mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより13 イヌタデ

赤まんまと呼ばれた 淡紅色の花

 道端に淡紅色の花穂がゆれて、イヌタデの花が目につくようになりました。
 昔の子どもたちは赤い花穂を集めてお赤飯にしてままごとでよく遊んだので、赤まんまという名でもよばれています。

f:id:mkbkc:20181009224320j:plain    咲き誇るイヌタデの花。 日あたりの良い野原や道端が好きです。

「それはそうと、赤まんまの花って、いつ頃咲いたかしら? 夏だったかしら? それとも・・・・・・」と私は自分のうちの幼時の自分に訊く。その少年はしかしそれにはすぐ答えられなかった。そう、赤まんまの花なんて、お前ぐらいの年頃には、年がら年じゅうあっちにもこっちにも咲いていたような気がするね。
                (堀辰雄幼年時代・晩夏」・新潮文庫

 季節がくると、祭りのように咲く派手な花々に比べれば、いつ咲いたか誰にも気づかれないほど地味な花、でも子どもたちがままごと遊びに必要なときは、いつでも咲いているような花です。イヌタデが、赤まんまと親しみをこめて呼ばれてきたのは、そんな花だからなのでしょう。

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     風にゆれる花穂         花穂を支える細くてしなやかな茎

 イヌタデタデ科の花のひとつ、先頭にイヌがつくのは本物の「タデ」でないということで、イヌホオズキ、イヌビエのように本物とは別ものという意味。無用で役に立たないからイヌがつくと説明している図鑑も多く、それでは犬が気の毒。「徒然草」には「犬は、守り防ぐつとめ、人にまさりたれば、必ずあるべし」(第121段)とあり、犬は昔から人と共に暮らし、厳しい自然を生き抜いてきた相棒でした。一説には似て非なるものという意味の「否」(いな)が転訛してイヌになったという説もあり、こちらを支持したい気がします。

 イヌタデがニセモノなら、本物のタデは何かというと、それは図鑑でヤナギタデと紹介されている植物。「蓼食う虫も好き好き」でいうタデがヤナギタデで、このタデは葉をかむと辛味があるのが特徴。ピリッとした辛味は虫だけでなく人も好みだったようで、芽タデは刺身のツマに、葉をすりつぶし酢とだしをまぜた蓼酢は鮎の塩焼きになくてはならないものでした。イヌタデにはこの辛味がないので、イヌをつけてよばれているのです。

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1本につくたくさんの花穂        一つの花穂に咲いている花は、いつも1つか2つ

 イヌタデは淡紅色の花穂が美しく、その花穂は小さな花がたくさん集まってできています。花穂をよく見ると、淡紅色に鮮やかなのはつぼみや咲き終わった花で、咲いている花はごくわずかです。
 咲いている小さな花には5枚の花びらが見えます。ふつう花が咲き終わると花びらは色褪せ散ってしまうのに、イヌタデの花は散らずに色も残ったままです。じつはこの花びらは、がく(萼)が変化したもの。花びらに見えるがくの部分が淡紅色に色づけされているので、つぼみも花も、咲き終えた花も、いつも鮮やかに見えるのです。
 イヌタデの咲いている花は、小さくポツンと咲くので全く目立ちません。その花を目立たせているのが、つぼみや咲き終えた花で、花穂全体を淡紅色に染め上げて、いつもたくさんの花が咲いているように見せかけています。
 美しい花穂に誘われて虫たちがやってきます。でも、咲いている花は小さく数少ないので迷うのでは。そう、考えたかのように、イヌタデは花びらに見えるがくの部分を少しだけ白っぽく変化させて、見つけやすいようにしています。

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     イヌタデの作戦は上々、花穂のまわりにはいつも虫たちが集まっています

 イヌタデがいつもたくさんの花が咲いているように見せかけ、じつは少しずつ花を咲かせているのは、虫たちを今咲いている花に集中させて、一つひとつの花の受粉を確実にさせるためなのでしょう。
 晩秋にイヌタデの葉は紅葉し草紅葉となります。その頃には花穂にたくさんの黒い種子ができています。手で触ってもむとパラパラと地面にこぼれるほどです。落ちた種はその地でまた新しいたくさんの命を育てていくことでしょう。

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咲いている花と熟した黒い種子   晩秋、草紅葉が始まるころのイヌタデ

 庶民の暮らしの中で、赤まんま(赤飯)は祭りや祝い事に炊く貴重なもの、ふつうに口に入るものではありませんでした。でも子どもたちの世界では、イヌタデを赤まんまにして、いつでも食卓にあげることができました。花穂全体を淡紅色に保ち続けるというイヌタデの子孫を残す知恵が、昔の子どもたちの赤まんまへの憧れとぴったり重なっていたということです。
 今は飽食の時代、子どもたちのままごとも和食、洋食とりまぜて様変わり、イヌタデの名はそのまま残っても、長く親しまれてきた赤まんまという愛称は、しだいに古語になってしまうのかもしれません。(千)