mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより52 マイヅルソウ

 葉の形は鶴が舞う羽の姿
    赤い実は「いのち」の最期の輝き

 マイヅルソウの花と初めて出会ったのは中学生のときでした。
 田舎の中学校で理科の教科担当をしてくれた若い男の先生は、よく私たち生徒をひきつれて故郷の山々を歩きまわってくれました。
 いつものように山道を歩いて山頂につき、草むらに腰をおろすと、目の前に小さな白い花が一面に咲いていました。先生はその花を指さし
 「これは『鶴が舞う草』、マイヅルソウっていうんだよ・・・・・」
と、花の名前を教えてくれました。
 遠い昔のことは忘れてしまっているのに、そのときの花の名前とその情景はなぜか覚えています。花とか、鳥とか、空の色とか、身近な自然に目を向けるようになったのは、この日からのような気がするのです。

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  マイヅルソウはキジカクシ科の多年草。5月から7月頃に花を咲かせます。

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 マイヅルソウの立ち姿       特徴のある形の葉と白い花

 少年の頃に初めて意識して覚えたマイヅルソウに再び出会ったのは、それからずっとあとで大人になってからでした。
 仙台に住むようになり近くの里山を散策しているうちに、コナラやカエデ、モミなどが混生するやや日当たりのいい林床で、覚えのある葉と白い花の群落を見つけたのです。調べてみるとマイヅルソウでした。その群生地をときおり訪ねては、四季の姿をながめるようになりました。

 マイヅルソウが芽を出し始めるのは早春、スミレやカタクリの花が満開の頃です。
 その芽はちょっと変わった巻物のような芽で、地面の落ち葉を押し上げ突き破るように出てきます。地上に出ると、その芽は巻いていた葉をくるくる開いて、大きなハート形の葉になるのです。葉の色は優しい緑から深い緑色にかわっていきます。

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   落葉を突き抜ける芽          巻物が開くように広がる葉

 マイヅルソウの葉は独特です。根もとにくぼみのある大きな楕円形で、葉先がスッと尖っています。葉の葉脈がくっきりしていて、真上から見ると大きな弧を描いて美しく、その葉が節ごとに違う方向に交互についているので、ちょうど鶴が羽を広げて舞う姿を連想させます。それでマイヅルソウ舞鶴草)と名づけられたのでしょう。

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     鶴が羽を広げて舞う姿を連想させるマイヅルソウの葉

 マイヅルソウの花は小さな白い花。葉の根もとのわきから茎を伸ばして、その先に緑色のつぼみを穂状につけます。つぼみは一度に開かず、下の方から上へと順番に開いていきます。そうすることで花期を長く伸ばしているのでしょう。
 開いた小さな花をよく見ると、花びらが後ろにそり返り、雄しべは飛び出しています。小さな花を大きく見せる工夫でしょうか。
 花の白さが葉の緑に映えて、かすかに花の香りも漂います。小さな白い花たちがワイワイ集まって、いかに虫たちを呼び寄せるか苦心しているようです。
 花芽をつけた花の茎は鶴の首のようで、開花した白い花は鶴の羽の白さを象徴しているようです。

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 葉の上に咲くマイヅルソウの花。   そり返る花びらが4枚、飛び出すおしべ
 つぼみは下の方から咲いていきます。 は4本。めしべは花の中心に1本です。

 植物図鑑には、「マイヅルソウは丸い小さな実をつける」と書いてありました。
 里山の雑木林で出会ったマイヅルソウは、どういうわけか何年通ってもその実を見ることができませんでした。

 何年か過ぎて、マイヅルソウとまた思いがけない場所で出会うことになります。
 栗原市の築館から温湯温泉に向かい、秋田の湯沢にぬける国道398号線を車で走るとブナ林が続いています。県境付近の国道わきの山道を少し入ると、ブナ林の林床でみごとな群落が広がっていたのです。
 6月の半ば、ブナの若葉からこぼれる光をうけて、マイヅルソウはのびやかに葉を広げ、白い花をたくさんつけていました。落ち葉の下を掘り起こしてみると、茎は横走する根茎から出ていて、長く広く地下を這って仲間を増やしていました。

