mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより83 オミナエシ

 秋を知らせる七草の一つ  万葉の頃から親しまれた花 

 気がつくと日は短くなり、季節はいつの間にか、夏から秋へと移行しているようです。秋を感じさせる草花といえば、万葉の歌人山上憶良が詠んだ「秋の七草」があげられます。そのなかの1つがオミナエシの花です。
 冬の終わりとともに春を告げる「春の七草」が、早春に芽吹く薬効のある草花を集めているのに対し、「秋の七草」は季節の変化を感じさせてくれる色彩のある花に焦点が当てられているようです。全体が黄色のオミナエシの花は、秋の光に映えて美しく、万葉の時代より愛されてきた花です。

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           秋の陽に輝く、オシナエミの花

 オミナエシオミナエシ科の多年草です。沖縄を除く全国に分布し、日当たりのよい棚田のあぜ道や山野の草原に生えています。
 冬の間はロゼット状で冬越しをし、夏から秋にかけて長い茎を出して花を咲かせます。秋から春までの間は、日がよく当たり草丈の低い植物が生える草地を好み、人の手で定期的に草刈りや野焼きの行われるような環境に生育してきました。近年は、河川や溜池の堤防などで草刈りが行われなくなり、かつては家畜の飼料を集めるための草刈場だった草原も減少していて、その数を減らしています。

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 オミナエシの花の姿      枝も花もすべてが黄色にそまっています。 

 秋になると、オミナエシは草丈が1m前後になります。葉から伸び出した花茎は、よく枝分かれして、その枝に小さな黄色い花を水平にそろうように咲かせます。1つの花を見ると、5枚の花びらが根元で合体して筒形になっています。なかにおしべが4個、めしべが1個ある両性花です。花の条件を備えただけの地味な花ですが、それがたくさん集まると、オミナエシ特有の花の魅力が生まれてきます。

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分かれた枝に、水平にそろえて花を咲かせます。   花の直径は3㎜ほど。

 オミナエシは小さな黄色い花を時期をずらしてたくさんつけます。枝先も黄色でいつも全体が鮮やかな黄色に染まって見えます。
 オミナエシの花に集まる昆虫たちは、小さな花が平らについているので活動しやすく、蜜を舐めたり、花粉を食べたり、集めたりと大忙しです。その花の傍らでクモが巣を張り巡らし、カマキリが潜んでいて、集まってくる昆虫を狙っています。オミナエシの花は、クモやカマキリたちの絶好の狩場にもなっています。

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     ハエやチョウの仲間が集まってきます。    アブの仲間もやってきます。

 ところで、このオミナエシ、別名を敗醤(はいしょう)と言います。敗醤というのは腐った醤油の匂いのこと。オミナエシは花に似合わずその香りは独特で、いわゆるその敗醤のような、腐敗した煮物のような、アンモニア臭のような・・・、人により感じ方は様々でしょうが、決していい香りとはいえません。
古今和歌集」では桜、梅に次いで人気が高いのがオミナエシで、20首もの歌が詠まれています。そのなかにオミナエシの花の香りをたたえる歌があるのですが、詠んだ歌人に、「ホントに香りをかいでいるの」と聞いてみたくなります。
 ちなみに切り花で飾っておくと、すぐに香りが強くなりハエが集まってきますのでご用心。何でそんなくさい臭いを発生させるかといえば、受粉のために昆虫に来てもらうためです。オミナエシが受粉を助けてもらうため、主要なパートナーとして選んだのが、「ハエ」の仲間だったというわけです。

 オミナエシと同じ仲間に、オトコエシという花があります。オミナエシ科の多年草で、花の姿もオミナエシに似ていますが、花の色は白く、全体が大柄で野生的な感じがします。
 オミナエシとオトコエシは、普通同じ場所に自生することはないのですが、稀にあって両者が自然交配することが知られています。自然交配で誕生した植物は、「オトコオミナエシ」と呼ばれていて、白い花と黄色い花が混じって咲いたり、クリーム色の花を咲かせたりするそうです。私はまだ見ていませんが、「宮城県植物誌」(2017年宮城植物の会編)によると県内でも見つかっています。秋の散歩でオミナエシやオトコエシを見つけたときには、近くで探してみてはどうでしょう。

