mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより82 ウメバチソウ

  独特な花の造形  賢治童話に登場する花

 夏の終わりに山を歩くと、小さな白い花が笑顔で迎えてくれます。今年も出会えたことを喜んでくれているような、嬉しい気持ちにさせてくれるのが、ウメバチソウの花です。
 ウメバチソウは、日本各地に自生しているニシキギウメバチソウ属の多年草で、おもに山地の日当たりがよく湿り気のある草原や湿原に生えています。
 県内にも広く分布していますが、栗駒山、船形山、蔵王連峰などの高山の湿原には群生する姿が見られ、夏から秋にかけて咲く高山植物として親しまれています。
 ウメバチソウの花の名は、代表的な家紋の一つ、「梅鉢紋」に似ている事から名づけられたといわれています。

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                                笑顔のように咲いている  ウメバチソウの花

 ウメバチソウの花の時期は、8月から9月頃。1枚のハート形の葉に抱かれた1本の花茎を伸ばし、その先に2cm程の白色の花を1個つけます。
花の立ち姿をカメラにおさめようとすると、夏の強い日差しに花が白飛びをしてしまい撮影がとてもむずかしい花です。花のつくりはとても繊細で独特の美しさを持っています。

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  1本の花茎に1個の花をつけます。     ウメバチソウの花の造形

 ウメバチソウの花をのぞいてみました。(上右)の写真は、花開いて一週間ほど過ぎたころの姿です。花びらは5枚、先端が丸みを帯びて緑色の脈が見えます。中心にあるのがめしべ。写真では柱頭が4つに裂けています。めしべの元の方から5本伸びて見えるのが、おしべです。そのほかに、カタツムリの角のようなものが輪になって並んでいるのが見えますが、これは何でしょうか。

 前回とりあげたサルスベリの花(季節のたより81)には、受粉のためのおしべと、昆虫を誘うおしべの2種類がありました。じつはこのウメバチソウの花も同じような2種類のおしべを持っているのです。
 花粉を出して受粉の働きをするのが、5本のおしべです。輪になって並んでいるのが、昆虫を誘うおしべで「仮おしべ」と呼ばれています。
 仮おしべをルーペでのぞくと、繊細でとても華やかです。その華やかさに誘われて昆虫たちが集まってくるのでしょう。

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 おしべと仮おしべ(正面)   おしべと仮おしべ(横側)   仮おしべは根元で1つに

 仮おしべは何本もあるように見えますが、根元近くで1つになっていて、それが裂けて細かく枝別れしたものでした。先々に球形のものがついています。その色や形は蜜腺に見えますが、指で触れても蜜はなく、どうも目立たせる飾りのようです。
 花を訪れるアリを見ていると、花のなかを動き回って、仮おしべの下の方にもぐりこみ、根元あたりをよくなめています。

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花にやってきたアリは、仮おしべの根元に潜り込み、しきりに何かをなめています。

 アリがなめている緑色の根元あたりに分泌物が出ているようです。なめてみると、ほんのり甘さを感じます。図鑑では、ウメバチソウは蜜を持たないとあるのですが、これって蜜なのでは?
 ウメバチソウは、仮おしべの先の黄色い球形で昆虫を誘い、緑の部分の分泌物に誘導しているようです。昆虫たちは仮おしべに誘われ花のなかを歩き回っているうちに、本物のおしべの花粉が体について、そのままめしべに運ばれ、受粉が行われるというしくみなのでしょう。

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  ① 開いたばかりの花   ② 開花して2,3日後の花    ③ 開花して7日後の花

 ウメバチソウのおしべやめしべも、おもしろい動きをするのです。①の写真はたったいま開いたばかりの花で、おしべもめしべも未熟で動き出していません。②の写真が、2、3日過ぎた頃の花です。おしべが2本、伸び出しています。おしべの葯からは花粉が出ていました。③の写真は、一週間ほど過ぎた頃の花です。5本のおしべがどれも花粉を出して、外側に伸びきっています。
 ウメバチソウの1つの花は、10日以上も咲き続けます。その間、上の写真で見るように、おしべを順々に立ち上げ、花粉を出しているのです。
 めしべの様子を見ると、①の花のめしべは変化がなく、③の花のめしべの柱頭が開いています。めしべの柱頭は、5本のおしべが花粉を出し終えたあとに開いて、受粉できるようにしているのでした。
 ウメバチソウの花は、おしべとめしべの成熟時期をずらすことで、自家受粉をさけて、丈夫な子孫を残そうとしていました。

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    受粉後の花の造形      ふくらむ子房        種子を飛ばした果実

 受粉を終えた花は、花びらを散らしますが、ガク片は残したままです。おしべは葯がとれて花糸だけが残り、仮おしべは役目を終えて色彩を失いますが、そのまま残っていて、この姿も美しい造型です。
 めしべの子房は、しだいにふくらみ、やがて大きな果実となります。成熟した果実には、薄い褐色で長さ数ミリの長細い種子が入っています。果実の上部が割れ、風が吹くと揺れて種子が近くにばらまかれて 次の世代へといのちが受け継がれていきます。
 ウメバチソウの繊細で美しい花の造形は、いのちを永遠に受け継ぐしくみの姿でもあったのです。

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     朝の陽の光をあびると、ウメバチソウの花は、純白に輝きます。

