mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより144 タラノキ

  タラの芽は山菜の王様  伐採地などに育つ先駆植物

 山林地で枝がなく棒のように立つ一本の幹。鋭いトゲに覆われ、先端に新芽が開いていたら、それはタラノキの「タラの芽」です。
 この芽がおいしいことを知っているのは山のけものたち。鹿やカモシカ、冬ごもりから目覚めた熊が食べにやってきます。人間には山菜として抜群の人気があり、「山菜の王様」と形容されるほど。天ぷらやお浸し、味噌汁にとその味を楽しむために、芽吹いたタラの芽をもぎ採っていきます。
 鋭いトゲで武装していても攻撃してくる相手は多く、芽吹きの季節は、タラノキにとって受難の日々が続きます。

 
   タラノキの冬芽        「タラの芽」と呼ばれるタラノキの新芽

 タラノキウコギ科タラノキ属の落葉低木です。別名はウドモドキ、タロウウド、オニノカナボウ 、タラッボなど、地方によってもさまざまな呼び名があって、方言名は110にも及ぶとも。名前の由来も、樹皮が鱈に似ているとの説、山菜のウドを古くは朝鮮語名の「ツチタラ」と呼んだことから、似た木として「タラノキ」に転訛した説、別名のタロウウドから「太郎の木」と呼ばれて「タラノキ」に転訛した説などさまざまあって、これもよくわかっていません。

 「タラの芽」がおいしいことは昔の人も知っていたようです。文献では、平安時代の『和泉式部集』に「又尼のもとにたらといふ物わらびなどやるとて」と、知り合いの尼にワラビなどと一緒に「タラの芽」を贈った際の歌が残っています。
 はるか以前には、日本最大の縄文時代の集落跡である「三内丸山遺跡」からタラノキの種子が見つかっています。自然の恵みのなかで生きていた縄文時代の人々もその味を楽しんでいたのでしょう。

 
 食べごろの「タラの芽」 天然の「タラの芽」の採れるのは、桜の咲く頃が目安とも。

 タラノキは山地の伐採地や崩壊地に真っ先に生えてくる先駆植物(パイオニア植物)のひとつです。乾燥した日当たりの良い場所を好み、きわめて成長の早い樹種で、かつてはクヌギやコナラなどの薪の確保に切り拓いた薪炭林に多く生えて、人々に恵みをもたらしていました。

 タラノキは新芽が傷つけられるとゼリー状の液を出して傷口を保護し、そこから再生してきます。新芽が摘まれたり食べられたりすると、その脇や幹から新しい芽を出してきます。それも採られてしまうと枯れてしまうこともありますが、なんとか生き延び成長できたものは、やがて葉を大きく広げていきます。

 
 脇から出す2番目の芽        幹から出す2番や3番目の芽

 春の終わりごろに、葉は全長が50cm~1mにも達する巨大な葉になります。太い軸が枝分かれし、たくさんの小さな葉をつけていても全部で一枚の葉です。鳥の羽を大きく広げたような形なので、羽状複葉(うじょうふくよう)と呼ばれています。大きな葉は太陽の光をたっぷり浴びて光合成し養分をつくり、タラノキはグングン伸びて大きくなります。

 
 タラノキの一枚の葉      鳥の羽のように大きく広がります(羽状複葉)

 タラノキが葉を広げると、今度は昆虫たちにねらわれます。シャクトリムシやヒメコガネはタラノキの葉をかじるようにして食べます。カメムシやアブラムシは葉の汁を吸い、カミキリムシは卵を幹に産みつけ、その幼虫は幹にトンネルをほり、その芯を食べて育ちます。
 林の縁には多数のツル植物が生えていてタラノキに巻きつき、光を求めて上に伸びていきます。ヤマノイモヘクソカズラヤブガラシなどが幹にからみつきます。クズやフジなどは幹をしめあげ、樹上を覆って太陽の光が当たらないようにしてしまうので大変です。

 試練に耐えて、夏のおわりごろ、タラノキは木のてっぺんに花枝を出してたくさんのつぼみをつけました。

 
     たくさんのつぼみをつける花枝            つぼみ

 つぼみが次々に開くと、花枝は白い花で真っ白になります。夏の野山の緑のなかに群がる白い花が遠くからでもはっきり見えて、タラノキが山々のどこにあるかを教えてくれます。


       タラノキの花。咲き出すと遠くからでもはっきり見えます。

 花を見ようとそばに行くと、高い幹の上部に花を咲かせていて、見上げるだけです。山の斜面に登りタラノキを見下ろすようにすると花の姿が見えてきました。
 図鑑では、タラノキは雌雄同株で両性花と雄花があるということです。探してみると形の違う2つの花が見つかりました。下の写真①と②の花です。
 ①は花びらと雄しべが見えるので、雄花か両性花のどちらかですが、この段階では区別がつきません。両性花は雄性先熟で、雄しべが先に熟して花粉を放出、その後に雄しべと花びらを落として、雌しべが成熟するということです。②は雌しべの柱頭だけが見えるので、両性花の雌性期の花なのでしょう。それにしても直径3㎜ほどの小さな花ですが、自家受粉を避けて、丈夫な子孫を残す花のしくみを備えているのに驚きます。

