mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより119 クロモジ

  マンサクに続く早春の花  爽やかな木の香り

 早春の青葉山の林を歩くと、木々の冬芽が動き出している気配がしました。春を待つ思いは人も草木も同じです。

   絹の如く ふくらみ来る 黒文字の 芽の下に丸き 蕾いまだし  土屋文明  

 歌人土屋文明は第七歌集「山下水」のなかで「黒文字の花」と題して5首詠んでいます。これは冬芽の芽吹きを今かと待ち望んでいる1首です。そのクロモジ(オオバクロモジ)の蕾がふくらみ始めていました。


            春の雨が冬芽を目覚めさせたようです。

 クロモジ(オオバクロモジ)の冬芽は、他の木々の冬芽と比べると独特の形をしています。この形を覚えておくと、見つけるのはそう難しくないでしょう。
 冬芽は枝先の中央に真っすぐ細長い芽が立ち、そのまわりを2個から4個の丸い芽が囲むようについています。中央の細長い芽は「葉芽」で、開いて葉になります。まわりの丸い芽は「花芽」で、ふくらんで花の蕾となります。


    中央の芽からは新葉が、わきの丸い芽からは淡黄色の花があらわれます。

 クロモジという変わった名の由来には諸説あります。木の枝の緑色の樹皮に黒い斑点があって、その並ぶ斑点が文字のように見えるのでクロモジ(黒文字)の名になったというのが一般に知られている説です。『新牧野日本植物図鑑』(牧野富太郎著)には「黒斑を文字に擬せしに由るならん乎と思はる」という文章があって、これがもとになっているようです。
 この斑点は地衣類の一種です。幹が大きくなると消えてしまいます。


   若い枝の黒い斑点      幹に見られる斑点      斑点が消えた幹

 牧野説とは異なる説があって、それは、「黒文字」の「文字」が書かれる文字ではなく、中世の、語末にもじ(文字)をつける女房言葉から来ているというものです。古くは、キ(葱)を「ひともじ(一文字)」といい、ニラ(韮)を「ふたもじ(二文字)」と呼んでいました。「しゃくし(杓子)」を「しゃもじ(杓文字)」といった呼び名は、今でも残っています。また、木の呼び名では、削った木をシラキ(白木)、山から伐り出し皮のついたままの木をクロキ(黒木)といいました。クロモジは古くから皮つきのまま一方を削り爪楊枝として使用されていて、それでこの木を「黒文字」と呼んだという説です(吉田金彦編『語源辞典』・東京堂出版)。
 異なる説が出されると、視点を変えた新しい見方ができます。議論も生まれます。長い時間の間に、多くの人が納得できるかたちの説が定着していくのでしょう。

 クロモジの樹皮を一部残し角形に削った楊枝は、爽やかな香りがします。今でも「黒文字」の名で、茶事で和菓子を味わうときに添えられます。
 木の香りは、クロモジ木の枝や葉をこすったときに強く漂います。山道を歩いて一休みのときなどに、細い枝を軽く折って試してみてください。いい香りがしてきます。噛むと甘く爽快感があって疲れが消えてしまいます。

 
    枝や幹を傷つけると香りが漂います。  黒文字の楊枝は和菓子に添えられます。

 クロモジは、クスノキ科クロモジ属の落葉低木です。オオバクロモジは、クロモジの変種とされています。
 『宮城の樹木』(河北新報社)をみると「基本種のクロモジは関東以西に生える。オオバクロモジは北日本に生育し、クロモジに比べて全体が大型で葉が大きいので、亜種に分類されているが、葉の大きさなどに中間型が多くみられはっきり区別できない。宮城県では丘陵地や山地に普通にみられ、特にブナ林内に多い。」とあります。仙台市青葉山太白山周辺、蔵王山や船形山、栗駒山のブナ帯に生えているクロモジは、オオバクロモジと考えていいようです。

 
         オオバクロモジの芽吹き            芽吹く花と葉

 早春の森や林でいち早く開花するのはマンサクの花(季節のたより21)ですが、続いて咲き出すのがオオバクロモジの花です。開花と同時に葉も開き、色彩の少ない林のなかに、半透明の黄色い花と若葉が、点描画のように浮かび上がります。

 小さかった丸い花芽からは、10個ほどの淡黄緑色の小さな花がこぼれるように
出てきます。花たちは球形に集まって、枝々で花かんざしのようになって咲き出します。

 
  つぼみから飛び出す花          球形に集まる花。

 オオバクロモジは雌雄異株です。開いた花は雌花も雄花も同じに見えますが、内部を見ると区別がつきます。雄花は雄しべが9個だけ並んでいます。雌花は中心に雌しべがひとつ、そのまわりを仮雄しべのようなものがとり囲んでいます。
 花が開くと小さな虫たちが蜜を吸いに集まってきます。オオバクロモジは虫たちに花粉を運んでもらう虫媒花です。


    雄株の雄花        雌株の雌花       花の蜜を吸う虫

 開花とともに開いた若葉は、その葉を広げて緑を濃くしていきます。葉を水平にして重ならないようにしているのは、効率のよい光合成をめざしたからでしょう。
 受粉を終えた雌花には、やがて直径5ミリほどの緑色の実ができます。

