人の住む不安定な環境に生きる 清楚な白い花
地面があたたかくなってきたようです。島崎藤村が「緑なす繁蔞(はこべ)は萌えず」(千曲川旅情の歌)と詠んだハコベが、茎を伸ばし青々とした葉を広げて、白い花を咲かせていました。
ハコベは、古くから「はこべら」の名で親しまれ、春の七草の1つとして数えられてきました。もともとは、ユーラシア原産の植物で、農耕の広まりとともに日本にも伝わってきた史前帰化植物の1つとされています。
春の陽をあびて 咲き出すハコベの花
木下利玄は、野の草花に愛着を持ち続けた歌人でした。
わが顔を 雨後の地面に近づけて ほしいまゝにはこべを愛す 木下利玄
ハコベの花を手折ってわが身に寄せて愛玩するのではなく、顔を近づけハコベに心を寄せる歌人。利玄は野に生きる花をわが身と同じ存在として向き合っています。
利玄のように地面に顔を近づけのぞいてみると、大地に根を張り生きている姿が見えてきます。ハコベのたおやかないのちが、白く清楚な花を咲かせています。
ハコベの仲間は、世界には約120種、日本には18種あるようです。道端や畑でよく見られるのは、主にコハコベ、ミドリハコベ、ウシハコベです。これらはふつうまとめてハコベと呼んでいますが、それぞれ異なる表情を持っています。
よく見かけるのが、茎の少し紫色がかっているコハコベです。ルーペでのぞくと、花びらがガク片より少し短く、雄しべの数1~5本。雌しべの柱頭が3つに分かれているのが見えます。コハコベは勢いがあって、逞しさを感じさせるハコベです。
【コハコベ】
茎が紫を帯びて、全体が逞しい感じ。 雌しべの先が 3裂
茎が緑色をしているのが、ミドリハコベです。花びらとガク片の長さは同じぐらい。雄しべの数は、コハコベよりも多く8~10本あります。雌しべの柱頭は、コハコベと同じ3つに分かれています。群生しているミドリハコベは、明るい緑色の柔らかな雰囲気につつまれています。
【ミドリハコベ】
茎が緑色で、全体が柔らかい感じ。 雌しべの先が 3裂
特徴的なのが、ウシハコベです。茎は紫色を帯びてコハコベに似ていますが、コハコベやミドリハコベよりも大きく、葉の形も違って肉厚なので、牛にたとえられてウシがついています。雄しべの数は10本。雌しべの柱頭が5つに分かれているのが特徴で、柱頭の分かれた数を見れば、コハコベやミドリハコベとの違いはすぐに分かるでしょう。
【ウシハコベ】
茎は紫がかっていて、全体が大型。 雌しべの先が 5裂
ハコベの生えている地面は、ほとんどが道端や空き地、畑などの人の暮らしている所です。そこは、絶えず人の手によって土が掘り返されたり耕されたりする不安定な自然環境です。ハコベはどうしてそんな場所に生えているのでしょう。
森や林など、草木が育つ安定した環境では、背丈の低いハコベは、光や養分の取り合いで他の植物に負けてしまいます。一方、絶えず土が掘り起こされる不安定な環境は、競争相手が少なく、他の植物より真っ先に発芽し生長して種子を残せば、そのいのちをつないでいくことができます。ハコベは、他の植物と競争になる前に子孫を残すことを考え、あえて不安的な環境を生育環境に選んでいます。そして、その環境に適応できる体のしくみや生活のしかたを進化させてきました。
冬越しをする多くの植物は、ロゼットで冬を過ごしますが、ハコベは冬の間でも地を這うように分岐した茎に葉を広げ、立春を過ぎたころから花を咲かせます。
茎の先に花をつけると、その花の下から両側に2本の分岐を伸ばし、その分岐の先に花をつけると、また下から2本の分岐を出すというように、倍々に枝の数を増やします。そして、短期間で花を咲かせ種子をつくることができるのです。
ハコベは、夏をのぞいて春から秋のおわりまで花を咲かせています。冬の間ロゼットで過ごし春に花を咲かせる植物よりも、ずっと多くの子孫を残すことで、いのちをつなごうとしています。
這うように広がるハコベ 分岐をのばして増える茎
次々に伸ばすハコベの茎は、いっけん弱々しそうに見えますが、茎をそっとちぎってみると、中から筋が出てきます。柔らかい茎のなかに丈夫な筋があり、人の住む環境で踏まれても簡単に折れないようなしくみになっています。
その茎をよく見ると、産毛のような柔らかい毛が無数に生えています。その毛は茎全体ではなく、片側に一筋の道を作るような不思議な生え方をしています。
