mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

正さんのお遍路紀行(四国・香川編)その5

 涅槃の道場 ~6日間で香川を歩き、結願をめざす~

【5日目】3月19日(木)~ 源平合戦の舞台“壇ノ浦”を歩く~ (20℃暑い)

宿発 8:50 ⇒(7km)⇒ 琴電瓦町駅 10:46 ⇒(5km)⇒ 琴電潟元駅 11:00 ⇒(3km)⇒ 84屋島寺 12:05 ⇒(5.4km)⇒ リフト利用 ⇒ 85八栗寺 14:40 ⇒(7km)⇒ 86志度寺 16:50(1km)⇒ 宿着 18:30

 本日の日程を考えたとき、無駄なく歩いても志度寺に着くのは5時ぎりぎりだ。足裏の状態もかなり悪化するだろう。明日の最終日に少しでも余力を残しておく必要がある。そう考えて、今日は乗り物が使えるところは使おうと決めた。全て自分の足で!と望んできたが、最終目的は88番にたどり着くことなので目をつぶることにした。なので出発時間も大幅に変更。

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    お接待パート2

 琴電瓦町駅に向かう遍路道(といっても街の中)をせっせと歩いていたら、自転車に乗ったおばさまが、キキーと目の前で止まり「ちょっと待って」と荷台の袋をがさがさやりだした。そして、「おつかれさま」とみかんとチョコレート菓子を渡された。何度もお礼を言って歩き出そうとしたら、「あ、そうだ!」と今度はタッパーを取り出して「おいしいイチゴだから2個取って。大きいの取って。」何でしょう、そんなにしてもらうほど信心深いわけではないので申し訳ない気持ちだった。これからお花の稽古に行くところだったから、お仲間にと思っておいしいイチゴを洗ってきたとのこと。どこから?と聞かれたので、仙台ですと言うと、震災復興は進んでいますかと尋ねられた。ちょっとの時間だったが、こんな遠くにも東北の震災を気にかけてくれる人がいるんだと拝みたくなった。元気もらったな。

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  屋島寺への登り(急坂には見えないが急坂)

《盲目の方と話す》
 この日は気温20度と夏のような暑さ。汗だくで1時間ほど登ると到着なのだが、途中の水場で休憩した。すると、上から白杖を突いた方が一人で降りてきた。「お一人で大丈夫ですか?」と声をかけると、お話好きのようでいろんなことを話し出した。この麓に住んでる方で、初めは見えていたそうなんですが視野狭窄という病気になり、今はほとんど見えなくなってるとのこと。直らないものなのかと聞くと、直らないとのこと。見えなくなるに従って行動自体も家のなか中心になるので、リハビリもかねてここを登っているとのこと。自分の生活を豊かにするには、決まった動線だけでなく知らない場所を歩いて広げていくしかないのだと思った。話していて、この方は自分の病を悲観している風もなく、ありのままに受け入れ、自分にできることを楽しみながらやっているように感じた。どこか堂々としているようにも思った。

 上の写真ではすっかり整備されているように見えるが、所々に階段もあり、部分的に斜めになっていたりもする。だから、「下りは超慎重に降りて下さい。人も頼ってくださいよ。」と声をかけると彼は最後に握手を求めてきた。 “ あ、コロナ ” と頭をよぎったが、すかさず握り返した。そういえば、昨年愛媛のお遍路で会った方も視野狭窄だったなあ。彼らにとって「歩く」ことそのものが生きることなんだなあ。

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       84番 屋島寺に狸がいる?

