小さな星の花 根は古代からの茜色の染料に
「茜(あかね)色の空」とは美しい夕焼け空を表現することばです。茜色は「朱色」より少し沈んだ色合いの黄色みを帯びた暗い赤色のことで、日本では古来、アカネという植物を使って染められていました。
アカネは花も葉も茎も赤色とはまったく無縁の植物ですが、その根を引き抜くとはっとするほど鮮明な赤い根が現れます。それでアカネ(赤根)と呼ばれていました。
アカネの花
アカネは、アカネ科アカネ属のつる性の多年草植物です。本州、四国、九州などの山野に自生しています。ニホンアカネ、アカネカズラ、ベニカズラの別名でよばれることもあります。
藪のなかでアカネを見つけようとするときは、輪生する4枚の葉を探します。4枚輪生しているように見えますが、実際は対生する2枚の葉が本葉で、残りの2枚は托葉が変化したものといわれています。輪生する葉はほっそりとしたハート型で、先端が尖っているのが特徴です。
ツルを茂らせるアカネ 4枚が輪生するように見える葉
茎は触ってみると四角形です。4稜があって、その稜上にトゲが下向きについています。トゲは葉の柄にも裏面にも、ツルを伸ばす先端の若い芽にもあって、他の植物などに寄りかかり、トゲをひっかけて伸びていきます。このトゲは、肉眼ではかすかに見える小さいトゲですが、素手で触ると痛いので、アカネ自身の身を守る役目もしているようです。
同じアカネ科のヘクソカズラ(季節のたより129)にはトゲはなく、茎自体で他の植物に巻きついて伸びていきますが、アカネは身近な植物にトゲをひっかけ、寄りかかって伸びていきます。同じつる植物でも、巻きつき型、寄りかかり型、吸盤型、巻きひげ型など、それぞれ知恵を働かせていておもしろいものです。
春先にアカネは他の植物より遅れて新芽を出します。一緒に芽生えると、寄りかかる相手がいなくて困るので、相手が十分に育つのを待ってから新芽を出すのです。アカネの知恵もなかなかのものです。
茎は四角形 稜に生えるトゲ トゲは下向き 若芽や葉もトゲがあります。
花の時期は晩夏から秋(8月~10月)にかけてです。茎先の葉のわきから花序を出し、淡い黄緑色や淡黄色の小さい花をたくさん咲かせます。
開花したばかりの花は、花びらが横に広がりきれいな星の形をしています。合弁花で5つに裂けた花びらが5枚、おしべが5本、めしべの花柱が2つあります。めしべのまわりには蜜を出す腺体が取り囲んでいます。時間が経つと花びらの端が外側にくるんと巻いていきます。
花のしくみは整っていますが、一つの花は小さく、花そのものが地味でまったく目立ちません。
葉のわきから花序を出します。 開花直後の花 時間がたった花
それでも、花の時期には分岐した枝の先に、小さな花をこれでもかというほどいいっぱい咲かせて、遠くからでも真っ白に目立って見えるようになります。
小さな花は多数集合することで、昆虫たちに花の存在を知らせているのです。
アカネは小さい花をたくさんつけるので、開花の時期には目立ちます。
この写真に写っている花だけでも、数千個近く咲いているでしょうか。
アカネの花の蜜を吸いに集まってくるのはハナアブの仲間です。せわしく飛び回りますが、それでもこれだけの花が咲いていると、すべての花をまわりきれないようです。うまく受粉できた花は丸い実をつけますが、実のできない花もかなりあります。受粉率はよくなく、花の数でカバーしているようです。
ふくらみ始めた実は鮮やかな緑色をしています。実は2個がくっついているものと、1個のものがありました。めしべの花柱は2つなので実がくっつき瓢箪型になるのが普通でしょうが、一個のものもかなりあります。
緑色の若い実は、熟しながら色を変化させていきます。
ふくらみ始めた緑色の実 紫色から黒色に変化していきます。
植物の実は鳥やけものたちに食べてもらうことで、なかの種子が遠くまで運ばれ、生育域を広げることができます。生育域を広げれば、自然災害や異常気象などによる絶滅のリスクを低くすることができます。
実の色はなかの種子が発芽できるまでの成熟の変化を示しています。種子が未熟なうちは、実は葉と同じ緑色をしています。種子が発芽できるようになったとき、その実は鮮やかな赤や黒色になり、鳥やけものの目をひきつけ、食べてもらうようにしているのです。
成熟した黒い実 実をつけない花も多くあります。
アカネの種子は自然界でどの程度発芽するのでしょうか。
アカネ染めの原料であるアカネ生息数は減少し、今では貴重な植物となっているということで、日本の伝統色を未来に残すためにアカネ栽培に取り組んでいる方がいて(万葉草さん)、その様子がブログ「万葉草ファーム」に報告されています。そのなかに自然状態でアカネの種子をまき、発芽の様子を観察した記録がありました。
昨年に収穫した約1万粒の日本茜の種を2月初旬に圃場に蒔きました。日本茜は種から発芽する確率が低いので有名です。しかし、発芽を促進させる作業は特になにもしませんでした。純粋に自然の力での発芽を目指します。
今年は結構、暖かい日が続いていたので、早く芽が出るかなと思い、観察していましたが、一向に芽が出ません。(略)ちょっと心配しておりましたが、ようやく発芽が確認できました。種蒔きから44日後の3月21日。約1万粒の種から3つか4つの種の発芽。あまり期待していませんが、この先どれくらいの種が発芽するか楽しみです。
(ブログ『万葉草ファーム』2023年3月の記録・日本茜 種まきから発芽)
