mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風19(葦のそよぎ・だんじり祭り)

 九月下旬ともなれば、六時にはもう日はとっぷり暮れて街には灯がともる。ちょうどそのころぼくは鳳駅に降りたつ。そこから十分も自転車をこげばぼくの家だ。

 僕はいま堺市の南端にある下田という町に住み、和歌山市にある短大に勤める。晴れた日のぼくの楽しみ、それは海に沿ってのびる仙南の平野のうえに何ひとつさえぎるものとてなく広がる空、そこに湧く雲の峰を朱金色に染め上げて落ちかかる夕陽を、車窓から眺めながら阪和線を帰ってくることだ。

 この土地に来てぼくの生活にはにわかに楽しみが増えた。月曜に短大に出てゆくと、同僚の教員やもうすっかり心安くなった用務員のおばさんが「先生、昨日はどこにおいでかのう」などときく。かれらはぼくが日曜ごとにどこかしら見物にでかけるものと決めているのだ。そして東京者たるぼくの見物談に土地の者としてのあるいは関西人としての寛大な好意に満ちたそれぞれの注釈を加えることを彼らの楽しみとするのだ。確かにぼくの住む町からはほぼ一時間半もあれば大阪、和歌山、京都、奈良、神戸、どこであれ出ることができる。見物の種にはこと欠かない。

 とはいえ、ぼくの楽しみと興味は見物というよりは、やはりここで暮らすこと自体の楽しみを見出してゆくことなのだ。それは例えば、元来およそ芝居気とは無縁なぼくにとって大阪弁を身につけることなど望むべくもないことなのだが、それでも「ありがとう」と言う時、大阪の人々を真似て、アクセントを後ろに置いて語尾をもの優しくはね上げ「ありがとう」と言ってみること、その楽しみといったものだ。この土地があるいは町が持っている気分、それに自分の身体を浸してゆくことの楽しみ、ここの人々が暮らしのなかで生きている風景と楽しみに自分の身体がなずんでいく楽しみ、そんな風に定義してみたくなる楽しみ、それをぼくはいまの自分に期待しているのだ。

 もうすぐ二週間になるだろうか、ぼくにまた新しい楽しみが一つつけ加わってから。和歌山からの帰り鳳駅に降りたつ。駅横の駐輪場から自転車を引き出し夜の町を家に向けてこぎだせば、ぼくを迎えるのはここ二週間近く祭囃しである。
 駅前の商店街の入口近くにふだんはまったく目につかない木造の二階建て程の高さの小屋がある。いまその戸が開かれ、周囲に飾られた祭りの赤ちょうちんと内部の電灯にたらされて、なかに納められている「だんじり」が姿を現す。泉南の祭りの主役は「だんじり」である。泉南では人々はみこしをかつぐ代わりに「だんじり」と呼ばれる山車を各町内の男衆総出で引く。それは高さ二メートル半ほどの、台座の上に小さな宮舞台を載せた格好の、けやきの木をくりぬいて作られたかと思わせる凝った透かし彫りに四方を飾られた屋形式の山車で、その屋根下の席には太鼓、鉦、笛の囃し方が乗り込み、屋根の上には屋形の両脇を左右に跳ねとび踊りながら山車の進行を指揮する赤い二つの火うちわを持った大工方が立つのである。

 「岸和田のだんじり祭り」と言えば大阪南部の祭りのなかでも一つのハイライトをなすものだが、だんじりはなにも岸和田に限ったものではなく、和泉、貝塚、佐野などの泉南諸市の祭りはみなだんじり祭りで、ぼくの住む町も堺のはずれとしておそらく土地柄からすればむしろ泉南に属する土地なのである。
 九月十五日、ぼくは息子と娘を連れて岸和田の祭りを見にゆき、その町内総ぐるみの熱気にすっかり感激して帰ってきたのだが、その時はぼくの町でも同じようにだんじりを引いての祭りがおこなわれるとはついぞ思ってもみなかったのだ。ところがそれから一週間してぼくの住むこの界隈でも岸和田で聴いた祭囃しが聴かれるようになった。十月初旬に催される祭りの本番に向けて練習が始まったのだ。

 鳳駅のそばにあるだんじり小屋のお囃しが帰宅するぼくを迎えるばかりではない。国道から折れて、石津川に沿う明かりとてあまりない暗い道を少し自転車を走らせぼくの住むマンションに着けば、そのマンションからほんの十メートルのところに下田町のだんじり小屋があって、いつも後、六人の高校生と思われる者が集まり太鼓を叩き、鉦を鳴らし、笛を吹いて、練習に励んでいるのだ。
 だんじりは町中を引いてただねり歩くものではない。それはここぞと思う場では何十人もの引き手が打って一丸となっての突進の様を見せるのだ。その時囃しの太鼓は急調子の連打に移り、鉦は打ち鳴らされ、笛は息も絶えよとばかり吹き鳴らされる。その囃しの練習が夜の町で続く。暗く続く屋並みのどこからか、町を覆う夜の闇を一杯に響かせて鳴る太鼓と鉦の連打の響きを、時とすると九時ぐらいまでも、この時期、町は聴き続けるのである。

 だんじり祭りの装束は決まっている。だんじりを引く者は、白い地下足袋に白いぱっち、それにやはり白い腹がけをして、その上にそれぞれの町名を染め抜いたはんてんをつける。
 つい先日、妻が娘の遊び仲間の女の子達に祭りのはんてんを持っているかと聞くと、子ども達はびっくりして不思議そうに「東京では、持ってへんの」と聞き返したそうだ。下田町のはんてんは界隈の子ども達のゆきつけの駄菓子屋兼、食堂兼、雑貨屋兼、寄り合い所で扱っている。妻はそこで息子と娘のためにはんてんを買いととのえた。

 夜の町に響く太鼓と笛の連打を聴いているとぼくでさえ心が高なり満ちてくる。大勢の人間に届く、身体にまで響いてくる大きな音はマイクとスピーカーなしには得られないといった観念、それがいかに一つの偏見であるかを思い知らされる。おそらくぼくたちは数多くの音を失ったのだ。いまではもう思い出せないほどに。

 あの音の下にはだんじり小屋があり、そこにはまだぼくたちのティーンエージャー達がいて、誰はばかることなく夜でも太鼓を打ち鳴らすことができ、町はその音を愛している。そう想うことは本当に楽しいことである。(清眞人)

※ 西からの風17 の「そうしき」同様、この「だんじり祭り」も清さんが書かれたのはずいぶん前になる。現在の状況とは異なることも多分にあるだろうと思い、このまま載せてよいか清さんに相談したところ、次のような返事をもらい了承いただいた。
《これが僕の民俗学の開始点だ。僕が哲学だけでなく、しかもたんに知的な関わりにおいてではなく、自分の生活や友人との地続きの関係のなかで、民俗学の自前の研究を開始した開始点の一つについての証言である。何事も、初期衝動に勝るもの無し》と。

 いただいた「葦のそよぎ」の中には、祭りに関わるものが他にも一つ。次には、それを掲載したいと思っている。(キヨ)