夏の湿原に似合う花 ハチに合わせた花の形
夏の湿原を訪れたことのある人なら、きっとこの花を目にしたことがあるでしょう。ヤマユリやオニユリなどに比べると華やかではなく、ふだんは陰におかれる花ですが、夏の湿原に立つとこれほど似合う花はないように思えるのが、コバギボウシの花です。
すっくと立つ薄紫色の清楚な花は、湿原を渡る涼しげな風にゆらいでいました。
湿原に咲くコバギボウシの花 背景に咲いているのは高山植物のキンコウカ
コバギボウシはキジカクシ科ギボウシ属の多年草で、本州から九州までの日当たりの良い乾燥しない林縁や草地によく見られます。特に湿原に好んで生育しています。
ギボウシというのは、個別の植物名ではなく、一般にギボウシ属に分類される植物の総称として用いられています。
ギボウシの原産地は東アジアの温帯地域ですが、「日本が世界でも最も野生種が多く、20を超す」(湯浅浩史「花おりおり」)とのことです。
日本国内の野生種で最も普通に見られるのが、コバギボウシとオオバギボウシです。2種の細かな違いはいくつかありますが、大きな違いは「小葉」と「大葉」の名前の通りです。
コバギボウシ(細長い葉と薄紫色の花) オオバギボウシ(大きい葉と白い花)
ところで、このギボウシという聞き慣れない名前は、どこから来ているのでしょう。
ギボウシは擬宝珠(ぎぼうしゅ)の転訛で、この植物の包葉に包まれた若いつぼみの姿が橋の欄干につけられた擬宝珠という飾り物に似ていることに由るのだそうです。
オオバギボウシの若いつぼみ 橋の欄干につけられた擬玉珠
コバギボウシは春先にくるりと葉を巻いた形で芽吹きます。広げた葉は、先がとがった細長い楕円形。葉脈はくぼんで目立ち、葉の根元は茎に向かってしだいに細くなり、葉柄の翼のようになっています。
幅のある小ぶりの葉は、うっかりするとオオバコに見えなくもなく、英名のplantain lily(オオバコユリ)の呼び名もそこからきているようです。
コバギボウシの葉の形や大きさなどは、生育地や場所によってかなり変異が多いのが特徴です。
コバギボウシの芽吹き オオバコにも似ている葉
コバギボウシは梅雨に入ると急速に成長し始めます。やがて、重なり合った葉の真ん中から茎を伸ばし、その先に若いつぼみをつけます。
葉の間から茎をのばす コバギボウシの若いつぼみ 花の準備
コバギボウシは伸ばした花茎に多くのつぼみを穂状につけて、下から順に開いていきます。花は朝に開いて夕方にはしぼんでしまう「一日花」です。花茎についた花を見ると、開いた花の上にはつぼみ、下にはしおれた花がついています。一度に咲いてしまわないのは、受粉の確率を高める工夫でしょうか。
花はやや下向きにラッパ状に開いています。花びらが6枚のように見えますが、根もとでつながり細長い筒になっている合弁花です。
花の色はふつう薄紫色ですが、ときおり白花や濃紫色の花が咲いているのを見ることがあります。花の内側に濃い紫色と淡い紫色、または白色の美しい縞模様が見られるのが、コバギボウシの花の特徴です。
下から順に開花 先端がそり返る雄しべと雌しべ
花のなかを見ると、雄しべが6本、かなり長い雌しべが1本。どちらも先端が極端に曲がり反転しています。曲がっているわけがすぐわかりました。マルハナバチがやって来て、花の筒の奥に潜り込み、蜜を吸ってせわしく飛び立つとき、雄しべの葯がハチの体に触れて花粉がついたのです。花粉をつけたハチが飛んで次の花に潜り込むとき、今度は雌しべの柱頭に触れて花粉をつけるのでしょう。
雄しべと雌しべの極端な曲がりようは、マルハナバチに花粉の送受粉を確実にしてもらうしかけだったのです。
花の雄しべと雌しべがかなり離れているのも自家受粉を避けるためです。コバギボウシは花粉の送受粉をマルハナバチに託すことで、他家受粉の確率を高めていると思われます。
(コバギボウシの)筒状の花はマルハナバチ専用のケースのように、体がちょうどすっぽり入る大きさだ。そのため蜜を吸うマルハナバチは花にもぐると決められた姿勢をとらされる。さらに、雄しべと雌しべは花の入り口で急に上向きになっている。雄しべ雌しべに触れないような小さな昆虫がもぐりこんできても、この蜜には口がとどかない。チョウは口が長いが、近づこうとすると、羽が花びらにつかえてしまう。(田中肇「花の顔」山と渓谷社)
確かにコバギボウシの花にはアゲハチョウの仲間が集まってきますが、花に羽がつかえて蜜に口が届かないようです。コバギボウシの花は、マルハナバチだけが吸えるマルハナバチ専用の花とは驚きでした。