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         壇ノ浦が眼下に(八栗寺はあの山か)

 屋島寺から次の八栗寺に繋がる遍路道は山門を戻るのではなく、血の池を通過となっていた。東大門を出るとすぐにその池はあった。何だってすごい名前の池なんだことと思いながら水面を見たが、澱んだ普通の色だった。林を抜けたら急に視界が開けた。思わず写真を撮る。そうしたら急坂を登って地元のおんちゃんがやって来た。「今日はどこまで行くんだい?」と聞かれたので、「志度寺です」と言うと、「ずっと奥に湾が見えるだろう。あそこだから十分行けるよ。」と教えてくれた。ついでなので「八栗寺はあの山ですよね。」と聞いてみた。「そうそう。こっからなら1時間ぐらいで行くんじゃないかな。」とのこと。励ましてくれたんだろうけど、この急坂を下って街を抜けてまた登って・・・1時間じゃ絶対無理。空海じゃないんだから。と、この時は、歩くことしか考えていなかった。

 仙台に戻って再度地図や資料を眺めていたら、何と下に見える湾が壇ノ浦だったのだ。義経の弓流し、那須与一の扇の的など、源平絵巻の舞台が目の前に広がっていたのにちっとも気づかなかった。あの「血の池」は、壇ノ浦の戦いで武士たちが血刀を洗ったことに由来するらしいと知った。

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遍路道にイノシシ進入防止柵が!     菜の花畑で足が止まる

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    本場「讃岐のぶっかけ」にありつく

 八栗寺へのリフト乗り場手前に料亭構えのうどん屋さんがあった。ここまで来て、本場のうどんを食わずに帰れるものかと暖簾をくぐった。嬉しくて写真を撮った。結果、お口に合わなかった。なぜか。付け汁が上品で薄味すぎた。当然うどんそのものの味が際立つ。醤油味を基本として食べているおいらには、うどんだけを食べている感覚だった。決してまずいと言ってるのではない。食習慣の違いである。他のお客さんはおいしそうにちゅるちゅる食べていた。

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     五剣山と一体になった85番八栗寺

《日本一周の青年と出会う》
 今日はこれまでになく、いろいろな人とふれあう時間が多かったので、やっぱり最後は時間との闘いだった。志度寺に着いたのは5時少し前だった。慌てて本堂に駆け込み、参拝していたらベンチに座っていた若者に声をかけられた。そばに大きなザックが置いてある。自分はお遍路ではなく、放浪していると語った。何か面白そうな奴だと思い、隣に座って話を聞いた。日本の海岸線を歩いて日本一周をしている途中だと言った。「じゃ、無職か?」と聞くと、「いや、働いてお金が貯まったら、2ヶ月ぐらいこのたびを続けるの。それで今回は四国に入った。ところで、あなたは仕事は?」と切り替えされた。「定年退職して今はパートだから、無職のようなもんだな。君と一緒だ、あははは」
 海岸線だけを歩くのは、容易なことではない。それはおいらも知床半島の海岸線を岬に向かって歩いたことがあるからよく分かる。彼は自分の話が通じると思ったか、家族のことや今の時代のことやひいては政治に対する意見なども話し出した。当然こちらも、自分の職業が面白かったことや家族のことを話すことになった。1時間以上も話したろうか辺りは真っ暗になっていた。

 彼はわたしの息子と同じ27歳。なのに、「今の若い連中は仕事をして給料もらって親に何でもやってもらって、それでいて文句しか言わねえ。そういうことのありがたみを全く感じてないんだ。自分は一人で歩いてみてそれがよく分かるようになった。」などと言う。また、息子の話になったとき、「仕事はしてるのか?どんな仕事をしてるのか?」とすごく聞きたがった。子ども時代は学校が好きではなく、あまり行ってないような感じだった。そんなことを合わせると、彼の旅は日本一周することが目標ではなく、これからどう生きるかを考える時間なのではないかと思った。社会に乗り切れなくてもがいているようにも見えた。何の励ましもできなかったが、「一人旅はどうしたって決定を強いる場面がたくさん出てくる。特に君の歩く海岸線は危険を必ず含んでいるから正確な判断も求められる。そういうことが貴重な財産になるぞ。がんばれよ!」と先輩ぶるのが精一杯だった。そうしたら「子どもに関わる仕事は十分にしたんだから、四国だけじゃなく外国を回ったりする時間に使ったほうがいいよ。」と諭された。彼の母親も教員で、きつくて早めにやめたと言っていたから、そんな姿を見ての言葉だったのだろう。
 彼は今夜のねぐらを求めて数キロ離れた道の駅へ歩いて行った。