mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風26 ~ 私の遊歩手帖10 ~

ゴッホの手紙』とやっと出会う3

 前回からもう3ヶ月を過ぎてしまった。続きを書くはずが。
 その3ヶ月のあいだに、私は小林秀雄の『ゴッホの手紙』に出会いに行った。
 寄り道なくして、なんの「遊歩」ぞ! これは言い訳。
 そうこうしているうちにショウペンハウアーの『意志と表象としての世界』にはまった。今も、だが。これも言い訳。

 前回立てた問い、《ゴッホにあってイエスへの敬愛が何故に仏陀的な汎神論的救済の観念と結合するのか?》、この問題について言及するという遊歩の運び、それはどこに失せたのか?
 いやいや、決して失せてはいないのだ。くりかえし言う。遊歩とは共振に導かれる散歩である。そしてまた寄り道とは共振のなせる業である。かくて、寄り道なき遊歩のあろうはずなし! これもまた言い訳。 

 ショウペンハウアーは言う。――人間とは「山なす波が、猛りつつ起伏している荒れ狂った海上に浮かぶ一艘の小舟」に等しく、世界とは「苦悩」の渦巻き、人生もまた然り。その苦悩の波打つ海上を沈没しまいと必死に押し渡らんする一艘の小舟、それが汝である、と[1]

 また彼はこう言う。最後にはほとんど仏教的な言葉遣いをもって。

――イエスの魂の真髄、彼の教えの真髄は「共苦」にある。そもそも人間とは、悲劇的にも、「個体化の原理」に呪縛され、絶え間なく他者と自己を区別し切り離すことばかりにかまけるという孤独の刑に処された存在なのだ。だからこそまた人間は、常に他者への羨望・怨恨心と復讐欲望、一転して優越心と支配欲望、そのどちらか、あるいはその両極のあいだを振幅することしか知らぬ生、それしか手にできなくなるのだ。いずれにせよ、苦悩の生を。だが、そう指摘したうえでイエスはこう説く。

《忘れてはならない、汝よ! それでも汝はかかる汝の生の裏側に「良心の棘」として他者への「共苦」の魂を隠し持つ。そして、汝のこの「共苦」は或る時、くだんの「海上」にうねる世界苦・人生苦の全体へと大きく打ち開かれ、それと一つになる瞬間を手にするのだ。するとその瞬間、不思議なことが起きる。その汝の宇宙大に拡大された「共苦」は、かの海上の全体を包む「諦観」という宇宙受容へと転換し、しかもその転換は宇宙美への賛仰と連れ立って生じるのだ。君は、「忘我恍惚、有頂天、開悟、神との合一」・「あらゆる理性よりももっと高いかの平安、大海にも比すべき心のまったき寂静、深い安息。揺るぎない確信、ならびに明徴さ」に包まれることになる[2]。あの苦悩の大海原は不思議なことに静謐なる微光に輝く海原に変じているのだ!》

 ショウペンハウアーは言う。――プラトンの「イデア」、カントの「物自体」、ヒンドゥー教と仏教の基礎にあるヴェーダ思想が掲げる「ブラフマン梵天)」、これら3概念は実は同一のもの、すなわち、有機的な相互依存関係に統一された無限の全体的宇宙、「根源的一者」としての宇宙そのものを指す。このことが解れば、イエスの「共苦」を仏陀の「慈悲」と重ね合わせる道が開け、イエスの言う「神の王国」は仏陀の言う「涅槃」と同一の、「開悟」に到達した人間の心の在りよう、境地を指す言葉であることが解る。ショウペンハウアーいわく。「ヴェーダは人間の認識と智慧の最上のものの成果であり、その中心はウパニシャッドという形を成していて、今世紀の最大の贈り物としてついにわれわれにも届けられるに至った」[3]・「ウパニシャッドを介してわれわれに解放されたヴェーダへの道は、このいまだ年若き19世紀が以前の諸世紀に対し誇り得る最大の長所である」[4]。 

 ここで私のゴッホに戻ろう。前回、その結びに、私はゴッホのテオへの手紙から次の一節を引いた。もう一度引こう。

 僕は自画像の中に単に僕自身だけでなく、全般的な意味の一人の印象派画家、永
 遠の仏陀の素朴な崇拝者である或る坊主でもあるかのように、この肖像は考えて
 描いたのだ[5]。 

