限られた山地に自生、園芸樹となって種を存続
朝の光が芽吹いたばかりのトサミズキのつぼみを照らしていました。
トサミズキはトサ(土佐)の地名がつくとおり、四国土佐(高知県)の限られた山地で発見された在来種です。庭木として育つことから、東北の地でも庭木や公園樹として植えられてきました。ミズキの名がありますが、ミズキ科ではなく早春にいち早く花を咲かせるマンサク(季節のたより21)と同じ仲間です。
マンサクはまだ色彩の見られない山林で、トサミズキは里の近くの民家や公園で淡黄色の花を咲かせて春の息吹を伝えてくれます。
土佐水木(トサミズキ)山茱萸(サンシュユ)も咲きて 黄を競う
水原秋桜子
トサミズキの花の芽吹き
トサミズキはマンサク科トサミズキ属の落葉低木です。高知市周辺の蛇紋岩地帯のかなり限られた地域にしか自生していないので、高知市を代表する市の花として選ばれています
トサミズキの樹高は1m~4mほどで、幹が地ぎわから四方に力強く伸び上がり株立ち状になります。枝はやや太くまばらに分岐し、若い枝は分岐点でジグザグに稲妻のような伸び方をしています。
枝についた冬芽は2枚の褐色の芽鱗に包まれています。よく見ると2種類の冬芽があって、細長いのは葉芽で、ふっくらと丸いのが花芽です。
ひこばえを出し株立ちになります。 稲妻の枝(上) 花芽(下左)と葉芽(下右)
トサミズキの開花は3月~4月です。花芽は立春を過ぎた頃から膨らみ始めます。花全体を包んでいた芽鱗が押し開かれると、その下でレモン色のベールのような苞葉に包まれていたつぼみが姿をあらわします。
苞葉に包まれたつぼみ 寄せ集まる小花が見える。 小花の先端は赤い。
トサミズキの花は淡黄色の小花が穂状に集まったものです。小さな鐘のような小花が6個から8個、最初は寄せ集まっていますが、しだいに連なって垂れてきます。
雄しべは5本、葯は暗赤色で、花粉が成熟すると裂けて黄色い花粉を出します。雄しべの間に雌しべが隠れていて、2つに分かれた柱頭だけがピョンと白く突き出るのでよく目立ちます。
暗赤色の雄しべの葯 突き出る雌しべの柱頭 葯の色が黄色に
3月上旬、トサミズキの茶色の冬芽が芽鱗をぬいで、黄色い花が咲き出すと、辺りがほんのり明るくなります。
刻々と開く花。満開になるとあたりは灯をともしたように明るくなります。
トサミズキの花は蜜も多く、香りもほのかに漂います。この香りに引き寄せられ訪花している昆虫は、ビロウドツリアブ、ミツバチ、コマルハナバチなどです。樹木の花の蜜が大好きなメジロもやってきて、花粉を運びます。
花を見ると、まだ開き切らないうちに雌しべの柱頭が飛び出していました。(写真下左)。これは、先に雌しべが他の花の花粉で受粉をすませ、後から雄しべを成熟させて他の花の雌しべに花粉を運んでもらっているのでしょう。トサミズキの花は雌性先熟で、自家受粉を避けているようです。
飛び出す雌しべ 香りに誘われてきたミツバチ 花粉団子もつけて
花が終わると花の根元から新葉が出て来ます。トサミズキの葉は、丸いフォルムがポップな印象、1度折りたたんでから広げたようなシワが特徴的です。
秋に気温が下がると、緑色の葉は黄緑色からオレンジへと色づき紅葉も楽しむことができます。
花の根元から新芽が芽吹きます。 葉のフォルムが印象的
花後に小さな緑の実が集まって房になり、花と同じように垂れ下がります。10月~11月、実が熟して茶色になります。実のなかには黒く楕円形の種子が2個入っていて、乾燥すると二つにわれて遠くへ散らばります。実の殻は空洞になって春先まで残っていました。
この種子の発芽率は50%前後、種子を発芽させ観察した人の記録によると、秋に採取した種をまき、冬越し後に発芽できたものは、そのまま成長して翌年の春に花を咲かせていました(GreenSnap トサミズキ 実生に挑戦!)。
前年枝を1月下旬から2月に採取し貯蔵しておき春に挿したり、当年枝を夏に挿したりすると、挿し木でも育てられるそうです。
花の終わり 緑の実ができます。 種子(円内)と殻
早春、同じマンサク科の花でトサミズキと間違えられるのがヒュウガミズキです。トサミズキと同じく、庭園や公園に植えられていて、葉の出る前に穂状の黄色い花を多数ぶら下げます。樹高が1m~2mとトサミズキよりさほど大きくならず、花も葉も小さいのが特徴です。庭木としてはツツジなどの灌木のような扱いで植えられています。
ヒュウガミズキの花 樹高は低く株立ち状です
