mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより106 センニンソウ

 雪を思わせる純白の花と実  クレマチスの原種

 詩「東岩手火山」は、宮沢賢治が農学校の生徒を連れて岩手山に登山したときの印象をもとに創作されたものです。その一節にセンニンソウ(仙人草)が登場します。

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 《雪ですか 雪ぢゃないでせう》
 困ったやうに返事してゐるのは
 雪ではなく 仙人草のくさむらなのだ
 さうでなければ高陵土(カオリンゲル)
 ・・・・・・・・・                (詩「東岩手火山」)


          雪を思わせる白さのセンニンソウの花

 1922年(大正11年)9月18日の3時40分。登山隊は岩手山の山頂をなす外輪山の一角に到着。詩の一節は、夜明けを待って最後の登頂をしようと待機しているときの賢治の心象スケッチです。詩のことばを読みとると、

 うっすらと白く見えるあれは残雪でしょうか
 いや 雪ではないでしょう(こんなに暖かいのだもの)
 (誰だろう) 困ったように返事をしているのは
 あれは雪ではなく、仙人草の草むらなのだ
 そうでなければ、高陵土(カオリンゲル)でしょう

という意味でしょうか。詩の前の部分に(わたくしはもう十何べんも来ていますが/こんなにしずかでそして暖かなことはなかったのです)の一節が見られます。この日は山頂でも気温が高く、残雪があるとは考えられなかったのでしょう。

 「高陵土」は「高嶺土」ともいい、古くから中国の景徳鎮付近の高嶺(カオリン:Kaoling)という産地の地名から名づけられた良質の粘土のことです。白磁などの陶磁器の原料とされてきました。そのカオリンをドイツ語風に語尾にゲルをつけカオリンゲルとしたのは、賢治の造語だろうと「定本宮沢賢治語彙事典」(筑摩書房)の解説にあります。
 センニンソウ(仙人草)はキンポウゲ科センニンソウ属の多年草で、白い花をたくさん咲かせるので遠くからみると雪のように白く見えるのです。


     花茎が枝分かれするので、たくさんの花を咲かせることができます。

 センニンソウは北海道から沖縄まで日本各地に分布、山野に自生するつる性の植物でクレマチスの原種といわれています。
 長く曲がりくねるようにつるを伸ばし、日当たりの良い平地や山野の道端、山地の繁みなどで、木立などに絡んで生育、繁殖しています。
 夏の暑い時期から初秋にかけて、葉の脇から伸びた花茎が枝分かれし、その先に純白の花を咲かせます。

 白い花は十字形。花びらのように見えるのは4枚のガク片です。花のなかを見ると、先に熟した多くの雄しべが放射状に突き出て並んでいます。中央に雌しべ。雌しべの柱頭も熟すと開き、花全体が打ち上げ花火のように華やかです。
 開花とともにキンモクセイに似た香りが漂います。涼しげで爽やかな雰囲気と甘い香りが一緒に楽しめるのが、センニンソウの花の魅力です。

 
   全体が花火のように華やか       放射状の雄しべと柱頭が開く雌しべ

 花には昆虫が蜜を求めて集まってきますが、キンポウゲ科のなかのセンニンソウ属は例外的に蜜を出さないといわれてきました。(「ニッポニカ」センニンソウ
 これに疑問をもった小豆むつ子氏(ひとはく地域研究員・植物リサーチクラブの会)が、センニンソウ属植物の5種について調査したところ、「センニンソウ・ボタンヅルは、従来から言われていたとおり蜜の分泌は確認されなかったが、ハンショウヅル・トリガタハンショウヅル・クサボタンは蜜の分泌が確認できた。蜜の分 泌が確認できた種は、いずれも釣鐘状で下向きに咲く花を持っており、蜜の分泌が確認できなかった種は、いずれも花が皿状で上向きに咲く花を持っていた。」と報告しています。(共生のひろば・6号 「センニンソウ属は本当に蜜を分泌しないのか?」2011.3月)
 考察では、「下向きの花は昆虫を呼び込むために多くの蜜を出す必要があり、上向きの花は昆虫を呼び込みやすく蜜を出す必要がないものと考えられる。蜜の有無は花冠の形に大きく影響していると思われた。」とありました。
 センニンソウは、蜜がないのにもかかわらず、ツマグロキンバエ・ベニシジミ・クマバチ・ハチ類などの多くの昆虫が訪れていたことも報告されています。
 センニンソウは蜜をつくるエネルギーを節約し、甘い香りだけで昆虫たちを誘い、昆虫たちはそれにうまくのせられているようです。