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オトコエシ(男郎花)の花    オミナエシよりやや野性的な感じがします。

 オミナエシは古くから日本人が好んできた野の花で、「万葉集」や「古今和歌集」、「源氏物語」や「徒然草」などの多くの古典にとりあげられてきました。
 その語源についてですが、オミナエシの「オミナ」は「若い女性、美しい女性」を意味する古語の「をみな」からきているのではないかと言われています。
「エシ」は、古語の動詞「へす(圧す)」の連用形とする説と、推量の「べし」とする説があるようです。「へす」は「圧倒して脇に押しつける」の意味で、現代語でも「へし折る」とか「押し合いへし合い」という表現のなかにわずかに残っています。
「へす」とすれば、「美しい女性を圧倒するほど美しい花」という意味になり、推量の「べし」とすれば「女性のような美しい花」の意味になるのでしょう。どちらにしても花の美しさをたたえる言葉が語源であったと思われます。

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小さな花をたくさんつけて。 語源には、 小さな花が粟つぶに似ているので、粟めしの別名の "女飯(おみなめし)" から、 オミナエシになったという説もあるようです。

 オミナエシは漢字で「女郎花」と書きますが、最初の表記は違うものでした。
日本最古の歌集「万葉集」の、「をみなへし」を詠んだ歌には「女郎花」の文字はなく、「佳人部為」「美人部師」などの文字が当てられています。
 ただ、「女郎」や「郎女」という文字表記はすでにあって、「万葉集」の女性の歌人の呼称として使われていました。例えば、「紀女郎」(きのいらつめ)や「笠女郎」(かさのいらつめ)。文字順が逆の「大伴坂上郎女」(おおとものさかのうえのいらつめ)などがそうです。
 この「女郎」や「郎女」は、「いらつめ」と読んで、「上代若い女性を親しんで呼んだ語」(デジタル大辞林)で、若い女性の美称・尊称として使われていました。
 平安時代中期に編纂された「古今和歌集」になると、「をみなえし」を詠んだ歌は、どれも「女郎花」の表記に統一されています。
 このことから、日本語の「を、み、な、え、し」という音が最初にあって、奈良時代に編纂された「万葉集」ではいろんな漢字が当てられていたものが、平安時代中期になって、「若い女性」の美称・尊称である「女郎」が選ばれ、「女郎花」という表記が定着していったと考えられます。

 ところで、オミナエシの「女郎花」という表記に、違和感を感じるという人もいるようです。
「女郎」という言葉には、「①身分のある女性 ②若い女。また、広く女性をいう。③傾城(けいせい)。遊女。」(「広辞苑」第6版)という意味があって、時代小説などで遊郭を舞台にした物語では、③の意味で使われています。
 ③の意味はもともと平安時代にはなかったものでした。「もとは女子の俗称であったが、江戸時代に遊女の別称となった」(日本大百科全書「ニッポニカ」)のです。
 時代によって意味の違っているものが、同じ漢字表記になっていることから、「女郎花」の花を③の意味と結び付けて考えるという誤解が生まれているようです。

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           風にゆれる 萩の花とオミナエシ

 オミナエシの花を、古人はどんなふうに歌で詠んでいるのでしょうか。「万葉集」には「をみなえし」を詠んだ歌が14首ありますが、そのいくつかを、原文の万葉仮名の「をみなえし」表記にも注意して読んでみたいと思います。

