mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより116 イイギリ

  ぶどうの房のような赤い実  飯を包んでいた葉

 冬晴れのある日、青葉山に隣接する治山の森の山道を歩いていると、房状になった赤い実が、あちらこちらに落ちていました。昨夜の強風で枝が折れて落ちてきたようです。見上げると、すらりと伸びた高木の枝に、ひときわ目立つ赤い実が、ぶどうの房のようにぶら下がっていました。冬の雑木林によく見られるイイギリの木の実です。
 イイギリは漢字で「飯桐」と書きます。木の姿がキリ科のキリ(桐)に似ていて、大きな葉はおにぎりやご飯を包むのに使われたことから、その名になったといわれています。


           切り株に落ちたイイギリの木の実

 
  イイギリの木にぶら下がる実      実はぶどうの房のようについています。

 イイギリはヤナギ科イイギリ属の落葉広葉樹です。東アジアの暖温帯から亜熱帯に広く分布、日本では本州~沖縄の山地に自生しています。
 日のよく当たる湿気のあるところによく育ち、伐採地や崩壊跡地などにいち早く進出し成長するパイオニア植物のひとつです。樹高は8m~15mほど、なかには20mを超える高木にもなります。
 幹はまっすぐ上に伸びていますが、枝は放射状に横に張り出し、冬の裸木を下から見上げると、荷馬車の車輪のように見えます。樹皮は桐と似ていて灰白色で、表面にブツブツしたものがたくさん見られます。これは皮目(ひもく)といって、ここで呼吸が行われています。

 
    冬の樹形 枝は荷馬車の車輪のようです     樹皮の皮目(呼吸するところ)

 落葉樹は秋に葉を落とすことで、冬をのり越えてきました。冬の間は、日照時間が短いので植物は光合成ができません。それなのに葉を残しておくと、葉を維持するエネルギーを必要とします。また植物の呼吸が行われている気孔は、水分を放出しやすい構造なので、冬の乾燥した風を受けると木の水分が奪われてしまいます。さらに葉自体も薄いので凍結しやすいという弱点もあります。そのため、冬の寒さと乾燥が厳しい季節に入ると、落葉樹は葉を落として休眠状態に入るのです。

 新しい葉は冬芽のなかに準備されています。冬の間、イイギリの冬芽は鱗のようなものに包まれ、粘液で寒気や虫から守られています。
 冬芽が休眠から目覚めるためには、5度以下の寒い日が一定期間続くことが必要です。冬芽は冬の寒さに出会って目覚め、春の温かさに反応して芽吹いていきます。
 イイギリの冬芽が芽吹くと、その成長は早く、次々に若葉を広げていきます。

   
   イイギリの冬芽    新しい葉が開きます。   日光を受け、若葉を広げていきます。

 イイギリの葉は枝の先に集まって互生しています。葉は大きく、直径20㎝ほどでハートの形。キリの葉に似ていますが、キリの葉の表面のビロードのような手触りはありません。葉を支えている葉柄は、長くて赤味を帯びていて、その先にイボのような2つの腺体が見られます。
 イイギリの腺体の働きはよくわかっていませんが、同じような腺体を、アカメガシワ、イタドリ、ウメ、サクラなども持っていて、これらの腺体は蜜を分泌するので、花外蜜腺と呼ばれています。
 花外蜜腺にはよくアリが集まっているので、アリを誘引して植物に有害な昆虫を排除する役割をしているのではないかと考えられています。
 最新の研究では「植物が花外蜜腺から出す蜜には、アリの神経系に作用する成分や依存性を高める成分が含まれている例もわかり始め、植物が蜜の成分を調整することでアリを奴隷のごとく操っているという見方さえある」(林将之著「葉っぱはなぜこんな形なのか?」講談社)ということです。
 花外蜜腺を含めて腺体そのものについて、これからの研究が気になります。

 
      葉柄は長さ40㎝ほど。赤みを帯びています。     葉柄の先に2つの腺体が。

 植物の葉は、昔から食べ物を包んで食器のように利用されてきました。例えば、「万葉集」(783年)には次のような歌があります。

  家にあれば 筍(け)に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る
                     有馬皇子(万葉集巻2-142) 

「家にいたなら食器に盛って食べるご飯を、草を枕にする旅の途中にあるので椎の葉に盛って食べていることよ」。歌は有馬皇子が謀反の罪で捕らわれて 紀の国に護送されるとき詠んだ歌ということです。7世紀ごろ、旅先の食事ではシイ(椎)の葉が食器がわりに使用されていたと思われます。
 現在でも、カシワの葉(柏餅)、サクラの葉(桜餅)、ホオノキの葉(朴葉めし)、ササの葉(笹餅)、カキの葉(柿の葉寿司)のように、いろいろな葉が利用されています。植物の葉の持つ香りや防腐性に着目してきた古人の知恵が、時を重ねて受け継がれているのでしょう。
 イイギリの葉も大きく包みやすく、名の由来にもなるほどなのに、イイギリの葉で包む習慣は、なぜか今は残っていません。イイギリの木は、他の木のように身近にあって利用できる普通に見られる木ではなかったということでしょうか。

