mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより86 マユミ

 緑白色の小花と真っ赤な種子  弓や和紙の材にも

 秋も深まり、赤い木の実が目立つようになってきました。いつもの散歩道で、淡紅色の実が割れ赤い種子が飛び出している木に出会いました。マユミの木です。
 マユミはニシキギニシキギ属の落葉小高木で、身近な里山に生えています。ニシキギの名は、錦のような紅葉の美しさから名づけられたもの。マユミもその仲間です。普段はあまり目立つ木ではありませんが、秋になると黄色や橙色に紅葉し、さらにその実が熟すとなかから真っ赤な種子が飛び出します。その姿が美しいので、公園や庭、生け垣などにも植えられてきました。

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           赤い種子が飛び出したマユミの実

 ニシキギ科の木は赤い種子をつけるものが多いので、どれも同じように見えると思いますが、違いを見てみましょう。マユミは果皮が4つに裂けて4個の種子が飛び出します。これまで取り上げてきたニシキギ(季節のたより63)は、果皮は2つに裂けて種子が2個。ツリバナ(季節のたより37)は、果皮が5つに裂けて、種子を5個つけます。自然界ではすでに種子が落ちていて、定数通りでないものも見られます。そのときは、果皮の裂けた姿で判断するといいでしょう。

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 マユミの種子は4個     ニシキギの種子は2個    ツリバナの種子は5個 

 ニシキギ科の木の種子が真っ赤に見えるのは、種子を包んでいる仮種皮といわれるものが赤い色をしているからです。ゴーヤの緑色の実が熟すと黄変し、なかから赤いゼリー状の種子が飛び出しますが、これも種子が仮種皮に包まれているからです。ゴーヤの本当の種子は茶色をしています。仮種皮の色は赤だけではありません。ジャノヒゲの種子は青い仮種皮に包まれています。アケビの種子は白く甘いゼリー状の仮種皮に包まれています。(下の写真の円内にあるのが本物の種子です。)

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  ゴーヤの種子    ジャノヒゲの種子        アケビの種子

 仮種皮は栄養分が高いので鳥たちが好んで食べます。鳥たちが食べると、仮種皮は消化吸収されますが、種子は糞と一緒に排泄されます。仮種皮は、これらの植物たちが種子を遠くまで運んでもらうために準備した仕掛けでもあるのです。

 早春の雑木林。マユミの木の芽吹きは、他の樹木より早めに始まります。
 暖かい日が続くと、マユミの冬芽は膨らみを増して葉をひらいていきます。
 冬芽のなかには葉芽と花芽が一緒に準備されていて、開いた葉の葉腋に小さなつぼみがついているのが見られます。

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 マユミの冬芽     ほころぶ冬芽        若葉と花の芽

 マユミの花期は5~6月頃です。長い花の枝を伸ばしその先に小さくかわいらしい緑白色の花を1〜7個つけます。

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   花枝についたつぼみ            マユミの花 

 小さな花は直径約1cmほどです。花びら4枚、緑色の花盤のまわりにおしべが4個、中心にめしべが1個見られます。
 植物図鑑によっては、マユミは雌雄異株とされたり雌雄同株とされたりしてきました。花のつくりをよく見ると、めしべの花柱が短いものと、長いものの2つのタイプが見られ、雄花と雌花に見られていたようです。めしべの花柱の短いものは結実しにくい傾向があるだけで、雌雄同株とするのが新しい考え方のようです。
 受粉できたマユミの花は、やがて小さな折り紙風船のような四角い実を結びます

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   花柱の短い花      花柱の長い花     マユミの実(最初は淡緑色)

 秋も半ば、若い実はしだいに熟し色づいていきます。マユミの葉は緑ですが、その葉の間から淡紅色の実が目立ってきます。やがて、晩秋に実は4つに裂けて、真っ赤な仮種皮におおわれた種子が釣り下がります。

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      熟すにつれて色づく実         熟した実が裂け  飛び出す種子

 マユミの新芽はコノメ(木の芽)として食用になりますが、赤い実は毒性があるので食べられません。これを目当てに集まってくるのは鳥たちです。山地に自生しているマユミには、アカゲラやコガラがよく集まっています。平地では、コゲラメジロが食べにきています。鳥たちによって食べつくされることはないようです。

 晩秋、マユミの木は赤い実をつけたまま紅葉していきます。葉が散った後も実は残っていて、初雪の頃、雪にうもれた赤い実はよく目立ち、美しいながめです。

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    黄葉するマユミ             雪の中に映える実

 マユミは漢字で古くから「真弓」と表記されてきました。「真」は「最高の」という意味。その名の由来は、材質が強く緻密でゆがみなく、良くしなるので、弓の高級な材料として用いられた事にあるといわれています。
 万葉集には「真弓」の歌が、12首に登場します。そのうちの一首ですが。

   天(あま)の原、振り放(さ)け見れば、白真弓、張りて懸(か)けたり、夜道はよけむ
                  間人大浦(万葉集 巻3-289)
(大空を振り仰いでみると白い真弓を張ったように三日月が懸っているよ。夜道は明るく歩きやすいでしょう。)

