mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより146 ヤマブキ

  初夏を知らせる山吹色  世界で一種の日本の在来種

 里山ヤマザクラの季節がそろそろ終わり、晩春の雨上がり、小川の川岸にヤマブキ(山吹)の花がこぼれるように咲いていました。
 日本の春は「梅に始まり、山吹で終る」と言われています。季節を味わう暮らしを大切にしてきた昔の人は、ヤマブキの花が咲き出すのを見ては春を惜しみ、やがてやって来る初夏の季節に心をときめかせていたことでしょう。


            晩春に咲き出すヤマブキの花

 ヤマブキはバラ科ヤマブキ属の落葉低木です。ヤマブキには近似種はなく、ヤマブキだけが含まれる一属一種の植物です。
 水辺に好んで生育し、日本では北海道から九州まで広く分布していますが、国外では中国の一部に分布するだけの世界でも珍しい植物です。

 元禄の頃(1688-1704)、長崎市に来ていたケンベルが初めてこの花を見て、著書にヤマブキの名を記しました。シーボルトが『日本植物誌』(1835~1870)に美しい色彩図を描いて広く世界に紹介しています。 
 学名は「Kerria japonica」で、属名は英国のキュー植物園のガーデナーのウイリアム・カー(Willam kerr)に献名されたものです。ヤマブキは彼によって、中国からキュー植物園にもたらされました。
 種名の「japonica(ジャポニカ)」は、日本産であることを意味しています。

 
      ヤマブキは水辺に好んで生育します。       垂れるように咲く花

 ヤマブキの開花期は4~5月ですが、桜前線の開花予報にならうと、おもに九州南部で3月下旬、南東北以南で4月、北海道西部・北東北で5月開花となるようです。開花から満開まで1週間から10日ほどですが、東北・北海道では、開花から満開までほとんど日をおかず、 咲いていると思ったらあっという間に花の季節は終わってしまうようです。

 一般に低木の幹は株立ちになるものが多く、ヤマブキも根元から多く株立ちして育ちます。高さ1~2mほどで、 株元から伸びた枝は、自然に弓なりになり、その枝一面につぼみをつけます。
 かたいつぼみは葉といっしょに育ちます。つぼみが丸みをおびると、天頂からやがて淡黄色の花びらが姿をあらわし、枝にそろって並びます。

 
  かたいつぼみ     ふくらむつぼみ      黄色いつぼみが枝先に並びます。

 つぼみが大きくなるにつれ、ややオレンジに近い黄色へと変化していきます。
 つぼみはさらに大きくなり、巻いていた花びらが自らを解き放つようにふっくらと開きます。花びらが平開になるかならないかのその瞬間がとても美しく見えます。

 
 
  つぼみから花へ。ヤマブキはさまざまな表情を見せながら開花していきます。

 鮮やかに開花した花は、陽に照らされて、黄金色に輝きます。
 開いた花を見ると、ガクが5枚、花びらが5枚、雄しべは多数で、雌しべは5~8個ありました。花を訪れる昆虫はミツバチ、ハナバチ、ハナアブの仲間です。


   鮮やかな赤みを帯びた黄金色は「山吹色」と呼ばれる日本の伝統色です。

 ヤマブキの花は、春に咲く花として、サクラの花についで古くから人々の心をとらえてきました。
 山吹(やまぶき)を詠んだ歌は、『万葉集』(783年)には17首。大伴家持の歌が7首あり、家持はとりわけこの花を好んだようです。天平19年(747年)の春に、その家持が、病に伏していたとき、配下にあった大伴池主が見舞いをこめて詠んだ歌があります。

 うぐひすの来鳴く山吹うたがたも君が手触れず花散らめやも
                   大伴池主(万葉集 巻17-3968) 
(うぐいすがやって来ては鳴いている山吹は、よもや、あなたの手に触れないまま花が散るなんてことがあるでしょうか。けっして散りはしませんから・・・・)

 池主はこの歌に山吹の花をそえて病床に届けたのでしょう。ひと目見て明るい気分になりそうな花の色は、病床にあった家持の心を元気づけ、春から初夏へとめぐる自然への憧れをつよく感じさせたことでしょう。


              満開のヤマブキの花

 ふつう花びらが5枚の一重咲きをヤマブキと呼んでいますが、すでにこの時代に花びらの多い八重咲きのヤマブキもあったと考えられます。
 八重咲きのものは、「ヤエヤマブキ」と呼ばれ、『源氏物語』(1021年頃)の「野分」には「八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ」とあり、『枕草子』(1001年頃)には「草の花は」の段に「八重款冬(やえやまぶき)」の名で登場していて、当時は一重咲きヤマブキよりも好まれていたようです。