植物学者の稲垣栄洋氏によると、「ハコベの茂る冬場は雨が少ない。そこでこの細かい毛が繁った植物体についた水滴を根元に運ぶ」役割をしているということです。そして、「限られた水分を巧みに利用しているから、ハコベは冬でも青々とみずみずしいのだ。」そうです。(「身近な雑草の愉快な生き方」筑摩書房)
茎のなかに筋があります。 やわらかい毛が一列に並んでいます。
ハコベの花にも、しかけがあります。花びらを数えると10枚ですが、よく見ると5枚なのです。左下の写真を見ると、2枚の花びらが、ウサギの耳のように根元で1つになっているのがわかるでしょう。花を咲かせるのは、虫たちを呼び寄せ、花粉を運んでもらうためです。1つの花の花びらを2倍に見せて、その花をたくさん咲かせて華やかにし、虫たちを誘っています。
それでも虫が来てくれないときがあります。そんなときは、夕方花を閉じる前に、雄しべが中央の雌しべに集まり、花粉を自分の雌しべにつけてしまうのです。
花を咲かせたら他家受粉をめざし、それができなければ自家受粉のしくみを備え、ハコベは確実に子孫を残そうとしています。
ウサギの耳のような花びら 一斉に花を咲かせ、華やかに見せて、虫を呼びます。
ハコベの花は上下運動をしています。花が咲いているときは上向きですが、咲き終わるとそっと下向きに垂れ下がります。自らは風雨を避け、受粉していない花は目立たせて受粉させようとしているようです。下を向いた花は、実が熟すと茎を持ち上げて、再び上向きになります。下向きでは実のなかの種子がその場に落ちてしまいますが、上向きになれば種子を広く散布できます。そういえば、タンポポの花や実も同じような動きをしていました。(季節のたより49 タンポポ)
こんな動きを見ていると、植物たちは人間とは違う時間のなかで、自らの意志で動いているような、そんな気がしてくるのです。
咲き終わると、下向きに垂れさがる花 熟して立ち上がる実
ハコベの熟した種子は円形ですが、ルーペで見ると、表面に突起が見られます。コハコベやウシハコベの種子の突起は低く、ミドリハコベは尖っています。ハコベの種子はその場に落ちるだけでなく、この突起が土に食いこむので、土と一緒に農作業する人の長靴などについて遠くへ運ばれていきます。ハコベは、畑や道路など人の住む環境にあって、人の動きをうまく利用し分布を広げているのです。
花と実は一緒についています。 こぼれそうな実のなかの種子
ハコベは人の住む環境にみごとに適応し、人の暮らしと結びついて、そのいのちをつないできました。そして人もまたハコベと関わりをもって暮らしてきました。
ハコベは七草がゆにも使われるように、春先の柔らかい穂先の部分は食べられます。かつて飢饉のときは、貴重な救荒作物となりました。今でも健康食品の1つとしていろんなレシピが工夫され食べられています。
人が利用するだけでなく、ハコベの柔らかい葉は、ヒヨコや小鳥たちの大好きな食べ物です。コハコベには、「ヒヨコグサ」「スズメグサ」という別名もありますが、ハコベの英名は、「ChikWeed」で、これも「ヒヨコの草」という意味です。世界でもハコベの仲間は小さな生きものたちのいのちを支えているようです。
農園づくりをしている人は、ハコベが畑に生えると、植物と虫との共生関係が生まれ、土地の生態系が豊かになって来たしるしと考えるそうです。ハコベは人参や大根、キャベツと仲良く共存し、混植することで害虫を寄せつけず作物がよく育つということです。晩秋に突然霜がおりたとき、ハコベがカボチャを守ってくれたという話も聞きました。ハコベは畑では雑草といわれますが、ふだんは邪魔にならずに傍らにいて、いざというときに頼りになる存在のようです。
自然は美しいから、美しいのではなく、愛するからこそ美しい。(熊田千佳慕)
ハコベは漢字で「繁縷」と書きます。「繁」は草が茂るということ、「縷」は細い糸のようなものの意味で、茎が長く連なっていることを表現しています。ハコベのよく増える特徴を表していますが、その旺盛な繁殖力がアダとなり、庭や空き地では雑草あつかい、除草剤がまかれます。ハコベに限らず雑草といわれる植物が生きられない土地は死んだ土地、他の生きものも住めない土地です。まかれた薬剤は少量でも雨水でまわりの土地へ巡っていくことでしょう。
もし、ハコベのような雑草が、地上でどんな知恵や工夫を働かせて生きているかを知ったなら、すべてのいのちが巡りのなかにあり、自らのいのちもまた、そのなかにあることを知ったなら、それでも除草剤はまかれたでしょうか。
いのちあるものへの共感とそこから生まれる豊かな想像力は、私たち人間がこの地上で生きていくために絶対に失ってはならないものです。(千)