チャンスを待っていつでも発芽 小さな花の知恵
あたたかな日差しのなか、道端の草花たちが冬の寒さから解放されたように生き生きしています。見ると放射状に広げた葉の間から、ナズナの花のつぼみがのぞいています。もうすぐ白い米粒のような花がいっぱい咲き出すことでしょう。
光の春を感じて ナズナは花茎を伸ばし咲き出します。
ナズナの花を見ると、宮城の国語教育の実践家だった門真隆先生のことを思い出します。亡くなられたあと、共に学んだ民教研やサークルの仲間の手で、「こどもと生きて-門真隆 ひとと仕事」(1996年・きた出版)という遺稿集がつくられました。(センター通信別冊19号では、宮城の教師「門真隆と子どもたち」を特集しています。)
その遺稿集の編集会議で、読ませてもらった学級通信の名が「なずな」でした。
門真先生が1年生を担任したときのもので、ガリ版印刷した1枚ごとの通信が、4冊の分厚い冊子に製本されていました。
第1号には、新学期のこどもたちとの校庭めぐりの様子が書かれています。
とてもあたたかい日、校庭めぐりをしました。今の学校の女王さまはクロッカスのようです。白に紫にだいだい色にならんで咲いていました。・・・・校庭のすみの方の観察園の方へまわっていきました。そこで小さな花たちを見つけたのです。・・・はこべ・・おおいぬのふぐり・・のぼろぎく・・。そんな中に5センチぐらいの草たけで先に小さな小さな白い点々とつけたものがあったのです。よく見ました。なずなでした。子どもに「なずなだよ。ペンペンぐさってもいうよ。」というと、まさとくんが「ぼくしってる。からからってなるんだよ。」と話してくれました。つぎの朝、順子ちゃんが銀紙で花たばのようにして、なずなと何かの花をもってきてくれました。・・・・
春の花壇はまもなくクロッカスからけんらんと咲くチューリップにかわるでしょう。そうなれば、なずななどもうだれの目にもとまらなくなるでしょう。でも、なずなは「よく見れば」しずかに美しくさいているのです。・・・・・・
小学校の第一週目の感想を言えた子はクロッカスであり、水仙であり、桜じゃないのかな。「言わなかった」子は、なずなの花じゃあないのか。「言わなかった」と言う花をさかせているのではないのかなと思いました。はなやかな子もいますが、静かな子も美しいのです。・・・・・。
はなやかな子もいるが、静かな子も美しい。学級通信のタイトル「なずな」には、門真先生のこども観と教育観がこめられていると感じたのでした。
クロッカスやチューリップの花壇にも 姿をみせるナズナ
ナズナはアブラナ科ナズナ属の越年草で、西アジアが原産です。日本へは麦が伝えられたときに、その種子とともに日本に渡来した史前帰化植物の一つと考えられています。
ナズナはよく見ないと、本当に気づかないほど、存在感のうすい草花です。でも、古くから日本の各地に分布していて、「春の七草」の一つに数えられ、平安時代ころからは、「七草がゆ」にして食べられてきました。
冬でも緑なので、生命力が強く邪気を払うと信じられ、菜の花と同じアブラナ科なので栄養価が高いので、冬季の栄養不足を補う役目もしていたようです。
今も正月の1月7日には、「年の初めに体を労わり、邪気を払う」ということで、七草がゆを食べる習慣が受け継がれています。
トントンという包丁がたたくまな板の音とともに、幼い頃に母から聞いた「七草はやし」は、こんな歌でした。
“七草ただげ 七草ただげ 七草なずな 唐土(とうど)の鳥と いなかの鳥と
通らぬ先に 七草ただげ”
この「おはやし」にも「七草なずな」と韻をふみ、ナズナが歌われていました。
ちなみに、ナズナの名前の由来には、切り刻むという意味の「ナズ」に菜がついてナズナになったという説、春、秋、冬には生え、夏には生えて無いという意味から「夏無」が転じてナズナになったという説、撫でたいほど可愛い花という「撫菜」が転じてナズナになったという説など多くあります。確証はなく、いろいろな人が「由来さがし」を楽しんでいるようです。
野原では、ヒメオドリコソウやオオイヌノフグリなどと共存しています。
正月には重宝されるナズナですが、荒れ地などのやせた土地でも生えるので、農地などに生えていると、ナズナと呼ばれないで、貧乏草、ぺんぺん草という別名で呼ばれてバカにされます。諺に「ぺんぺん草も生えない」というのは、それほど荒れ果てた土地のことをいいます。ぺんぺん草とは、小さな実が三味線のバチのようで、三味線をひく音が「ぺんぺん」するから。それで別名にシャミセングサ(三味線草)というのもあります。
ナズナはふつう秋に芽生えて、葉を地面に放射状に広げる「ロゼット」と呼ばれる姿で冬を越します。葉を地面にはりつかせると、地面は温かく、地上を吹く風もやり過ごせるのでしょう。広げた葉は冬でも光合成ができるので、冬の間もせっせと根に栄養分を蓄えて、春の開花に備えています。
