緑の葉に鮮やかな赤い実 お正月の縁起物にも
読んではつまらないが、声に出すとおもしろくなるのが、この話。
「・・・あらまあ、金ちゃん、すまなかったねえ、じゃあ、なにかい。うちのじゅげむじゅげむ、五劫(ごこう)のすりきれ、海砂利(かいじゃり)水魚(すいぎょ)の水行末(すいぎょうまつ)、雲来末(うんらいまつ)、風来末(ふうらいまつ)、食う寝るところに住むところ、やぶらこうじのぶらこうじ、パイポパイポ、パイポのシューリンガン、シューリンガンのグーリンダイ、グーリンダイのポンポコピーのポンポコナの長久命の長助が、おまえの頭にこぶをこしらえたって。まあ、とんでもない子じゃないか。ちょいと、おまえさん。うちのじゅげむ じゅげむ 五劫のすりきれ・・・」
ご存じ古典落語「寿限無」の有名な一節です。おめでたくて長いこどもの名前のなかほどに出てくるのが、「・・やぶらこうじのぶらこうじ・・」。これが、厳しい寒さの中、山林の地表に青々と茂り、赤い実をつけて、生命力の強さを見せている「ヤブコウジ(藪柑子)」です。
冬に生命力の豊かさを感じさせるヤブコウジ。「(や)ぶらこうじ」は
ぶら下がる様子か。
ヤブコウジは、サクラソウ科ヤブコウジ属の常緑の小低木で、里山のスギ林や海岸林、奥山のブナ林の林床など、かなり広い範囲に分布しています。
いつもの青葉山や治山の森の尾根道を歩くと、モミの木の根元などに群落をつくっていて、今の季節は、雪の下から赤い実をのぞかせています。
ヤブコウジの名の由来もこの赤い実からきています。コウジ(柑子)とは、ミカンより小型の果実で、晩秋に熟すと赤味をおびた黄色になる柑子蜜柑(こうじみかん)のこと。ヤブコウジ は、実や葉がこの柑子に似て、山地の藪に生えることからと名づけられたものです。
ヤブコウジは、大きく育って高さが10㎝から20㎝程度。小さな幹の直径も1㎝あるかどうか、その先に車輪状の葉をつけます。低木というよりは草本に近い印象で、土中に細い地下茎を長く伸ばし、所々で地上に茎を出し、直射日光のあたらない湿り気のある場所で仲間を増やしています。密に群生し、群落をつくることが多く、日かげや寒さにも強いので、森林の地表を広く覆い、他の低木とともに、地面の乾燥や崩壊を防ぐ役目もしています。
車輪状の葉の下につく赤い実 群生するヤブコウジ
ヤブコウジの若葉が美しく萌えているのに出会ったのは5月でした。
森を歩いて足元に目をやると、深緑色の葉の上に、黄緑色の若葉が光っていました。この若葉はしだいに緑を濃くしていきます。十分に光合成が行われるようになると、これまで働いてきたもとの葉は、その役目を終えてひっそり落葉していきます。ヤブコウジは1年中、緑の葉をつけているように見えますが、新葉と入れ替わるように元の葉が落葉しているので、年中緑の葉があるように見えるのです。
5月。森の地面は、ヤブコウジの萌える若葉で覆われます。
ヤブコウジの花は、7月から8月頃に見られます。花は小さく、葉のかげに、ひっそりと下向きに咲くので、山道を歩いていてもほとんど気がつきません。
たまたま崖の上に生えていたヤブコウジの花を見つけ、それからは、花の季節が来ると、かがんで葉の下をのぞくようにしています。
つぼみは前年にできた葉の腋に複数つけます。開いた花は、直径が5~8mmほど。5つの花びらが基部で1つになっている合弁花で、白あるいは淡いピンク色を帯びて美しく、その花びらには、小さなそばかすのような紫色の斑紋が見られます。花の中心に雌しべ、その周りを取り囲むとがった形をした葯(雄しべ)が5つ。
ヤブコウジの学名は「 Ardisia japonica」で、種小名のjaponicaは「日本産の」を意味し、属名Ardisia はギリシャ語で「矢または槍の先端」を意味する「Ardis」(アルディス)からつけられたとされています。(「植物の世界」:6-28.朝日新聞社)
つぼみの形 つぼみ・開いた花・散った花も 突き出してるのが雌しべ
葉の下に隠れたこんな目立たない花に、花粉を運ぶどんな虫がやってくるのか、気になるのですが、見たことがありません。アザミウマ類がくるという報告が一部にあるだけで、観察記録も見られません。でも、確かに受粉して赤い実をつけているので、花粉の媒介者がいることは間違いないことです。
受粉が終った花の花びらは、ポトンと落ちて、その後にかわいい実ができます。この実が赤くなるのは、晩秋の頃。濃い緑の葉かげに、5mmほどの球形で艶々した赤い実が顔をのぞかせます。