ところで、この一節は次の一節に深く関連している。ゴッホは、アルルの風景を描く快楽、自分の幸福感に寄せて、次のようにテオに書き送っていたのだ。 

日本の芸術を研究してみると、あきらかに賢者であり哲学者であり知者である人物に出会う。彼は歳月をどう過ごしているのだろう。(中略)彼はただ一茎の草の芽を研究しているのだ。ところが、この草の芽が彼に、あらゆる植物を、つぎには季節を、田園の広々とした風景を、さらには動物を、人間の顔を描けるようにさせるのだ。(中略)いいかね、彼ら自らが花のように、自然の中に生きていくこんなに素朴な日本人たちがわれわれに教えるものこそ、真の宗教とも言えるものではないだろうか。日本の芸術を研究すれば、誰でももっと陽気にもっと幸福にならずにはいられないはずだ。われわれは因襲的な世界で教育を受け仕事をしているけれども、もっと自然に帰らなければいけないのだ[6]

 上の一節を書いたとき、果たしてゴッホが次の言葉、日本仏教に汎通的な汎神論的な有機的宇宙観を一言にて表現する「山川草木皆仏性」という言葉、これを知っていたか否か、それを確かめる手段をまだ私は持っていない。
 だが、上の一節がその実質において語っているのは、ゴッホは日本版画の美意識の根底をなすのはこの「山川草木皆仏性」の宇宙観であることを正しくも見抜き、かつ、それに西欧人は学ぶべきとの立場を取ったということだ。

 ここで次のことを指摘しておこう。すなわち、「色彩の画家」たるゴッホは、眼前する自然の色彩と己の生命に疼く「色彩そのものであるもの」、すなわち生命そのものを「表現しようとする欲求」に取り憑かれた者として、必然的に太陽崇拝主義者でもあったということを。周知のとおり、アルルの風景を描く彼にとって向日葵は太陽の比喩でもあり、黄色は太陽光の色であった。ゴッホはテオに書く。

ここの強烈な太陽の下では、ピサロの言葉や、ゴーギャンが僕への手紙で言った同じような言葉、つまり太陽の偉大なる効果の持つ単純さと荘重さということは、僕もほんとうだと思った。北仏にいたのでは、とても想像することもできないだろう[7]

 いささか私の理解を示そう。
 南仏アルルの強烈な太陽の下では、万物各々の色の印影とそれが生む複雑な差異性は溶け果て、色は単純化し風景は個々物の色彩的差異に複雑に彩られる顔つきを失い、むしろその統一性が色彩の平面化と手に手をつなぎ前景化する。世界のこのアルル的相貌には、日本の浮世絵版画が体現した方法、様々な「平面的な色彩」画面がその「独特な線」で描き出される「運動」的な「並列」を構成することによって、風景の全景を表現するという方法が一番ふさわしい。ゴッホにはそう思える。つまりこうだ。世界は宇宙大の統一性とその有機的構成をはっきりと端的に人間に意識させる顔つきを示すべきなのであり、そのような世界変貌に導かれてこそ、人間は汎神論的宇宙感情を――自分の深層意識に眠り込ませていたそれを――己に喚起することとなり、宇宙と個人とのあいだに汎神論的な感覚共振が生じるのだ。そしてこのような生命感情の宇宙的高揚と共振とを人間に引き起こすということに芸術のいわば形而上学的使命があるのだ。音楽はそれを人間の聴覚に訴えることを通して、絵画は視覚に訴えることを通して、為す。為すべき、なのだ。ゴッホは、実にこの使命について、自分はそれを早くも「印象派運動」のなかに潜む「偉大なものへ向かう傾き」として感知したが、多くの者はそれに気づかず、印象派を「単に光学的な実験のみに限定する一流派」と見誤ったと批判してもいる[8]

  ついでに、ちょっとショウペンハウアーに寄り道しよう。彼のくだんの主著のなかの「太陽」論から次の一節を引いておこう。

没する太陽が夜の闇に呑み込まれてゆくはほんの見掛けだけのことで、実際に太陽は、それ自身がいっさいの光の源泉であるから、間断なく燃え、かずかずの新しい世界に新しい昼間をもたらし、そして常時上昇し、常時下降しているのである。始めとか終わりとかいうことは(中略)個体にのみ関わることでしかない[9]

 つまり、太陽はショウペンハウアーにとって「永遠の生命」・「無限」の象徴なのであり、かくてまた「プラトンイデア」のそれである。
 そして、この観点は実は期せずしてゴッホとぴったり重なるのだ・

 ここで、われわれはゴッホのイエス論に目を向けねばならない。
 そもそもキリスト教を論じようと思うなら、その議論の中心にイエスを如何なる思想の持ち主として把握するかという問題を置かざるを得ない。先に見たように、ショウペンハウアーはイエスを限りなく仏陀に引き寄せようとする。

では、ゴッホは? 彼いわく、

キリストだけが――あらゆる哲学者や魔法使いのなかで・・・・・・永遠の生命の確実性を肯定した。時間の無限を認め、死を否定して、心の平和と献身との存在価値や必要を説いたのだ。彼は平穏に暮らしているいかなる芸術家よりも偉大な芸術家として生きた。大理石と粘土と色彩を軽蔑して、生きた肉体で仕事した[10]。(太字、清)

