mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

正さんのお遍路紀行(四国・香川編)その7

 涅槃の道場 ~6日間で香川を歩き、結願をめざす~

《 えっ!原爆の火?》
 納経も終えて、“ あ~やれやれ,終わったなあ ” とベンチで休もうとしたら、ん? えーっ! 何でここに?「原爆の火」がガラスケースので中で燃えていた。

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 どういうことなんだと、説明のプレートを見ると次のようなことが書かれていた。

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 お堂や石仏など仏教にまつわるもので構成される寺院の中に、「核兵器廃絶」が “ ぼん ” とあったので驚いた。しかもこの碑は奥まったところではなく、このお寺を訪れた人が必ず通るところで目につく場所に据えられている。どういういきさつで福岡県からここ香川の大窪寺に移されたのかは分からないが、明らかに “ 見てほしい ” という住職の強い願いを感じた。初めは異質な感じがしたが、仏教が平和を願うのは当然のことであり、その教えにも合致することだと気がついた。原爆による苦しみを二度と生んではならないと伝えている大窪寺は、忘れられないお寺となった。

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 空と険しい山がすっきりしている。俺も同じかな? 88カ所終了!!

《歩いてみて思うこと》
 基本的には普通の旅なんだろうけど、違うのは歩く(主に山間部)こととお寺だけ。それ以外には何もない。歩いて、拝んで、食って、寝る。生きるのに最低限な感じがあったかな。それで何が楽しいん?と聞かれても、うまく答えられないけれど、山の中の杣道を喘ぎながら歩き続けているときの五感というかなんというか。山登りの爽快感とも少し違うような気もするし・・・。信心深さが芽生えたのかといえば、う~ん。ただ「密教」の聞きかじりだと、書物や経典など文字から学ぶだけでなく、自然や宇宙と同一化するために山々を駆け巡ることも重要な柱となっているようだ。“ へえ~、人も自然そのものだという感覚を大事にしているんだ。” と分かったら、仏教は案外身近なのかもしれないと思った。

 今後の予定としては、コロナウィルスが治まったら高野山に行ってみようと思う。何か見つかるだろうか。ついでに、熊野古道を歩いてみよう。

《余談として》
 ①靴のこと
 お遍路を始めるとき、どんなところを歩くことになるのか調べてみると、山道だけでなく平地もあった。割合的には山道が多いと思いトレッキングシューズにした。はじめの頃は平地を歩くと豆ができた。山を歩く方が豆はできなかった。アスファルトと土の違いなのだと思っていた。でも、回を重ねるうちに、ひもの結び方で軽減できることを知った。平地では足首に余裕を持たせて結ぶ。山に入ったら足首までしっかり締める。トレッキングシューズはその名の通り軽登山用だから、平地の長歩きには適さない。理屈は分からないが足首の締め方で対応できるようだ。高知では運動靴を使ってみたが、荷物をしょっているとバランスが悪いと思った。それに、山の下りでは踏ん張りがきかなかった。人によるだろうが、トレッキングシューズは正解だと思った。

 帰りの新幹線で、靴を脱いでリラックスしようと、左の靴を引っこ抜いたら靴底のソールが一口分なくなっていた。あらま、これまでか。バーゲンで6000円とお得だったトレッキングシューズは、1200kmを持ちこたえてくれたんだ。ごくろうさん。捨てらんねえな。

②ガイドブックの地図のこと
 徳島、高知を歩いたときには何の違和感もなく、JTBパブリッシング発行の「四国八十八カ所をあるく」の地図を使った。使いづらくなったのは愛媛に入ってからだ。どういうことかというと、地図が南北逆に表示されている。瀬戸内海側から愛媛、香川を見るようになっている。だからルート確認をするとき、実際は海は北に見えるのに、本では海が下になっているのだ。その都度本を逆にして見ないと位置確認ができなかった。へんろみち保存協力会の発行する「四国遍路ひとり歩き同行二人」というバイブル的存在の地図(36ページ)も愛媛から南北が逆になっていた。“ 何なんだいったい、把握しづらいなあ ” と思いつつも、だんだん慣れてしまった。というか慣れるしかなかった。

 仙台に戻り,歩いた道を振り返るために地図を見ていたとき、「おお!そうか!」と発見した。非常に単純なことだった。普通の地図は北が上だから、徳島から高知にかけて歩く遍路道は「右から左に表示されていく」ところが、北を上にしたまま愛媛から香川の道を表示しようとすると「左から右に向かうことになる」そこでだ。右綴じの本の場合、遍路道が右から左に伸びていくと、ページをめくれば滑らかにつながる。ところが、北を上にしたままだと愛媛からの道路表示は「左から右」となる。右にめくる本の場合、道が滑らかにつながらなくなる。
 お遍路を順番に従って(本をめくるに従って)ガイドしようとすると、道は常に右から左へと向かう方が案内しやすい。愛媛から香川への案内も、めくるに従って進むためには、南北を逆にした地図表示にしないとそれができないのである。謎が解けてすっきりした。
 歩いているときは、何枚もめくることはなく、せいぜい2ページぐらいだったから、この謎に気がつかなかったのだろうと思う。右綴じでも、もっと使いやすいお遍路地図にするにはどうしたもんかと考えている。商品化して・・・