            センニンソウ属の仲間

     上向きの花(蜜がない)       下向きの花(蜜がある)
     
   センニンソウ      ボタンヅル  トリガタハンショウズル  クサボタン

 センニンソウは受粉を終えると実ができます。実は平たい卵型で初めは黄緑色、熟すと赤褐色に変わっていきます。
 センニンソウの実には銀白の羽毛のような綿毛がついていますが、これは花後に白い毛のある雌しべの花柱が成長したもの。この綿毛がセンニンソウ(仙人草)の名前の由来です。仙人の髭や白髪のように見えるからです。
 センニンソウの実は、果皮が薄く種子と一体化していて痩果(そうか)と呼ばれるものです。熟しても開かず種子をはじき出すことをしません。綿毛が風を受けるとそのまま遠くまで運ばれ、新天地で芽を出し分布を広げていきます。

   
 花後の雌しべの姿   綿毛は雌しべの花柱が伸び変化したもの  種子散布は風力

 センニンソウは、花の季節も銀色に光る実の時期もそれぞれ味わいがあって美しいのですが、じつは株全体に有毒成分を持っている有毒植物なのです。
 センニンソウにはおもしろい地方名が多数あって、例えば、ウマクワズ(馬食わず)は、本能的に動物は有毒を知っているということでしょう。ウシノハオトシ(牛の歯落とし)やウマノハコボレ(馬歯欠)などは、牛馬が口にすると大変なことになるから飼料にするな。ハッポウソウ(発疱草)、ハレグサ(腫草)は、人が葉や茎に触れると炎症を起こすので注意すべしと警告する名前。「有毒植物」とすぐわかる名は、庶民の生活の知恵から生まれたもの。みごとなものです。

 センニンソウによく似ている花に、同じ時期に花を咲かせている「ボタンヅル」があります。同じキンポウゲ科センニンソウ属の植物で、これもつる性の有毒植物です。花を見ただけでは違いがわからないほどよく似ていて、私も最初は区別がつきませんでした。

 
 ボタンヅルの花。センニンソウにそっくり。    ボタンヅルの実(冬)

 2つの花を見比べる機会はそう巡ってこないので、それらしい白い花を見つけたら、まず葉に注目してみましょう。ボタンヅルはその名のとおり、小葉が牡丹の葉に似ています。葉に切れ込みが入っていたらボタンヅル、入っていなかったらセンニンソウです。
 花ならば、雄しべとガク片の長さを比べてみます。雄しべがガク片より長く飛び出していたらボタンヅル、雄しべがガク片より短いようでしたらセンニンソウです。(ほぼ同じの場合もあります。)
 ほかにボタンヅルの花の色は薄いクリーム色、センニンソウ花の色は白とか、葉のつきかたや実の形もそれぞれ違っています。下に整理してみました。観点を決めて確かめると、見分けるのもそう難しくはないと思います。

     
花は白。雄しべがガク片   葉に切れ込み無い。   葉のつき方は3~7枚   実は平たい卵型。
より短い。         縁は滑らか。      の羽状複葉。           実の数は多数。

     
花はクリーム。雄しべが   葉に切れ込みある。     葉のつき方は1回    実は紡錘形。実の
ガクより長い。     (牡丹の葉に似る)    3出複葉。        数は多数。

