春告げる黄金色の花 赤い実は薬用に
春の訪れを告げるかのように、枝一面に鮮やかな黄色い花を花火のように咲かせるのは、サンシュユの木です。葉に先だち花を咲かせ、満開のときには、木全体が黄金色に輝いているように見えるので、ハルコガネバナ(春黄金花)と呼ばれ、秋には赤い実をたわわに実らせることからヤマグミ(山茱萸)、アキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれています。サンシュユは春も秋も美しい彩りを見せるので、寺院や公園、庭の花木として植栽されてきました。
さんしゅゆの花満開に春を告ぐ 原田たづゑ
サンシュユは、ミズキ科ミズキ属の落葉小高木です。原産地は中国で、漢名の「山茱萸」の名で日本へ来て、その音読みの「サンシュユ」が和名の由来になっています。
サンシュユの花芽は秋に準備されます。細長い冬芽は葉になる芽(葉芽)で、膨らみのある冬芽は花になる芽(花芽)です。
芽吹き前のサンシュユの木 冬芽(葉になる芽) 冬芽(花になる芽)
花芽は茶色の殻(4枚の総苞片)にしっかり包まれています。寒さがやわらぎ暖かさを感じると、花芽の茶色の殻が開いて、つぼみが顔をのぞかせます。
膨らんできた花芽 暖かくなると殻が開きます。 黄色い蕾が顔を覗かせます。
1つの花芽には小さな花のつぼみが20~30個ほど入っていて、準備のできたつぼみから花柄を伸ばして開いていきます。鮮やかな黄色の花は全開し、4枚の花びらはどれもそり返っています。雄しべ4本と雌しべ1本が外に飛び出すようについているのが見えます。
花が次々に開き始めると、待ちかねていたようにハナアブが集まってきて、蜜を吸っているのが見られます。
花柄を伸ばすつぼみ 開いた花の姿 蜜を吸うハナアブ
サンシュユの開花時期は、2月下旬~4月上旬頃です。花は短枝の先端に球状についていて、咲き出すと放射状に広がっていきます。満開のときは花が枝々を埋めつくし、木全体が黄色に染まったようになります。
満開のサンシュユの花。木全体が花に埋めつくされます。
早春から春にかけて咲く花は、サンシュユだけでなく、マンサク、ロウバイ、トサミズキなどの黄色の花が目立ちます。なぜ黄色が多いかは、植物学的にまだ解明されていないようですが、花と昆虫の関係はお互いに共進化してきたことから考えると、黄色であるのがお互いに都合がいいのでしょう。
早春の色彩の少ない山野では黄色は非常に目立ちます。春先にいち早く活動を始めるハナアブやハエの仲間は黄色に敏感だといわれています。この時期に花が昆虫を呼び寄せ、昆虫たちが蜜のありかを探すためにも、黄色は目印にふさわしい色なのです。
サンシュユが黄色い花を色褪せることなく咲かせているのも、昆虫の少ない時期なので、時間をかけて受粉のチャンスを待っているのでしょう。
4月末、花がそろそろ受粉を終えた頃に、葉の芽が開き始めます。ぐんぐん葉を広げ、枝々は緑の葉に覆われていきます。そのかげで、受粉した子房は少しずつ膨らみを増し、緑の実になっていきます。
小さな実ができています。 緑の葉に覆われます。 緑の実になっていきます。
秋になると、緑の実は葉かげでしだいに赤くなっていきます。紅葉が終わり、枝々が落葉すると、真っ赤に熟したサンシュユの実は、木いっぱいに鈴なりになって姿を現します。長さ1.5~2cmほどの艶のあるグミのような実です。
食べられるというので口に含んでみたら、やや甘酸っぱい味がして、渋みが口に残りました。
落葉のあとの 鈴なりの赤い実
この真っ赤に熟した実から種子を抜き、乾燥させたものを、漢方でも山茱萸(サンシュユ)といい、滋養・強壮・止血などに効果があるとされ、漢方薬の「八味地黄丸」などに処方されています。
サンシュユは、もともと花の鑑賞が目的ではなく、薬用として日本に伝わってきました。小石川植物園には日本で最初に海外から薬用として導入された植物が多く残されていて、サンシュユもそのうちの一つです。
サンシュユが日本に渡来したのは1722年(享保7年)で、徳川吉宗の時代に、朝鮮半島から長崎経由で苗木と種子が導入され、小石川御薬園(小石川植物園の前身)と駒場御薬園に植えられたのが最初と記録に残されています。
小石川植物園には当時からのサンシュユの株と考えられる古木が、園内奥のカリン林の近くに半分朽ちて、今なお、元気に花を咲かせているということです。
(「小石川植物園に渡来した植物たち」元:小石川植物園 下園文雄)
春の季節が逆戻りする日も。 サンシュユの黄色は春の雪に負けません。