冬越しのロゼットの姿 春を感じ、花茎を伸ばし開花する姿
ナズナは、春の兆しを感じると花茎を伸ばし、短くてもその先に花をつけます。花茎をぐんぐん伸ばして下から上へと花を咲かせ、下の方の花が終わって種子が形成される間も、先端部では次々とつぼみをつくり開花していきます
小さな花の直径は、3mmほど。白い花びらが4枚、雌しべが1、雄しべが6こあって、虫のいない時期は自家受粉で種子をつくります。
上部には花、下の方は実 中心部は花のつぼみ アブラナ科特有の十字花
ナズナの花が終わった後には、花序は長く伸びて独特の実ができます。実は逆さにした三角形の平べったいもので、先端は少し凹んでいて、三味線のバチに似た特徴のある形をしています。
実が膨らんだころ、実の柄をひとすじ残して引き下ろして垂らし、でんでん太鼓のオモチャのように、耳元でそっとゆらすと、しゃらしゃらとやさしい音がします。
門真先生のクラスのまさとくんが、「ぼくしってる。からからってなるんだよ。」と話していたのは、この草花遊びでした。
伸びた花茎にはたくさんの実が連なります。 ナズナの草花遊び
ナズナの実は熟してくると、2つに割れてなかの種子がこぼれ落ちます。落ちた種子はその場に落ちるだけでなく、雨や土の水分でぬれると、ネバネバの液体を出して人のズボンや靴の裏などにくっつき、遠くの地に運ばれます。人は知らず知らずのうちにナズナの種子の運び屋をしているわけです。オオバコの種子もそんな方法を使っていましたね。(季節のたより11 オオバコ)
下からできる実 2部屋に分かれる実 熟すと、実は緑から褐色に変化
ナズナは秋に発芽し、ロゼットで冬を過ごし春に花を咲かせるのが普通ですが、観察してみると、春から夏の間でも発芽して、いつも切れ目なく花を咲かせていることに気がつきます。
ナズナの生えている所は人里に近い環境です。そこはたえず地面が耕されたり、工事で掘り起こされたりする不安定な自然環境です。他の植物との競争を避けて、あえてその場を選んでいるところは、ハコベと共通しています。(季節のたより70 ハコベ)明日何が起きるかわからない自然環境では、どんなに順調に生育していてもいのちの保証はありません。だから、ナズナは、秋に限らず、春でも夏でも芽を出し、とにかく大量の種子をつくって生き延びようとしているのです。
ナズナの種子は地面に落下後、約3ヶ月で発芽が可能な状態になります。発芽適温はおおよそ10℃から25℃で、発生深度は比較的浅く条件さえ合えばいつでも発芽します。しかも、人為的に土地がほりおこされて、土壌が攪乱されると発芽率が高くなるというのです。地面の下での種子の寿命は比較的長く、膨大な量の種子が眠っていて、チャンスがあれば、いつでも、いくらでも、発芽できるようになっています。目立たない小さな花のたくましい知恵を見る思いがします。
ナズナのほかに、ナズナの名がついている植物に、グンバイナズナ、イヌナズナ、シロイヌナズナがあげられます。
おもしろいのはシロイヌナズナです。シロイヌナズナは他のナズナと同じぺんぺん草あつかいでしたが、植物の遺伝子レベルの研究の進歩とともに、遺伝子研究に最適の植物と注目されたのです。2000年に初めて全ゲノムが解読されるなど、今では世界で最もくわしく研究されている植物になっています。
それぞれの植物に、どんな可能性が秘められているのかは、あとになってから
わかることです。
栄光も喝采もなく人の逝くぺんぺん草は野辺に光れり 小川千賀子
ナズナは人に「雑草」あつかいされる植物ですが、人の利益とは無関係に、この地上に生まれて、進化の歴史を重ねながら、今を生きています。
人に役に立つ薬草と呼ばれる植物は、約5万種から7万種発見されているそうです。これらの植物が持つ薬の成分は、人の役立つためではなく、その植物が生きるために必要なものとして生み出されたものです。
人間はその植物を人に役立つように利用すると考えるか、それとも植物の恩恵を受けていると考えるかで、自然のいのちへの向き合い方も違ってくるでしょう。
「生物多様性条約」が作られたとき、前文の原案にあったのは次の文章です。
「人類が他の生物と共に地球を分かち合っていることを認め、それらの生物が人類に対する利益とは関係なく存在していることを受け入れる」
この文章は、最終的に削除されてしまいました。多様な生きものたちのいのちが「人間のためだけに存在している」という考え方が、世界のなかでも根深く残っているということに、気づかされたできごとでした。(千)
◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花