紅白の小さな野花 ひっつき、ジャンプする実
風の動きがどことなく秋めいてきました。草むらでミズヒキがかすかな風を感じてゆれています。
ほそい花穂がゆれるミズヒキ
夢はいつもかへつて行つた 山の麓のさびしい村に
水引草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しづまりかへつた午さがりの林道を
( 立原道造詩集 「萱草に寄す」より ハルキ文庫 )
立原道造の詩集は、高校生の頃、その雰囲気に惹かれて読んだものです。これは、「のちのおもひに」と言う詩の一連目。
水引草の赤い花穂がふとゆれて、風が吹いたと感じられたのでしょう。「風が立ち」という日本語の美しさに惹かれました。「草ひばり」は、鳥のヒバリでなく、コオロギの仲間。しずまりかえった昼下がり、風が立ち、虫の音が聞こえている草むらの情景が浮かんできます。
ミズヒキの花穂は風にとても敏感なのです。風とも呼べないほどのかすかな空気の流れにも反応して揺れ始めます。花穂を撮影していると、いつまでも揺れやまないので苦労します。花穂全体は撮れても、小さな花は難しい。マクロレンズをつけて、近くによって、息をじっと止めて、空気の流れが止まる瞬間を待ちます。それでも、どこかピンボケの写真になってしまうのです。
ミズヒキの一本の花穂 開き始めた ミズヒキ花
ミズヒキ(水引)と聞くと、ふつう思い浮かべるのはご祝儀袋や贈り物につけられる熨斗(のし)の飾りひもです。この花は、細い花茎に並んでいる小さな花が紅白に見えて、ちょうど水引に似ているので、ミズヒキと呼ばれるようになりました。同じミズヒキでは混同するので、草花の方を水引草(みずひきぐさ)とも呼んでいるようです。
ミズヒキは、タデ科イヌタデ属の植物。日本全土に広く分布していますが、普段は他の草花にまぎれて目につくことはありません。
ただ、タデ科植物には葉に黒色のV字模様が入ることがあって、ミゾソバ、イヌタデ、ヒメツルソバなどによく見られます。ミズヒキの若い葉は、この模様がくっきりと見えるときがあるので、草むらにミズヒキを見つける手がかりになるかもしれません。
若い葉の黒色のV字模様 花が咲く前の ミズヒキの群落のようす
ミズヒキの花は、ひょろりと伸びた細い花茎に点々とついています。小さな花は、4枚の花びらがあるように見えますが、これは4枚のガク片です。タデ科の花は、ガク片が花びらの役目をしているので、花は散らずにいつまでも色鮮やかに残っているように見えます。(季節のたより13 イヌタデ)
小さい花には白い雄しべが5本、雌しべが1本あって、雌しべの先は、はっきり二つにわかれてかぎ状になっています。実が熟すと、これが硬いかぎ針となって人や動物にひっつく役目をします。
花びらに見えるのは、4枚のガク片 雌しべの先が見える果実
ミズヒキの花穂を撮影していておもしろい発見がありました。花穂は上から見下ろすと赤く見え、下から見上げると白く見えて、横からのぞくと、紅白に見えてくるのです。この紅白の見え方が、ミズヒキ(水引)の名の本来の由来なのかもと、そのとき妙に納得したのでした。
よく見ると、一つの花の4枚のガク片の色は同じではありません。赤色が3枚で、ほぼ白色のものがⅠ枚です。このガク片の色の違いが、花穂を紅白に見せているのです。
飛び回っている虫たちの目にも角度が変わるごとに、花穂が赤花や白花や紅白に見えているのでしょうか。そうだとしたら、これはミズヒキの虫の目をひくしかけということになります。
ミズヒキの花の群れ。見る角度で、赤い花、白い花、紅白の花に変化します。
ミズヒキは8月から晩秋まで花を咲かせ続けています。でも、花開く時間は午前中の数時間だけです。赤い実はいつでも見られますが、開いた花は、時間を選ばないと見られません。
花が開くと、いろんな種類の虫が集まってきます。一つの花の蜜量が少ないのか、次々とせわしく移動して蜜をなめています。小さい花は受粉も簡単で、虫たちが移動してくれた方が、多くの花の受粉のチャンスが生まれます。
一つの花の蜜を少なくし、小さな花をたくさんつけて、花の期間をできるだけ延ばすというのが、ミズヒキの花の作戦のようです。
熟した実は、近くを歩いた人や動物にかぎ針を使ってくっつき、遠くへ運ばれます。いわゆる「ひっつき虫」とよばれる種子の一つですが、粘着力はそれほどでもなく、ほどよい所で落ちるところがミソです。
ひっつく相手がやってこないときがあっても大丈夫。そんなときは、実は自ら花茎から外れて四方八方に飛び散ります。飛び散る距離は3~4mほどで、英名ではミズヒキをジャンプシード(JumpSeed-飛ぶ種)と呼んでいます。ミズヒキは近くでも遠くでも種子を散布できるしくみを備えて、そのいのちをつないでいます。
水玉をまとった実 熟した実とその中にある種子
名前のよく似た草花に、キンミズヒキ(金水引)があります。同じミズヒキの名がついていますが、キンミズヒキはバラ科で、同じ仲間〈科〉ではありません。黄色い花が花茎に穂状につき、ミズヒキと似ているので、ミズヒキの名がついたのです。キンミズヒキの花が実になると、かぎのついた棘で人の衣服や動物の毛にくっつき運ばれます。種子の散布はミズヒキと同じで、「ひっつき虫」の仲間です。
すらりと伸びた花穂 黄色の花が穂状に並ぶ 青い果実。棘がある
キン(金)とくれば、ギン(銀)は無いのでしょうか。あるのです。ミズヒキの花や実の白花バージョンがあって、これがギンミズヒキ(銀水引)とよばれています。野原でミズヒキと混生していることがよくあります。紅白と銀のミズヒキに一緒に出会えると、ちょっとうれしい気分になれます。
ギンミズヒキの花 花も実も白く、銀色に見えてきます。
ミズヒキは,秋の茶花の一つでもあるようです。茶室における茶花は、唯一いのちのある存在です。「花は野にあるように」とは千利休の言葉。ミズヒキは素朴な花ですが、すっと伸びた茎と小さな花の集まりが、茶室に野の風を運び、季節の情感をもたらしてくれるのでしょう。茶人はミズヒキにその個性の味わいを見出し茶花に選んできました。
近代以前に水引草が和歌に詠まれた例は見つかりませんが、明治以降に詠まれた歌で、心惹かれた一首がありました。
あるかなきか 茂みのなかにかくれつつ 水引草は紅の花もつ
(九条武子 遺稿歌集「白孔雀」)
あるかなきか、目立つことのない小さな花の、ある一瞬に見せるいのちの輝きを、歌人の感性は、鮮やかな紅い色に象徴させてとらえています。
なんという確かなミズヒキの存在感なのでしょう。
草原の茂みに咲く ミズヒキの花
写真を撮るということも、見慣れた草花の確かな存在感を発見すること。ある一瞬に見せる美しさに心動かされシャッターを切りますが、詩や短歌をつくる心の働きと共通しているものを感じます。
そして教師のしごとも似ていないでしょうか。こどもたちの一人ひとりの個性ある姿(存在感)を発見し、喜びを感じてその姿をより鮮明にしていくしごと。
それは、創造的な営みで、いつも生き生きとした心の働きがないとできないことです。(千)
◇昨年9月の「季節のたより」紹介の草花