mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより85 オケラ

 古名は「うけら」万葉人の思いや感性を今に伝えて

 「オケラ」と聞くと、昆虫の名前を思いうかべる人が多いと思いますが、これは古くから日本に自生している植物の名前です。昆虫のオケラは、コオロギの仲間である「ケラ」に接頭語の「オ」がついて「オケラ」とよばれるようになったもの。植物の「オケラ」は古名を「うけら」といって、万葉集では武蔵野を表徴する植物として詠まれ、古くから親しまれてきました。その「うけら」が転じて「おけら」になったといわれています。

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       オケラの花。古くから日本の野山に咲いていました。

 万葉集の「うけら」を詠んだ歌は、「左注」(補足)の歌を含めて4首、いずれも相聞歌で巻十四に東歌として収められています。そのうちの2首。

 恋しけば 袖も振らむを 武蔵野の うけらが花の 色に出なゆめ
               詠み人知らず 巻14-3376 東歌
(恋しかったらこちらから袖でも振りますものを、目立たない武蔵野のうけらの
 花のように、顔色にはお出しになさらないでくださいね。)

 いかにして 恋ひばか妹に 武蔵野の うけらが花の 色に出ずあらむ
                             3376番の歌 の 左 注 の 歌
(どのように恋すれば、あの子のいうように、武蔵野のうけらの花のように顔色 
 に出さずにいることができるのでしょうか。)

 2首の歌は「相聞歌」の問答のようです。この歌に見られるように、万葉歌の「うけら」の花は、あまり目立たない雰囲気の花として詠まれています。
 オケラの花は葉の変形である苞葉(ほうよう)に包まれていて、花全体の姿を見せることはありません。目立つような派手さはなく、かといってそんなに地味でもなく、白色を帯びた小さな花が咲いているかなきかの微妙な花姿に、万葉の歌人たちはオケラ独特の風情を感じとったのでしょう。
「武蔵野のうけら」として詠われているのは、オケラが武蔵野に数多く生育し、ふつうに見られる花だったからと思われます。万葉集で詠われたオケラのイメージは、後世でも武蔵野の風物と結びついて歌に詠まれていきます。

「うけら」の語源についてですが、花が漁具の筌(うけ)に似ているからとか、軟毛をまとった若芽を昔の雨具である朮(うけら)に見立てたものなど諸説ありますが、今のところ確定できるものはありません。

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   オケラの花姿            上からながめると

 オケラはキク科オケラ属の多年草です。現在も本州、四国、九州地方に分布、比較的日当たりと水はけがよい山野や丘陵地、里山の草原や雑木林などで見ることができます。

 5月から6月頃、茎も葉も柔らかな白毛に包まれた若芽が伸び出します。生育につれ茎は堅く丈夫になり、葉には細かいトゲ状の鋸歯が見られるようになります。
 葉が変形してつぼみを包むようになったのが苞葉ですが、オケラの苞葉は独特で、魚の背骨を絡み合わせたのかと思うほど、珍しい形なのですぐわかります。
 9月の初め、この苞葉のなかに小さなつぼみができます。トゲ状の苞葉は、つぼみを食害から守っているのでしょう。つぼみは膨らんで、この苞葉の先から顔を覗かせるように花開きます。

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     春先の若芽       9月頃の花のつぼみ     魚の骨に似た苞葉   

 オケラの花期は9月から10月。白または淡紅色の花を咲かせます。花はキク科植物独特の頭状花で、野菊の花のような一枚の花びらを持つ舌状花はなく、筒の形の筒状花とよばれる小さな花だけできています。筒状花は20-30個あり、長さ1cmほどで先端が5枚に裂けて、小さな花びらのように見えます。

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    秋の野に咲くオケラ         淡紅色の花をつけています。

 オケラの花を撮影していたときでした。花の形に違うものがあるのに気がつき、気になって調べると、オケラは雌雄異株でした。花の形の違いは、雄花と雌花の違いからくるようです。
 花を見比べていたら、筒状花の先がきれいに開いている花を見つけました(①の写真)。ひとつの筒状花を見ると、中心から茶色の棒状のものが突き出ていて、白い粉がついていました。これはおしべと花粉です(②の写真)。ところが、別の筒状花をよく見ると、茶色のおしべは筒になっていて、その筒からもう一つの白い棒状のものが飛び出しています。これがめしべなのでしょう。(③の写真)。

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    ①おしべの筒状花と        ②おしべと花粉    ③おしべから出てくる        めしべの筒状花                 めしべ

 ひとつの頭状花におしべの筒状花とめしべの筒状花が一緒に集まっています。開花して日の過ぎたものは、めしべが外に飛び出し目立っていました(④と⑤の写真)。この花は両性花なのでしょうか。おしべだけの雄花はないのかと探しましたが、見つかりませんでした。

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   ④おしべとめしべのある花(両性花?)   ⑤めしべがかなり目立ちます。 

