mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

大震災から10年、子どもの犠牲2つの教訓

 今年8月19日に行われた全国教育のつどいの開会行事「東日本大震災から10年」で、所長の高橋達郎が、特別報告『宮城からの「いのち」の教訓』を行いました。その時の報告に若干加筆したものを以下に紹介します。これまでの取り組みからの教訓を話をしました。ぜひお読みください。
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1.大震災は終わってはいない ~今も伝える、宮城県の新聞~
 宮城県の地元新聞『河北新報』は、現在も、毎月1日一面で10年前の東日本大震災の死亡者数を伝えています。2021年9月1日新聞1面が伝える「3.11大震災犠牲者数+関連死者数」は全国で22201人、宮城県で11687名。この内、行方不明者は10年過ぎても、全国で2525人、宮城県で1214人もいるのです。このような災害は他にあったでしょうか。今も太平洋のどこかで眠っている大勢の人々、子どもたちがいます。今も海岸で探し続ける人々がいます。家族、親戚、友人、知人・・・多くの方が答えのない悲しみと後悔を胸の奥に抱えています。大震災は、まだまだ終わっていません。

2.悲しみを繰り返してはならない
 東日本大震災、町が壊滅した宮城県女川中学校生徒の作品です。

 ・「ただいま」と 聞きたい声が 聞こえない
 ・あの人が 帰ってきた 夢を見た
 ・逢いたくて でも会えなくて 逢いたくて

 宮城県職員組合・みやぎ教育文化研究センターは、再びこのような悲しみを繰り返してはならないと考え、亡くなった子どもたちの「いのち」の教訓を明らかに、さらに次の世代につなぐ取組みを行ってきました。

3.宮城の小中学校のそのとき
 2011年3月11日午後2時46分。1週間後に卒業式を控えた小学校では、上級生は式場準備など、下級生は5校時・帰りの会が終了し、下校をはじめた学校もありました。中学校では、午前中に卒業式をすませた学校では生徒が下校したり、卒業生と教職員・保護者が卒業を祝う会などを開いていたりしていました。明日に卒業式を控えた中学校では、その準備をしたりしていました。
 そのとき襲った突然の大地震マグニチュード9最大震度7、揺れは3分間続きました。間もなく大津波警報が発令され、数十分後、経験したことのない大津波が海岸近くの地域と学校を襲ってきたのです。

4.宮城の小中学校の犠牲の状況
 大震災・大津波で犠牲となった宮城の小中学生は261名、教職員17名。
 子どもと教職員は、どのような状況で命が奪われたのでしょうか。県教育委員会は、児童生徒の犠牲の状況を調査しませんでした。そこで、私たちは、犠牲となった小中学生261名すべての「いのち」について、その状況を調査しました。
 東日本大震災、宮城の小中学生の犠牲者は、場所によって大きく3つに分けられます。
 1つ目は、校庭から教職員と子どもが一緒に避難した場所を津波が襲ったケースで、小学生73名、中学生1名、教職員11名 合計85名が犠牲になりました。石巻市O小学校と20mの高台にあった南三陸町T中学校の犠牲です。一緒に避難していた地域住民にも多くの犠牲者を出しました。
 2つ目は、下校・帰宅途中の小中学生が地域の路上で津波に襲われ、60名が犠牲となりました。
 3つ目は、帰宅したり休日だったりした小中学生は自宅・地域で津波に襲われ、127名が犠牲となりました。

5.自然災害からの避難の課題・教訓①「保護者引き渡し」
 避難の課題・教訓の第1は、「保護者引き渡し」です。
 保護者引き渡しは、あの大阪池田小児童殺傷事件後、不審者対応策から、全国に広がりました。しかし、自然災害対応策としては問題がありました。保護者引き渡し後に74名の子どもの命が奪われたのです。下校中は学校管理下扱いになり、引き渡し後に向かう先の安全が確かめられなければならないのです。
 石巻の内陸部にあるN小学校。地震後、お母さんが迎えに来て引き渡し、先生方は「ほっとした」と言っていました。しかし、そのお母さんは、子どもを車に載せて、海側の実家に向かい、大津波と遭遇、実家のある地区は壊滅。その子は今も行方不明のままです。

6.地震津波災害からの避難の課題・教訓②「平野部・都市部での避難」
 避難の課題・教訓の第2は、海の見えない平野部で避難です。
 宮城県北部沿岸の南三陸リアス式海岸部の犠牲は36名。午前中、卒業式で学校に生徒が誰もいなたった雄勝中学校、町が壊滅し、生徒がどうなったか、先生方は心配しましたが、全員無事。雄勝中の「奇跡」です。地域の津波避難の経験知が生きていたのです。
 一方、石巻平野、仙台平野、県南部沿岸の海が見えない都市部での犠牲者は、南三陸リアス式海岸部の約4倍の151名です。小学校大川小に次ぐ2番目の犠牲を出した石巻のK小学校(25名)、中学校では、名取市のY中学校(14名)、学区にK小がある石巻のA中学校(12名)、いずれも歩道からは海が見えない平野部・都市部の学校でした。
 また、多くは避難する高台が近くにないため、車での避難が余儀なくされ、路上で車に乗っていて津波に遭遇し、犠牲となった小中学生は77名に上っています。車避難が犠牲を拡大しました。
 教職員のいない下校中、地域での避難の判断、自主的避難をどう子どもたちに身に着けさせるか、東日本大震災の犠牲から学ぶ大きな課題・教訓です。

7.最後に、町のすべてを流された雄勝小学校・5年生の詩の一部を紹介します。

 わたしはわすれない 
                雄勝小5年 七海

 わたしはわすれない
 こわされた家を
 流された命を
 助けられた恩を
 人のあたたかさを
 私は忘れない
 大震災の記憶の
 すべてを (2012年9月10日)

 10年前、全国の皆様から寄せられたたくさんの温かい支援も私たちは忘れません。

※ 2014年に宮城県内の3815名の教職員のアンケートなどから作成した『震災教訓チェックシート』、10年目の今年、原発事故の教訓と裏面のリストを入れ改訂しました。子ども・保護者・教職員の悔いと悲しみ、困難の連続から確認された「いのち」の教訓です。新たに入れた裏面の「学校防災のためのチェックリスト」も活用してください。
 改訂した『震災教訓チェックシート』希望の方は、当研究センターにご連絡ください。

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