mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

西からの風37 ~ 私の遊歩手帖16 ~

 「太初(はじめ)に言葉ありき」

 ハイデガーの「故郷喪失」論へと遊歩した報告、その続きを記すはずだったのにずいぶんと間が開いてしまった。その遊歩はさらなる遊歩を生み、今に至る。
 前回の続きを気真面目に書く意欲を、今浸っている遊歩の気分が打ち消してしまった。
 ハイデガーへの遊歩はいつしかトーマス・マンへの遊歩に遊歩していた。その遊歩はヨハネ福音書の有名な冒頭の一節、「太初(はじめ)に言葉ありき」へ僕を遊歩せしめた。
 今回はそのことについて書きたい。
 遊歩中、次の考えがぼくには閃いた。
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 この冒頭の、それこそ言葉は、聖書の語るように、神が我ら人間に与えたもう言
 葉なのでなく、神のことなどまともにろくに考えたことなどない人間も、あるい
 は自分を「無神論者」と見なしている人間も含めて、とにかく人間が、或る日突
 然、自分の痛切な経験から、思い知ったように口走った言葉なのではなかったの
 か? それは、人間が為す「原体験」と呼ばれる経験の一つで、だから或る冴え
 た宗教家などは、それを神が人間に与えた言葉のように説いたのだし、まさにそ
 の典型がキリスト教ヨハネ福音書なわけだが、そしてたぶん聖書の源流をなす
 古代ユダヤ教にそういう教えがあるのだろうが、しかし元来は宗教・宗派の違い
 に関係なく、またそもそも有神論者か無神論者かの区別とも全然無関係に、人類
 に共通する或る普遍的な原体験の一つを語る言葉として誕生したのではないか?
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 この閃きは、僕を二十五年前に自分が書いた或る本の一節に突き戻した。僕は独りつぶやいた。「なんだ! 俺はその考えをとうにもっとわかりやすくこう書いているぜ! その原体験の俺の場合の在りようについて」と。すこし引用させていただく。(『<受難した子供>の眼差しとサルトル』、御茶の水書房、一九九六年)

幼児が親に尋ねる。ねぇ、これなんていうの。それに親が答えるとき、幼児を遠巻きにしていた語彙たちへ呼び出しがかかる。呼び出された言葉が幼児に歩み寄り、幼児の脇に立つ。それ以来その言葉は幼児のお供となる。幼児は(中略)そのお供となった言葉たちを指揮して物真似遊びをする。大人を真似して言葉に集合をかけ、整列させ、行進させて魅せる。使用することが所有することなのだ。すると幼児は言葉の指揮者たる自分を発見する。世界に整列を命じ、秩序をあてがい、それを組み立てる仕事の中心にいる自分を[1]

 この一節は、次にこう続く。

だが、いまここでぼくが回想しようとするのは、部屋のなかの物どもが小さな魔法使いの弟子のまわりを陽気に飛びはねるあの昔のアメリカ漫画映画のような、言葉とぼくたちとの無邪気で幸福な出会いのイメージについてではない。(中略)ぼくはすでに幼児の時期をはるかに通り越してしまっていた。(中略)あるとき、一つの言葉が突如悲鳴をあげて飛び上がり、ぼくを闇討ちした。暴力という言葉がぼくのもとにやってきた瞬間についてはぼくはまだ記憶を失っていない。ぼくはもちろんそれが暴力という言葉で名指しすべき事態であることはわかっていた[2]

 そして僕は、中学三年のとき自分のクラスで札付きの不良のSが同級生をモップで殴り倒し、引き起こして拳で殴りつけた事件の記憶について記している。(彼は卒業式直前カツアゲをやって少年院送りとなった。僕はクラスの中で彼に口をきく彼の唯一の友達だった).

「喧嘩する時は」とSが言いだし、そしてこう続けたことを今でも覚えている。「先に気狂いになるんだ。殺しちゃたっていいんだ、何をしても、何を使ってもいいんだ、と決めちゃうことなんだ」と。(中略)そして、彼はそのとおりのことをぼくに見せてもくれた。実際の打撃は数発のことであったと思う。相手は無力に打たれるがままだったからだ。しかし、何かそれは無限に続くように感じられた。おそらくそれは彼の打撃のフォームが完璧だったからだ。(中略)一つの完結があり、また完結することによってしか停止しない何かがそこにはあった。現出したのは硬い球状の空間であった。すべてを撥ねかえす、自己のうちに完璧な仕方で閉じた[3]。(後略)

 実は、僕は、次の一節を導入として、いままで紹介してきた文章を記していた。

時に考える、さまざまな言葉について。あの言葉が俺のもとに最初にやって来たのはいつだったろうかと。人間は言葉のなかに生れ落ちる。言葉はつねにわれわれに先んじてある。(中略)あるときある経験がおこなわれ、言葉がその経験のもとにやって来る瞬間がある。今はじめてお前は俺の名を呼んだ、だから俺はこうしてお前のところにやって来たのだ[4]