 ヤエヤマブキはヤマブキとちがって、花が咲いても実をつけません。それでよく知られているのが、江戸城を構築した太田道灌(どうかん)の逸話です。

「鷹狩」に出て途中でにわか雨に遭った道灌は、ある家で雨具の蓑を借りようとしたところ、その家の娘は黙って折ったヤエヤマブキの一枝を差し出しました。
 道灌は花を求めたのではないと怒って帰りますが、後でその行為は、七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき という古歌を踏まえたもので、「実の」と「蓑」とをかけて、“蓑”が無いことを詫びてのことだったことを知ります。道灌は自らの無学を恥じ、それから学問を志したという話です。

 この話は、江戸中期の儒学者・湯浅常山が書いた「常山紀談」にあって、講談や落語で好んで取り上げられ、戦前の修身の教科書にも掲載されて、教訓説話として一般に広められました。その影響もあってか、一重のヤマブキの花も実をつけないという思い込みも一般に広がっていったようです。


  ヤエヤマブキは、奈良・平安時代の人々に好まれていました。(画像・写真AC)

 ところで、ヤエヤマブキはどうして実をつけることをしないのでしょうか。
 ヤエヤマブキはヤマブキの突然変異種として誕生しました。雄しべは八重咲きの一部である花びらに変化し、雌しべは著しく退化しているために、実も種もつくることができません。増えるときは根を四方に伸ばして新芽を出して株を増やしています。ヤエヤマブキは遺伝子が全く同じのクローン植物なのです。

 突然変異の誕生は、めったに起きるものではありません。奈良時代に雑木林などの下生えとして自生しているヤマブキの中に、まったく偶然にヤエヤマブキの株を見つけ出した人がいて、それを現代でも通用する挿し木や、取り木、株分けなどで増やし、当時の家々の庭先や庭園で育てて観賞の対象にしていったものなのでしょう。
 実をつけることのない希少種のヤエヤマブキは、いにしえの人々の花への思いに支えられ受け継がれて、現代の公園や庭先で花を咲かせているということになります。考えてみると何だかすごいことです。

 ヤエヤマブキの原種であるヤマブキは、受粉して、秋に実をつけ種をつくります。根元から株を伸ばし、根からは地下茎を伸ばして増えていきます。ときには大きな群落をつくるときもあります。

 
ヤエヤマブキの花(実なし)  ヤマブキの花(受粉する)      ヤマブキの実(種子)

 ヤマブキの花の名の由来については諸説ありますが、万葉歌をみると、ヤマブキには「山振(やまぶり)」の字があてられたものがあり、古くは「山振」と表現していて、これが由来ではないかという説が有力です。

 山振の立ちよそいたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
                   高市皇子万葉集 巻2-158) 
(ヤマブキ(山振)の花が、ほとりに美しく咲いている山の泉の水を汲みに行こうとしても、どう通って行ったらよいか、その道がわかりません。)


   風の吹くままに揺れるヤマブキの花。古代の人は山が揺れているように見えたのでしょう。

 ヤマブキの細い枝は、弓なりの曲線を描いて垂れています。その枝に咲く黄金色の花は、いつも風の吹くままに大きく揺れたり小さく揺れたりしています。
 昔の人はその様子が、ゆったりと山が揺れているように見えたことから「山振(やまぶり)」と表現したのでしょう。山が揺れていると見間違うほどのヤマブキの花。当時の野山にはどれほどのヤマブキの花が見事に咲き誇っていたのでしょうか。

 立夏とは「夏が立つ」と書くように、春が終わりそろそろ夏の兆しが見え始める頃を意味しています。2024年は5月5日が立夏ですが、すでに4月に夏日が報告され、一気に真夏に突入する気配です。昔の人のようにゆったりと山桜をながめ、ヤマブキの花を愛で、春の名残を惜しんではもういられないようです。
 このまま異常気象と温暖化が進めば、近い将来日本の四季は消えてしまうでしょう。地球沸騰化の現象は世界各国で見られています。地球ではより賢い生きものであったはずの人間の活動が原因なのは明らかで、私たちがどう行動するかが、今、問われていますね。(千)

◇昨年4月の「季節のたより」紹介の草花