mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより131 ハギ

  万葉人に愛された花  山火事を待ち続ける種子

 野山では秋の七草のひとつ、萩の花が静かに花を咲かせていました。今年はこれまでにない猛暑日が続きましたが、自然界では確実に季節が秋へと移り進んでいるようです。


            秋の七草のひとつのハギの花

 一般にハギという場合は、日本全土の山野に分布するマメ科ハギ属の落葉低木を総称していいます。ハギの仲間は多く、宮城環境保全研究所の大柳雄彦氏によると、県内にはヤマハギ、ツクシハギ、キハギ、マルバハギ、イヌハギなど10種を超える野生種が分布していて、これらのうち、私達が普通にハギと呼んで詩歌の題材としたり、仲秋の名月に供えたりしているのは、ヤマハギとツクシハギであるということです(八幡町界隈「花の歳時記」No.11 萩 )。
 ヤマハギとツクシハギは、平地や山地の草むら、道ばたや林縁にふつうにみられるハギです。形態は良く似ていて識別はなかなか難しいのですが、ツクシハギは小葉に厚みがあって花の色もやや淡い紅紫色のような感じがします。

 
    ヤマハギ(山萩)の花        ツクシハギ(筑紫萩)の花

 宮城県の県の花として親しまれているのがミヤギノハギ(宮城野萩)です。
 昔から歌枕として和歌に詠まれた宮城野は、現在の仙台市若林区あたりから陸奥国府の多賀城付近に広がる原野で、萩の名所として当時の歌人たちの憧れの地でした。ミヤギノハギはその歌枕にちなんでの命名といわれていますが、詳しいことはよく解っていません
 ミヤギノハギは、わが国では珍しい、野生種から改良された園芸品種で、東北、北陸、中国地方の日本海側多雪地に分布するケハギが原種といわれています。現在では野生化したものが本州から九州までの広い範囲に分布しています。

 ミヤギノハギの咲き始めはヤマハギより早く、開花は8~10月頃です。花の長さが15mmとヤマハギの花と比べても長く、ハギのなかでは一番大きい花です。

 
 ミヤギノハギ(宮城野萩)の花(拡大)     ヤマハギの花(拡大)

 ハギの葉は小葉3枚が一組になって生じる3出複葉です。ミヤギノハギの小葉は細長い葉で、ヤマハギの小葉は丸みを帯びています。

 
      ミヤギノハギの葉             ヤマハギの葉     

 ミヤギノハギの株の根元から多数出ている茎は、直立してからよく分岐、開花期には枝先が地面に接するほどしなやかに垂れ、柔らかい樹形をつくります。葉のわきから出る花序は葉よりも長く伸びて、紅紫の小花を円錐状に多数咲かせます。
 ミヤギノハギの変種といわれるのがシロバナハギ(別名シラハギ)です。白い花を咲かせて、紅紫色のハギとは異なる趣を見せてくれます。

 
  ミヤギノハギは、枝が地面に垂れます。   シロバナハギ(シラハギ)の花

 同じハギ科ハギ属の仲間には、ふつうのハギの印象とは異なる野生種もいます。
 真っすぐ立つ姿が特徴的なのが、メドハギです。日当たりのよい草地や堤防や川原などによく咲いていますが、枝分かれして束状になった枝には、細かい葉が密生し、細長い箒のようです。まっすぐに長く伸びた茎にそって紅紫色の模様のある小さな白い花を枝いっぱいに咲かせます。

 
    真っすぐに立つ メドハギ          メドハギの花

 一方、地面を這うように伸びているのがネコハギです。平地から低山までの日当たりの良い草地や道端に、メドハギに似た白い花を咲かせています。その名は同属のイヌハギに対してつけられたものですが、全体に軟らかな毛を持っていて、手触りが猫に似ています。
 メドハギもネコハギも気をつけてみると、よく見かけるハギの仲間です。

 
     地面をはう ネコハギ           ネコハギの花

 ハギの花は虫媒花で、どれも蝶形花と呼ばれるマメ科植物に共通の特徴ある形をしています。花びらが5枚、一番大きく立ちあがっている旗弁とよばれる花びらの根元には模様があって、虫に蜜のありかを知らせる蜜標になっています。
 ハナバチがやってきて蜜を吸おうとして花の奥に顔を押し込んだとき、脚の力が下の花びら(翼弁と竜骨弁)を押し下げ、花びら(竜骨弁)のなかからおしべとめしべがバネのように跳びだし、ハナバチの腹に触れて、花粉の授受が行われます。


  蝶形花のハギの花      蜜をすうハナバチ    跳び出すめしべとおしべ

 ハギの花が咲き出すと、たくさんのハナバチの仲間が蜜を求めて忙しく花のまわりを飛び交っていますが、そのなかにチョウの仲間もいました。
 チョウたちを見ていると、ストローのような口を差し込んで蜜だけをもらっていて、おしべの花粉を体に付着させていません。この場合、チョウはハギの花にとってどんな存在なのでしょうね。


   シジミチョウの仲間    競って蜜をすうキチョウ  花粉は体につきません

 ハギは花期が長く満開の時期がはっきりしないまま花が散り、落ちた花が絨毯のように積もります。これを「零れ萩(こぼれはぎ)」といって、俳句の季語にもなっています。
 ハギの実が目立つようになるのは10~11月頃です。実のなかには種子が1粒。ハギの実は他の植物の実のように、 裂開して種子を弾き飛ばすというしくみを持っていません。また、ハギは大量の種子を地表に落としますが、落下した種子は非常に堅くて水をとおさず、簡単には発芽しないようになっています。