アカネの種子は自然環境の中では一斉に発芽せず、何カ月もずれて発芽するという特徴があるとのことです。その後の観察によると、最初の発芽から約2カ月半経過後も少しずつ発芽が続いていったそうです。
それにしても約1万粒の種をまいて最初は3つか4つの発芽とは驚きます。その後の発芽の数を合わせたとしても、発芽率はかなりの低さです。
野生の植物が種子の発芽時期をずらしているのは、揃って発芽すると、生育期間中の乾燥や. 低温などの異常気象による絶滅の危険があるからです。
アカネの場合は、発芽率の低さも絶滅の危険がともなっています。そうであっても時期をずらして発芽したいくつかの種子が、大きく成長し地下に根を張ることができれば、ひとまず安心ということでしょうか。
アカネは冬に地上部が枯れてしまいますが、地下に張った根は生きていて、春になるとその根から新芽を出すことを何年も繰り返すことができるからです。
花の受粉率も種の発芽率もあまり良いとはいえないアカネですが、地下に根を残すことで、毎年多くの花を咲かせ、実を結び、そのいのちをつないできたのでしょう。
そのアカネの根をほってみました。水洗いして土を落とすと、黄を帯びた橙色の根が現れました。乾燥すると赤味を増していくようです。まさに赤根です。
アカネの根 黄色を帯びた橙色の根。乾燥すると赤味を帯びます
一般に赤色の染料として使われる植物は、アカネ、ベニバナ、スオウですが、これらの3つの植物のうち、日本列島に古くから自生するのはアカネだけです。
弥生時代、日本では吉野ヶ里遺跡から出土した織物の一部からアカネの色素が検出されています。すでにこの時代にアカネで染められていて、染色の技法も工夫されていたと考えられます。
8世紀後期に完成したとされる『万葉集』(783年)には「あかね」は “ 茜・赤根・安可根 ” などで表現されています。和歌にはアカネそのものを詠むのではなく、「あかねさす」ということばが、紫、日、照る、昼にかかる枕詞として詠まれています。
あかねさす日は照らせれどぬばたまの夜渡る月の隠らく惜しも
柿本人麻呂 巻2-0169
あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る 額田王 巻1-20
などの歌がよく知られています。
アカネの花 直径3~4ミリの小さな花ですが、端正な美しさがあります。
植物の花、幹や根から色素を取り出し、糸や布を染める日本の伝統色は、400以上もの色があるといわれています。その染色手法の多くは失われていて、なかでも再現が難しいとされてきたのが「茜染め」でした。
その「茜染め」を平安時代の古代史料をひも解き、探求し続けているのが、日本古来の「茜染め」に魅せられた染色研究家の宮崎明子さんです。
宮崎さんの研究は、古代史料『延喜式』を読み解くことから始まった。茜染の材料は「茜大卅斤。米五升。灰二石。薪三百六十斤。」と書かれている。これまでにも染色の専門家が『延喜式』を基に茜染の再現研究を行ってきたが、「米」の用途が解明されていなかった。粥にする、腐らせる、酢を加えるなど、様々な研究が行われたが、茶色っぽかったり、濁りが出たりと思うような結果は得られなかった。宮崎さんは先の研究結果や他の様々な記述から、米は色素抽出のために使用し、芳しい香りのする状態で、しかも酸性でかつアルコール分を含むという条件を満たすものと解釈し、『発酵』の仮説を立てた。自宅の台所は実験室となり、料理道具やビーカーを使い、発酵の度合いを変えたり、玄米を使用したり、酢を加えてみたりして少量ずつ染めていった。研究を始めてわずか1年、見事にあの濃くも透明感のある鮮明な赤を引き出すことに成功したのだ。「古代の人々は手の込んだことはしていなかった。素材そのものの持っている性質を十分に理解し、自然の道理にかなった、とってもシンプルな答えだった」と宮崎さん。
(日本のまほろば奥大和総合情報サイト「まほなび」より)」
あかねいろ(色彩図鑑) 茜染作品と宮崎さん : 出典「まほなび」
草木のいのちから色を生み出す古代の人の知恵や美意識は、自然との向き合い方や自然の道理にかなう暮らしの在り方から生まれてきているもののようです。それは現代に生きる私たちの失ってしまっている自然に対する感覚かもしれません。
アカネの花は根を探す目印にもなったのでしょう。 絵本「草や木のまじゅつ」
山崎斌(あきら)、青樹、和樹氏は、植物の「色」に魅せられてきた親、子、孫の三代に渡る草木染の染色家です。広く知られている「草木染」ということばは、じつは和樹氏の祖父である山崎斌氏が昭和4年に生み出したことばでした。
島崎藤村と親交があり、文学者でもあった斌氏が、化学染料を用いた染色に対して、天然染料を用いた染色を区別するために「草木染」のことばを創作、近代文化の波に流され忘れられようとしていた自然の温もりや手仕事の大切さを伝えようとしたのです。『月刊たくさんのふしぎー草や木のまじゅつ』(福音舘書店)は、息子の青樹氏がこどもたちに草木染の歴史と込められた思いや楽しさを伝えています。
人は自然の恵みをいただき生きてきたように、草木の持つ自然の色をわけてもらって暮らしに生かしてきました。今を豊かに生きるために、かつて古代の人たちが自然に抱いていたと思われる感覚を日々の暮らしにとりもどしたいものです。(千)
◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花