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       ブナ林の林床に広がるマイヅルソウの群落

 7月、秋田・岩手・宮城の3県にまたがる栗駒山に登ったときでした。頂上をめざす登山道で、再びマイヅルソウの群落と出会います。登山道の片側、崖の斜面一帯がマイヅルソウの群落地で、花は咲き始めたばかり、小さい虫たちが集まっていました。里山に咲く花とはふた月も遅い開花です。
 風雨にさらされ高山の厳しさに耐えて花を咲かせたのでしょう。ここでは登山道に咲くイワカガミやヒナザクラとおなじ高山植物の持つ美しさがありました。

 私は最初マイヅルソウは平地に咲く花と思っていましたが、そうではなく、低山から亜高山まで広く分布していました。咲いている自然環境によって、花の印象もまったく違うものになることに驚きました。

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     岩場の崖の斜面に広がるマイヅルソウの群落

 数年がすぎて、ある年の8月、北海道の函館に出かけたときのことです。
 近くの駒ケ岳をのぞむ大沼国定公園の湖の岸辺を散策していたら、うずらの卵に似た斑入りの実が目に入りました。実をつけた草花の葉はどこかで見たような気がします。少し大きめですがマイヅルソウの葉のようです。「これは、マイヅルソウの実かもしれない」そう思ったのですが、旅の途中、確かめようがありませんでした。
 あとになって、マイヅルソウは「花の百名山」(田中澄江著)では九州の韓国岳(からくにだけ)で紹介され、九州から北海道までに広く分布している花と知りました。

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  大沼公園で見つけた葉と実       斑紋いりの実と赤くなりかけた実

 あのときに見た実がマイヅルソウの実とはっきりと確信できたのは、2、3年あと、蔵王連峰の刈田岳に登ったときでした。。
 10月半ば、刈田岳山頂付近はもう寒くなりかけていました。
 山頂の東斜面を下っていたら、枯れ草の中に何か赤いものが光っています。近寄ってみると、枯れた花の茎に赤い実がたくさんついていました。その中に斑紋のある実と赤い実が、黄葉した葉と一緒にあったのです。黄葉した葉はまちがいなくマイヅルソウの葉でした。

 熟した赤い実は透き通りルビーのようです。小さな白い花のみごとな変身です。
 マイヅルソウは「いのち」の最期を輝かせ、鳥たちが訪れるのを待っていました。

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  黄葉した葉と斑紋のある赤い実     熟して透明な実は、ルビーの輝き

 「マイヅルソウ」の名を覚えてからずいぶん年月が立ちましたが、やっと花の姿が私には見えてきたように思いました。
 地面からの芽生え、小さなつぼみに白い花、赤い実。鮮やかに黄葉してやがて朽ちる葉。どれもが、生まれてから地に伏すまでの、瞬時を生きるマイヅルソウの「いのち」の姿でした。
 マイヅルソウという花の名を聞くと、その時の土のにおいや空気、光や風を感じます。まわりをとりまく草花や樹木の姿も浮かんできます。
 それは、図鑑や映像ではとても得られない感覚なのです。

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   黄葉した葉が朽ちても、赤い実は茎についたまま、遅くまで残ります。

 花フェスタ公園などでは、色とりどりの花々がつくられた環境に大量に植えられて、多くの人をよびよせています。その花々は華やかに咲いていますが、種がこぼれて育った土地のにおい、光や風を感じさせることはありません。
 花を眺めに訪れた人は、そのキレイさに心楽しく慰められることがあっても、花が終わると抜きとられ、朽ちて大地に戻ることのない花の「いのち」に思いをはせることはないでしょう。
 人は、いつの間にか、花々を「いのち」あるものではなく、人間の楽しみや慰めのための「モノ」のように考えるようになってしまったようです。

 自然の大地で育つ草花や樹木たちは、生まれては花を咲かせ、種を残して朽ちていく姿を見せています。その姿を見ていると、人のいのちと植物のいのちがおなじ自然の一部であることに気づかされるのです。(千) 

◇昨年5月の「季節のたより」紹介の草花

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