 これにはわけがあって、ハギの種子は特別な性質を持っていて、山火事を辛抱強く待ち続けているというのです。

 
 冬季のヤマハギの実:出典  植木ペディア      実のなかには、種子が1粒。

 岩田悦行氏の論文(「山火事跡地に発達する『ハギ山』について」)によると、ハギの種子は5年から10年は地中で眠り続けるということです。また、ハギの種子は70℃~100℃の熱湯に浸すと発芽率が著しく良くなることが確かめられていて、いったん、山火事が起きると、その熱が地中に伝わり、眠っていたハギの種子を目覚めさせ、ハギの発芽が始まるというのです。
 氏の論文は、北上山地の一部で山火事跡の植生変化を継続的に観察し、山火事の跡地にエゾヤマハギの種子が多く芽生えて「ハギ山」を形成することが報告されています(「山火事跡地に発達する『ハギ山』について* -北上山地植生の研究(2)」-岩手大学学芸学部研究年報, 23)。

 ハギはマメ科植物なので、発芽後も根に共生する根粒菌から窒素分の栄養を受け取り、焼け跡地でも他の植物に先行して育つことができるのでしょう。
 ただ、ハギの樹高はせいぜい2m程度ですから、やがて他の樹木に追い抜かれ、日かげになって消滅する日がやってきます。そんなときのために、毎年地表に落ちたハギの種子は、次の山火事のチャンスを待ち続けて、次世代へのいのちをつなぐ役目をしているのです。
 ハギ属の種子は熱湯にひたすほかに、皮表面に傷をつけるか変質させる処理をすると発芽率が向上することも確かめられています(日緑工誌コラム ネコハギ 荒瀬輝夫 信州大学農学部)。山火事などのような大きな攪乱がない状態のときでも、寒暖や乾湿の変化、風雨などで種子が傷つけられ、発芽するということもあるのでしょう。


   つぼみ(ミヤギノハギ)   花序の下から咲き出します。   満開の様子

 ハギの語源は、毎年古い株から新しい芽を出すことから「はえき(生え芽)」が転訛したものと考えられています。植物学者の湯浅浩史氏は「小豆島などに残るようにハギの枝は箒(ほうき)に使われるので「掃(は)き」に由来したとも考えられる。」(「ニッポニカ 萩の文化」)とも述べています。

万葉集』(783年)には、植物を詠んだ歌が約千五百首もあって、その植物のなかで最も多く詠まれているのが、「ハギ」です。ハギは141首が歌中に、1首(巻8・1548)は題詞に記されていて、合計142首が詠まれています。これはウメの119首より多く、万葉集のなかでは第一の花です。

 万葉歌人山上憶良は、秋の野に咲く美しい花の代表7種を選んで歌に詠み、これがいわゆる「秋の七草」といわれてきました。

  芽(はぎ)の花  尾花葛花なでしこの花  女郎花また藤袴朝顔の花
                        (万葉集 巻8―1538)
 
 筆頭にあげられているハギは、秋の七草のなかでは唯一つだけ木です。『万葉集』には「萩」の字は登場せず、後の『倭名類聚抄 』(931~938年ころ)に初めて登場し、後につくられた日本独自の漢字といわれています。
 「萩」の文字には草冠が与えられているので、当時の人々はハギを木ではなく草として扱っていたということでしょうか。
万葉集』のハギの表記を調べてみると、「芽子」が多く、他にも「芽」、「波疑」、「波義」が見られます。「芽」という表記をみると、毎年株からよく芽吹くハギの芽を、万葉人は草の芽吹きと同じように感じていたのかもしれません。

 万葉人とハギの花とのかかわりについて、植物文化史を研究してこられた松田修氏は次のように書いています。

・・・その万葉のハギの歌をみると、いかに万葉人がこの花を愛していたかは「吾が待ちし秋は来りぬ然れども芽子(はぎ)の花そも未だ咲かずる」(10・2123)や、あるいは「わが屋戸の」とこれを庭に植え、あるいは「散るを惜しむ」歌のいかに多いかでわかる。しかも集中には、早ハギをよんだものもあれば、ハギの古枝、白露にぬれたハギ、朝霧にたなびくハギ、下葉の色づき、花問ふ鹿、雁とハギといったぐあいに、その花の優雅さを実景としてよんでいるばかりでなく、秋の七草の筆頭にこのハギを数えているのは、山野にこの花が多く、人みながこれを知りまたこれを実用的にも利用していたからであろう。 
  実用的にはこのハギは、牧草として家畜の飼料、茎を刈り取ったもので垣根、小屋の屋根ふき料、皮をはいで縄などに使われた。また、この種子は粉にして粥や飯にまぜて食べたし、葉や茶の代用にしていた記録も残っている。また、民間では、この根を掘り、乾かしたものを煎じて、めまいやのぼせに効があるといって利用している地方もある。・・・・」     (松田修著『花の文化史』東京書籍)


            万葉人に愛されてきたハギの花

 万葉人の花見は、春はウメ、秋はハギでした。『万葉集』のハギの歌には、作者不明の歌が多くあるそうです(『NHK趣味の園芸』「万葉の花」2020年9月号)。それはハギが貴族から庶民にわたって広く愛されてきた花であることを語るものです。松田氏が書いているように、ハギが広く好まれた背景には、その風情を愛でると同時にハギを暮らしの中に生かしてきたという両面があったと思われます。
 お彼岸に供える「おはぎ」の名は、アズキの粒々が小ぶりなハギの花に似ているからに由ります。ハギの花へ込められた親しみの思いは、今でも私たちの暮らしのなかに残っています。(千)

◇昨年9月の「季節のたより」紹介の草花