勝つまえに、早々と撃退された者のくちだ。それで、「泳ぐことへの長い旅」がぼくの場合始まったわけだ。

 死の恐怖。当たり前といえば、当たり前だが。なにしろ、人間は魚と違って水中では生きることができない。そこに、いわば人間の根源的な自然的限界があり、だからまた人間と自然とのいわくいい難い交渉関係ともいうべきものが、そこにはある。
 人間にとっての異世界としての水の世界、海とそれにつうじる川は、人類の古い記憶を辿れば辿るほど〈死後〉あるいは〈生前〉という異世界としての〈自然〉と人間との密やかな交渉が演じられる通路ないし舞台として考えられてきた。

 たぶん、そこには違和性と親和性とのいわくいい難い併存関係がある。〈自然〉は、人間という存在がそこから生じ、死をとおしてそこに再び還ってゆくものとしての対母的世界でもあれば、他方では、人間は人間であるかぎりは常に自然を大いなる脅威として経験し、自分が格闘し征服していかなければならない相手として見出さざるをえない。そういう〈自然〉の象徴として、水の世界は人間のさまざまな哲学的・芸術的なあるいは民俗学的な想像力を喚起してきた。水辺には必ず死の記憶が、また異なる世界への記憶が、まといついていた。

 都市のスイミング・プールは、この死の恐怖と経験、記憶とぼくたちとを遮断して、ぼくたちを安全性のカプセルのなかに安全管理することにおいて成り立つ。だからこそぼくはスイミング・プールで泳ぐことをぼくのなかで回復することができたのだが。

 安全性のカプセル世界。それとの対比ではこういうことも思い出される。海なり川で、かつてぼくたちが親なり兄や姉、あるいは近所の遊び仲間の年長者に手ほどきを受けて泳ぎを覚えるとき、ぼくたちはたんに泳ぎを覚えるというだけではなく、水中の世界をつくりあげている一切の要素についての経験と一つになったものとして、泳ぎを覚えた。

 さしこんでくる太陽の光線によって水中の世界がどのような透明な美しさに満ちるか、ちょっと雲に陽がかげっただけで、その世界がたちまちどんなふうに暗く冷たい世界に変わるか、波や水流のさまざまな力や方向、それが裸の皮膚をとおして感じられるさま、川底の石の危うさ、波の音、水中から聞く音や声の変った感じ、塩水の辛さ、あの甘くはりつくような感じ、等々、実にさまざまな〈経験〉がそこにはあり、その経験をとおしてこそ、泳ぎの修得がなされていった。

 また、こういうこともぼくたちはつけくわえることができるかもしれない。泳ぎの修得はなかば遊戯でありながら、同時に真剣なものであった。どんなに些細であるとしても、なにしろ、そこには人間がこれ以上真剣にさせるものはない、死の危険があるのだから。そして、こういう種類の〈教育〉は、親、兄弟、あるいは近所の仲間世界と自分とが織りなす日常世界の、その人間関係のなかに埋め込まれた〈教育〉であったということを。

 この関係のなかで、ぼくたちはお互いが〈教える者〉であったり〈教えられる者〉であること、そういう教育の関係が——しかも、死の危険を克服する力を養うという——自前の絆としてお互いのあいだに分け持たれていることを、あらためて感じ取る。泳げるようになったという心踊らせる記憶は、日々の暮しを共にしていた誰彼についての親密な、パーソナルな記憶と切り離し難く結びついていた。泳ぎの修得をとおして、ぼくたちはまた自分の世界を成立させている人間の絆についての経験をあらためて獲得していた。

 ぼくの場合はこの〈教育〉は効果という点でははかばかしくなかったが、しかし、それはぼくの祖父に対する思い出と切り離し難く結びついている。夏休みに母に連れられて母の田舎に帰ると、祖父がぼくを含めた孫たちの一個連隊をひきつれて、海と川にでかけ、さるまたひとつになり、陣頭指揮をとって泳ぎを孫たちに教えたものだ。

 安全性のカプセルとしてのスイミング・プールは、こうしたかつては泳ぐという〈経験〉が不可分に結びついていた他のさまざまな要素をことごとく脱色することにおいて成り立っている。

 「泳ぐことへの長い旅」はどうやらぼくを忘恩の徒にしたらしい。長い旅への回顧がぼくをそうさせたのだ。
 生命の観点に立てば抽象とは死にほかならない。ぼくたちはスイミング・プールでまさしく抽象を泳いでいる。(清眞人)