 
   オオバクロモジの実           葉の上に見える実

 秋になると、オオバクロモジの葉は鮮やかな黄色に色づきます。暗い場所でも光を放っているように明るくきれいです。
 緑の実は熟して黒くなります。人の食用にはなりませんが、アカハラオナガ、カラス、ツグミ、ヤマドリなどが啄みにやってきます。
 実のなかには黒褐色の種子が1個入っていて、小鳥たちに食べられて糞と一緒に排出されます。オオバクロモジは、野鳥たちの力を借りて分布を広げていきます。

 黄葉した枝先には、すでに翌春の冬芽が周到に準備されていました。

 
     熟した黒い実               翌春の冬芽

 オオバクロモジは雌雄異株で丈夫な子孫(種子)をつくり分布を広げますが、せっかく芽が出て成長しても低木なので生存は難しくなります。ところが、秋田のブナ帯の森では、ほとんどが暗い林床でも長生きし、驚くほど多く繁茂しているそうです。それは「古い幹が枯れると、根元から新しい枝が出て」「根株は拡がり100年も生き続ける(樹木シリーズ78・オオバクロモジ 森と水の郷あきた)。」からだそうです。オオバクロモジは高木には真似のできない低木なりの生き方で生存を続けています。

 
       芽吹く葉と雄花             若葉と雄花

 オオバクロモジの木はその特質から、東北地方の山村生活では欠かせない樹木のひとつでした。水をよくはじくので、山中で火を焚くときの焚き付けに使われました。その葉は香りが良く殺菌作用もあったので、山のキノコなどの収穫物を包む包装材にもなりました。また、材質は軽くてしなやかなので鎌の柄になったり、猟をするマタギたちが雪原を歩くカンジキのとても良い素材になったりしました。

 オオバクロモジやクロモジは古くから薬用にも使われていました。幹や枝を粉砕して作られた生薬名を「烏樟(ウショウ)」といいます。この生薬を生かして作られているのが、薬用酒として市販されている「養命酒」です。
養命酒」のラベルの成分表をみると、14種の生薬が調合されています。最も多くの量を占めているのが「烏樟」(全体の約40%)でした。「養命酒」の主要成分はクロモジで作られています。


    クロモジやオオバクロモジは、人の暮らしに欠かせない木でした。

 クロモジの木が登場する小説はありませんが、唯一登場しているのが、宮沢賢治の童話です。賢治童話の魅力はその豊かな自然描写にあるのですが、このクロモジの描写については、気になっていることがありました。
マグノリアの木』では、諒案が急斜面を登っていく場面で描写されます。

 諒案はそのくろもじの枝にとりついてのぼりました。くろもじはかすかな匂を霧に送り霧は俄かに乳いろの柔らかなやさしいものを諒案によこしました。
                      (校本宮沢賢治全集 第8巻)

 クロモジのかすかな匂いは、諒案がクロモジの枝にとりついたとき、その枝が折れるか傷つくかして、匂いを発したものでしょう。描写されてはいませんが、そう想像してもいいように思います。

『なめとこ山の熊』では、熊の親子の話を聞いた小十郎がその場を立ち去る場面で、クロモジが登場します。

 風があっちへ行くな行くなと思いながらそろそろと小十郎は後退りした。くろもじの木の匂が月のあかりといっしょにすうっとさした。
                      (校本宮沢賢治全集 第9巻)

『税務署長の冒険』では、税務署長と蜜造犯の名誉村長が最後に言葉を交わす場面で描かれています。

 所長はそらを見あげた。春らしいしめった白い雲が丘の上からぼおっと出てくろもじのにおいが風にふうっと漂って来た。/「ああいい匂だな。」署長が云った。/「いい匂ですな。」名誉村長が云った。    (校本宮沢賢治全集 第9巻)
                  
 あとの二つ作品の描写は『マグノリアの木』と異なり、クロモジの木そのものが匂うように描かれています。でも、クロモジは花も木も漂う匂いを持ちません。木の外皮を剥ぐか枝を傷つけたときに、初めて漂う香りが発生してきます。とすると、この場面は、どうよみとればいいのでしょう。
 『なめとこ山の熊』や『税務署長の冒険』のクロモジの場面を初めて読んだとき、私はこのままでは、「クロモジの木は匂い持つ木」と誤解されてしまうなあと思いました。一方で、「ああ、この場面はクロモジの匂いはぴったりだなあ」と思う矛盾した感想を持ちました。
 賢治は科学者であり、宗教家であり、文学者でもありました。「新しい時代のコペルニクスよ/余りにも重苦しい重力の法則から/この銀河系統を解き放て」と詩のなかで詠っています(『生徒諸君に寄せる』)。そうなのです。草の実が虹に憧れたり(『めくらぶどうと虹』)、花が鳥に話しかけたり(『まなづるとダァリヤ』)する童話を描く作家には、植物学的な知識だけにとらわれない自由な精神と想像力が働いていることを忘れてはいけないなと思ったのです。そこには、主観と客観、科学と文学の表現にかかわる永遠のテーマがひそんでいるように思いました。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花