 
 ①雄花か?:雄しべと花びらの数は5個  ②両性花(雌性期):雌しべの柱頭が5本

 花にはいろんな種類の昆虫たちが集まってきました。蜜はヤツデ季節のたより41などと同じで、花盤からたっぷり出ています。ハチやハエ、アブのような、なめる口の昆虫が多くやってきますが、蜜を吸うチョウの仲間も集まっています。小さな昆虫をねらって、トンボが飛び交っていました。
 蜜に集まる多くの昆虫たちによって、花粉が他の花の雌しべに届けられます。


 タラノキの白い花に集まる昆虫たち。ハチやハエ、アブの仲間が多く見られます。

 秋になると実ができました。実は小さいけれどものすごい数です。


               タラノキの実

 黒く熟した実には、キジバトヒヨドリホオジロメジロなどの野鳥がやってきます。黒色は人の目には地味に見えますが、鳥が食べる果実の色を調べてみると、圧倒的に赤か黒が多いという報告があって、黒色の実も赤色の実と同じように小鳥たちを引きつけます(中西1999)。
 黒色は近年紫外線を反射することがわかってきて、多くの鳥は紫外線反射が見えるので、鳥たちには目立つのだそうです(日本野鳥の会大阪支部HP和田岳さんの「身近な鳥から鳥類学」その5)。

 
     花枝につく実            完熟すると黒くなります。    

 完熟した実を割ってみると、小さい種子が5個ずつ入っていました。実の数の5倍です。タラノキは一本でどれだけの種子がつくられているのでしょうか。
 野鳥たちに食べられた実はあちこちに運ばれ、種子は糞にまじって地面に落ちます。薄暗い林のなかに落ちた種子は、土のなかで「数十年以上、平気で眠っていることができ、光が差すなど条件が揃うと休眠から解けて一気に発芽」するといいます(月刊『現代農業』2021年1月号)。

 秋、タラノキの葉は紅葉を迎えました。晩秋に葉は太い軸のつけねから、ばっさりと落ちてしまいます。ここからも巨大な1枚の葉ということがわかります。
 葉がすべて落ちると一本の棒のような幹になり、冬空に突っ立っています。高さ1~2m、大きいものは4mほど。芽吹きの準備をして翌年の春を待ちます。

 タラノキはたくさんの種子で発芽を待つだけでなく、地上部が伐採されたり、何らかの原因で枯死したりしても、「残った地下部の根の一部から茎が形成」「1本の幹が伐採されると、何十本・何百本ものタラノキが発生してくることもある。」ということです(理科大学・植生学 Ⅱ植生遷移)。簡単には絶滅しない強い生命力を持った樹木といえそうです。

 
      紅葉し葉を落とすタラノキ         落葉後の姿。高さ5mほどに。

  タラノキには2種類あって、トゲが多く鋭いものを「オダラ」といい、トゲが無いか少ないものを「メダラ」といいます。メダラはオダラの変種で、野生のタラノキの多くはオダラですが、栽培しやすいのはメダラです。スーパーの店頭に並んだり和食屋さんなどの料理に使われたりしている「タラの芽」のほとんどが、メダラのものです。
 メダラの「タラの芽」はほろ苦さのあるまろやかな味、オダラの「タラの芽」は苦みの強さが美味となる野性の味です。食べ比べると味の違いに驚かれるかもしれません。季節が来ると「道の駅」には、地元の人が採ってきたオダラの「タラの芽」が並んでいます。機会があったら手に入れ、天ぷらで味わってみてはどうでしょう。野生のタラノキがなぜこんなにも鋭いトゲで武装しているかがわかります。
 ウコギ科のものには、タラノキの他に、コシアブラやハリギリの若芽、そしてウドの新芽がおいしく食べられるので、いろいろと旬の味を楽しむことができます。

 
 鋭いトゲで武装するオダラ(野生種)   トゲの少ないメダラ(栽培種)

 子どもの頃、山菜採りに出かける祖母についていったことがありました。祖母は山菜を採りながら「ワラビ、ゼンマイ、5本あったら、2本は残せ。タラっぽ、つむのは一番だけだぞ。2番、3番とったら枯れるぞ」と呪文のように唄うのがおもしろく、意味もわからず一緒に唄っていたことを思い出します。
 山菜とりのルールは絶滅を防ぐこと。自然を敬い、自然の恵みに感謝して生きてきた先人たちの知恵が、その言葉に込められていたのでした。

 現代の生活は便利で快適な人工的空間での暮らしが普通になり、自然とのつながりが少なくなっています。人はいつの間にか、自然のなかに生きている実感を失い、自然をコントロールできると思い込んでいます。
 ナスやキュウリ、イチゴなどが年中店頭に並び、食べ物の旬の味も季節感も感じられない生活が普通になっていることが、これから育つ子どもたちにとって幸せなことでしょうか。
 タラの芽に限らず、早春の若菜やフキノトウヨモギ、ノビルなどの野草を摘めば、旬のものを味わうことができます。そのことで自然のなかで育つ野草や山菜のいのちとのつながりを感じ、季節を感じることができます。
 科学や技術革新が進んだとしても、人は自然のめぐりに逆らい、季節を追い抜いたり、その季節にとどまったりすることはできません。
 人は季節のめぐりのなかにいて、自然に生かされているという先人たちの感覚は、今も変わらず私たちの生き方の原点になるものです。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花