mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより58 シュウカイドウ

 日本の四季になじんだベゴニア、荷風の好んだ花

 あちこちの庭の片隅や林の陰で風にゆれている淡紅色の花は、シュウカイドウの花です。シュウカイドウは、原産地が中国からマレー半島。江戸時代初期に日本に園芸用として持ち込まれたものが、いま半野生化して湿り気のある半日かげの林などで見かけるようになりました。
 中国名が「秋海棠」で、和名はそのまま音読みにして「しゅうかいどう」。海棠(カイドウ)というのは、春から初夏にかけて咲くバラ科の花のことで、その花とよく似た花色の花なので区別するために、秋に咲く海棠、つまり秋海棠(シュウカイドウ)と名づけられたものです。

f:id:mkbkc:20200825103847j:plain      夏の終わり 涼風とともに 花を咲かせるシュウカイドウ

 シュウカイドウには、断腸花という別名があります。これは、中国の伝説に由来するもの。伝説にはいくつかあって、共通するのは、愛する人と引き離された女性が登場して、彼女が流した涙が地面に落ちて、そこから断腸花が芽生えたというものです。断腸花という名には、別れの悲しみが、「腸が断たれる」ほど激しくつらいものだったという思いがこめられています。

 近代日記文学の代表作、永井荷風の「断腸亭日乗」(1947・昭和22年)の「断腸」は「断腸花」すなわちシュウカイドウのことです。「日乗」とは、日誌のことで、大正15年9月26日の日記には、 荷風が大好きな秋海棠を知人から贈られ、庭に植えることができて喜んでいる様子が書かれています。

 今日偶然、これを獲たる嬉しさかぎりなし。大久保の旧居には秋海棠が多かりし故、顔して断腸亭となせしも、そらごとにては非ざりしが、今住む麻布の家には胡蝶花繁りたれど、秋海棠なかりしを以て、この日乗に名づけし昔の名もいかがあらむと、日頃思ひわずらゐたりが、其の憐みも今は満たされたり。
                                           (「断腸亭日乗」下 岩波文庫

 シュウカイドウの開花時期は8月~10月。葉のわき(葉腋)から紅色の花茎を長く伸ばして、その先に淡紅色の花を咲かせます。荷風が手にしたシュウカイドウも花がたくさん咲いていたことでしょう。
 花茎を伸ばして最初に咲き出すのは雄花です。花径はさらに2またに分かれて伸びて新たに雄花を咲かせるというように、次々と3、4回くり返し、最後にその先端に雌花を咲かせます。シュウカイドウは一つの株に雄花と雌花をつける雌雄同株の花です。

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  長く伸ばし  分岐する紅色の花茎       花茎の上部に雄花  下には雌花

 シュウカイドウの雄花のつぼみは、小さなハートに似た形をしています。ハートの形のものは花びらのように見えますが、2枚のガク片です。ガク片に守られていた花が開くと、中から小さな花びらが2枚、横に広がるように出てきます。花の中心には黄色い雄しべの葯(やく)が球状に集まっているのが見えます。
 雄花は、ガク片2枚と花びら2枚の簡素な花のつくりですが、雄しべの葯の黄色が、淡紅色の花びらやガク片によく映えて目立ちます。

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  ハート形に似た  雄花のつぼみ      開いた雄花。黄色い雄しべの葯

 シュウカイドウの雌花は三角すいの釣鐘のような子房がついていて、下向きに咲くのが特徴です。つぼみはやはり小さなハートの形で、花が開くと花びらが3枚あるのですが、小さくて全く目立たず、大きなガク片が2枚だけのように見えます。雌しべの色も黄色で先が3つに分かれ、さらに柱頭が2つにわかれてカールしていて凝った複雑な形をしています。

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   下がっているのが雌花のつぼみ       開いた雌花。凝った形の雌しべ

 ところで、シュウカイドウの雄花には蜜腺がなく、蜜を持っていません。あるのは雄花の花粉だけですが、それでも、虫たちはこの花粉を目当てにやって来るようです。雌花には花粉がないので、虫たちがこないと受粉できないことになりますが、どうしているのでしょう。
 じつは雌花の雌しべが複雑な形をしているのは、花粉のある雄花にみせかけて虫を呼び込んでいるのではないかと言われています。
 雄花と雌花では人の目からみれば明らかに違いますが、虫たちの目はそこまで見分ける力がないのでしょう。シュウカイドウの雌花は、雄花とまちがえてやってくる虫たちをうまく利用して、確実に受粉しているようです。
 シュウカイドウの花を見ていると、他の多くの花は虫たちを呼び寄せるための複雑なしくみを備えて必死なのに、極めて単純でおおざっぱ。そんなに花のしくみを複雑に華やかにしなくてもいいんじゃないのと言っているようです。 

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          雄花の花粉をなめている  ホソヒラタアブ

 シュウカイドウの葉も変わっています。多くの植物の葉は、ある軸を基準に対称な形をしていますが、この葉は対称となる軸が見当たりません。葉っぱが左右非対称なのには、何か理由があるのでしょうか。
 左下の写真の葉は、よく見ると、向かって左側の葉は茎を中心にして左側が大きく張り出したハート形です。右側に並んだ葉は右側が張り出しています。2枚合わせると一枚の大きな葉のようにも見えます。

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左右非対称のいびつなハート形の葉   日かげに葉を広げるシュウカイドウ

 日かげが好きなシュウカイドウですが、光合成のためには、葉に光を浴びなければなりません。左右がいびつなハート形の方が普通の葉の形より、もしかすると、光を広く受け止め、有効利用しているのかもしれません。
 またシュウカイドウの葉は、スイバやギシギシなどと同じようにシュウ酸を含んでいます。これは虫に食べられないための植物の身を守る知恵です。シュウ酸は殺菌作用もあるので、シュウカイドウの葉は、皮膚病の民間薬として使われてもきました。

