花が咲くと「幸せの兆し」 県内が北限自生地とも
降り出した雪が冬枯れの野道を白く覆い始めています。その雪に負けまいと顔をのぞかせている赤い実を見つけました。キチジョウソウの実です。細長い緑の葉が赤い実をひきたてています。
キチジョウソウは、漢字で書くと「吉祥草」。この花が咲くと家に良いこと(吉祥)が起きるという中国の言い伝えに基づきその名があります。
別名でも吉祥蘭(キチジョウラン)、観音草(カンノンソウ)などと、やはり縁起のいい名前で呼ばれています。
キチジョウソウの赤い実と 常緑の細長い葉
キチジョウソウは、日本、中国に分布するキジカクシ科キチジョウソウ属の常緑の多年草です。日本では主に関東地方以西の本州、四国、九州の暖地に分布、山林の林内などに自生しています。その起源には諸説ありますが、古い時代に中国から日本へ渡来したものが野生化したものという説が有力です。
東アジアの各地に自生する園芸種の原種の植物を紹介している小杉波留夫さんは、原産地と思われる中国での分布にふれて、次のように紹介しています。
キチジョウソウは、中国において江蘇、浙江、雲南、安徽、江南、湖北、雲南、陝西など秦嶺(しんれい)山脈以南にある各省の標高170~3,200メートルの山地の湿った樹林下に広く生息しています。日本では、九州から関東に自生しているのですが、それが原生なのか、移入分布なのか意見が分かれています。幸せの兆しや縁起がよい植物として栽培されたこともあり、さらに日本の人家の多い場所に見られることなどから、私は移入分布説を支持しています。
(サカタのタネ『園芸通信』・東アジア植物記「キチジョウソウ属」小杉 波留夫)
キチジョウソウの分布は主に関東以西の暖地といわれていますが、宮城県内でも山林に自生しています。
「きょうの青葉山」(http://aobaten.blog109.fc2.com)は、「杜の都」仙台・青葉山に自生する植物や生息する動物を、毎日更新で紹介し続け、今年で16年目を迎える貴重なブログです。自生するキチジョウソウの姿が何度か報告されていますが、最新の情報が、昨年の11月に紹介されています。
・・木漏日の中、今年も赤紫の茎に薄紅の花々が、元気出せよ!とばかりに、艶やかに咲いていました。・・・当地付近が北限自生地となっていて、県レッドリストで要注目種に指定されています。青葉山では、何ヶ所かに群生地があり、毎年花が見られます。・・・ (2022/11/11・キチジョウソウ「吉祥草」)
青葉山の他にも自生地があり、私が散策していて見つけたの は10月末、市内の小学校の裏山でした。落ち葉の積もった斜面で紅紫色の花を咲かせていました。
山林に自生するキチジョウソウ キチジョウソウの花
キチジョウソウの開花期は9月~12月頃です。自生地の環境によってかなり幅があるようです。細長い葉の根元から10cmくらい花茎を伸ばして、穂状に小さなつぼみをつけます。花は下から上へと咲き上がっていきます。
花は筒状の合弁花で、開いた花の花びらを数えると6枚、やや厚さがあります。花びらの外側は紅紫色ですが、内側は淡色で、開花が進むと大きく反り返ります。
花から突き出ているのは、6本の雄しべと1本の雌しべです。花は基本的には両生花ですが、栄養状態によるものか、雌しべがなく雄しべだけの花をつける株もあって、咲いた花がすべて実を結ぶとは限らないようです。
花は葉かげに隠れています。 花のなかの雄しべと雌しべ
キチジョウソウは、長い葉が多い割に、花穂が小さく花数も少ないので、花が咲いていても見逃してしまうことが多いのでしょう。そのためまれにしか花が咲かない珍しい花という印象が広まり、縁起のよい植物との言い伝えも生まれていったのかもしれません。
花の受粉を手助けしているのは小さな昆虫たちと思われますが、目にしたことがなく、その観察記録も見つからないのでよくわかりません。
受粉していることは間違いなく、花後の翌年の秋に成熟した赤い実ができていました。赤い実は球形で水分の多い液果です。できかたも栄養によって小さい実、大きい実と大きさが異なります。実のなかには卵形の種子が、2個~5個入っていました。実は野鳥や野生動物の餌となり、糞に混じって種子が散布されていきます。
赤い実は野鳥や動物に食べられるのを待っています。 種子が4個入っていた実
キチジョウソウは種子だけでなく地下茎でも分布を広げています。地中もしくは地上に露出した地下茎が四方に這うように伸びて、その先から根を生やし葉を伸ばし子株を作ります。細長い葉は長さ10~30センチほど、半日陰でも丈夫に育ち、群生することが多いようです。
地面を這うように伸びた地下茎 子株にできた丈夫な根
植物名には、公孫樹(イチョウ)、蒲公英(タンポポ)、百合(ユリ)などのように、中国名に和名をつけているものが数多くあります。キチジョウソウもその一つで、吉祥草の漢字を音読みしたものです。
