mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより81 サルスベリ

  炎天下に咲く紅色の花  絶妙な受粉のしくみ

 夏の盛り、私の出番、といわんばかりに咲き出すのが、サルスベリの花です。真夏の日中でも紅色が目に鮮やか、暑さもどこかへ吹き飛ばす勢いで咲いています。花は百日に及んで咲き続けるので、漢名では「百日紅」(ひゃくじつこう)」という名で呼ばれています。 

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           夏の盛り、出番と咲き出すサルスベリの花  

 サルスベリミソハギサルスベリ属の落葉小高木です。長く花を楽しめることから、古くから寺院などに植えられ、しだいに庭木や街路樹などにも利用されるようになってきました。

 俳人高浜虚子は、俳句を学び始めた若い日の頃を回想し、「百日紅」という短編を残しています。

     百 日 紅             高浜虚子

 昔俳句を作りはじめた時分に、はじめて百日紅という樹を見た。(略)其後百日紅という題で句作する時分に、私の頭の中では、真夏の炎天下にすべっこい肌を持った木の真赤な花を想像するのであった。そうして葉はどうかと思ったが、葉は全然眼に入らなかったから無かったのであろう。葉は花が散った後に出るものであろうと考えていた。(略)
 私の庭に百日紅を植えてからよく見て居ると、事実は全然間違っていた。葉が無いどころか、葉はあるのである。真赤な花は葉の先に咲くのである。(略)
 が、しかし席題に百日紅という題が出た時などは、ふと真夏の炎天下に真赤に咲いている、葉の無い、花ばかりが梢にある、肌のつるつるした木を想像するのである。そうではなかったと考えてもどうも其最初の印象がこびりついて居るのである。
 其最初の印象というのは、子規に俳句を見てもらいはじめた時分のことである。一本の百日紅を、こんな変てこな、肌のすべっこい、真赤な花の群がり咲いている木があるものかと、熱心に見上げている若い自分の姿さえもはっきりと思い浮べることが出来るのである。
     (「定本 高浜虚子全集 第九巻」毎日新聞社 原文を新仮名に改め) 

 虚子が師の正岡子規と出会い俳句を教わるようになったのは、14歳の頃。短編「百日紅」は、57歳の時に書いたものです。虚子が初めて見た炎天下のサルスベリの印象はよほど鮮烈だったのでしょう。その印象は虚子の若い頃の姿と結びつき、いつも懐かしく鮮明によみがえらせる力を持っているようです。

 夏のサルスベリは花だけが目につきます。虚子も葉は見えていなかったようです。
 夏と違って冬のサルスベリは裸木のままです。春の芽吹きはとても遅く、枯れてしまったのかと心配になるほどですが、芽吹き始めるとぐんぐん葉を茂らせ、梅雨明けから花を咲かせて、それからは茂っている葉が埋もれるほどに、花を咲かせ続けるのです。

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   果実の殻をつけた冬のサルスベリ    葉を繁らせてから、花を咲かせます。

 樹木名のサルスベリとは、夏の頃、樹皮が剥げて樹肌がすべすべになり、木登りが得意なサルでも滑り落ちてしまうからというところからきています。

 日本にはもともと樹肌のなめらかな木をサルスベリと呼んでいました。ナツツバキ(シャラノキ)やヒメシャラ、リョウブなどは広くサルスベリとよばれ、地方によっては、アオダモ、ネジキ、エゴノキなどもそうよばれていました。ところが、ミソハギ科の「百日紅」が渡来すると、この木が「サルスベリ」と呼ばれるようになり、古来のサルスベリの名は方言として残っていったようです。(細見末雄著「古典の植物を探る」八坂書房
 ちなみにサルはサルスベリの木に登れないのかというと、以前上野動物園で実際にサルを登らせたことがあったそうで、結果は、軽々と上手に登っていったということでした。でも、いかにも本当らしく思わせるこの呼び名が、樹木の際立つ特徴をしっかり印象づけていることは確かです。

 サルスベリは中国南部原産の樹木です。日本への渡来は文献の記録から江戸時代以前で、室町時代後半頃と推測されていました。ところが、2010年に、ある池の地層調査から、940年頃のサルスベリの花粉が見つかったのです。
平等院京都府宇治市)は24日、鳳凰堂前の「阿字池」の底にある940年ごろの地層からサルスベリの花粉を検出したと発表した。文献に残る国内の記録は江戸時代初めが最も古いが、今回の発見はそれより約600年さかのぼる。約60年後には藤原道長が現地に別荘を構えており、調査した高原光京都府立大教授(森林科学)は『観賞用に植えられ、道長ら貴族が楽しんだのではないか』とみている。」             (2010年5月25日「日本経済新聞」)

 940年ごろといえば、平安時代中期で摂関政治が成熟した頃です。894年に遣唐使が廃止されていますので、それ以前の中国や大陸からの渡来になるのでしょうか。これまでの説とはかなり早い時期になります。また、平安貴族がサルスベリの花を楽しんでいたとしたら、当時の和歌に詠まれてもいいのですが、今のところ一首も見つかっていません。サルスベリをめぐる謎は、これからの研究でさらに明らかにされていくことでしょう。

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       散れば咲き 散れば咲きして 百日紅    加賀千代女

 サルスベリの花は、朝開いて夕方にはしぼむ一日花です。それでも、花は途絶えることなく、いつでも咲き続けているように見えます。それは一度咲いた枝先から再度芽が出てきてつぼみをつけ、次々と花を咲かせるからです。
 花の色は紅色が基本ですが、園芸種の品種改良が進み、白やピンク等の涼しげな花も見られるようになりました。

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     サルスベリの白い花       つぼみは、その多さに驚かされます。  