 イイギリの花は4月から5月に花を咲かせます。でも、花の時期であっても花を見る機会がありませんでした。
 あるとき、小川の流れが、黄色い帯のように流れている光景に出会いました。流れのゆるやかな澱みは、星を散りばめたように小さな花に覆われていました。

 
   小川の流れに浮かぶ小さな花      葉と花の光景(上) イイギリの雄花(下)

 黄緑色の小さな花は、イイギリの花の雄花でした。花の大きさは1㎝くらい。花びらがなく、飛び出しているのはたくさんの雄しべです。

 イイギリは雌雄異株で、雄株は雄花を、雌株は雌花をつけるということです。どちらの花も花びらがなく、ガク片が花びらに見える黄緑色の花が、房状について垂れ下がります。高い位置で咲くうえに大きな葉に隠れてしまうため、咲いている花の姿を見ることは、ほとんどないのだそうです。
 イイギリの幼木はよく目にしましたが、高木に咲く花は見る機会はありませんでした。役目を終えて小川に落ちた雄花に、やっと出会うことができましたが、そのときのイイギリの雌花は、上空の枝についたままだったのでしょう。雌花を図鑑では確認していますが、本物はまだ見ることができないでいます。

 秋が深まり、イイギリの黄葉した葉が落ち始めると、まばらについた葉の間から赤い実がちらほら顔をのぞかせました。すっかり落葉すると、枝に連なる鈴なりの実の全体が姿を現しました。晴れた日には実の赤さが冬の青空にきれいに映えて、遠くからでもよく見えます。

 
     黄葉の間から見える赤い実         初冬に見られるイイギリの実

 イイギリは別名で「南天桐」ともいいます。冬の寒い時期にナンテン南天)の実に似た赤い実を房状につけることからそう呼ばれています。
 ナンテン(季節のたより43)の実は、イイギリの実と確かに似ていますが、ナンテンの実には、鎮咳効果があってのど飴にも利用されているように、薬効成分を持っています。大量に摂取すると毒物にもなるので注意が必要です。
 イイギリの実は毒性はなく生食は可能ですが、食べても苦く甘みもなく、小さな種がたくさん入っていて、食用にはなりません。
 ナンテンの実は正月飾りに使われますが、イイギリの赤い実は、枝ごと花材になったり、リース飾りに使われたりしています。

 
   イイギリの実は枝ごと花材にも。     ナンテンの実は正月飾りに使われます。

 森を歩いていたある日、イイギリの木の上方でけたたましい鳥の声が聞こえました。見上げると、ヒヨドリが群がってイイギリの赤い実をつついていました。人の味覚とは関係なく、イイギリの実は野鳥たちにとっては冬の貴重な食べ物になっています。食べられた実は、野鳥によって遠くに運ばれ、やがて種子が糞と一緒に散布されて、イイギリの仲間を増やしていくことになります。

 しばらく啄んだ後、ヒヨドリたちはいっせいに飛び立っていきました。残った赤い実は、冬晴れの青空の下、色彩のない冬の林を華やかにしていました。


 イイギリの豊饒な実。 食べ残ってもすべて自然に還元、次の生命の栄養になります。

 イイギリの赤い実は、みごとなほどたくさんついています。野鳥たちが食べるのには十分すぎるほどで、多くの実は食べつくされることなく春まで残り、やがて地面に落ちていきます。このまま無駄になっていくのでしょうか。
 落ちた実は、小さな虫たちに食べられます。さらにカビや微生物たちの栄養となり分解されて、やがて土に戻ります。小川一面に落ちていたあの無数の雄しべの花も、そして冬間近に落葉したイイギリの木の葉も、すべて同じように役目を終えると土に還り、森の土壌を豊かにしていきます。イイギリの木の産み出したものすべては無駄になることなく、次の生命を産みだす養分になっていきます。

「(植物が)過剰なまでに葉を茂らせ、実をつくり、それを惜しげもなく他の生物に分け与えてくれるから生命現象の基盤が成り立っています。
 もし、植物たちが利己的にふるまって自分たちに必要な分だけしか光合成をしなかったとすれば、他の生物が生存できる余地はありませんでした・・・・・」
    (福岡伸一ドリトル先生 ガラパゴスを救う」215回 朝日新聞

 人間もその生物のなかの一員です。植物が過剰なまでに多くのものを産み出してくれるから、昆虫や動物はそれを食べて生きています。人間は植物の産みだしたものだけでなく、植物や動物のいのちの一部までいただいて生きています。生きているというよりは、生かされているといっていいでしょう。
 植物の大量生産だけを真似しているのが人間です。植物の産みだしたものは何ひとつ無駄にならないのに、人間のつくるものの多くは、後のことを思慮にいれない不完全なものばかり、使い終えたものも使いきれなかったものも、すべて大量のゴミにしています。そして増えるゴミは、自然を、地球環境を汚し続けています。
 イイギリの豊饒な赤い実を見ていると、生命に対する自然の優しさを感じます。
 人間は自然に優しいのでしょうか。このままでは自然の生命を脅かし続けるだけになってしまいそうです。(千)

◇昨年1月の「季節のたより」紹介の草花

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