mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

保護者から贈られた『3冊のノート』 ~ オレは幸せ者8 ~

 オレには、前述したYさんからの手紙など、今も大事にしているいくつものタカラモノの中に「3冊のノート」がある。Sさんからいただいたものだ。
 ある日の放課後、会議が終わって教室に行くと、私の机の上に1冊のノートが置いてあり、小さく、「春日先生 匿名厳守」と書いてある。表紙を開くと、

 昔、学生の頃、「お世話になった方からのお手紙に返事を書かないのは、借金をしているのと同じ」と教えられました。
 「じしばり」を通して、先生から、たびたびお便りをいただきながら、いつも一方通行だけです。
 先生からの熱意が伝わってくる度に、それを受けとめ味わっている様子も伝えたいと思うようになったのが、このノートを書くきっかけです。
 一父兄の「じしばり」返信としてお読みください。

と書いてあり、そのB5版のノートは、学級だより第1号4月8日号に始まり、最終ページ(106号)まで、毎号の便りについてのていねいな感想で埋まり3冊になった(*「じしばり」とは、この時の便りの名で、クラスは持ち上がりの6年生)。

 オレは、ある時から、力不足のオレの仕事の助けに少しでもなることを願って「学級便り」を発行することにした。便りは、その多くは子どもの文を使いながら、子どもの家の方たち宛てにつくることに。最初に手にするのは子どもたちなので、子どもたちと一緒に読んで、短時間オレがしゃべり、子どもたちと話し合う。その後、親たちには、他の子どもたちを知ってもらうことと、私がその時々大事にしていることを述べることにした。
 そのために、子どもたちには、「グループごとのノートに、毎日交代で書くこと。書く内容はなんでもよい。その日のことでなくて構わない。それとは別に自分の日記を毎日書くという人は、それもぜひ読ませてほしい。また、毎日ではなくとも、時々でも書きたいことを書いたときは、それもオレの机に置いてもらえば読ませてもらいたい。グループ日記同様、感想を書く。」ということで退職するまで20年近くつづけた。便りには、そのノート類の他に、授業や行事等について一斉に書いたものも使ったし、授業の生の記録も使った。
 グループ日記を回すようにしたのには、書くことが苦手な子にとっては、仲間の文を見、オレのコメントを見ることになるだろうし、それらが自分の書く上でのヒントになり、書こうという気持ちを互いにふくらませてくれることを願った。そのような願い・目的をもった便りなので、発行を不定期にはできず、毎年、だいたい2日に1回ぐらい出しつづけた。

 Sさんは、子どもの文、それに付した私の文、また、それらとは別に教室や子どもの様子について書いた文までていねいに読み、私の感想や考えに異見がある時は、それもはっきりと書いてくださった。2・3冊目のノートは、卒業式の日にいただいたので、卒業後読ませていただいた。この「3冊のノート」は、その後の子どもたちと向き合う私の仕事への大きな指針になった。
 その一例を紹介する。48号の終わりに私の書いた以下の文と、それについていただいたSさんの文である。

