さて、(その1)の渡部さんによる授業報告に続けて、後半はベテラン中のベテランの域に達している小野寺浩之さんに説明文の授業で大事にしたいことを、6年生教材『「永遠のゴミ」プラスチック』を通して提案してもらいました。どんなことが話し合われたかを報告します。
(※ 小野寺さんの資料が欲しい方は、センターまでご連絡ください。)
【提 案】
説明文の授業で大事にしたいこと
『「永遠のごみ」プラスチック』を通して
小野寺 浩之さん(大野田小6年)
【興味を持たせるには何ができるだろう】
Aさん:この教材の要旨(筆者の考え)について話し合った子どもたちが、それを受けてさらに自分の考えを次のように書いたりしているが、それを読むととてもよく書けてると思うのですが・・・
◆全体的には筆者の伝えたいことは理解でき、納得したが、私は筆者の考えに一部反対の部分がある。確かに、大人も子どももプラスチックの使い方や捨て方を考え、これからの世代にきれいな地球を手渡さなければならないという点は納得する。しかし、説明文全体として「個人の努力によって解決していく」的な考えに納得できない部分がある。ヨーロッパでは法律によってプラスチックの生産や使用を規制している。例えばストローやプラスチック皿などは作らない、使わないようにして、生産量を規制している。また、日本ではプラスチックごみの分別や回収は個人の責任になっているが、ヨーロッパでは生産者が責任をもって回収しなければならないようになっている。マイクロプラスチックごみの問題でも、歯磨き粉や化粧品の材料には、あらかじめマイクロプラスチックの状態の物質が含まれ、ゴミとして排出されていることも分かった。教科書では法律で規制していると言っているが、外国の規制に比べると弱いように思う。個人の努力はもちろん必要だが、政府がもっと環境を守るための法整備を行い、より効果のある法律を作り規制をして、地球環境を守る必要もあるのではないかと思う。
◆資料①にあるように、生分解性プラスチックも確かに効果があると思いますが、設備を整えて、微生物が働く条件をそろえなければなりません。費用と手間がかかり、みんなが簡単にできるものではないと思います。資料②の漁網を再利用して製品を作ることも同様にコストがかかり、誰にでも簡単にできず、大量の漁網のごみを処理することはできないのではないかと思います。そこで、私は逆にペットボトルを捨てるのではなく、てってい的に利用することも、プラスチックゴミ問題を解決する一つの方法ではないかと思います。今あるペットボトルを加工せずに、そのまま利用して、建物の材料や生活用品にリサイクルする方法を考えれば、コストがかからず、誰にでも取り組めるのではないかと思います。最終的には、やはり、プラスチックに代わる製品を開発することが必要なのではないかと思います。このことが地球の環境に悪い影響を与えないで、未来によりよい地球を手渡すことにつながると思います。
小野寺:書けない子もいます。4月から宮城作文の会の先生方に学んで、学校で作文書いたり家で日記を書いたりして、書くことは大切にしてきた。クラスで取り組んでいる俳句や短歌も書くことにつながっていると思う。子どもたちの多くは、書くことは気にしない、平気。学級通信に取り上げている子は、クラス全体に働きかけるうえで有効だと思ったから載せた。もちろん筆者の論点から外れたことを書く子もいる。
Bさん:高学年の説明文は長いので、子どもたちはそれだけでうんざりしてしまう面がある。内容が自分たちの生活とかけ離れているので、教える側もどこに注目させたらいいのか、聞いてる側も注目点が見いだせない。
自分の中でもやもやしているのは、子どもたちがそれを知りたいと思ってるのだろうかということ。モチベーションを持たせることがいつも課題だ。その点どのようにしたらいいのか教えてほしい。
小野寺:この教材の前に「イースター島にはなぜ森林がないのか」をやった。イースター島の森林が失われたのには、船に隠れてきたネズミが上陸してヤシの実をすべて食べつくしたということと、モアイ像を運ぶために木を切ってコロにしたからという2本の論理立てがなされている。
子どもたちはそれだけで森林がなくなるのか? と疑問を持った。ある子が、モアイ像はコロで運んだのではなく、立ててえっちらおっちら右左をずらして運んだと調べてきた。そういうことがあると、子どもたちは若干興味を持つ。
このプラスチックも初めから興味を持ったわけではなく、やっていく中で子どもが調べてきたり、それを共有したりすることで少しずつ積み重なって行ったように思う。また、この時期にたまたまSDG'sの教材と図工でペットボトルを使う工作という、3つが重なったこともあったかなと思う。いずれにしても興味を持たせるために事前に何か準備するのは難しいと思っている。
Cさん:説明文をやる前には簡単な説明文を使って構成を教えて、高学年の教材は長くなるけど捉え方は同じだということ、それから筆者が伝えたいことがあって、それを読み手に分かってほしいから長くなることを話す。あとこのプラスチックの場合だと、赤潮のことや矢が突き刺さったままのカモのことなどが浮かんだので、まずは身近な問題を示していくといいのかなと思う。
