mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

❝ あのクラス ❞ って、どのクラス? ~ オレは幸せ者7 ~

 ある年度末、校長から「来年度のことだが、“ あのクラス ” を持ってくれないか」と言われ、「いいです」とすぐ返事をした。“ あのクラス ” と言うことで職員間では通用していたクラスだった。
 当時、オレは6年担任で、ある日、T子が「先生、昨日の夕刊に横浜の学校のことが載っていたの。見た? 家ではね、妹のクラスと似ていると話し合ったの」と言ってきたことを思い出したが、特別考えることは何もなかった。 
 始業式後、すぐ教室へ向かう。教室内から男の子の泣き声が聞こえてきた。何かやっているなと思ったが、入口に手をかけると止み、同様のことはその後一度もなかった。
 そのクラスの1年間の「学級だより」の中から、子どもたちの日記を3点取り上げてみる。

その1】  せっしょう
 ぼくは、つりが好きで、毎週というくらい、つりにつれていってもらいます。ところが、この前、つりに行く話をぼくがしたら、お母さんが「まい週 せっしょうするのはいやだな」と言いました。ぼくは、なにを言っているのかわからなかったので、すぐじてんをひいてみました。
 1つは(殺生・・・①いき物をころすこと。②むごいようす) もう1つは(摂政・・・てんのうや国王のかわりにせいじをおこなう人)とありました。
 ぼくは、おかあさんがいっているのは、さいしょのやつだなと思いました。そして、これを見ていたら、いやなことばだなと思いました。だから、こんどから少し回数をへらそうと思います。そしてお母さんに「こんどから、つりにはたまに行くことにするよ」と言ったら、お母さんはニコニコしていました。
 けど、回数をへらせるかどうか心配です。(6月21日 H男)

◇スタートして間もなく、「いろんな辞典があるが、まずは国語辞典がそばにあると便利だ」ということを言ったことがあり、すぐ辞典を引く子が出てきた。H君もその例になる。「殺生」の意味を子どもが知らないことを承知で何気なく「毎週殺生するのは嫌だな」と言う親は、私にとってどんなにありがたかったか。また、意味を知った子どもが、親の気持ちを知り、応えようとする。オレは、このような親たちと子どもたちに支えられつづけた。

【その2】  遅 刻
 今日は遅刻をしました。朝会だったので、いつもやっているのがバレてしまいました。
 1時間目の休み時間に、先生に、「今日、何時に起きた?」と聞かれたから、「7時半」と言いました。
 そしたら、先生が、「何時に家を出た?」と聞いたから、「8時15分」と言いました。
 先生が、「それまで何してた?」と聞いたので、「ごはんを食べて、のんびり新聞を読んでいました」と答えました。ぼくは、だんだんいやになってきました。
 すると、「何時に家を出れば、間に合うの?」と聞いたので、「8時」と言いました。
 そしたら、先生が、「遅いなら遅いなりに家を出なさい。間に合わなければ、ごはん食べないで学校に来なさい」と言ったので、ますますいやになりました。
 話が終わって、だれかに、「どうして遅刻したのやーー」と言われたから、「今の話、きいていなかったのかーー」と言いました。(11月21日 T男)

◇T君の日記を読み、オレとのやり取りを見事にそのまま書いたことに驚きつつ、オレは子どもにずいぶん意地悪な言い方をしたもんだと思った。それゆえに、T君が「だんだんいやになって・・」「ますますいやになって・・」というのもよくわかったし、日記が、「今度から遅刻をしないようにがんばります」などと結ばれなかったことで少しホッとした。T君の次の回の日記は次のようなものだった。

「このごろ、お父さんにしかられてから遅刻をしなくなりました。先生にも、お父さんにも、お母さんにも言われ、自分でも、もうこりたと思いました。しかられるまでは、たくさん遅刻をしていたから、はずかしくて気もち良くなかったけど、遅刻をしなくなってから、みんなに『おはよう』と言えるから気もちいいし、楽しくなります。これからも早く学校へ来たいです。」

◇意地悪な言い方をしたオレも、「おはようが気持ち良いもの」と感じてもらったことで、T君に救われた思いがしたのだった。

【その3】  バカな教科書
 私は、算数のしゅくだいをわすれたので、いそいでしようと思いました。ところが、ちょうしがくずれました。ノートはあるんだけど、教科書がないのです。ああどうしようとこまりました。みんなにおこられるだろうなあとか、ああ、しゅくだいなんか出さなければよかったのにとか思ったりしました。私が悪いんじゃなくて、教科書がかばんの中にないのが悪いんだ! そうだ! 教科書が悪いんだ! とどなりました。でも、もうこうなったらしかたがありません。リエちゃんのりこうな教科書をかりようかなー。
       沈 丁
 国語のじゅぎょうでは、「春」という詩をやっています。私は、今日のじゅぎょうの中で、一人だけのなんもんがありました。それは「沈丁」のことです。読んでいる時先生は「じ(ぢ)んちょう」と言っていました。でも、私は「じ(ぢ)んちょう」の「じ(ぢ)」には、「し」に点をうつのか、それとも「ち」に点をうつのかわかりませんでした。たぶん「ぢ」と書くのではないかと思っています。それは、「沈丁」の読み方の所に「ちんちょう」と書いてあるからです。でも、本当のことはわかりません。どうすればいいか教えてください。調べてみたいので、答は教えないで下さい。

      かい主ににる
 今、理恵ちゃんから算数の教科書を借りて来て、しゅくだいをする前に、時間表をそろえていたら、理科とまちがっていたバカな算数の教科書がありました。理科と思っていた本は、まさしく算数だったのです。もうバカとは言えません。私の方がバカでした。よく見なかったこの目もわるいし、考えなかった、のうも悪い。「かい主によくにる事がある」と言うけれど、教科書も、にる事があるのです。悪い所だけれども・・。
(12月6日 K子)

◇Kさんは、なぜか「沈丁」の濁点のことを挟んでいる。おそらく書いている途中で国語の時間を思い出したのだろう。これも書かなければと思い、それをそのまま書き続けたことが、読んだオレには何とも心地よかった。しかも、それぞれにタイトルをつけている。初めの頃はオレが便りに載せる際タイトルをつけていたが、子どもたちは、しだいに、自分の日記にタイトルをつけるようになってきた。Kさんの文そのものも読んで心地よいが、タイトルもまた、(これ以上のものはないなあ、オレはこんなタイトルはつけえないなあ)と大いに感心した。もちろん、こんなうまい文も書けないとも。

 “ あのクラス ” とは何だったのだろう。オレは特別なことをしたわけではない。いや、何もしていない。勝手な推測を1つだけするならば、T君の日記にみられるように、子どもたちはみんなあけっぴろげで、自分をストレートに出していたことが、誤解を招いたのではないかと思ったのだった。“ あのクラス ” という言い方は、スタート早々にオレの中からも同僚の中からも消えていた。
 しかもオレの中では、H・T・Kの3つの文にみられるように、子どもたちはそれぞれが自分をごまかさずに生き続け、幸せなことに、忘れ得ないクラスのひとつとしてオレのなかに強く残っている。( 春 )