 手に取れば 袖さへにほふ をみなへし この白露に 散らまく惜しも
  (原文:手取者 袖并丹覆 美人部師 此白露尓 散巻惜)
                    作者不詳(万葉集巻10-2115) 
「手に取ると袖まで美しく染まりそうなオミナエシの花。この白露に散ってしまうのが惜しいことです」。この歌はオミナエシの花そのものの美しさを詠んだもの。「をみなえし」の万葉仮名表記は「美人部師」。「匂う(にほふ)」という古語は、現代語の「匂いがする」ではなくて、「美しい色に染まる」という意味です。

 我が里に 今咲く花の をみなへし 堪へぬ心に なほ恋ひにけり
  (原文:吾郷尓 今咲花乃 娘部四 不堪情 尚戀二家里) 
                    作者不詳 (万葉集巻10-2279)
「私の里に咲いているオミナエシ。その花のように美しいあの娘のことを想うと、耐えられないほど恋しいのです」。この歌はオミナエシの花を恋しい女性に例えています。「をみなえし」の万葉仮名表記は「娘部四」。

 をみなへし 咲きたる野辺を 行き廻り 君を思ひ出 たもとほり来ぬ
  (原文:乎美奈敝之 左伎多流野邊乎 由伎米具利 吉美乎念出 多母登保里伎奴)
                     大伴池主(万葉集巻17-3944)
オミナエシの咲き乱れる野原を行きめぐっているうちに、あなたを思い出し、まわり道をして会いに来てしまいました」。この歌は、大伴家持と交友関係にあった池主が、家持の家を訪れたときの挨拶の歌として詠まれたもの。その事情をぬきにすれば、恋しい女性のもとを訪ねた歌としても解釈することもできるでしょう。「をみなえし」の万葉仮名表記は「乎美奈敝之」。「たもとほる」は、古語の「もとほる(回る)」に「た」という接頭語がついたもの。「 同じ所を行ったり来たりする」という意味です。

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           ススキの原に咲くオミナエシ

 ひぐらしの 鳴きぬる時は をみなへし 咲きたる野辺を 行きつつ見べし
 (原文:日晩之乃 奈吉奴流登吉波 乎美奈敝之 佐伎多流野邊乎 遊吉追都見倍之)
                    秦八千島(万葉集巻17-3951)
「ヒグラシの鳴くこんな季節は オミナエシの咲いている野辺を歩いて、美しい花をながめ見るのがいいですよ」。親しい人を野辺の散歩に誘う歌でしょうか。「をみなえし」の万葉仮名表記は「乎美奈敝之」で、池主の歌と同じ表記になっています。

 後半の2首の歌の原文は、1音節1文字の平仮名表記に近い書き方になっています。万葉仮名の文字を見ていると、かつて文字のなかった日本語を表記するために、漢字を表音文字として使い始めた万葉人の苦労がそのまま伝わってくるようです。そしてその表記された歌からは、草花を愛で巡る季節のなかに暮らしていた万葉人の、のびやかな感性と息遣いが感じられます。
 文字は1200年の時をこえて、古の人と現代に生きるわたしたちの心を結んでくれている。そんな気持ちがしてくるのです。

 私たちの祖先は、古くから野の花に季節を感じ、季節とともに日々の暮らしを営んでいました。現代は、日照時間や温度を人口的に調節して、いつの季節の花でも手にできるようになりました。その結果、花を見て季節を思い、季節の移ろう時間の流れを感じることができなくなっています。
 人は季節の中に生きています。自然のリズムに身をゆだねることで心がいやされ、生まれるいのちと朽ちるいのちに、人のいのちを重ねて共鳴しながら、生きる力をもらってきました。季節感が感じられなくなるということは、自然の生きものとしての生命力が枯渇していくことにつながるでしょう。
 晩夏から初秋へ、この季節ならではの野の花たちが、風景を彩りながら登場してきます。クラスの子どもたちや家族で移りゆくこの季節を楽しみたいものです。(千)

◇昨年9月の「季節のたより」紹介の草花