甘い香りと蝋の光沢 春遠からじと咲き出す花
まだ春遠い冬のさなか、梅の花に先駆けて咲き出すのが、ロウバイの花です。
黄色い花は、光沢と透明感のある蝋(ろう)細工のような美しさ。冬の青空のもと、鮮やかに輝く姿は、甘い香りと相まって、見ているとほっと心があたたかくなります。
花の名の由来には、蝋のような花びらで、梅に似た花だから、あるいは臘月(旧暦12月)に花を咲かせるからの2つの説があるようです。
花の少ない季節、冬の陽をあびて輝く ロウバイの花。
ロウバイは、中国原産で、もともと日本には自生していませんでした。日本への渡来は、江戸時代頃と言われていますが、藤原定家の「明月記」の寛喜2年(1230年)の日記に、ロウバイの別名である「南京梅」が見られるとのこと(細見末雄著「古典の植物を探る」)。とするなら、ロウバイは、すでに13世紀には渡来したことになります。最初は、「唐梅」、「南京梅」などど呼ばれ、その後、中国名の「蝋梅」(ラーメイ)の文字が、そのまま音読みされて、和名となったようです。
中国でも日本でも、花の姿から「蝋」の字をイメージしたところは同じでした。なお、ロウバイ(蝋梅)の名には、「梅」の字を当てられていますが、バラ科のウメの仲間ではなく、ロウバイ科の花です。
ロウバイの花は、枝にはりつき、うつむき加減に咲いています。下向きか横向きに咲くことで、花の中心を冷たい雪や雨から守っているのでしょう。
遠くから見ては全く気づかないのですが、下向きの花をのぞいたときに、外側の花びらは黄色なのに、内側の中心が赤褐色になっている花に出会うことがあります。最近は、数が少なくなっているようですが、じつは、この花が正式に「ロウバイ」と呼ばれる花なのです。
下からのぞくと、内側の赤褐色の模様が見えます。 ロウバイの花
ふつう公園や庭先などで見られるロウバイは、外側の花びらも黄色、内側の中心をのぞいても黄色をしています。これは、ロウバイの変種、あるいは園芸種で、「ソシンロウバイ」という名で呼ばれるものです。
「ソシン」とは「素心」と書き、園芸の世界、特に東洋蘭などによく使われる言葉です。いろんな花色や斑紋のある花で、斑紋がなくなったり、もとの花色がぬけて白や緑になったり、花色全部が同じ色になったりしたものを「素心花(そしんか)」といいます。ソシンロウバイは、すべての花色が黄色一色なので「素心蝋梅(そしんろうばい)」と呼ばれるのです。
ソシンロウバイは、すべてが黄色一色。ロウバイと少し異なる雰囲気があります。
ロウバイには、ロウバイとあとからできたソシンロウバイ、それに二つの種類の中間の園芸種もふくめて、一般には「ロウバイ」と呼んでいることが多いようです。
ちなみに、ソシンロウバイは、18世紀の半ばころにイギリスへ輸出され、英語圏では「winter sweet」と呼ばれ、親しまれています。「スイーツ」は 日本語でも甘いものの代名詞ですが、英語のsweetには(甘い)という意味のほかに、(よい香りがする)という意味もあって、「winter sweet」は、寒い冬によい香りを放つ花にぴったりです。
夏の樹形。株立ちで高さ2~3m ほど。 冬の樹形。つぼみがついています。
ロウバイは花が終わると目をとめる人は誰もいません。でも、花のあとに葉を多くしげらせ栄養をたくわえ、夏の頃には、新しい枝や幹の付け根に小さな花芽を準備しています。晩秋に緑の葉が役目を終えて落葉すると、枝々に並んだ小さなつぼみは、ふくらみを増しながら、開花の時期を待つのです。
ふくらむ つぼみ つぼみと ひらき始めの花
ふっくらと開いたロウバイの花は、少し変わった花です。開いた花は、ガク片と花びらの区別が全くつきません。区別がつかないときはまとめて花被と呼びますが、その花被の数は10枚から20枚ほどと幅があってバラバラです。花被の形も大きさも一枚一枚異なり、並び方も不規則です。雄しべは5~6本ですが、雌しべは5~30本と多数で数がはっきりしません。
同じ春に咲くツバキやサクラの花は、ガク片が5枚、花びら5枚、並び方も互い違いで、ガク片や花びら、雄しべの大きさもほぼ同じです。ツバキやサクラの花は、花の構造が大変規則的なのに、ロウバイの花はとても不規則なのです。
ところで、花は進化の過程で、花を構成するガク、花弁、雄しべ、雌しべなどの器官は、すべて葉の変形であるとの考えを、最初に提唱したのは、詩人で文学者のゲーテでした。自然科学にも造詣の深かったゲーテは,1790年「植物変態論」という書でこの考えを展開、その後の植物学の花の形態進化の研究の土台となりました。
これまでの研究で、植物の花の進化の方向は,ガクや花びら、しべなどの大きさはバラバラから同一へ,並び方は不規則から規則的に、数は多数から減数へと変わっていったと考えられています。ロウバイは原始的な要素を残したまま、現存している植物と考えられそうです。