 そして、こう続ける。――イエスは、「観念(感覚)で本を書くことをよろこばなかったが、話す言葉――特に比喩は、それほどきらわなかった。(種蒔きや刈入れや無花果の比喩の素晴らしさ!)」と[11]。またこのイエスの「話し言葉」を絶賛して、「最高の――一番高い――芸術によって到達し得る神の力のようなもの」、「造物主の偉力そのもの」と述べ、かつその感化力に関連づけて、「生命を生みだす芸術と永遠の生命に化す芸術とがあることを予感さす」(太字、清)と彼は述べる[12]

 ここで読者には先の私の見解、ゴッホは《宇宙と個人とのあいだに汎神論的な感覚共振》を引き起こすことに《芸術の形而上学的使命》を見たという見解を思い出してほしい。また前回紹介したゴッホの自己分析をあらためて思い出してほしい。自分の「二重人格的要素」の一方は「永遠とか永遠の生命とかを考える」・「修行僧」的要素であるという分析を。

 注目すべきは次の問題の関連である。すなわち、上に彼が言う「生命を生みだす芸術と永遠の生命に化す芸術」の創造ことが彼にとっては「芸術の形而上学的使命」であり、この使命は「永遠の生命の確実性を肯定し」、それによって「時間の無限を認め、死を否定し」、もって「心の平和と献身との存在価値や必要」を人間痛感せしめるという課題は、日本の浮世絵版画の方法論に学んで「宇宙と個人とのあいだに汎神論的な感覚共振」を引き起こすことによって果たせると思われたということ、この問題の関連である。

 そのことは次の経緯によっても鮮やかに示されている。いましがた引用した「キリストだけが」という言葉から始まる一節は、エミル・ベルナール宛に書かれた第8信(1888年6月末)の一節であるが、その半月後の第10信(7月中旬)に次の一節がある。
 ――それによれば、ゴッホはこれまでスケッチしたアルルの風景のなかで「一番日本らしいもの」をそのとき2枚ものしたのであるが、それを「この平面的な景色の・・・・・・無限と・・・・・・永遠だけの・・・・・・素描」と呼ぶ。また、それを描いているところへ兵士が一人やって来たとき、彼はこの兵士に素描しているアルルの草原を「海みたいに素敵だと思っているんだ」と声をかける。すると、その兵士は、「海を知っていた」人物であったのだが、「海みたいに美しいんだって、俺はこっちの方が大洋よりも綺麗だと思うよ、人が住んでいるからね」と答えたという。このやりとりをゴッホは記したうえで、ベルナールにこうしたためる。――「この二人のうち画家と兵隊と、どっちの方が芸術家だろう。僕はこの兵隊の眼の方を選ぶよ、そうだろう」と[13]

 この一節には次の4点が明白である。第1に、ゴッホにとってのテーマは、アルルの風景がその現象となる当のもの(ショウペンハウアー的にいえば「物自体」・「イデア」そのもの)たる「無限」なる「永遠」なる宇宙的生命であるということ。第2に、そういう《汎神論的視点》に対して方法論的に最も自覚的なのは日本の浮世絵であるとゴッホが認識していること。第3に、草原に与えられた「海」という比喩は、ヒンドゥー教と仏教の共有基盤をなすウパニシャッド文書が好んで用いた「大洋と小波」の比喩を想起するならば、まさに「宇宙」の無限にして永遠なる生命性の比喩にほかならないこと、このことが明らかにゴッホによって自覚されていること。第4に、ゴッホにとってまさに「芸術家」の使命とは、その宇宙生命と人間との《汎神論的共振》を引き起こすことであるが故に、彼はかの兵士の言葉にいたく感銘を覚えたということ、これである。すなわち、ただ大洋的世界を描くのではなく、まさにその大洋的世界と人間とが取り結ぶ共振の接点そのものをテーマに据えたことにいっそうの美を見たとする兵士の観点に。

 他にも引用したい言葉がある。今回は、もう一つだけ紹介して終わりにしよう。
 ジョットという詩人をゴッホがいたく愛していたことについては前回少し言及した。そのジョットに寄せて自分の抱負について後の別の書簡でこう書く。 

僕はただ誰かに、われわれの心を慰め落ち着かせるものを立証してもらいたい。われわれが自分を罪あるもの、不幸なものと感じることがなくなるように。そうして、われわれが孤独や虚無のうちにふみ迷うことなく、また一歩ごとに悪を怖れ悪に神経を立てることもなしに、生きて行けるように、またその悪が他人の上に落ちかかることを望むようなことがなくてすむように[14]。(太字、清)

