mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

思い出すこと6  ~10・21スト ~

 今「10・21スト」と言っても、「それ、何?」と聞き返されることがほとんどかもしれない。
 宮城県職員組合運動50年史によれば、「10・21スト」について、「日教組は9月19,20日に第31回臨時大会を開いた。この大会では、実力行使の重点目標として、公務員共闘の統一要求(人勧5月実施・地方財源確保)と日教組の独自要求(超勤手当、宿日直廃止、警備員設置、事務職員の4等級ワタリ)を確認し、その具体的内容として、「10月21日、公務員共闘の統一実力行使として、日教組は全組合員が午後の授業を打ち切り、平日休暇による要求貫徹行動実施する」と記述している。1966年のことである。

 宮教組は、当時14の「支部」にわかれ、各学校ごとに「分会」があった。
 私の所属する分会は、1回の分会集会で「半日スト」に全員一致での参加が決まり、当時、支部青年部長だった私は、支部執行部と頻繁に連絡し合い、支部内の各分会の動きを把握しあい、それに応じて手分けして動いた。10月21日が近づくにしたがい、各分会に足をはこぶようにした。もちろん、勤務時間外になる。

 いよいよ明日という前日の20日は、書記長と一緒に、支部内一の組合員数のⅯ分会を訪問した。
 訪ねた時、出迎えてくれた分会長が言うには、「今、最後の分会集会をもち話し合っているので、しばらく別室で待ってほしい」とのことで別室で待たせてもらった。
 しばし待って後、呼びに来た分会長が言うには、「今、参加決意者は13名になっています」ということであった。組合員数は25~6人なので半数ということだ。
 案内されて入った会議室は、口の字に机を並べ、全員が待っていた。
 書記長は全体的な情勢を、私はなぜ参加するかの個人的な理由を話した。
 その後、分会長が、「特に質疑はないようですから、これから用紙を回しますので、参加決意者は署名・捺印をし、次に回してください」と言い、用紙と事務室用の印鑑入れを回した。
 部屋の空気が一瞬サッと変わったような感じがした。誰も口をきかない。決意できない人は、回ってきた署名用紙と印鑑入れを黙って次に回す。誰ひとり口をきかない。20数人だが、私には長い時間に感じ、終始身体が緊張していた。
 用紙は分会長のもとにもどると、分会長は「16名の署名がありました。明日午前中までまだ時間があります。現在まだ決意できていない方は、明日午前いっぱい考える時間がありますので考えつづけてください。今日は遅くまでご苦労様でした」と言い、散会になった。
  私は、こんな緊張した分会集会は初めてで、帰宅しても集会場の様子を浮かべしばらく興奮していた。

 翌日、私たちはそろって校長室に行き、集会場に向かった。
 まもなく集会場に、河北の支局の知り合いの記者が来たので、「学校は生徒はどうしていました?」と聞くと、「体育館に生徒全員を集めて校長が話をしていましたよ」ということだった。
 私の頭の中は、昨日につづいて、M分会のことでいっぱいだった。M分会には、Ⅿ分会用のバスが配車されている。
 私は集会場の外でそのバスを待ちつづけた。バスが来た。私は降車口近くに行き、バスを降りてくる人を数えた。
 なんと、21人だった。昨夜の16人が21人になったのだ。自分の体がほてってきた。参加できなかった数人の仲間も考えに考えた末だったんだろうと思った。
 決起集会が始まった。集会の次第にはないのに私は手を上げ、全員で時間ぎりぎりまで考えつづけたⅯ分会の事実を知らせ、たたえた。
 自分ひとりで興奮していたので、参加者はどう聞いたかはわからない。しかし、20代に得ることができた私が生きていくうえでの大きな大きな財産だったと今でも思っている。( 春 )