 キンポウゲ科の植物は毒性があって、なかでもキンポウゲや特にトリカブトは一般に広く知られています。
 植物の毒成分の働きはさまざまで、人や動物が触れたり食べたりすると、炎症や中毒、嘔吐などの症状を起こし、時には死に至ることもあります。
 センニンソウを、特にこどもたちと一緒に観察するときは、毒性のあることを伝えて、口にしたり手に触れたりしないようにと伝えておきましょう。
 と同時に恐怖感をあおるだけでなく、人は昔から毒がある植物を上手に薬として利用してきていることや、自分から逃げることのできない植物が、毒成分を持つことで食べられることから身を守ったり、病原菌の感染を防御したりしていることを考え合いたいものです。


    毒草であることは、センニンソウが自らのいのちを守るしくみなのです。

 さて、冒頭の詩にもどります。
 うっすらと白く見えるものを、賢治は「雪じゃないでせう」といって、「仙人草」か「高陵土(カオリンゲル)」としています。
 岩手山の標高は2038メートル。開花の季節は間違いなくても、高山植物でないセンニンソウが、山頂近くに咲くものでしょうか。
 また、陶器の原料となる高陵土は、良質のものは国内では産出されず中国や韓国からの輸入に頼っています。賢治の生存中には、岩手県で産出されたカオリンは土畑鉱山と松尾鉱山のみ、その後も産出記録(「鉱物データーベース」)はありません。
 これらに疑問をもって、白いものはやはり残雪ではないかと推測している研究者(「東岩手火山」渡部芳紀氏)もいます。

 この詩の草稿とも思われる「心象スケッチ外輪山」(岩手毎日新聞・大正12年4月8日)を見ると、この部分は次のようになっていました。

 「雪ですか 雪ぢゃないでせう」
 「いいえ」(困ったやうに返事をしてゐる)
  雪ぢゃないのだ、仙人草の草だらうか
  さうでなければ カオリンだ        (詩「心象スケッチ外輪山」)

 「『いいえ」』(困ったやうに返事をしてゐる)」のは、生徒なのでしょう。先生も「雪ぢゃないのだ」と言ったものの、「仙人草」や「カオリン」かの確信はないようです。

 賢治は外輪山に到着し、夜明けを待って登頂をめざす間、生徒たちにこうよびかけていました。
  
 さあみなさん ご勝手におあるきなさい
 向うの白いのですか
 雪じゃありません
 けれども行ってごらんなさい
 まだ一時間もありますから            (詩「東岩手火山」)
                    
 「『いいえ」』(困ったやうに返事をしてゐる)」のところは、このとき確かめにいった生徒が、(先生は雪じゃないと思い込んでいますが、本当は雪でした)と言っていいものかどうか、戸惑っているようによめます。
 白いものは何かを最後まで確かめたようすはなく、詩「東岩手火山」では、

 雪ではなく 仙人草のくさむらなのだ
 さうでなければ高陵土(カオリンゲル)       (詩「東岩手火山」)

 と確信ある表現に変わっています。

 自然科学者で地質にも詳しい賢治が、センニンソウの生育環境や高陵土の産出地を知らなかったとは思われません。でも、詩人は作品の中で、時として、言葉による魔術師になります。詩は観察記録とは違い、思いやイメージを言語化することによって、一つの宇宙を創出します。
 賢治は、夜明け前の銀河が光る岩手山の光景にふさわしいものとして、夏のなごりに消え残る残雪ではなく、純白をイメージさせるセンニンソウ白磁をイメージさせる高陵土(カオリンゲル)の言葉を選択したのではないでしょうか。
 実際に存在しているかどうかではなく、賢治の詩人としての美的感性が、これらの言葉を選択し、詩「東岩手山」というひとつの宇宙を創生させたのではと考えてみるのです。真夏の夜の夢想ですが。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花