mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

八島正秋さんのこと(その3)

 八島さんの後任についての話し合いで、私の名があがった。八島さんまで進めてきた宮城の教文運動を継承し進めることを誰かがやらなければならないことを考えれば、(オレには荷が重すぎる)と言うこともできず、私は立候補することを決意した。それでも、これまでは傍からヤイヤイ言ってきただけなのに、その仕事の任を果たせるか、その場に置かれた時を思うと内心の葛藤は容易ではなかったのだが・・・。

 決意を固めたのは、現場に戻るとはいえ、(これからも常に八島さんが支えてくれる)との思いがあったからだ。
 現場に戻った八島さんは、「教育文化」誌120号のあとがきに次のようなことを書いている。 

 ~~「いったい八島さんは何をしたんだや? 国民教育研究所の設立もだめだったし・・・」と辛らつに語った男がいます。A記者です。たしかに芳賀直義さんの「実践検討会」、菊池鮮さんの「教育文化」というふうにみてくると、(何の形もなかったなあ)と思います。
 ただ、うんと個人的なことを言えば、教文部長になる前の私と、教文部長を3年間勤めさせてもらった後の今の私とでは、個人としてはうんと成長させてもらったと思っています。
 そのひとつに、「人間をかぎりなく大切にする教育」ってどんなことか・・・ということが理屈でなく、体でわかったような気がするのです。もっとも、それはこれから実証されるのだと思いますが、その実践を書き綴って「教育文化」に送りたいと思っています。そんな形の「教文部長の実績」というようなものもあるのではないか・・・と、今はA記者に、こう答えておくより仕方がありません。(中略)
 仙台市立向山小学校。そこが私の原籍校です。ここに復帰し、4年3組36人の担任教師になりました。私の「教文活動」は今後ここを主舞台としながら、これまでと同じように続けていきます。3年間のご支援ありがとうございました。

 *注「教育文化」の編集会議にだけでなく、教文部には、若い新聞記者たちが取材目的ではなく
  雑談を楽しみによく出入りした。A記者もそのなかのひとりである。(春日)

 前回、八島さんの公開授業を「長期継続方式実践検討会と言われた」と書いたが、その一環として、現場にもどった年の7月に、さっそく、実践検討会「角と角度」(4年生)の授業を提案した。

 現場に復帰してまだ3か月後しか経っていない。授業にかける執念には驚くほかない。本人にそのつもりはなくても、前述のA記者への答えの始まりとも言えるだろう。
 そして、2年後の1976年、公開の実践検討会「面積の指導」(4年生)に取り組んだ。
 その「面積の指導」の意義と授業について、数学者の野沢茂さんは、『八島正秋の仕事』(すばる教育双書)のなかで次のように述べている。

 長方形の面積を求める公式 “ たて×横 ” をどのようにして導くのかは、算数教育の永年の課題になっている。
 「単位面積の正方形が、長方形にどれだけ敷きつめることができるか」と考えて “ たて×よこ ” の式を得ようとすると、1㎠の正方形がたて(よこ)に4列だから(1㎠×3)×4=12㎠ということになる。この方法は従来から採られてきた方法である。
 しかし、この方法でとりあえずは長方形の面積を求めることはできるが、その後の発展を考えるに入れるといくつかの難点が出てくる。たとえば、面積の単位は面積独自の単位ではなく㎠と長さの単位を使って表される。このことを明らかにするには、単位面積の正方形の個数では説明することは困難になる。どうしても、長さ・面積2量の関係を取り上げる必要が出てくる。
 八島さんの “ 面積 ” の授業は、こうした課題に対してのひとつの解答として示されたものである。(中略)

  長方形の面積をたて×よこの複比例として捉える指導は、八島さんの実例から数年たって、数教協の研究実践活動が、複比例に及ぶようになった時点で幾つかの実践が公にされている。八島さんのこの授業は成功とは言えないが、先駆的な試みで幾多の教訓を残してくれた授業である。

 八島さんの後を継いだ私は、まず、八島教文部長時から繰り返し話し合ってきていた「学校を考える」場を教文活動のひとつとして位置づけ、運動方針の中に「学校研究会をつくり、わたしたちにとっての学校像を明らかにし、民主的な『学校づくり』のために寄与します」の文言を入れ、「学校研究会」月例会をスタートさせた。
 数か月間、座長を八島さんにやってもらい、参加者による「学校」についての自由な話し合いをつづけ、その後、月ごとの主題を決めた。、「10月 校内校務分掌と校内研究組織」「11月 職員会の現状とあるべき姿」「12月 校長の任務」「1月 学校適正規模」「2月 PTA」「3月 学校行事」と、これが初年度後半のテーマだった。
 学校研究会とは関係ないことと思われるかもしれないが、いつまでも頭から離れることのない話がある。それは、いろいろお世話になったK校長が、フランスへ視察に行ったおり、「『あなたは何人の子どもの学校の校長ですか』と聞かれ、『子どもは700人です』と答えると、『それほどの人数をよくやれますね。私は、子ども全員の名前を覚えられる数でないと無理です』と言われ、恥ずかしかったなあ。」という話なのだ。それだけ?の話なのだが、学校を考えるうえで私にとっては妙に忘れ得ない話の一つであり、私のなかでは、校長だけの問題だけではなく、この「学校研究会」ではもちろん、仕事を考える時必ずと言えるほど浮かんでくる話だった。

 この学校研究会が発展(?)して、翌年、短期のミニ学校をつくり、学校のあるべき姿に挑戦してみようということで、短期の「夏の学校」を設置することになった。
 4年生・5年生、各30名と各教科担当教師を公募、4泊5日の合宿。すべてをオープンにして実施した。事務局は八島さんとSさんと私の3人が当たった。八島さんには教頭役をもお願いした。ほぼ時期を同じくして5年間つづけた。そこで得られたもの、得られなかったものが多々あるが、ここではその実際の報告は省略する。
 一言だけ添えておけば、5日間で「学校」を考え、そこから何らかの答を出すということはそもそも無理な話だったが、公募により集めた子どもたちによる限られた時間、そしてすべてオープンということで、各教科担任の力の入れようは並みでなく、集団で授業・子どもを考えるには大きな場になったのではなかったかと今でも思う。ーつづくー( 春 )