「じしばり 子どもの文を載せることについての私の考え」
 「じしばり」に、「何人かの子どもの作文ばかりが載り、さっぱり載らない子がいる」ということが話題になったということを耳にしました。私は、毎年、そう思われることを覚悟で便りを発行しています。そのように思われているとも思っています。このことについて私の考えを少し述べておきます。
 私は、単に「いい作文(?)の紹介」などということを問題にしていません。子どもたちの考え方、感じ方、ものの見方、そして、力を入れて取り組む力をつけたいと願います。これらは子どもたちの中にあり、「それはこのことだ」というのを子どもの文を使って言いつづけているつもりです。 
 だから、文としては上手でなくても、「この感じ方はいい、おもしろい」「この考え方のはいいなあ、おもしろいなあ」「この見方はいい、おもしろい」「よくがんばった」などというものをみんなで考え合うことを狙って載せています。もちろん、子どもの子どもらしい姿も知らせたいと願っています。だから、単に、「誰の何が載っている」だけで終わらず、家庭で子どもとの語り合う素材にしていただけるとありがたいです。
 そして、「いいものを作るには、いいものを見なければならない、ふれなければならない」と考えます。いいものには、子の前で「いいねえ」と言ってほしいです。子どもに妥協して、そこをいいかげんにすれば、育つものも育たないと思い、心を鬼にして、順番に載せることをしません。番が来ればどんなものでも載るなんて思わせるんだったら、便りは発行しないほうがむしろ子どものためになります。子どものためにならないのも担任の責任と思っていますから、便りを発行する限り、批判を覚悟でやっているわけです。
 でも、すべての子を同じように扱いたいとも思っているんですよ。名簿に、載せた子の印をつけています。使いたいと思っても、その子が多くなる時は載せることをやめる時があります。また、少ない子の日記や作文は、今度は使えないかと期待して見続けます。待つのはうんと辛いのです。それでも待ちます。どう扱うかも、うんと考えます。
 順番に載せるんだったら、作る時間は半分で間に合うでしょう。と、私の考えを述べましたが、これも、狭い勝手な思い込みでしょう。我慢してつきあってください。

◆Sさんのノート
 一部の方の感想に対して、まじめに考えを載せられたことは、「一人ひとりを大切にする」先生の姿勢なのでしょう。書かれてあることはよくわかりますし、すべてもっともなことです。
 ただ、気になったのは最後の2行です。書く必要はなかったと思います。狭い、勝手な思い込みとは、先生自身おもっていないはずです。狭いと思っていないから、自信があるのです。自信があるから、堂々と主張なさっているのです。思っていないことは書かない方がいいです。

 便りを読んでくれている同僚たちに、Sさんのように言われたことは一度も記憶にない。時間的余裕がないこともあるだろう。私にとって言えば、そこをSさんに埋めていただいたとも・・・。Sさんが便りをていねいに読んでくださっていることと、家庭での子どもとの話し合いを多く持っておられることをも強く感じる。そして、なんて私は幸せ者だろうと。
 もう一つ、付け加えると、この年、2回だけ、子ども一人だけの文で便りの号を埋めたことがある。その1度目になる49号の最後の残り少ない余白部分に、私は、次のような文を添えた。「Kさんは、2年間あずかった『ペロ』(*犬)が帰ることになった時の思いを日記に書いてきました。それを読んで、『もっともっとかくことがあるはずだから、もう一度書いてほしい』と言いました。Kさんはさっそく「夜11時までかかって書いた」と持ってきたものです。現在と過去をうまく織り交ぜて、見事にその思いを書きました。Kさんは今絶好調です。」と。
 これについて、Sさんは、「すばらしい日記でした。すばらしいな、いいなと思うと、たいてい2度目の書き直しです。つまり、全力投球の結果生まれてきている作品です。相手にその力があるとみる。そして、その力を出させる。まさに教育の根源の “ もっているものを引き出す ” 作業を、先生はなさっていると感嘆しています。」と書いてくださった。Kに読ませることはできなかったが、私は、とてもいい気分になり励まされた。

 話は飛ぶが、退職直後、2年間、宮教大の非常勤講師を勤めたことがある。学生に、「試験はしないので、5時間に2回レポートを出してほしい」と言い、私は時間の余裕ができたので、レポートに対する感想を次の時間に学生のレポートの文量ぐらい書いて返した。それを手に読む学生の姿は小学生のそれと全く変わりがなかった様子に内心驚いたことを今も忘れない。最後の時間に受けたレポート提出者には「あとは来ないので、感想は勘弁してください」と言うと、「住所を書くのでぜひ送ってほしい」と、何人かの住所を預かったことも記憶にある。また、オレには考えられないことだが、「自分の書いたものに先生に書いていただいたのは初めてです」と言われたことも・・・。( 春 )