mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風3 ~私の遊歩手帖2~

 ◆ 「叫び」ムンク

 僕にとって「遊歩」とはつねに共振すべき何ものかとの出会いを求めての歩行である。——

 そう書いた。この「私の遊歩手帖」の第一回目の終わりに。ルオーの作品「ミセレーレとゲール(憐れみと戦争)」との出会いを糸口にして。その出会いからひと月も経たないうちに今度はムンクの作品「叫び」に出会った。初めて実物に接した。長らく、一度は実物を見たいものだと思っていた、その「叫び」に。同じく上野にある別の美術館で開催されていた「ムンク展」で。

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 その日の午後、数週間前に亡くなった学生時代の或る先輩の偲ぶ会があり、そこで年下の或る友人と再会した。45年は経っていた。死者の招きによって、おそらくもう会う機会もなかったはずの昔の友人たちと奇しくも再会する、そういう年齢にわれわれはなったというわけだ。或る友人夫婦が僕たち2人に泊ってゆけと声を掛けてくれ、結局彼らの家で僕たち4人は深夜まで語りあった。

 その友人は物語った。
 実は、20数年前、一時自分は精神を病んで3ヵ月精神科の病院に入院した。そのおかげなんだ、今こうして先輩方と再会のおしゃべりにうつつを抜かせるほどの自分に漕ぎつけられたのは、と。

 彼は言う。
 あの時、死神が自分には見えたのだ、と。気分が落ち込む、文字通り暗い穴のなかへと沈んでゆくように自分を闇が包みだす、すると闇の向こうに誰かいて、そいつが幽霊のように静かに地面をすり足で歩くようにゆっくりと近寄ってくるのが見える、と。「漫画通りなんですけど、でも、そうなんですよ、ほんとうに死神を見るのです」と。
 また、こうも言った。

 今なら「統合失調症」と呼ぶわけですが、昔の言い方なら「精神分裂症」でしょ。ほんとうに、「バキッ」と割れる音が聞こえるんですよ。自分のなかがバキッと割れるんです。心が二つに、あるいは心と体とが二つに。どちらも同じこと、とにかく割れるんです、バキッと。その音が耳に届くんです。
 割れると、自分がすっと下へ落ちだす。支えがなくなって、落ちるしかなくなる。穴のなかに。もう駄目だと思いましたね。自分を支えようがない。
 それで怖くなって、翌日這うようにしてかかりつけの精神科に行ったら、即入院しなさい、病院が君を守るから安心しろ、と。落下しても病院が守ってくれてると自分に言い聞かせなさい、毎日、日に何回も、私なり看護婦なりがベッドの上の君を診察にきて、現にこうして自分たちが君を守ってるんだから安心せよ、と声をかける。君はそれを毎日毎回確認できる、それを続けていると、死神も割れ音もだんだん消えてゆく、或る日気が付くと君はもう大丈夫、必ずそうなるから、と。三ヵ月経ったら、ほんとうにそうなりました。 

 僕は彼の言葉を聞きながら、その日の午前中自分が見たムンク「叫び」を思い出していた。また彼が死の床に臥す姉を描いた幾つかの絵を。その一枚には死神が描かれていた。
 しかし、僕はムンクの絵の話は彼にしなかった。「君がいま話してくれたその通りのことを今朝見たムンクの絵は描いていたよ」とは。彼は僕たちにそのように打ち明け話をできるほどにもうとっくに精神の回復を果たしているにせよ、もし僕の話がきっかけとなって彼にフラッシュバックが起き、共振が生じ、割れ音の世界に引き戻されかねない危機が彼を襲うかもしれないと恐れたからだ。
 僕は彼の話をなにほどか実感できた気がした。それはムンク「叫び」を見たからだった。
 当時ムンク「叫び」に寄せて書いた言葉が、絵の横に掲げられていた。 

  夕暮れに道を歩いていた —— 一方には町とフィヨルドが横たわっている
  私は疲れて気分が悪かった —— 立ちすくみフィヨルドを眺める
  太陽が沈んでいく —— 雲が赤くなった —— 血のように
  私は自然をつらぬく叫びのようなものを感じた
  叫びを聞いたと思った
  私はこの絵を描いた —— 雲を本当の血のように描いた
  色彩が叫んでいた
  この絵が〈生命のフリーズ〉の叫びとなった 

 友人の場合は「バキッ」と割れる音だった。彼を包んだのは墨汁のような暗闇であった。ムンクの場合は「自然をつらぬく叫び」であり、しかもそれは「色彩の叫び」であり、彼を包んだのは「血のように赤い」夕雲のうねりが引き起こす世界全体の苦悶に満ちた動揺であった。二人によって語られるのは全然異なる二つの世界の在りようである。

 しかし、自分を包む世界が突然変容し、捉えがたい不気味な不安に満ちたうねりを生じ、たちまちそれが自分に伝播し、自分の身体が同じようにくねりだし、外から耳を打った「世界」をつらぬく叫び・悲鳴・割れ音がたちまち自分の身体に入り込み、今度は自分を足元から頭へと貫き、内側から自分の口を開けさせ、再び外へと発出し、そこに一つの還流を成し遂げるという事態、この事態が生みだす突如たる一体性の身体感覚、それこそはかつて精神を病んでいた頃の友人とムンクとを結びつける当のものだと感じた。そのとき人間は、ムンクが描いたとおり、その叫びと音を聞くまいと必死で両耳を手でふさぎながらも、ただぽっかりと口を開けるほかないのだ。目を恐怖に見開いたまま。自分の内側からその叫びと音とが自分を貫いて外へと出て、そうして還流を果たすことに対して、もはや彼は何ひとつ抵抗できない。叫びと割れ音に「為すがまま」になるほかない。