  先に、僕はこう書いた。――「太初(はじめ)に言葉ありき」という言葉は「人類に共通する或る普遍的な原体験の一つ」を語る言葉だ、と。これまで紹介してきたかつて中学三年生であったときの出来事、それが僕の場合のその「原体験」の在りようである。

 ここで話はいきなりトーマス・マンに飛ぶ。遊歩の為せる技、あるいは習いとして。彼の中期の大長編『ヨゼフとその兄弟たち』・「序章 地獄行」のなかに、まさにくだんの「太初(はじめ)に言葉ありき」に言及して次の一節がある。マンは「言葉」を、いわばその創造主機能において、ユダヤキリスト教の宗教伝統が掲げてきた「神」に見立てている。 

 諸天森羅万象を含めたこの世界の始まりへと遡ると言葉がある。言葉は劫初の水
 の上を浮き漂う神であった。この神が渾沌の中からすべてを生み出したのである[5]

  そして、同長編の「若いヨゼフ」の部には次の言葉が記されている。僕のマン解釈を裏付けるように。

 言葉によって、自由な、外部にある言葉によって世界は成り立ったのだ。そして
 今日でも(中略)実際には、人間がその物の名を呼んで、言葉においてその物に
 存在を与えてやった場合に初めて本当に存在するのである[6]

  今、僕はマンを遊歩しながら、ひしひしと感じている。おそらく彼は、僕がこれまで自分に即して語ったような「原体験」を、いわば事あるごとに、四方八方してきた人間なのだ、と。すなわち、事物は、あるいは事象は、「人間がそれの名を呼んで、言葉においてそれに存在を与えてやった場合に初めて本当に存在するのである」という体験を。

 そして、そういうタイプの人間は、マンがまさにそうであるように、「作家」(マンは「詩人」という言葉を狭義の意味ではなく、散文作家も含めて「作家」一般を指す言葉として用いることを常とするのだが)になることを運命づけられている人間なのだ。
 だから、彼の文字通り大長編の『ヨゼフとその兄弟たち』には右の一節が示唆する見地からの彼の「言葉」論が登場人物たちのセリフや、彼らの思念を描写するときのいわばト書きとしてふんだんに散りばめられているのだ!

 否、なにも『ヨゼフとその兄弟たち』に限りことではない。
 僕は、最近、遊歩のあと、後の執筆活動のためのメモとして彼の短編『ヴェニスに死す』についての次のようなメモ書きを記した。少し紹介しよう。

――『ヴェニスに死す』の主人公アッシェンバッハは作家である。かつ、僕は『ヴェニスに死す』において、たとえばそのゴンドラ描写に打たれる。たとえば、こうだ。「だれにせよ(中略)ヴェニスのゴンドラに乗って、ちょっとした戦慄、ひそかな恐れ、不安と戦わずにいられた人があるだろうか。(中略)他のあらゆるもののうちでただ棺の黒さとだけ似ている一種独特な黒色を帯びた奇妙な乗りものを――このゴンドラは、ひたひたと波打つ夜の、音も立てない犯罪めいた冒険を思わせ、さらにそれ以上に、死そのものを、棺と陰気な葬式と、最後の沈黙裡の葬送を思わせる[7]。(後略)

 これはほんの一例に過ぎない。しかし、このような表現・《「言葉」のうちにもたらす》行為・営為がマンの言う《詩作》なのだ。この短編の他の箇所にはこういう一節がある。主人公を念頭に。

孤独で寡黙の人間のする観察や、遭遇する出来事は、社交的な人間のそれよりも漠然としていると同時に強烈であり、その思考は重苦しく、風変わりで、かならずや一抹の哀愁を帯びているものである。こういう人間は、普通だったらただちょっと見るだけ(中略)でかたづけてしまいそうな光景や見聞に、必要以上に心をわずらわせる。そしてそれらのものが沈黙のなかで深化し、意味深いものとなり、体験、冒険、感情となる。孤独は、独創的なもの、大胆で異様な美しさをもつもの、すなわち詩を成熟させる。しかし、孤独は同時に、倒錯したもの、均衡を失したもの、不条理でゆるされないものをも成熟させるのである[8]

 「作家」とは「言葉の人」たることだ。
 マンについてさらに書きたくなった。僕流の言い方をすれば、彼の「細密描写主義」・「比較級」ならぬ「最上級形容主義」について。
 そして、そこに潜む、彼における「言葉による「存在我有化」(サルトル)主義」が暴露する彼の実存的存在不安について。彼への遊歩が生む次なる遊歩について。

 だが、今回はこれで筆を置こう。置きっぱなしにならないことを自分に祈りながら。(清眞人)

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[1] 拙著『<受難した子供>の眼差しとサルトル御茶の水書房(1996年、4頁)。
[2] 同前、4~5頁。
[3] 同前、6~7頁。
[4] 同前、4頁。
[5] マン『ヨゼフとその兄弟たち』高橋義孝訳、新潮社版「マン全集 Ⅳ」1972、24頁。[6] 同前、372頁。
[7]ヴェニスに死す』、中央公論社版「世界の文学  トーマス・マン」1965年、関楠生訳、453~454頁。
[8] 同前、457頁。