「白真弓(しらまゆみ)」は、真弓の白木で作った弓のことで、万葉集歌の「真弓」は、この歌のように多くが弓のことを指して詠まれています。
 同じ万葉集に、「梓弓、引かばまにまに、寄(よ)らめども、・・・」(石川郎女 巻2-98)の歌や、「・・神の御(みよ)より、はじ弓を、手にぎり持たし、まかご矢を・・」(長歌 大伴家持 巻20-4465)の歌が見られます。この歌を見ると、当時の弓の材料としてマユミの木だけでなく、「梓(アズサ)」や「黄櫨(ハゼ)」の木も使われていたことがわかります。

 日本では弓は縄文・弥生の頃から使われていて、その頃の弓は木を削って作っただけの単弓(丸木弓)でした。(全日本弓道具協会「弓について」)
 秋田県の中山遺跡は縄文後期の遺跡ですが、ここから丸木弓が2点出土。同定の結果、2点ともヤナギが用いられていました。その報告書には「(縄文)遺跡から出土した弓の用材としては、カヤ、 イヌガヤ(ハイイヌガヤ)、イヌマキといった 針葉樹利用が主であり、広葉樹の利用は少ない。広葉樹では、マユミ、クワ、ケヤキといった用材はいくつかの遺跡で用いられているが、 一般に用いられている材は多種類にのぼる。」とあります。(秋田県立博物館研究報告第17号「中山遺跡出土の弓の用材について」松田隆嗣 1992年3月)

 マユミが弓の材料であったことは確かのようですが、弓の材料は多種類にのぼり、マユミが特別に他の樹木より優れた材であったと記述する文献は見られませんでした。「真弓」の「真」を「最高の」とする語源説は無理があるようです。

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   マユミの紅葉。気温によって黄色から橙色、紅色と変化があるようです。   

 一方、「弓」説ではなく、マユミの実の形態を語源とする説があります。
 「花おりおり」(湯浅浩史文・朝日新聞社)には、「秋に熟す実も独特で、そこに詩人の村  次郎は名の語源を見た。丸く膨らんだ実は種子を包む。それが繭を思わせるので「繭実」だというのである。」と紹介しています。
 植物学者の前川文夫氏も、「熟してこれも赤くなった果実の中から真っ赤な種子が出て、しかも落ちずにぶら下がるのはマユ(繭)ミの名こそふさわしいものである。」と確信をもって述べています。(「植物の名前の話」八坂書房
 詩人や学者の発想は独創的で魅かれるものがありますが、過去の文献に「繭実」という表記が見当たらないのはどうしてなのでしょうね。
 「マユミ」という呼び名はもともとあったのでしょうが、その語源はどうも謎のようで、その由来について想像をめぐらせる愉しみを、後世の私たちに残してくれているようです。

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     マユミの実と種子の美しさが、「繭実」を思わせたのでしょうか。

 マユミを「檀」と表記することもあります。平安時代陸奥(むつ)国でマユミの樹皮の繊維から和紙が作られていました。後からコウゾが主原料になりましたが、その和紙のことを「真弓紙(まゆみのかみ)」や「檀紙(だんし)」と呼んでいました。「檀」の文字はそこからきていると思われます。

 ところで、マユミはその木を材料に弓や和紙に使われていたわけですが、木そのものを純粋に楽しむことはなかったのでしょうか。
源氏物語」の六条院は、光源氏が造営した大邸宅です。源氏はそこに春夏秋冬の四季を楽しめる庭園をつくり、ゆかりある女性たちを住まわせました。
 この庭園に配置された全ての樹木や草花の描写を克明に調べ、その庭園の姿を再現した論文がありました(『源氏物語』六条院の庭園描写 ― 古典文学の庭園描写に関する研究(3)―河原武敏 造園雑誌48 )。この論文によると、マユミは六条院の東北庭に植えられていました。

 マユミは、初秋の夜に源氏が玉鬘と語らう場面で描写されています。

 いと涼しげなる遣水のほとりに、けしきことに広ごり臥したる檀の木の下に、打松おどろおどろしからぬほどにをきて、さし退きてともしたれば、御前の方は、いと涼しくおかしきほどなる光に、女の御さま見るにかひあり。
                     (源氏物語27 篝火)
(たいそう涼しそうな遣水のほとりに、枝ぶりが風情よく広がり、低く地を這うように見える檀の木があります。その下に、松の割り木をほどよく積んで置いて、お部屋の前から遠ざけて焚きつけましたので、お部屋のほうは、たいそう涼しく、趣のある炎の光に、女君のお姿がひときわ引き立って見栄えがしています。)
                   (「源氏物語 巻5」瀬戸内寂聴

 物語は虚構ですが、作者の見聞した事実が基礎になっています。マユミの木は平安時代にも庭園にも植えられていて、選定も行われていたのでしょう。普段は美しい樹形を見せて、季節が来ると、愛らしい花を咲かせ、紅葉し、真っ赤な実をつけて、見る人を楽しませていたと考えられます。

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       落葉後にも残るマユミの実と赤い種子は、青空に映えます。

 万葉集源氏物語などの古典の数々は、その文学的価値はさることながら、当時の植物分布や植物にかかわる人の暮らし、季節への思いなどを後世に伝える貴重な資料にもなっていることを改めて思います。後の研究者によって、当時の庭園の姿がみごとに浮かび上がってくるのも驚きでした。私たちの学びは先人の多くの文化遺産を土台に成り立っているのです。(千)

◇昨年10月の「季節のたより」紹介の草花