次々とつぼみが開く花。開き始めの花は、光沢と透明感があり美しい。
花を咲かせることのできる被子植物は、この地上では約1億5千万年もの歴史を持っています。現在世界に約25万種もあるといわれていますが、長い歴史のなかで、その何倍もの植物が環境に適応できず消えていったことでしょう。ロウバイは、古い花の形態を残したまま、そのいのちをつないできたことになります。
ロウバイの花は、花の雌しべを先熟させて、自家受粉を避け、他花受粉による多様な遺伝子をもつ種子をつくります。晩秋になると、ミノムシのような焦げ茶色の実ができていて、その実のなかに、アズキほどの大きさの種子が10個ほど入っています。園芸家や樹木栽培家の話では、この種子をまくとよく発芽して、実生からよく育つということ。また、ロウバイは土壌をあまり選ばず、しかも、かなりの日陰でもよく育つので、丈夫で栽培しやすい樹木であるそうです。こんなところに長い歴史を生き延びてきた秘密があるのかもしれません。
黄葉の中の実 春まで残る実 実の中の種子
ところで、不思議なのは、そんなに人の手をかけなくても育つなら、ロウバイは野生化してもおかしくないのに、野山には全く見られません。
花が分布を広げるためには、種子を運んでくれるものが必要です。ロウバイの実はさえない色で野鳥たちの食欲をそそる色ではありません。それに実の中の種子は有毒成分カリカンチンを含んでいて、ヒトおよび動物に強直性痙攣などを起こすことが知られています。その種子をあえて食べたり運搬してくれたりする野生の生きものはいないのかもしれません。
ロウバイが地球の歴史のなかで、どんなふうにいのちをつないできたのかは、知る由もありませんが、人がかかわりを持つようになってからは、その生存に大きな影響をもっていったと思われます。
ロウバイは、昔から漢方の生薬として利用されてきた歴史があります。つぼみを日陰干しにして乾燥させたものを「蝋梅花」といい、解熱や鎮痛、鎮咳薬として用いられてきました。そして何よりも、ロウバイの花の、真冬に咲いて、気品を見せるその姿に、古今東西、多くの人が心惹かれ、時には励まされ、親しんできたことがあげられます。ロウバイは人の有用の樹木であり、隣人のような樹木として守られてきたのです。
厳寒の雪のなかでも、花を咲かせます。 蝋が雪に溶け合うかのよう。
蝋梅の花を愛した文学者に芥川龍之介がいます。芥川は、住んでいたことのある東京・田端の家にあった一株の蝋梅についての文章を残しています。
蝋梅 芥川龍之介
わが裏庭の垣のほとりに一株の臘梅あり。ことしも亦筑波おろしの寒きに琥珀に似たる数朶の花をつづりぬ。こは本所なるわが家にありしを田端に移し植ゑつるなり。嘉永それの年に鐫られたる本所絵図をひらきたまはば、土屋佐渡守の屋敷の前に小さく「芥川」と記せるのを見たまふらむ。この「芥川」ぞわが家なりける。わが家も徳川家瓦解の後は多からぬ扶持さへ失ひければ、朝あさのけむりの立つべくもあらず、父ぎみ、叔父ぎみ道に立ちて家財のたぐひすら売りたまひけるとぞ。おほぢの脇差しもあとをとどめず。今はただひと株の臘梅のみぞ十六世の孫には伝はりたりける。
臘梅や 雪うち透かす 枝の丈
(大正十四年五月・岩波書店全集 第9巻)
芥川は母親が病弱のため、生後まもなく母の実家の芥川家に預けられ、後に養子となります。芥川家は、江戸時代に代々徳川家に仕えた旧家の士族。時代の急激な変化で暮らしは変わり、唯一残されたのはひと株の蝋梅でした。
翌年4月から次の年の2月まで『文藝春秋』に連載され、自らの過去を語った「追憶」のなかでも、この蝋梅への思いが語られています。
新しい僕の家の庭には冬青(もち)、榧(かや)、木斛(もっこく)、かくれみの、蠟梅(ろうばい)、八つ手、五葉の松などが植わっていた。僕はそれらの木の中でも特に一本の臘梅を愛した。が、五葉の松だけは何か無気味でならなかった。
(大正十五年三月ー昭和二年一月「追憶(三 庭木)」 岩波書店全集 第8巻)
五葉の松の不気味さは、母の愛を知らないで育った幼少期の屈折した心情とどこかでつながっているようです。一本の蝋梅に咲く真冬の花は、彼の心の平穏を支えていたのでしょう。
芥川は、「追憶」を書き終えたその年の7月、しのびよるファシズムの影を象徴するかのような、「僕の将来に対する唯ぼんやりとした不安」という遺書を残し、35歳の生涯を自ら閉じてしまいます。
時代は今もかわらず 不透明な先の見えない不安な時代に直面しています。ロウバイの花は、気がつくと私たちの傍らにいて、厳寒のなかに春遠からじと、今年も花を咲かせています。(千)
◇昨年1月の「季節のたより」紹介の草花