Dさん:同じ6年生でこの教材をやりましたが、こんな感想をかける授業にはなりませんでした。教科書では、本文だけでなく2つの資料も使いながら関連させて考えようということになっているが、この2つの資料はとても疑問だった。結局個人として何ができるかに集約されるので、子どもたちは捨てないようにしようという域から出ることはなかった。小野寺学級の子どもたちは自分で調べ出したので、どういう声掛けがあって動き出したのか知りたい。
小野寺:特に何も。去年はやたらと宿題が出てたようだが、今は出してない。自分で意味があると思ったり、興味が湧いたらやってという程度。理科で興味を持った子が調べてきたり、家庭科で調理をやると作り方を調べてきたり、特に歴史の調べが多いかな。それも一部の子。それを学級に紹介するようにしてきた。取り立ててこちらから「〇〇調べて」と言ったことはない。
Eさん:この教材だけで声がけしたのではなく、興味を持つことがどれだけいいことなのかを具体的に取り上げながら子どもたちを育ててきたことが分かる。なお、この教材の「内容」が子どもたちを触発したように思うのだが、内容理解にどれぐらいの時間を当てたのか。
小野寺:7時間か8時間かけたように思う。最初は、大変だという論調、まずいんじゃない、プラスチックってこんなにひどいのという声。途中で、どうやったらなくせるのとなったときに、えっ!それって個人で何とかなるのと考える子が出はじめ、最後の方は、でも何とかしなければならないよねとSDG’sと結びつけながら考えていた。
12歳の子どもなりに地球環境はこのままでは駄目だと感じていた。でも、子どもとしてできることには限界があり、マックで袋をもらわないとか、いろいろ調べてヨーロッパの法律と日本の法律を比べてみたりとか、人によってとらえ方はさまざまだった。このままでは駄目だということが分かって、自分はごみを捨てないというだけでもいいのかなと思った。プラスチックへの関心が広がってくれればなと思う。
Fさん:低学年の生活科で生ごみから土を作って、はつか大根を育てて食べる授業をした。子どもたちの家から野菜くずなど生ごみをたくさん集めて、魚屋さんから魚の頭や内臓ももらってきて、それらをコンポストの中にすべて入れた。6月ごろから8月ごろまでかけて、ひっくり返しながら様子を見ていくと、だんだんだんだん土になっていく過程が見える。はじめは臭いもきつく虫もたくさん湧いてくる。でもだんだん量が少なくなり、においも収まってくる。8月ぐらいになると虫も少なくなる。その土を花壇に漉き込んで、はつか大根を植えた。そして育ったものを食べるという授業をした。
コンポストに残ったものを見てみると、寿司折りなどに使われる緑色のプラスチックがあった。そこで子どもたちは「物には腐るものと腐らないものがある」ということを知った。それから「腐る」ということは嫌なことではなく、土にかえるということも知った。
はつか大根を植えるのを、生ごみからの土を混ぜ込んだ土のところと、混ぜ込まない土のところの2か所でやってみた。混ぜ込んだ方の大根は大きくなり、そうでない方はひょろひょろだった。この違いは何だろうと考えあったとき、子どもたちは野菜くずなどが土に還り、その土がはつか大根を育てる力になったのではないかと考えていた。つまり循環の流れの中で植物が育っていく、それを人間が食べて生きているということを生活科でやった。その子たちが、この教材文を読んだときどんな反応をするかなあと思った。
小野寺学級の子どもたちはいろんなことを調べてきてすごいなあと思う反面、頭でっかちになってると感じる。どれだけ子どもらの実感としてとらえているのか。腐らないものがどんどんどんどん増えていって地球に残り続けるのは大変なことだと、実感としてどれだけ感じられるかというのが、この教材に向かう時の姿勢になると思う。
もう一つは、低学年でも説明文は事実と向き合わせていくことが大事だと思っている。「たんぽぽのちえ」を絵本を使って実践した大宮さんは、読み取りながら実際のたんぽぽと事実を確かめながら進めた。
こんな文が教材のなかにはある。「雨の日や曇りの日にたんぽぽを見てごらんなさい。花は閉じていて、晴れてくるまで開きません。」と。ところが子どもたちは、いろんな天候の中でも調べていたので、曇っていても明るい日はたんぽぽの花は開いていると言う。絵本とちょっと違うよと、子どもたちが言い始めた。開いた花にバケツをかぶせてしばらく置いてみたら、閉じたので、結局、気温より明るさ暗さに反応するということに気が付いて行った。
こういう文もある。「実がじゅくすと茎は起き上がって高くのびます。」子どもの中に、僕が見たのは曲がってるのもあったと言う。自然というのは多様なのだが、典型的なものを文章に残さなければならない。著者は、風を受けて綿毛が飛んでいく様子を教えたかったので、「高くのびる」茎を使わざるを得なかった。でも子どもたちは多様な姿を見ているから、横に伸びたまま種を飛ばしていることもつかんでいる。
