mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

最後まで子どもに学びながら ~ オレは幸せ者12 ~

「それでもセンセイになるんですか」と、教育実習で、中3のYさんに手紙をもらってから、就職でフラフラしていたオレの心は教職と決まり、それから定年までいろんなことがあったが充足感に満ち、Yさんに深く感謝だ。

 日々、学校は考えもしないことが次々に起こる。そのほとんどは目の前の子どもとのことだ。そのたびにYさんのことばが浮かぶのだが、それほどしょげることはなかった。(みんな生きているんだ、いろいろあるさ、オレも子どもたちも)と考えながら、子どもはともかく、オレはそこに留まっていてはと、その先を考えるように努めた。そのたびに目の前が少しずつ広がっていき、(子どもって、人間っておもしろい)と思うことが増えていった。子どもたちはどう思いオレとつきあったかはわからないが・・・。

 最後の学校は12年もいた。同一校10年のきまりから言えば2年オーバーだったが、「私を受ける方も困るでしょうから~~」などと言い、なんとかプラス2年間居座らせてもらえた。
 そこうして、オレの教職最後の年がやってきた。
 その間、本当にたくさんの人に支えていただいた。同僚・教員仲間だけではない。親にも子どもにも支えられて。しかも、クラス担任以外をまったく考えることなく子どもたちの前に立ちつづけることができた。
 Yさんに応えられたかと問われれば、「はい」と胸を張ることはできなくても、「がんばったつもりです」という返事はできそうに自分では思っている。

 最後の年は4年生担任。以下、そのときの学級だより「こなら」から数カ所抜きだし、当時を思い出してみる。
「こなら」1号では次のようなことを書いた。

「~大人になっていくにしたがって私たちは、いろんなことがらを学びます。ところでどうでしょう。子どものころしか感じることしかできなかった楽しいこと、子どもだったからこそ空想することのできたすばらしいこと、それは子どもから始まった自分だったことを忘れがちです。このような不思議さに気づいたイギリスの詩人ワーズワースは言っています。「子どもこそ大人の父だ。(略)~ 」などと力んでスタートしたのですが、1学期の最後の42号には「私の一方的な願いをぶつけられる子どもたちは困ったかもしれません。自分の願いだけに夢中になるので、ぶつけた私から出てくるのはグチだけです。これはどうもよくありません。2学期以降、どうやっていけば子どもたちに学ぶ楽しさ、考えることの面白さをもたせられるか、夏休み中の私の課題にしたいと思っています。子どもたちに希望と期待をもっているからです。」と結んでいる。

 振り返ってみれば、これまでも最初は、こう張り切ってしまう。最後の年だからなおさらだ。今読むと、子どもたちが困ってしまっただろうと思う。
 この年は、これまでになくオレを考えさせてくれた子との出会いがあった。その子の名はK。K君は、6月26日に教室にやってきたアメリカの子。アメリカの夏休みは日本より早く、学区内にいる祖母の家に来て、去年につづいて、体験学習ということで、このクラスで夏休みに入るまで暮らした。
 1学期の最後の「こなら」42号では、「1学期の大きい収穫=Kに教えられたこと」とのタイトルで書いている。そこに書いたいくつかのことを紹介する。

★N子さんは、「Kはひとの悪口をぜったいに言わなかった」と、Kへの全員のメッセージに書いていました。Nさんは本当によくみていたなあとうれしくなりました。私の知っている限りでも、クラスの中でのK君はNさんの言う通りで、私も内心驚いていたことでした。
★ある日の休み時間、今まで一緒にやっていたコマなのに、Kだけひとり、教室の後ろでやっていたのです。おかしいと思って「どうして一人でやっているの。みんなと一緒にやったらいい」と言うと、「うん、ぼく一人でやるんだ。一人でいいんだ」と言います。「そうか」と言ってそのままにしたのでしたが、次の時間の初め、全体に「今まで一緒だったKが一人でやっていた。“ ぼく一人でやるんだ、一人でいいんだ ” とKは言っていたが、何かあったのではないか」と聞いてみましたが、誰も黙っています。すると突然「Hたちがまぜないと言ったろう」とKが言うのでした。それをめぐって、両方の言い分は聞いたのですが、聞きながらこれまでクラスになかったことに気づいたのです。それは、Kは直接聞いた時には何も言わずに、「一人でいいんだ」と言っていながら、全体の中ではその理由をきちんと言ったことです。ふつう、私たち日本人は、どうもこの逆のような気がします。陰で言うことはよくあっても、全体の中では無理に追及されることがなければ、ほとんどははっきりと言うことはありません。

★そんなことがあって私は、Kに「オレにアメリカのことを聞かせてくれ」と、1時間ぐらいいろんな話を聞くことができました。そのとき、Kが言ったことのいくつかをならべてみます。
アメリカは日本のように休み時間がないので、休み時間がたくさんある日本はいいなあ。アメリカの昼休みは1時間半ぐらいあるからいいけど。」「アメリカの勉強は日本のように難しくないからいい。」「放課後は、友だちと木登りや木にブランコを作ってそれで遊んでいるよ。」「社会や理科なんて教科は今はないなあ。」「ジュク? 塾なんて知らないなあ。」「4年1組の友だちは、みんないい人だよ。」
「(私が、このクラスのことで気になることはないか)と言うと、『それは言いたくないなあ』と言いながら、突然私の耳元で、『あのね、〇〇を好きだなんて言うのは嫌いだな。ぼくは中学2年ごろまでは、そんなことは言ったりしないほうがいいと思っているよ』(*これは、耳元で他に漏れないように私だけに聞かせたのであり、それを書くことはKとの信頼関係を裏切ることになるのですが、子どもたちにも知らせたいと思い、悩んだ末書きました。)」

 彼の態度で本当に驚いたことがもうひとつあります。彼は、喜びを顔いっぱいに表すということです。いや、顔だけでなく、体でもそれがわかります。終業式の日、Kへのクラス全員のメッセージを私が読みました。読み終わった後、「K、どうだ、いいだろう、みんなの文!」と言うと、指を丸めて手を上に突き上げながら、「うん、グッド!」と満面を笑みにして喜ぶのです。こんなに心の底から喜ぶ人間の姿を忘れていましたから、本当に気分のいいものでした。そして、それをつくったのは、子どもたちのとてもうれしいメッセージだったのです。いずれ、私が一番、Kに学んだかもしれないと思っています。いい贈りものをもらいました。

「いくつかのことを」と言いながら、便りに書いた多くのことを書いてしまった。最後の教室をこれで閉じるわけにはいかないので、主として後半の部分のいくつかを次回に書きたいと思います。( 春 )