 宮沢賢治の童話「鹿踊りのはじまり」は、ウメバチソウの白い花が咲く草原が舞台です。それはこんな物語です。

 ある年の秋、栗の木から落ちて足を悪くした百姓の嘉十は、治療のために湯治に
出かけた途中、野原で弁当を食べ、栃の団子を鹿たちのためにと、ウメバチソウの花の下に残しておきます。その時うっかり手拭を置き忘れて、思い出して戻ると、6頭の鹿が手拭のまわりを廻りながら、恐る恐るのぞいています。「鹿」にとって初めて見る手拭は何か恐ろしいものに見えたのです。
 嘉十がすすきの隙間からのぞいていると、急に耳がきいんとなり、鹿の気持ちが波になって伝わり、鹿のことばが聞こえてきました。「生きものだべが、毒きのこだべが」。鹿たちは近寄っては匂いを嗅ぎ、かじっては逃げて、さんざん議論し、正体は「ひからびたナメクジ」と結論づけてやっと安心。それから栃の団子を分けあって食べたのでした。やがて、鹿たちが一匹ずつ歌い、輪になり踊り出すと、嘉十は自分までが鹿のような気になってくるのです。最後の場面を賢治の文章でみてみます。

 ・・・・・六番めがにわかに首をりんとあげてうたいました。
  「ぎんがぎがの
   すすぎの底でそっこりと(こっそりと)
   咲ぐうめばぢの
   愛(え)どしおえどし(かわいらしかわいらし)。」
 しかはそれからみんな、みじかく笛のように鳴いてはねあがり、はげしくはげしくまわりました。
 北から冷たい風がきて、ひゅうと鳴り、はんの木はほんとうにくだけた鉄の鏡のようにかがやき、かちんかちんと葉と葉がすれあって音をたてたようにさえおもわれ、すすきの穂までがしかにまじっていっしょにぐるぐるめぐっているように見えました。
 嘉十はもうまったくじぶんとしかとのちがいを忘れて、
 「ホウ,やれ,やれい。」
と叫びながらすすきのかげから飛び出しました。
 しかはおどろいて一度に竿のように立ちあがり、それからはやてに吹かれた木の葉のように、からだをななめにして逃げだしました。銀のすすきの波をわけ、かがやく夕陽の流れをみだしてはるかにはるかににげて行き、そのとおったあとのすすきは静かな湖の水脈(みお)のようにいつまでもぎらぎら光っておりました。
 そこで嘉十はちょっとにが笑いをしながら、泥のついて穴のあいた手ぬぐいをひろってじぶんもまた西の方へ歩きはじめたのです。
 それから、そうそう、苔の野原の夕陽の中で、わたくしはこのはなしをすきとおった秋の風から聞いたのです。(ポプラ社文庫「注文の多い料理店」・原文を当用漢字、新仮名づかいに改め1978年発行)

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ここはこけももとはなさくうめばちそう/かすかな岩の輻射もあれば雲のレモンの
にほひもする         詩「早池峰山巓」より  宮沢賢治

 人間が始めた農業は自然破壊の始まりだと言われます。でも、開拓当初は、賢治の童話「狼森と笊森、盗森」にあるように、人間が周りの自然に「ここへ畑起こしてもいいかあ」と承諾を求め、「いいぞお」と一せいに森が答える、というような自然と人間のおおらかな共生関係があったのです。
 人間は自然を畏敬し、収穫物を捧げて自然の恵みに感謝してきました。嘉十が鹿に置いておいた栃の団子もそのあらわれでしょう。
 ところが、鹿たちは栃の団子を目にして、そばにある手拭が怖いのです。「いつだがのきつねみだいに口発破」かもしれないという鹿もいます。「口発破」とは、食べ物のなかにダイナマイトを入れて破裂させる仕掛けのもの。人間の手で作られた人工物(文明)は、自然の生きものたちにとってはいつも恐怖の対象でした。
 手拭が恐くないことを確かめた鹿たちは、嘉十の団子をわけあって食べあいます。それから全ての命を育む太陽に感謝し、ウメバチソウを愛おしみ、歌い踊ります。その歌と踊りに、嘉十は自分と鹿の違いを忘れて飛び出しますが、鹿たちは驚いていっせいに逃げ出し、嘉十はひとり、夕焼けの野原に残されます。
 通常の童話なら、ここで嘉十と鹿たちは一緒に歌い踊りだすところでしょうが、すきとおった秋の風から聞いた話は、そうではありませんでした。
 鹿たちにとって人間は手拭以上に得体のしれない怖いものだったのです。嘉十のちょっとの「苦笑い」は、鹿の気持ちがわかっていて、怖い思いをさせてしまったというやるせない思いでしょうか。
 鹿たちとの交歓を願ったのに、嘉十は自然の生きものたちからはみ出している存在と知らされ、ひとり西の方へ歩いていきます。
 野原でのできごとを、一部始終見ていたのは、すすきの原に咲くウメバチソウの花でした。嘉十の思いをうけとめ、後ろ姿を見送っているようです。

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 嘉十と鹿たちの草原のできごとを一部始終見ていたのは、ウメバチソウの花でした

 賢治は「わたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。」(「注文の多い料理店」序)といっています。
 賢治の童話では、人間はもちろん、自然のなかの全部のものが人間と対話し、交流しあっています。人間だけが特別ではなく、森羅万象すべてのものが一緒に生きています。
 一方で私たち人間は、自然の生きものでありながら、自分を特別な存在と考えて、ずいぶん違った道を歩いてきてしまったようです。自然への節度を失った行為とそこから生み出された文明が、自然環境を変えて地球に生きる生きものの生存を脅かすところまできているのですから。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花