 一方この花とは異なるタイプの花がありました。キチョウの止まっている花(⑥の写真)は、苞葉がほっそりとしています。このタイプの花は、茶色の棒状のおしべは見えず、長く伸びた白いめしべだけのようです(⑦の写真)。これが雌株に咲く雌花なのでしょう。両性花と思われる花のめしべは、柱頭の閉じたものが多かったのですが、雌花のめしべは、柱頭が左右に大きく開いていました(⑧の写真)。

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 ⑥雌花とキチョウ    ⑦雌花のめしべ   ⑧柱頭が開くと、受粉が可能か

 両性花のめしべは、ふつう受粉して種子をつくります。オケラのめしべも同じように受粉して種子ができると思っていたら、「(オケラは)雌雄異株で、雌花にはおしべがあっても花粉はつくらないし、雄花のめしべは果実にならない。」(「宮城の野草」河北新報社)というのです。
 オケラの両性花と思われた花の、立派なめしべ(①④⑤の写真)には、受粉能力はなかったのです。これらの花は、両性花ではなく雄花なのでした。
 オケラの花は、もともと両性花の機能を持っていたのでしょうが、機能を分担して雄花と雌花に分かれ、遺伝的組合せの多様性の低下をもたらす自家受粉を完全に避けて、他家受粉で丈夫な子孫を残し、いのちをつないできていたのです。

 12月。オケラは花が終っても葉を落としませんでした。枯れて立つ姿はドライフラワーのような美しさです。オケラの実は熟して綿毛になっています。高い山々が雪に覆われる頃、綿毛をつけた種子は、里山に吹く北西の風に乗って、遠くまで運ばれていきます。

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  実ができ、葉の色も変化    ドライフラワーの美しさ    風を待つ綿毛の種子

 雪の日も姿はそのまま。翌年の春、綿毛がすっかり飛び散ったあとも、魚の骨のような苞葉は大きく開いたまま残っていて、もう一つの花を咲かせているようでした。

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   雪の日のオケラ       枯れた苞葉は、もう1つの花のようです。 

 長野の信州地方に「山でうまいはオケラにトトキ、嫁にやれない味の良さ」という俗謡があるそうです。トトキとは「ツリガネニンジン」のことで、オケラの若芽はこのトトキとともにおいしい山菜の代表として食べられていたようです。
 東北地方では春の山菜としてオケラの名前をあまり聞かないのは、ゼンマイ、コゴミ、ワラビ、フキノトウなど山菜の宝庫と言われるほど多くの種類があるからでしょう。江戸時代に米沢藩藩主の上杉治憲(鷹山公)が、飢饉克服のために救荒食物をまとめた「かてもの」のなかには、オケラの名前がありました。

 オケラは地下に多数の丈夫な地下茎を持っています。この地下茎を採取し、根茎の外皮を取り除き陰干して乾燥させたものを白朮(びゃくじゅつ)といい、生薬として使われてきました。薬草以外にも、乾燥した根茎を梅雨時に部屋でいぶし、湿気やカビを防ぐのに用いられていたようです。

 また古来オケラは邪気を払う力があるとされ、広く神々の行事に使われて、今もその行事が残っています。
 大晦日、京都の八坂神社では「白朮(をけら)祭」が行われ、「をけら火」をもらい受ける人でにぎわいます。オケラの根茎を燃やした火を火縄に移し、くるくる回しながら持ち帰り、これを火種にして雑煮をつくると、その年は病気をしないといわれています。
 一方、西の京都に対して、東の東京・上野の五条天神社には医薬の神様が祭られており、2月の節分に「うけらの神事」が行われます。やはり、「うけら火」が焚かれ、この火で「うけら餅」を焼いて食べると年間無病で健康に過ごすことができると伝えられています。

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 東国では 「宇家良(うけら)」、西の京都では 「乎芥良(をけら)」 と呼んでいました。

「うけら」の古名は、万葉仮名では「宇家良」と表記されています。万葉集の東歌は東国の方言的要素を残して編集されているので、「うけら」の名は「武蔵野」と結びついた東国訛りだったのかもしれません。平安時代の薬物辞典「本草和名」や医学書「医心方」での表記は「乎芥良」となっていて「をけら」と呼びます。
 このことから考えると「うけら」の「う」は「wu」であり、「をけら」の「を」は「wo」で、その音の響きはとても近く、どちらにも聞こえる音声です。
 上野の五條天神社の「うけら」と京都の八坂神社の「をけら」には、いわば当時の「大和言葉」の微妙な語感がそのまま伝承されているように思えるのです。

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  枝を長く伸ばし、その先に花を咲かせています。(雑木林のなかのオケラ)

 万葉の人々は、野に咲くオケラの花に心ひかれ風情を感じて歌に詠みました。またオケラは、有用な漢方の生薬として使われたり、邪気をはらう植物として尊ばれたり、人々の暮らしのなかに深くかかわってきた植物でもあったようです。
 季節がくると咲き出すオケラの花は、その名前と花姿に、古人(いにしえびと)の思いや感性をとどめて、今に伝えてくれています。(千)

◇昨年10月の「季節のたより」紹介の草花