 シュウカイドウは枝葉がすっかり枯れた後、地下茎が塊根(かいこん)状で越年し、翌年に発芽、発根して花を咲かせます。毎年新しい塊根をつくり、新旧の塊根が交替していきます。花の後には、茶色の翼のある3つの果実ができて、羽の付いた果実は風で遠くまで転がり、熟して裂けて種子を散布します。
 種子のほかに、葉のわきに小さな球根のような「むかご」をたくさんつけて、地面に散らばり、春に芽を出します。
 種子は親と違う遺伝子を持つ仲間をふやし、塊根とむかごは、栄養繁殖というしかたで親と同じ遺伝子をもつ仲間を増やしています。

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 秋の終わり、むかごが地面にこぼれ落ちます。    ベゴニアの果実(中に種子)

 シュウカイドウの花と似ている花にベゴニアがありますが、「ベゴニア(Begonia)」とは、「シュウカイドウ属」を表わすラテン語の学名のことです。学術的には「ベゴニア」とは、「シュウカイドウ科シュウカイドウ属」の総称なのです。
 ですから、シュウカイドウはベゴニアの一種なのですが、シュウカイドウはいち早く日本に持ち込まれて、秋海棠(しゅうかいどう)という和名をもらって馴染んでいました。その後、他種のシュウカイドウ属が国内に入ってきたのですが、和風のシュウカイドウとは似ない洋風の種類だったので、後からのものは、そのまま「ベゴニア」で呼ばれて区別されているのです。

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   ベゴニアの雄花     白花系のベゴニア   ベゴニアの雄花と雌花(左) 

 ベゴニアの仲間は四季咲きですが、シュウカイドウは夏から秋にかけて花を咲かせます。シュウカイドウは耐寒性もあって、日本の四季になじんだ生活史をもっていますが、ベゴニアの仲間は、冬の寒さで凍結すると一気に花も葉も根も枯れてしまいます。冬季は温室や室内でなければ、生きられず、四季のある環境では野生化することはできないのです。

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   ベコニアの仲間のシュウカイドウは、日本の風土に馴染んで野生化しています。

 先にふれた「断腸亭日乗」は、永井荷風(1879―1959)が38歳から79歳の死の直前まで42年間にわたって書き続けた日記です。日常の出来事、その日の天気や食事などとともに、当時の政治や世相、風俗、文化などについて、時に批判的な眼差しで記録しています。大正6,7年ころは何日かぬけていますが、大正9年ころからほぼ毎日、昭和20年の東京大空襲のときも、終戦直後の混乱期にも一日も欠かさず書き続けられました。

 「断腸亭日乗」を読んでいて気づくのは、日々の出来事に彩りを添えるかのように季節の草花や樹木の花の姿が記されていることです。日記に出てくる植物の名前だけを拾ってみました。

  青木(あおき) 紫陽花(あじさい) 無花果(いちじく) 萩(はぎ) 郁子(むべ)
  桔梗(ききょう) 菊(きく) 夾竹桃(きょうちくとう) 擬宝珠(ぎぼうし)
  春蘭(しゅんらん) 石蕗(つわぶき) 福寿草(ふくじゅそう) 八手(やつで) 
  百合(ゆり) 凌霄花(のうぜんかずら) 枇杷(びわ) 椎(しい) 柚子(ゆず) 
  矢車草(やぐるまそう) 桃(もも) 耳無草(みみなぐさ) 女郎花(おみなえし)
  貝母(ばいも) 百日紅(さるすべり) 野菊(のぎく) 菫(すみれ) 胡蝶花(しゃが)
  卯木(うつぎ) 鷺草(さぎそう) 木槿(むくげ)・・・・・・・・

 まだまだ、あって、ざっと数えてみて99種ほどありました。

 荷風は、「余花卉(かき)を愛すること人に超えたり」(「偏奇館漫録」)と書くほど、花が好きだったようです。その花卉(かき)のなかでも秋海棠は、先の日記に「これを得たる嬉しさかぎりなし」とあるように特別の思いのある花でした。(「卉」は草の意・①花の咲く草。草花。②観賞用に栽培する植物。― 大辞林

 永井荷風といえば、親類縁者と縁を切り、文壇からも一定の距離をおかれ、女性好きだが人間嫌い、その特異な生き方と言動で様々な評価をされていますが、ドナルド・キーン氏は、あの狂気のような戦争の時代に、「日本の陸海軍が目覚ましい勝利を収めるごとに、人々の愛国心は強まっていった。相次ぐ勝利に国中が湧いた異常な興奮の中で、ごく少数の日記の筆者だけが冷静だった。中でも一番動じなかったのは、おそらく永井荷風(1879-1959)である。」(作家の日記を読む「日本人の戦争」角地幸男訳・文芸春秋社)と書いています。

 荷風はあくまでも自分に忠実に、思うがままに生きて、作品を書きたかっただけ。戦争の時代は、個々の自由な生き方を許さず、いきおい荷風の筆は、政府や軍人の横暴さに向けられていきます。一時期、当局の目をうかがい、過激な時局批判の文字を残しておくのは危険と考え削除しようとしますが、喜多村均庭(きたむらいんてい)の随筆を読んで、「慙愧すること甚だし。今日以後余の思ふところは寸毫も憚り恐るる事なくこれを筆にして後世史家人の資料に供すべし」(昭和16年・6月15日)と時代の記録者となる覚悟をかためています。
 誰もが戦争体制に巻き込まれていく時代に、おのれの心の自由を持ち続けた荷風の心をとらえた秋海棠(断腸花)の魅力とはいったい何だったのだろうかと、この花を見るたびに思うのです。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花