蜜は花の筒の奥にあります。 花に潜り込むトラマルハナバチ
チョウの仲間は長い脚で花粉に触れずに長い口を伸ばして蜜だけを吸ったり、花粉が羽に触れても羽の鱗粉が花粉をはじいたりするので、じつは花にとってあまりいい花粉の媒介者とはいえません。ところが、そのチョウの仲間であるアゲハチョウを巧みに利用している花がヤマユリの花(季節のたより55)です。
ヤマユリの花は花びらを開放的に開いて蜜のありかにチョウの口が届くようにしています。ところが、花は下向きで簡単に吸えないようにし、チョウが蜜を探し羽をばたつかせている間にすばやく花粉をつけるのです。雄しべの葯はT字形でモップのよう、どんな角度に触れてもぴたりと羽に接して花粉をつけます。その花粉は一度衣服についたら染みがとれないほどのネバネバの粘着力で鱗粉にはりつきます。花屋さんでヤマユリの花の雄しべを切り取って売っているのはそのためです。
コバギボウシの花はマルハナバチの体に合わせ、ヤマユリの花はアゲハチョウの体に合わせて花の形を変えています。何という自然界の不思議さなのでしょう。
花たちは子孫を残すために確実に花粉を運んでくれる昆虫に合わせて進化してきているのです。
アゲハチョウの羽が大きく、蜜まで アゲハチョウに花粉を運んでもらう
口が届きません。 ために特化したヤマユリの花
先にコバギボウシの花は、朝開き午後にはしおれてしまう「一日花」と紹介しましたが、受粉はいつ行われているのでしょうか。
「石川の植物」と題したホームページを執筆している本多郁夫さんの「コバギボウシ」の観察記録には、ほとんど徹夜の状態での観察の結果、「花は、深夜から早朝にかけて開く」「早朝、ほとんどの花で、受粉が終わってしまっていました。」と報告されています。
コバギボウシとマルハナバチのつながりは、花の形だけではなく、花を訪れるマルハナバチとの活動時間とも深く関係があるようです。
夏期の高温期にマルハナバチを導入すると気温の上昇とともに訪花活動が鈍ってくる。時には早朝や夕方しか訪花活動せず、その間は巣箱からまったく出なくなる。マルハナバチは10℃以上になると日の出前や日没後の薄暗い状態でも活動性が高い。活動適温は10~25℃で30℃を越える高温下では活動は著しく弱まり、35℃以上になると訪花はほとんど行われない。(アリスタ 現地レポート・渡邊敏弘「高温期におけるマルハナバチの避暑対策」より)
コバギボウシの花は、深夜から早朝にかけて花開き、蜜をたっぷり用意してマルハナバチを待っているのです。まるでマルハナバチの最も活発に活動する時間帯を正確に知っているかのようです。
コバギボウシの花は深夜から早朝にかけて花開き、受粉は早朝に行われます。
受粉したコバギボウシの花は細長い実をつけ、秋に向けて成熟していきます。実は長さ2.5cmほどの薄い果皮をかぶった蒴果(さくか)です。実のなかは3つの部屋があり、種子が数個ずつ並んでいて、熟して乾燥すると3つに割れて種子がこぼれ落ちます。種子は黒色、1cmほどの楕円形で羽がついていて、風が吹くとさらに遠くに散布されて仲間を増やします。
なお、地下には塊状の地下茎があって、細長い茎を出してその先にも新芽を出して増えていきます。
実は細長い形 成熟していく実 熟すと3裂し、羽のある黒い種子が出て
くる。
日本で古くから自生していたギボウシは、19世紀半ばにオランダ医学者として日本で活躍したシーボルトによりヨーロッパに紹介され、高い人気を集めました。株の根元から放射状に広がる葉、多様な葉の形、そして葉の中央から立ち上がって咲く花の姿が人々の心をとらえ、欧米では品種改良によって次々に新しい園芸品種が作られていきました。オオバギボウシの学名はそのシーボルトの名にちなんで Hosta sieboldiana(ホスタ・シーボルディアナ)とつけられています。
ギボウシの園芸品種は、葉の大小、斑入り、花色などのバリエーションに富み、「ホスタ」の名で日本に逆輸入され、目を楽しませてくれますが、その原種となる日本のギボウシは、園芸種では感じることのできない生命力と野性の魅力を漂わせて野に咲いています。
いよいよ本格的な夏山シーズンです。山地や湿地、渓流などで、コバギボウシやオオバギボウシは、その生えている環境によって様々な表情をみせて迎えてくれます。疲れたらちょっと一息、花たちとの対話を楽しんでみてはどうでしょう。
(千)
◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花