 サルスベリの花は、枝の先に密集して咲いているので、1つの花をじっくり見るのは少ないと思いますが、意識して1つの花をよく見ると、他の花には見られないおもしろいつくりが見えてきます。

 花びらは、花の中心から細くのびてその先がうちわのように広がっています。うちわの部分はクシャクシャと縮れてフリルのよう。その花びらが6~7枚集まって1つの花を作っています。1つの花でも大きく見えるボリューム感のある花が、枝々に数限りなく集合しているのですから、木全体が豪華で華やかに見えるのも納得できるというものです。

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         サルスベリの一輪の花         1つの枝でも、花の塊に。

 1つの花の中心には黄色い塊が見えます。これはおしべの集まりです。そのまわりにくるりと湾曲した長いものが飛び出しています。じつはこれもおしべなのです。
 サルスベリの花には2種類のおしべがあって、1種類目は中心に集まる黄色のおしべで、長さは短く、30~40本ほどが塊になっています。もう1種類がそのまわりを囲む長いおしべで、6~7本あります。この長いおしべのなかに混じって、先端の色がちょっと違う一本が見つかりますが、これがめしべです。

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短いおしべ(黄)と長いおしべ  7本の長いおしべ。中央から伸びている1本のめしべ  

 1つの花にどうして2種類のおしべがあるのでしょうか。そのことに疑問をもった高校生が、グループで取り組んだ興味深い研究報告がありました。(「なぜサルスベリには雄しべが2種類あるのか」熊本県立八代南高等学校・熊本県立八代清流高等学校 科学部2年・熊本日日新聞社熊日ジュニア科学賞」を受賞)
 その研究を要約すると、次のような内容のものです。

 高校生の研究グループは、校舎内に咲くサルスベリの20個の花を研究標本にしました。最初に2種類のおしべの長さと形、花粉の色を観察してまとめています。短いおしべはどれも上向き、長いおしべはどれも下向き。短いおしべの花粉は目立つ黄色で、長いおしべの花粉は灰緑色でした。
 次に花に集まる昆虫を調査すると8種類。圧倒的に多いのがセイヨウミツバチで、その動きを観察すると、「セイヨウミツバチは長い雄しべと短い雄しべの間の空間にすっぽり入る形で採餌」「その際にミツバチの羽や背に下向きに着いた長い雄しべの葯が触れていた」とわかり、「雌しべの柱頭も下を向いていることからミツバチを介して受粉がおこなわれている」と考えます。
 このことから、長いおしべの花粉は「受粉用」で、短いおしべの花粉は「昆虫誘引用」ではないかと考えて、2種類の花粉の比較分析を行います。
 そして、「花粉L(長いおしべの花粉)では精細胞が見られた。一方で花粉S(短いおしべの花粉)では精細胞を観察できなかった。このことから花粉Sは花粉管を伸長させることができても,受精能力がないことが示唆される。またグルコース量(糖分のこと)の測定の結果、花粉Sの方がグルコースを花粉 Lの1.52倍含んでいることが分かった。昆虫を誘引する食糧として花粉 Sの方が優れているといえる。」と考察していました。

 つまり、短いおしべは、目立つ黄色の糖分の多い花粉で昆虫たちを誘い、長いおしべは、その背や羽に受粉能力のある灰緑色の花粉をつけて、めしべに運ばせ受粉させているということなのです。サルスベリの花の2種類のおしべは、受粉を成功させるために役目を分担しあっていたのです。
 高校生たちの研究は、サルスベリが進化の過程でうみだした絶妙な受粉のしくみを、納得できるような形で解き明かしてくれていました。

 サルスベリは秋の初め頃まで咲き続けた後に結実します。10月に確認できる果実はまだ青いのですが、熟すに連れて焦げ茶色に変化し、11月頃に完熟するとほぼ黒茶色に変わります。果実の先端から裂けて、中から小さな種子が出てきます。種子は羽のような形をしていて、風にのって飛んでいきます。

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    受粉を終えた花     サルスベリの果実    種子はこの中にあります。

 被爆直後は「七十五年間、草木も生えない」と言われたヒロシマの街。その翌年の春、再び芽を吹き返し、今も生き続けている木々があります。広島市は爆心地から半径およそ2Km以内で被爆し再び芽吹いた木々を、「被爆樹木」として登録し保護してきました。
 エッセイストの杉原梨江子さんは、その1本1本を訪ね歩いて写真を撮影し、被爆記憶のある人や、木を守る人々に話を聴き、戦後70年目の年に『被爆樹巡礼~原爆から蘇ったヒロシマの木と証言者の記憶』(実業之日本社・2015年)にまとめています。
 爆心地から1Kmほどにある「善正寺」に咲くサルスベリもその被爆樹木です。
 境内西側で被爆、1992年に本堂の改築に伴い、新たな場所に移植されたサルスベリは、幹にはウロがあり、斜めに傾く姿が痛々しい老木になっていたそうです。それでも花を咲かせ続けました。
「この美しい花が黒焦げの廃墟と化したヒロシマの街に咲いたとき、どれほど力強く、輝きに満ちて、目に映ったことでしょうか。」と杉原さんは語ります。

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        炎天の 地上花あり 百日紅     虚子

 被爆樹木のサルスベリは、今年も元気に花を咲かせているのでしょうか。
 ご住職にお電話したところ、昨年はきれいな花が見られたのに、今年は弱って花をつけることができなかったということでした。今は樹医さんのもとで、手当をして見守っているということです。
被爆したときは、なかは空洞で、皮だけでした。それでも芽吹いて生き残ったのですよ」というお話。原爆が投下されてから76年、被爆地の " 生き証人 " として、炎天下に咲き続けた老木もまた、無言で核廃絶の思いを語り続けてきていたのです。
 その根元には、新芽が見られるということです。いのちのバトンが受け継がれていきますように。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花