涅槃の道場 ~6日間で香川を歩き、結願をめざす~
【6日目】3月20日(金) ~結願の寺を目指して歩く~ (西風強く寒い)
宿発 7:00 ⇒(7km)⇒ 87長尾寺 8:30 ⇒(5.4km)⇒ おへんろ交流サロン 10:20 ⇒(11.3km)⇒ 88大窪寺 14:30⇒ コミュニティバス 15:51 ⇒ 琴電 16:27 ⇒ JR高松駅着 17:09
わらじが迎えてくれた長尾寺山門
御詠歌 御本尊
《あしびきの 山鳥の尾の~?》
参拝を終えて納経帳を書いてもらっているとき、“ようし!いよいよあと一つだ ” と気が引き締まった。そうしたら、ふと見覚えのある百人一首の札が目にとまった。「あしびきの 山鳥の尾の 長尾寺 ・・・・・・」後半は違うけれども、明らかに「あしびきの 山鳥の尾の しだりおの 長々し夜を ひとりかもねむ」と似すぎている。そこで、目の前の若い住職さんに聞いてみた。「このうた、百人一首に出てるものと似てるんですが・・・」すると「詳しいことはわたしにもわからないんですが、300年ほど前にこの寺を新しくしたとき、すでにこのうたは前のお寺にもあったそうなんです。」とのこと。う~む。和歌に全く疎い身なので、上の句がここまで同じということが不思議でもなんでもないのか、それとも不思議なのか理解できなかった。ただ、どのお寺にもこのような御詠歌(平安巡礼歌)があり、御本尊の札とともにちゃんともらっていたことを初めて知った。毎回2枚もらっていたことは分かっていたが、それが何なのか全く見ていなかったのだ。恥ずかしいというか、興味がなかったというか・・・。
前山ダムの向こうに見える山まで行くのか?
前山お遍路交流サロン お遍路大使?となる
初めてお遍路に足を踏み入れたとき、徳島の宿のおやじさんが、「このサロンには必ず立ち寄れ。」と言っていた。その時は、何でそんな山の中に作ったんだろうと思った。来てみて分かった。結願を前にして、長い道のりを歩いてきたお遍路さんを心からもてなす場所だったのだ。お茶とともに「四国八十八カ所遍路大使任命書」なるものを授与された。歩きか車か? いつから始めたのか、どこから来たのか、何がきっかけかなど、結構詳しく聞かれた。しかし、ここはお寺ではないので、しっかり歩ききったことを証明し、他の人にも広めることを目的としているようだった。
対応してくれたおばさんは何でも知っているようだったので、「結願したら,お寺から何か証明書のようなものはもらえるんですか?」と聞いてみた。そうしたら、「それはもらえるんじゃなくて、2500円出して書いてもらうんだよ。お金さえ出せば,回ってない人でももらえるものなの。」 “ えっ!お金出せば誰でも? ” 内心、結願書はいいやと思った。「それが無くたって高野山に行けるんでしょう?」「もちろんですよ。納経帳に高野山奥の院のページがあるでしょ。そこに記帳してもらえば十分だと思いますよ。」ふむふむ。でも今回は高野山行かない。コロナ対策。
さあ、あと10kmがんばろう。
大窪寺へのルートは4通りあるが、やはり旧遍路道を歩くとことにした。花折峠という道標に従って登りに入ると、とんでもなく急だった。四国全体に「へんろころがし」という難所が何カ所かあるが、ここが一番のように思った。急なだけなら休み休み登れるのだが、山土が起伏もなく空に向かっているので、足場が取れない。急な滑り台を登っている感じだった。下りには絶対使えないと思った。ここにこそ「へんろころがし」の名をつけるべきなのに付いていない。5kmはつらかった。出口が近づくとやがて平坦になるのだが、最後の竹林の道が非常に危険だった。片斜面に道が延びているのだが、その幅は30cmもないのだ。靴の幅ぐらいでしかも落ち葉が積もっているので、しっかりしているかどうかが分からない。「へんろ地獄」と名付けた。
金剛杖が納められている
金剛杖と菅笠もいよいよ終わり。正直言うと、四国に入るまでの電車や地下鉄、バスの中、この2つが非常に厄介だった。鈴はチリンチリンなるので、結構気を遣った。納経所のお坊さんに「杖と笠を置いていきたいのですが」と言うと「奉納ですね。一つ1000円になります。二つなら2000円です。」“ えっ!そういうことなのか。確かにごみじゃないもんな ” 少し迷っていると、「高野山に行くとき必要になりますよ。それに、長いお遍路を共にしたのですから大事に手元に置かれた方がいいと思いますよ。」う~ん。その通りだな。奉納は止めにした。
(つづく、次回最終回)