「吉祥」の漢字は、中国の占いや神事を語源として生まれた漢字です。「口」は占いに使う入れ物で、「士」は刃物の象形。「吉」という漢字は、刃物やマサカリを置いて器を防御する形。「祥」の「ネ」は、生贄を捧げる台の象形で、羊を生贄に神に祈ることを意味します。「吉祥」の成り立ちには、武器や生贄が関わる何やら血なまぐさいものですが、それがどう転じたものか、今は「良い兆し」「幸せが訪れる知らせ」を意味するようになっています。
草深く花はかくれて咲きいたり キチジョウソウの薄いむらさき 鳥海昭子
「吉祥」という漢字は、仏教の伝来とともに日本に入ってきたものと考えられます。花が開くと吉事をもたらすという言い伝えも一緒に伝わり、「吉祥」(きちじょう/きっしょう)のついた言葉も多く見られます。
仏教の幸運をもたらす女神は「吉祥天」といい、鶴や亀、松竹梅などの縁起のいい動植物の文様は「吉祥文様」として親しまれています。
「吉祥寺」という名のお寺は、調べて見ると全国に177寺、宮城県内でも5寺ありました(全国仏教寺院検索サイト)。
寺が存在しないのに、東京都に「吉祥寺(きちじょうじ)」という地名があります。寺はもともと江戸本郷元町にあったのですが、「明暦の大火」によって江戸中が焦土と化し、吉祥寺も門前町ごと焼失。その後、幕府の命令で寺は駒込へ移転し、居を失った門前町の住人たちは、現在の武蔵野一帯を開墾し移住しました。この時、寺の名に愛着のあった住人たちが、その地を「吉祥寺村」と名づけて、現在の「吉祥寺」の地名になったという経過があります。
キチジョウソウ(吉祥草)の名がそのまま寺の名となっているのが、奈良県の修験道の寺院「吉祥草寺(きっしょうそうじ)」です。この名は全国で一寺のみです。寺社案内には、次のように書かれていました。
吉祥草寺(きっしょうそうじ)は、役行者の開基と伝えられる寺院で、役行者誕生の霊地と伝説されています。「吉祥草寺」との寺名は、役行者が「吉祥草(きっしょうそう)」という草を用いて庵を結び、仏神を祀ったことに由来すると伝わっています。 (HP役行者霊跡札所会寺社案内「吉祥草寺」)
この寺が創建されたのは白鴎時代(645年~710年)ということです。キチジョウソウ(吉祥草)はすでにこの頃には、日本に渡来していたということになるようです。
こんなに縁起のいい名前がつけられているキチジョウソウですが、どういうわけか、古代の和歌集には歌はなく、古い文献にもその名が見られません。
広く名前が知られていなかったのか、個体数が少なかったのか、少なければ少なりに逆にその名が憧れにもなるということもあるのですが、話題にもなっていないのが不思議です。
❝ここにいます❞ と一つだけの赤い実 数個実をつける時も
キチジョウソウは、庭の下草や根締めとして用いられることがあります。同じ下草として利用されているフッキソウという植物があって、この別名が、吉祥草とそっくり同じ名で呼ばれています。
フッキソウ(富貴草)はソウ(草)とついていますが、草ではなく、山地の林内に自生するツゲ科の常緑の小低木です。地下茎でよく繁茂し、冬でも葉の緑を保って縁起が良いので「富貴草」の名があります。そのめでたさをさらに倍化するように「吉祥草」の別名ももらっている幸せな植物ですが、葉も花も実もまったく違うものを同じ名で呼んでは混乱が起きかねません。それで、一般にはフッキソウの別名は使用しないようにしているようです。
フッキソウ(富貴草)の花(別名 吉祥草) フッキソウの実(白)
晩秋から冬にかけて、キチジョウソウと似た葉をつける植物が、ヤブラン(季節のたより44)、ジャノヒゲ(季節のたより91)、オオバジャノヒゲです。いずれも半日かげでも育ち、同じような環境に生育しています。
花を見れば違いははっきりしていますが、この時期は花が散っていて、細長い葉だけの判断は難しくなります。実を見れば間違いなく区別ができますので、葉をかき分け、どんな実が見つけられるか、散歩の途中にでも子どもたちと一緒に探してみてはどうでしょう。
黒い実 青色から瑠璃色の実 灰色から灰緑色の実
中国においてキチジョウソウは、古代から宗教儀式と縁が深く、「行方不明者の葬儀において、キチジョウソウで人型を作り火葬した」ということもあったようです。また、古代インドでは祭祀の際に大地に蒔いて、祭場を作るために用いたということです。お釈迦様が悟りを開いた菩提樹の下にキチジョウソウが広がっていたという伝承も伝わっています。
赤い実も、一年の「幸せの兆し」でありますように。
日本においては宗教儀式的な意味合いよりも、この花が咲くと「幸せの兆し」であるという言い伝えが、時を越えて人々の心をとらえてきました。
その幸せとは、武器を使用したりだれかを犠牲にしたりすることなく、だれもが平和に暮らせるものであってほしいものです。血なまぐさいものを語源とする「吉祥」が、しだいに「幸せの兆し」へと転じていったのも、そんな人々の祈りのようなものが込められているように思うのです。(千)
◇昨年1月の「季節のたより」紹介の草花