mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

観たあとに語り合いたい、映画「あこがれの空の下」

 上映期間は1週間あるので大丈夫と思っていたら、急な用事が入ったり仕事が伸びたりで、あれよあれよという間に日が過ぎて、結局最終日の上映に滑り込むことになってしまいました。

 映画をみての感想を言うと、和光小学校の日々の取り組みが淡々と、しかも、これまで観てきた教育や学校をテーマにした作品とは、どれとも似ているようでどこか似ていない、ある種の不思議さを感じました。ここでは他の作品と比べてこの映画のどこに、その不思議さを感じたのか。少しばかり話してみたいと思います。

 私がこれまで見てきた教育や学校をテーマにした作品の多くは、例えるなら、強力なリーダーシップを発揮する名物校長や個性的で力ある教師を中心に描かれていたり、あるいは豚を飼ったり牛を飼ったりというような、ユニークであったり独創的な教育内容を追っかけたりというものです。でも、この映画は、ちょっと違うのです。

 この作品も、「教科書のない小学校の一年」とサブタイトルにあるように和光の独自性や、代表的な取り組みである総合学習「沖縄」や民舞などを取り上げています。でも、それらが中心的な主題として特別に描かれてはいません(そもそも総合学習も民舞は、それなりに公立学校でも行われています)。映画は、そのような和光の特色ある取り組みも取り上げつつ、国語や算数などの教科の授業場面を取り上げ、授業のなかでの先生と子どもたちの生き生きとした楽しそうなやり取りや、先生たちの授業への思いや考えなどが映し出され、語られます。

 印象的に感じた場面の一つに、物語作品「ちいちゃんのかげおくり」を授業でどう取り組むか、学年の先生たちが集まって話し合っている場面がありました。ベテランの先生も若い先生も一緒になって考え合っています。なんとも言えない懐かしさを感じました。しばらく前には、どこの学校でも見られた光景だったように思いますが、今ではなかなか見られなくなっているように思います。けっして特別なことを描いているわけではありません。

 そう言えば、この映画をDiaryで紹介した中で、和光小を退職した藤田先生は、「和光小学校は今では『変わった学校』と珍しがられることもあります。しかし、私たちが続けてきた学校づくりは何も変わったことをしているつもりはなく、当たり前のことをしてきたまでです。むしろ変わってしまったのはその他の学校の方ではないかと感じています。」と言っていました。その通りだなと、映画を観て感じます。

 それから学校でのリーダーと言えば、一般的には校長先生ということになるでしょうか。この映画では、その校長先生がほとんど顔を出しません。その代わりと言っては何ですが、1年生担任の山下先生、3年生担任の藤田先生、6年生担任の増田先生を中心にしながらも、多くの先生たちが登場します。和光の教育が教職員みんなの力でつくられていることを表わしているように思いました。

 和光の教育は、良くも悪くも ❝ 私立だからできること、和光だからやれること ❞ と言われたりすることがあります。しかし映画は、和光の独自性を描きつつ、同時にどこの学校でもありえた、あり得る学校の日常を描いています。見終わったあとに改めて「教育って何だろう? 学校って何だろう?」、そして「私たちにできること、学校でできることって何だろう?」という問いを私たちに投げかけているように思いました。

 上映期間は1週間と短く残念でしたが、多くの方に映画を見ていただき子どものこと、学校のこと、そして教育について交流できたらいいなあと思いました。
(キヨ)