mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

消費税10%は、目くらましゼイ!

 消費税が来月からいよいよ10%になるという。

 これまでは、国の負の財産を若い人に残すことは高齢の自分たちにもその責任の一端があるような気がして、少しでも負の遺産を減らすこととなるならば、(消費税の値上げも仕方ないか・・・)と単純に考えてきていた。
 しかし、ここきて、「キャッシュレスの場合はどうの」など、私には無縁の用語などが飛び交い、なんとも複雑怪奇な税率の種分け値上げに頭がクラクラしてきたことがきっかけになって、恥ずかしくも、初めて「消費税とはなんぞや」ということを考えだした。それに、もうひとつの理由は、生活のすべてを自分の手で賄うことになったこともあるだろう。

 「今日の昼は、あのパンにしよう。あのパンを買えば4回食える!」というわけで、近くの店のいつものパンを目がけるようになっていたこの頃。加えて、(さて、あのパンも10月から10%になるのだろうか・・・)も頭に浮かぶようになった。
 バスの乗り継ぎに間があると、(そうだ、あのカブと生ワカメと・・・)とすぐ店をのぞくようにもなっている。道向かいの店より何でも安いので、決まってM店だ。
 9月に入ってからは、これも急に目覚めたように、週1回の生協配達の注文書の記入にも時間がかかるようになった。少しは、10月に入る前に買い置きをしておこうと思うようになったためだ。はかない抵抗ということか。
 このように、これまでほとんど意にも介さず、あなたまかせにしてきた生活必需品のすべてが、何から何まで無縁でなくなったうえに消費税10%がやってくるというわけだ。

 ある日、地下鉄から這い上がって目的地に向かって歩いている途中、突然、(「昼をパンですごそう」というのは「消費」なのだろうか)と自問自答しだしたのだ。
(オレにとっては、パンもカブも、「消費」なんてことばで表せるものではない。パンは生きるための必需品じゃないか。もちろん、生ワカメだってカブだって。それを買ったからといって「消費税」とはナニゴト! そんな不当なことがあるだろうか)と、頭の中はどんどんエスカレートしていく。
 その一方で、(はて、「消費」ということばの意味をオレは誤解しているのかもしれない・・・)と不安もわいてきた。

 それで、家に帰って、さっそく辞書を数冊とりだして読んでみた。たとえば、次のような記述。

大辞林
1、 物・時間・エネルギーなどを、使ってなくすこと。
2、 《経》欲望充足のために、生産された財貨・サービスを使うこと。
広辞苑
1、 費やしてなくすること。つかいつくすこと。
2、 《経》欲望の直接・間接の充足のために財貨を消耗する行為。生産と表裏
  の関係をなす経済現象。

 ということは、オレの思っている「消費」は、とくに大きくちがっていたとは言いがたい。〈経〉とあるから、消費税の「消費」は2に関するだろう。オレが昼にパンを食べるのは「欲望の充足のため」となる。まあ、そう言われれば「そうでない」とは言い切れないが、こう言われると、なんか寂しくなる。

 もう、オレのなかでは、消費税なんて、8や10の数字の問題ではなくなった。8を10にと騒ぐ前に、つまり、消費税の前に、国の財政をすべて明かしてほしい。議員歳費を筆頭に考えるべきことがたくさんあるのではないか。「8でいい」「いや10も仕方がない」「持ち帰りは8のまま」・・・などの消費税騒ぎをしていると、肝心の国費全体の問題を国民全体で考えることはいつまでもできぬまま、消費税騒ぎをくりかえすことになるのではないか。

 消費税はオレたちを目くらましさせたうえで、国税を増やしている極めて有効な国のブキになっているのではないか徒思うようになった。
 今こそ、国費・租税をこの消費税問題と同じ問題意識をもってあらいだすべきではないか。10月を目前にしてこう言うことはなんとも情けなくなるが。( 春 )