受粉終え 落下する花 最初の実は 緑色 熟し始めた 赤い実
赤い実ができる頃、常緑樹であるはずのヤブコウジの葉が、紅葉しているのをよく見かけました。赤い実と紅葉の組み合わせも美しいと思ったのですが、紅葉している葉は、直射日光や寒風にさらされて弱っている兆候のようにも感じました。紅葉の葉は、環境がよくなって緑の葉にもどるのもあれば、そのまま落葉してしまうのもあるようです。
直射日光のつよい所で 紅葉が見られます。 紅葉と赤い実のコラボ
赤い実は冬になるにしたがって、つややかさを増し、深緑色の葉とのコントラストも美しくなるので、昔から、縁起物として、お正月の蓬莱台の上に飾られたり、冬の花材となって、慶事やお祝い事に用いられたりしてきました。
その歴史は古く、ヤブコウジはヤマタチバナ(山橘)という古名で、「万葉集」(759)や「源氏物語・浮舟」(1010)にも登場します。
万葉集の編者で歌人でもあった大伴家持が、師走に降る雪を見ての一首。
この雪の 消残る時に いざ行かな 山橘の 実の照るも見む
(万葉集・巻19・4226)
この雪が消え残っている中に、さあ出かけよう、そして山の橘が輝いているのを眺めようじゃないか(折口信夫・「口訳万葉集」)
寒い雪の中でも照り輝く実を見たいという、声の弾みが朗らかに伝わってきます。当時の人々にとって、ヤブコウジの実は、大変な魅力的なものであったのでしょう。
古人の心をときめかせた雪に照り輝く赤い実
文献によれば、江戸時代に、ヤブコウジは園芸品として扱われ、特に盆栽が異常な人気で、高値で取引されていたようです。明治になると、ヤブコウジは、新潟に端を発して、全国的に投機の対象とされ、売買が過熱。園芸家だけでなく一般市民も巻き込み、他県にも波及し、本元の新潟県では倒産者や家財を傾ける者も出るしまつ。とうとう新潟県知事が「紫金牛取締規則」(明治31年・1898年)を発令して販売を禁じています(紫金牛はヤブコウジの生薬名)。投機の対象は、山に生える緑の葉のものではなく、葉に模様(斑)が入る変わり物ではあったのですが。
ヤブコウジと同じように、江戸時代に取引されていたのが、カラタチバナでした。カラタチバナは、百両ほどで取引されたので、「百両金」と呼ばれました。それを契機に、百両金よりも縁起のよい木として「仙寥(せんりょう)」の木に「千両」の字が当てられ、さらにこれより縁起のよい木として「アカギ」と呼ばれていた木がマンリョウ(万両)として登場してきます。赤い実をつける植物ということで、ヤブコウジに「十両」、アリドオシに「一両」の字が当てられました。
これらの植物は、本来の名前があっても、江戸時代の貨幣単位のついた名で呼ばれ、とうとう、「億両(おくりょう)」(ミヤマシキミ)まで登場してきたのでした。
ミヤマシキミ(億両) アカギ(万両) センリョウ(千両)
カラタチバナ(百両) ヤブコウジ(十両) ツルアリドオシ(一両)
これらの植物は、それぞれの生活史を持ち、互いに比較することのできない独自の美しさがあります。本来の名前は、その植物の特性や個性を語るものでしょう。それが、値踏みされて「○両」と名づけられると、浮かんでくるのはその美しさや特性ではなく「小判」のイメージ。縁起のよさを売り物に、赤い実をつける植物をより多く売らんとする魂胆だけが見えてきます。
万葉の時代に見られたヤブコウジの実の美しさに感動する感性や草木たちを愛でる素朴な思いは、近代になるにつれ、金儲けという資本の論理によって、しだいに歪められていったことをうかがわせるものです。
古典落語の「寿限無」が作られたのも江戸時代でした。
長屋の八っつぁんが、わが子につけるめでたい名前がほしいと、和尚に聞いて書いてもらったのが、「寿限無」から「長介」までの12個の名前。森羅万象、数あるめでたい事物のなかから、唯一具体的な名であげられたのが、「やぶらこうじのぶらこうじ」という植物です。それも、当時評判の「千両」でも「万両」でもなく、「十両」である「ヤブコウジ」の名が、そのままです。春に若葉を生じ、夏に花開き、秋に実を結び、冬に雪をしのぶ、生命力あふれる植物だからというのが、和尚の講釈。
八っつぁんは、どれを欠いても後悔するからと、全部の名をつけてしまうわけですが、金持ちでも出世でもなく、ただひたすらわが子の長寿を願って、長い名をつけ呼んでいるところに、庶民のまっとうな親バカぶりが感じられて、なんとも爽やかな気持ちになるのです。(千)
◇昨年1月の「季節のたより」紹介の草花