枝につく小花の数を比べてみると、トサミズキは6個から8個ほどですが、ヒュウガミズキは1個から3個。雄しべの葯を見ると、トサミズキは暗赤色をしていますが、ヒュウガミズキは黄色です。小花の数が少なかったり、咲いている花の雄しべの葯が全部黄色だったりしたら、ヒュウガミズキと考えていいでしょう。
公園などでは一緒に植えられていることが多いので、実際に見比べてみるといいと思います。
トサミズキの小花は8個前後 ヒュウガミズキの小花は1~3個ほど
トサミズキは土佐(高知県)に自生しますが、ヒュウガミズキは日向(宮崎県)に自生していないことから、その名の由来について研究者を悩ませてきました。
明治以降の園芸書には、ヒュウガミズキは別名イヨミズキの名でも出ています。トサミズキ属の分類と分布を詳しく調べた山中二男氏(1966年)によると、ヒュウガミズキの確かな生育地は石川県、福井県、京都府、兵庫県の4県内に限られていて、日向(宮崎県)や伊予(愛媛県)などの自生は見られないといいます。
牧野富太郎博士は、花も葉も実も小さいことから、「ヒメミズキ」と名づけられ、それが訛ってヒュウガミズキと呼ばれるようになったのだろうと述べていますが、根拠があるわけではありません。京都府北部の丹波地方に見られることから戦国時代にこの地を所領していた「明智日向守光秀」に由来するとの説もあるようです。これに対して森林植物研究家の峠田宏さんはおもしろい説を述べています。
江戸時代から園芸植物としての地位を得ていたトサミズキに対して、小ぶりな方の品種を何と売り込んだのか。土佐と区別するために、産地でもない「伊予」や「日向」を適当につけたところ、伊予の方は受けが悪かったようです。
やはり、何らかの理由付けが必要なのです。旧国名の日向ではなく、「日向守」のヒュウガミズキといえば、人気のあった明智日向守が連想され、その領地と産地が重なっていることも理由になります(子ども樹木博士ニュースNO78 樹木名の話16 峠田宏)。
峠田さんによれば、土佐の名で地位を得たトサミズキに対抗して、園芸業者がヒュウガミズキを広めるため、産地と関わりなく、日向や伊予の名をつけて売り込みをはかり、日向の名が残ったのではないかという話なのです。
トサミズキとヒュウガミズキは19世紀にシーボルトの『日本植物誌』(1835~1870)によって海外に紹介されています。この本は初めて日本の植物を本格的な彩色図譜で紹介したもので、図版は驚くほど精緻で美しいものです。このときのトサミズキは和名が「Tosa-midsuki」と表記されていますが、ヒュウガミズキは「―」となっています。当時の和名はまだはっきりしていなかったのでしょう。
植物学者や研究者が悩んでいる間にも、名の決まらない樹木をどう名づけて広めていくかは園芸業者の取り組みとして当然ありうることです。峠田さんの話が本当のところなのかもしれません。
トサミズキは土壌を選ばず、人の手を借りて仲間を増やしています。
トサミズキは土佐近辺の蛇紋岩地帯に自生、ヒュウガミズキも蛇紋岩・カンラン岩地帯などの限られた地域に分布していますが、蛇紋岩は硬くて風化しにくく、蛇紋岩から溶け出すマグネシウムイオンは、植物の根からの吸水を鈍らせるので、このような土壌には通常の草木は生育できないといわれています。
トサミズキやヒュウガミズキはおそらく他の場所では他の樹木との競争に負けてしまい、蛇紋岩地帯の特殊な環境に適応することで生き延びてきたのでしょう。
蛇紋岩の山といえば、尾瀬の至仏山や笠ヶ岳、岩手の早池峰山が知られています。花の山で知られる早池峰山に登ったときに、山名を冠したハヤチネウスユキソウやナンブトウウチソウ、ナンブトラノオなどの世界でも稀な高山植物に出会うことができました。これらの植物は普通の植物が育たない蛇紋岩の地に生存の場を求めて適応し独自の進化をとげてきたもので蛇紋岩残存種と呼ばれています。他の蛇紋岩の山でも一般の山で見られない高山植物が蛇紋岩残存種として残っています。
蛇紋岩残存種は、その地に適応して生き延びていますが、逆にその地を離れると生きることのできない希少種です。ところが、蛇紋岩残存種でもあるトサミズキやヒュウガミズキは、幸運にも土壌を選ばないという性質を持っていました。自然界では限られた土地でしか自生できなくても、早春の花を求める人の手によって、これからも庭や公園で植え続けられていくでしょう。
トサミズキやヒュウガミズキは人の手を借りてか、あるいは巧みに利用してか、園芸樹として生きることで生存の道を見出しているのです。(千)
◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花