mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

新年度、コロナのなかでつれづれに・・・

 コロナウイルスの感染拡大の影が、目に見える形で私たちの生活にひたひたと広がってきている。今週に入って自宅から最寄りの地下鉄駅までの人影が明らかに少なくなってきたように感じる。駅に向かう人たちは、みな足早で寡黙だ。町がとくに静まり返って感じられるのは、保育所に保護者とむかう子どもたちの声がしないせいかもしれない。

 地下鉄の車内も学校が一向に始まらないことと、テレワークや時差出勤なども増えているのだろうか? いつもは背中のバックを前に抱えるのに、そのまま背負ったまま乗っても大丈夫だ。どこからか風が入ってくると思ったら、車両端の窓の上部が数センチほど空いている。車内の換気のためだ。アナウンスが、そのことを淡々と伝える。一方退勤時の地下鉄は遊んだり飲みに行ったりしないでまっすぐみんな家路につくせいだろう、ずいぶん混んでいる。朝の時差出勤はあっても、帰りの時差退勤はあまりないのだろう。

 変わったのはまわりだけではない。今週から私たちも自宅待機も加味しての仕事となった。それだけではない。4月に予定していたセンターの学習会(『教育』を読む会、ゼミナールSirube、道徳と教育を考える会)もすべて取りやめた。この間、私たちだけでなく様々な文化的な企画や行事・イベントがとりやめとなっている。コロナのことを考えるなら仕方ないことなのだろう。でも、仕方ないでコロナが終息するまで手をこまねいて待っているだけでよいのだろうか。

 少し前の事務局会議で、3月2日の学校一斉休校からこれまで学校の先生たちは子どものいない学校でどのような時間を過ごしたのだろう。そしてこれから先の、どうなるか見えない時間をどう過ごすのだろう。そんなことが話題になった。それは学校ってなんだろう、教育ってなんだろうという問いにもつながっていくのではないだろうか。

 文化は人と人とをつなぐ。初代センター代表・所長の中森がよく口にしていたことだ。その文化的な取り組みが私たちの生活からどんどん縮小していっている。
 今のような状況のなかで何をどのようにできるかは即答できないが、こういう時だからこそ何が大切なのか、何ができるのかを模索し、考えていきたい。(キヨ)