サンシュユ(山茱萸)の茱萸(シュユ)という漢字を、日本ではグミ科のグミの意味にも使用していました。ところが、茱萸(シュユ)とは、もともと中国にあったグミと異なる植物でした。
茱萸(シュユ)が本来どんな植物かは諸説ありますが、主な説は、ミズキ科の山茱萸(サンシュユ)説とミカン科の呉茱萸(ゴシュユ)説です。サンシュユもゴシュユも、秋に赤い実がなります。特にサンシュユの実は、グミそっくりで食用になるので、グミ科のグミと混同されやすかったのでしょう。
牧野富太郎博士は、中国では茱萸(シュユ)を詠んだ詩を調べると、何れも呉茱萸(ゴシュユ)のことで、山茱萸(サンシュユ)ではないといいます。(「植物一日一題」ちくま学芸文庫)それで、享保7年に小石川御薬園に導入されたとき、呉茱萸(ゴシュユ)が山茱萸(サンシュユ)と誤認されて命名されたものであろうと、新たに春黄金花(ハルコガネバナ)の和名を提唱したのでした。
ところが、当時の国外からの薬草木の受け入れは、まずは長崎の西山御薬園で行われていて、その西山御薬園の文政初年のものと思われる「薬草目録」の70種のなかに、山茱萸(サンシュユ)と呉茱萸(ゴシュユ)の両方が記載されています。西山御薬園の薬草木は江戸の小石川御薬園や駒場御薬園に植栽されたものと大部分が一致するといいます。(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」)
牧野説の真偽のほどは分かりませんが、現在は最初に付けられた「サンシュユ」の名前が一般化し、春黄金花(ハルコガネバナ)は別名とされています。
山茱萸の黄の空間を風過る 西村しげ子
”庭の山しゅの木 鳴る鈴かけてヨー オーホイ”と歌われるのは、宮崎県椎葉の民謡の「ひえつき節」です。この「山しゅの木」というのが、サンシュユであるとしばらく言われてきました。
岩波書店の「広辞苑第5版」(1998年・平成10年)を見ると、「ひえつき‐ぶし」(稗搗節)の項目には、「宮崎県の民謡。東臼杵郡椎葉村地方の稗搗き唄。歌詞は『庭の山茱萸(さんしゅ)の木に鳴る鈴かけて』に始まり、現行のものには同村鶴富屋敷にまつわる平家落人伝説を含む。宴席歌として広まる。」とあります。
ところが、歌の内容は椎葉村に伝わる平家の落人伝説が元になっていて、その物語は1100年前後のこと。サンシュユの渡来が1722年(享保7年)ですから、山茱萸の木は、江戸時代に渡来して、鎌倉時代には日本にまだ存在していませんでした。日向地方の方言では山椒(サンショウ)をサンシュと言い、歌に歌われたのは、ミカン科の山椒(サンショウ)の木だったようです。
その後、「広辞苑第6版」(2008年・平成20年)では、「山茱萸(さんしゅ)」は「山椒(さんしゅ)」と改められています。
広辞苑は現在「第7版」(2018年・平成30年)と版を重ねていますが、辞典というものは完成されたものではなく、絶えず修正を加えられながら、長きにわたってつくりあげられていくものであることを改めて思います。
サンシュユは美しい黄色を見せてくれます。 花火のように開花
サンシュユは、秋に熟した実を採り、種子を取り出してまわりの果肉を取り除き、よく水洗いした後すぐにまくと、時間がかかっても発芽することが確かめられています。種子から花を咲かせるまでにかなり年数がかかるので、苗木販売店などで売られている苗木は、種子から2~3年育てた苗を台木に接ぎ木したものや、挿し木で育てたものです。
赤い実はよく目立ち、野鳥たちも食べています。あんなにたくさん実をつけるので、鳥に運ばれた種で日本の野山に野生化してもいいはずなのに全く見かけません。植栽されている木は、まわりの空間は広くとられ保護されています。サンシュユの種子が発芽しても、野生の樹木との競争には太刀打ちできないのかもしれません。
山茱萸に明るき言葉こぼし合ふ 鍵和田秞子
サンシュユは満開になると、野趣あふれる幹や枝が見えなくなるほどびっしり花を咲かせます。明るく美しい黄色は、見る人の心と体を明るく元気にしてくれます
ある小高い丘の上に立つ高齢者介護施設を訪れた時でした。南側の窓側に5本のサンシュユの木があって、ちょうど満開の季節で、入所されていたお年寄りが集まって、車椅子に座ってお花見をしていました。所長さんの話によると、花の季節だけではなく、秋の紅葉や赤い実の季節にも同じように一緒に眺め楽しむそうです。
サンシュユの木はただそこに立ち、四季の営みを繰り返しているようですが、その存在が見る人の心に安らぎや希望をもたらしていることを深く感じたのでした。(千)
◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花