mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風38 ~ 私の遊歩手帖16・番外編 ~

 清さんは「西からの風37 ~私の遊歩手帖16~」で、「太初(はじめ)に言葉ありき」として経験される言葉の原体験を、中学時代の級友Sをもとに記している。実はSについては、別の著書『言葉さえ見つけることができれば』でも触れている。しかし、そこでは「暴力の肖像」というタイトルのもとでだ。同じ級友Sについて書かれているが、それは「暴力」をめぐる、もう一つのアナザ・ストーリーと言える。そこでは、「暴力」という言葉で名指される原体験に縁どられた「暴力」そのものへと話は進んでいく。
 清さんが「太初(はじめ)に言葉ありき」の中で述べている内容をより理解する助けにも
なると思います。以下、「暴力の肖像」を紹介します。

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   暴力の肖像

 強迫観念の形をとって欲望が出現するやそれは暴力となる。なぜなら、この欲望を満たすという観念において全世界は非本質的なものとなっているからである。他方では、 絶対的なものとして把まれた欲望のもつ意味それ自身が、欲望者と欲望対象との結合が達成されるや否や、存在することの絶対的感性、つまり全体性が出現するということのうちにある。非本質的なものの崩壊の上に、 存在の融解と出現が生じる。当然ながら、欲望は肉体的なものであり肉体によるものであり、それが欲望にその厚みを与える事実性である。だが、欲望を抵抗し難いものへとかえるのは、欲望の奥底に存する絶対的なものへの希求である。この絶対的なものが、同時に個人自身の純粋な正当化と世界の意味となる。その瞬間から、世界のあらゆる抵抗は打ち破られる。あらゆる手段を使っても、と。力自体が愛好される。というのも、力の使用のおかげで直接的なものに準ずるなにものかが実現されるのである。
                — サルトル『道徳論ノート』より —

 それはぼくが中学三年の秋のことであった。
 「喧嘩するときは」とSが言いだし、そしてこう続けたことを、今でも覚えている。「先に気狂いになるんだ。殺しちゃったっていいんだ、何をしても、何を使ってもいいんだ、と決めちゃうことなんだ」と。

 Sはまわされてきた奴だった。夏休みがけて数日たったある日、担任の教師が彼をともなって授業に現れ、転校生だと紹介した。彼がどんな転校生であるかということについて、ぼくたちは何も知らなかったが、しかしすぐ感じた。中学三年の秋にもなって転校してくるなどということがある異和感を与えたし、なによりも彼の高校生に見紛う身体からは暴力のにおいがした。事実、彼が来てから、それまでは腕力を誇り、羽振りを聞かせていたはずの連中が奇妙に静かだったのだ。体育の授業に、彼はその年の夏に流行った白いラッパズボンをはいてきた。それをみて若い体育教師は「お前、トレパンを持っていないのか」と言ったきりであった。確か絵の道具も持っていなかったはずだ。

 彼は時々学校を休んだ。それから学校に来ないことの方が多くなり、結局、卒業することはなかったのだ。予想通り——そのはずだ——卒業式に出るかわりに、喝あげをやって、送られたからだ。
 それでもクラスの中ではぼくは彼と口をきいた方だった。多分木造アパートの彼の家に遊びにいったことのあるのもぼくぐらいのものだろう。女が男のペニスを太股にはさんで、いかせてやる方法があるということを知ったのは、彼からだ。喧嘩の必勝法は先に気狂いになることだと教えてくれたのも。

 そして、彼はその通りのことをぼくに見せてもくれた。ある日、ふりむくと彼ともう一人の級友が口論していた。フッと彼は息をつぎ、次の瞬間、彼は教室の壁にたてかけてあったモップをとって、やにわに力一杯横ざまにその級友を殴った。一挙に恐怖が教室を満たした。最初の一撃ではや抵抗不可能となった級友を、彼は次に確実にこぶしで打ちすえていった。今でも覚えている。こぶしを固めた彼のそのひじは確実に肩の高さまで引きあげられ、全身のひねりとともにこぶしが級友の顔面に飛んでいくのだが、その一撃一撃はゆっくりと重々しいリズムによって調律されているのだ。

 実際は打撃は数発のことであったと思う。相手は無力に打たれるがままだったからだ。しかし、なにかそれは無限に続くように感じられた。おそらくそれは彼の打撃のフォームが完璧だったからだ。ためらいだとか、懐疑だとか、およそ自壊を導くような欠陥、あるいは他がそこに介入しうるような隙間というものがそこにはないのだ。一つの完結があり、また完結することによってしか停止しない何かが、そこにはあったのだ。現出したのは硬い球場の空間であった。すべてをはねかえす、自己のうちに完璧な仕方で閉じた、サルトルのいう「存在」の空間、それがそうあるところのもの、寸分の隙間も欠如もない絶対的同一性としてのそれ、であった。

 ぼくは初めてそこに暴力の肖像を見た。嫌悪とともに。だが忘れることのできない、嫌悪するが故に眼をひきつけられざるをえない肖像。

 サルトルは『存在と無』のある箇所で破壊とは、その実、対象を完璧に我がものとすることを通じて、その対象に記銘さえた自己を完璧に自己のもとに所有しようとする絶望的欲望であると述べている。

 「私が農園に火をつけたとしよう。農園を焼く焔は、この農園と私自身との融合を、次第に実現していく。この農園は、消滅することによって、私へと変化する。突然、私は、創作の場合に見られる存在関係、しかも逆の存在関係を、発見する。私は、燃える穀物倉の根拠である。私は、この穀物倉の存在を破壊するがゆえに、この穀物倉である。破壊は——創作するよりもいっそうあざやかに——我がものとすることを実現する。」

 また彼はノートにこう書きつけている。

 「暴力とはつねに修復不可能なもの、取り返しのつかないものの探索である。この意味で暴力は為すことより存在することを選ぶ。暴力は修復不可能なある過去によって自己をもっぱら定義しようとする。」

 建設はつねに破壊されうるものである。が、破壊はもはや破壊されえないものであるが故に、取り消しのきかないものであるが故に、絶対である。かくて、それは人間に許された——ただ虚無をもってする——唯一の永遠化の方策、時間と闘う唯一の方法だというのである。こうして暴力はつねに本質的に瞬間主義者、時間の停止を恋い願う瞬間の審美主義者だというのである。

 かつてぼくは暴力を目撃した。そこに現出する硬い球状の空間を見た。そしてそこに閉じこもり凍結した炎の眼をもって世界をにらみつけている彼を。いかなる絶対が、いかなる我がものとする欲望、存在への欲望が、彼を、級友への暴力の激発の背後から撃ち抜いていたのか。(清眞人)