 この一節は、ゴッホの次のイエス観とそのまま結びついている。
 彼は、イエスを「にがい果肉」と捉える。旧約聖書に横溢する神ヤハウエの「固い殻」のような「絶望と怒り」に満ちた言葉――「たしかに胸を抉る」にしろ、しかし「偏狭と伝染的な狂気とですべて誇張されている」と言わざるを得ない、それ――に対比して、イエスの発するくりかえし《愛と赦し》を説く「慰めの言葉」は、それら旧約の《裁きと叱咤と戦い》の言葉からわれわれを「解放」する「慰安」の力、「果肉」の力を持つというのだ。

だが聖書の慰めの言葉は悲痛で、われわれを絶望と怒りから解放して――たしかに胸を抉る、偏狭と伝染的な狂気とですべて誇張されてはいるが――そこに包容されている慰安は、ちょうど固い殻のなかの核のようなもので、にがい果肉、それがキリストだ[15]。(太字、清)

  このイエスが体現する「果肉」が先に示したように、ゴッホの理解では、「永遠の生命の確実性を肯定し」・「時間の無限を認め、死を否定して、心の平和と献身との存在価値や必要を」自覚することによって味わえるようになる「果肉」であることはいうまでもない。つまり、ゴッホ自身が自らの絵によって鑑賞者の魂のなかに引き起こそうと専心する《宇宙生命と人間との汎神論的共振》と一つに繋がった「果肉」であることは。
 そして私としては、読者にお願いしたい。上の一節を、冒頭に紹介したくだんのショウペンハウアーの言葉に重ね合わせていただけないか、と。

 ここでついでに次のことも指摘しておこう。
 『ゴッホの手紙』に集められた書簡は1887年から1890年にかけて書かれたゴッホの書簡である。ところで、ニーチェは『反時代的考察』に第3篇として「教育者としてのショーペンハウアー」という有名なる長文のショーペンハウアー論を発表したが、それが書かれたのは1874年であった。そして、ニーチェ1888年に出版した『ニーチェヴァーグナー』のなかの「ヴァーグナーの所属すべきところ」節のなかにこう記した。

現今でもなおフランスは、ヨーロッパの最も精神的な最も洗練された文化の本拠であり、趣味の高級な訓練場ではあるが、(中略)そこでは今日すでにショーペンハウアーは、彼がかつてドイツにおいて居着いていた以上に居着いている。彼の主著はすでに二回翻訳され、第二回目のものは卓抜な出来栄えであったので、私はいまではショウペンハウアーをむしろフランス語で読むことにしている[16]

 また前回言及したようにゴッホは「トルストイの宗教論」に大きな関心を持っていたのだが、しかもその関心はまさにかの「永遠の生命」(「人類」としての「生命」)への参与が生みだす苦悩の只中での「慰安」というテーマをトルストイも共有していることにかかわっていたのだが[17]、そのトルストイは熱烈なショウペンハウアー賛美者でもあった。
 こうした点から推して、かの読書家ゴッホが既にショウペンハウアーの同書を読書していた可能性は大いにある。ただし、今のところ私には確かめる術がない。しかし当面、《期せずしての一致》という形にしておいて両者のあいだに成立する類似性を探索してみればよい。この探索作業は、まさに両者それぞれをいっそう深く理解するうえできわめて有意義なこと間違いなしである。そう私は思う。

 さて、最後にもう一つの寄り道、小林秀雄の『ゴッホの手紙』について一言。
 私は発見した。これまで縷々述べてきた問題、《宇宙生命と人間との汎神論的共振》の発揮する救済力というテーマこそゴッホの芸術観の核心をなし、またそれが日本の浮世への絶大な彼の評価を生みだすという問題、実にこれに関しては小林はほとんど真剣な関心を示していないということを。
 乞うご期待! 次回の遊歩報告を。(清眞人)

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[1] ショウペンハウアー『意志と表象としての世界 Ⅲ』西尾幹二訳、中公クラッシクス、103頁。
[2] 同前、240、242頁。
[3] ショウペンハウアー『意志と表象としての世界 Ⅲ』109頁。
[4] 同前、255頁。
[5]ゴッホの手紙 中』295~296頁。
[6]ゴッホの手紙 上』274頁。
[7]ゴッホの手紙 下』44頁。
[8] 同前、52頁。
[9] ショウペンハウアー『意志と表象としての世界 Ⅲ』134頁。
[10]ゴッホの手紙 上』118頁。
[11] 同前、120頁。
[12] 同前、120頁。
[13] 同前、132頁。
[14]ゴッホの手紙 中』281頁。
[15] 同前、117~118頁。
[16] ニーチェ『偶像の黄昏 反キリスト者』、原佑訳、ニーチェ全集14、ちくま学芸文庫、365‐366頁。
[17]ゴッホの手紙 中』269、286頁。