文章は文章でいいのだが、子どもたちの体験の中で、これはどうなんだろう、これはおかしいなと結びつけて理解していくことが高学年でも必要なのではないか。小野寺学級の子どもたちはそれをやっているように思う。たとえば、教材文に「生き物の体に巻きついたり、えさとまちがえて食べられたりして、その生き物を弱らせてしまいます。」とあるが、実際は死に至らしめている。「悪いえいきょうをおよぼします」という表現も教科書にあるが、軽々しい感じがしてならない。生き物の生存そのものを脅かしている。そういうことに気が付いて、確かめてみようという子どもが出てきてもかまわない。むしろ、そういう子であってほしいと思う。あくまでも作者の主観で書かれたもので、そこから漏れる事実はたくさんあると見た方がいい。それも含めて授業を考えた方がいいのでは。あまり作者の主張に収束させようとしなくてもいいように思う。
もし説明文の枠の中でやろうと思うなら、もっといい文を探して与えるということもあるだろう。または、そういう文とここでの文を読み比べながら考えさせることもできるだろうと思う。それが、いくつかの情報を集めて判断するという勉強になる。
小野寺:やっぱりこれ(プラスチック)が自分たちの命を脅かすものなんだという捉え方をしていないと分かった。いろいろ調べて日記に書いているのはいいんだけど、なんか本当に感じているのか、どこか上滑りしている。本質的なところで子どもたちにすとんと落ちていない、そういう授業だったんだなと思った。教師の教材のとらえ方が浅かったから子どもたちはたどり着けなかったんだなと今思った。
Fさん:この作者のところだけで、子どもたちが閉じ込められているから、子どもたちはもやもやするんだと思う。
Bさん:さっきのビーバーの話だったら文章から分かることをどんどん引っ張ってくるんだけど、高学年の文章だと読んでかみ砕いて、そこから自分の考えを作ることが価値あることだと思う。文章を追っかけて読むんだけど、そこからはみ出た部分に面白さを持ってもいいんだと思うと、気持ち的に楽になると思った。
Gさん:特別支援学級を4年間やってました。特別支援学級を持てた分だけ、具体的に分かるということがいかに大事か学んだ。いい授業というのはどれだけ具体的に分かるかということだと思う。
小野寺:特に説明文は、文章で理解することと自分の心の底から納得する、そこの部分がなかなか結び付かいないことが多い。でも高学年の文章だから頭の中でいろいろ考えて思考をめぐらす、それもまた高学年の言語活動じゃないかと思ってやってきたんだけど、自分の生の生活に結びつかない納得、心に響かない学びは弱いんだと思う。そのために教師は、教材の本質をつかむ学びを続けること、それはどの教科においても求められること。やり切るのは難しいけれど面白い。
Hさん:低学年ではやっぱり具体的なものが大事だと思うんだけど、高学年ではこんな長い文章読むのって大変じゃないですか。実感とか言ってたけど、逆にこんなのほんとかや?とか、こんなの絶対違うとか、逆の意味で響くってあるじゃないですか。子どもはいろんな感じ方をする。子どもが何に興味を持ってどうするかは、自分の生活と結びつけて考えてられるといい。みんながこの教材文を読んで同じ考え方をする必要はないし、そこからどう発展させるかが説明文の面白さではないかと思う。
《感想より》
◆説明文の面白さをずっと分からず、考えずにいました。5、6年前まで物語に力を注いでいたので。
でも、説明文も子どもを大きく揺さぶり、興味を持たせ、深く考えさせることを実感しています。面白い企画でした。(Yさん)◆いつもの物語文も面白いなと思いながら参加させていただいてきましたが、説明文も面白いなと思いました。
2年生はまだ受け持ったことがなく、「ビーバーの大工事」はやったことがないのですが、他の教材と同じように『子どもたちの実感』を大切にしながら授業を進めることが大事だなと感じました。
プラスチックの授業、自分でもやったのですが、今日の話を聞いて、もっと教材をよく読み、教師としてプラスチック問題への危機感をもってやればよかったなと感じました。
説明文も奥が深いですね。キーワードは『実感』ですね。(Oさん)
*つい最近知ったのだが、富士山の頂上で雲を採取し調べてみたら、微量だがマイクロプラスチックが見つかったということだった。驚くというより愕然とした。どこから運ばれてきたのかと考えるに、やはり海からに違いない。水の循環に入り込んだということは、海だけの問題ではなく地球全体に広がることになる。とすると、知恵を尽くして生きているビーバーの川にもいずれ到達することが予想される。何ということだろうか。この日の2つの教材が、国語という枠を超えて、循環という輪でつながってしまった。生き物それぞれの生き方を知り、守り続けるにはどうしたらいいのか子どもとともに学び続けたいと思う。