 ムンク展と、そこで購入したカタログから僕は三つのことを初めて知った。
 一つは、ムンクはこの「叫び」の絵に関しては八つのヴァージョンを描き、また右に引用した言葉に関しても何度も書き直していることであった。その八つのヴァージョンを見て、確かめることができた。先の言葉にあるとおり、決定的であったことは《血のように赤い夕雲が世界を叫びで貫き、くねらせた》という宇宙的経験であり、それを如何に描くかがテーマであったということを。というのも、「叫び」で有名なやせこけた坊主頭の男が耳をふさぎ悲鳴を上げているというヴァージョンの他に、「絶望」というタイトルの絵、帽子をかぶった紳士が、あるいは無帽の青年が橋から川をぼんやりと眺め、その上にやはり波打つような血の夕雲の空のうねりが描かれるという二つのヴァージョンがあったからだ。子供もまじえ七人の男女がやはりうねる夕雲の空を背景とする「不安」という絵もあった。また墨の黒だけのリトグラフ「叫び」のヴァージョンもあった。そこでは「血のような赤」という色彩はもちろん消えていたが、夕雲の不気味なうねりが世界全体を動揺させ、主人公に悲鳴をあげさせるという構図はそのままだった。

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 二つ目は、「叫び」を中核とするムンクの《愛と死と不安》を中心テーマに押しだす連作は「生命のフリーズ」と呼ばれるのだが、この「フリーズ」という言葉は建築用語で建物を飾る帯状の装飾部分を指す言葉だということであった。僕はてっきり、あの「パソコン画面がフリーズした」と言うときのそれ、「凍結」という意味だと思いこんでいたのだが。しかし、「生命の凍結」の諸場面を人間という建築物を飾る帯状のいわば首飾りとした、それがムンクの芸術だった。これは「言い得て妙」ということにはならないだろうか?

 三つめは、ムンクの描いたニーチェ肖像画の存在である。ニーチェの妹がニーチェの死後、彼の写真を基に肖像画を描くよう彼に依頼した。ムンクは友人の一人に自分は「山間の洞窟にこもる『ツァラトゥストラ』の作家として彼を描きました」と手紙をしたためたそうだ。ムンクは若い頃からニーチェの愛読者であった。そして、この肖像画にはあの「叫び」での《血の色の夕雲のうねり》が背景として描き入れられているのだ。

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 「叫び」は『ツァラトゥストラ』のエンディングに突入する場面に登場する決定的なモチーフでもあった。僕は思い出した。自分がこの『ツァラトゥストラ』における「叫び」についてかつて書いたことがあったことを[1]。その一部を引こう。

 『ツァラトゥストラ』最終部(四部)の「窮境を訴える叫び声」章にツァラトゥストラの言葉としてこうある。「わたしがこれまで留保し続けてきた、わたしの最後の罪」、それは「同情」なのだ、と。イエスの「同情」道徳に対する批判のいわば頂点をなす章は「最も醜い人間」章だが、その章は次の印象的な成り行きから始まる。
 —— ツァラトゥストラは「大いなる窮境に見舞われて、この窮境を訴える叫び声を発している者」の姿を求めて山また山、森また森をさまよって来た。遂にその者と出会う。「人間のような姿かたちをしているが、ほとんど人間とは見えず、何とも言いようのないもの」、「最も醜い人間」がその者であった。ツァラトゥストラは彼と言葉を交わすや、突如地面に昏倒する。というのは、「同情が彼を襲った」からだ。あれほど彼が嫌悪し退けていたはずの「同情」の感情が彼自身を捉えてしまったことへの驚愕のあまり、彼は一度地に倒れなければならなかった。だが、これ以降そのようなことは二度と起こることはないであろう。というのも、「わたしがこれまで留保し続けてきた、わたしの最後の罪」たる「同情」がその最後の罪を犯し、それゆえにそれを最後として消え去るからだ。
 そのようにして「同情」という徳はツァラトゥストラニーチェに最後まで憑きまとっていた問題だったのだ。つまり、それは正真正銘の彼のイエス問題だったのだ。

 Lは急いで次のことを欄外に注として書き添える。
 『ツァラトゥストラ』最終部の全体はその文学形式においていわば破格的なメタフォリカルな達成を示す。「高等な人間たち」と呼ばれるそこでの登場人物たち、「二人の王」、「失職した教皇」、「邪悪な魔法使い」、「みずから進んで乞食になった者」、「さすらい人にして影である者」、「年老いた予言者」、「精神の良心的な者」および「最も醜い人間」、彼らはそれぞれツァラトゥストラニーチェの分身である。ツァラトゥストラと彼ら一人一人との対話はニーチェの自己内対話であり、自らのそれぞれの分身との対話である。彼らの一人一人は実はニーチェ自身なのだ。

 彼らはツァラトゥストラの洞窟に招かれる。ツァラトゥストラはこういう。どうか来たまえ、と。「わたしの洞窟は大きく、深く、多くの隅々を持っている。そこでは、最も深く自分を隠す者も自分の隠れ場を見いだす」と。この洞窟の全体、すなわち、それがニーチェなのだ! それが私なのだ! と。

 ここでもまた、ムンクと僕とのあいだに共振が起きた。
 僕の遊歩は続く。(清眞人)
 (死神の出現というムンクのテーマについては紙数の都合で省略する。)

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[1] 拙著『大地と十字架――探偵Lのニーチェ調書』思潮社、二〇一三年、第二部「大地と十字架」・「窮境にある人類への同情のあまり神はその同情のなかに溺死する」節