mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより105 ヤブガラシ

 巻きつく相手を選ぶつる  蜜は昆虫のオアシス

 夏本番の暑い日ざしがジリジリと照りつけてきます。
 近くの雑木林の周りを囲む藪原で、ヤブガラシが花をつけていました。オレンジ色の小さな花です。花の周りには小さな黄緑色のつぼみがたくさんついていて、咲き出す準備をしています。


       ヤブガラシの花(オレンジ色)とつぼみ(黄緑色)

 ヤブガラシブドウ科ヤブガラシ属のつる性の多年草です。北海道西南部から沖縄に自生して日当たりの良い道端や林縁、藪の周り、庭先、荒れ地などに生えています。
 ヤブガラシとは「藪枯らし」の意味です。図鑑によっては「ヤブカラシ」としているのもあり、表記がゆれているようですが、「広辞苑」や「大辞林」を見ると「ヤブガラシ」とあるので、ここでは「ヤブガラシ」でとおしたいと思います。
 この名は、すごく茂って他の植物を覆い、藪を枯らしつくしてしまうほど高い繁殖力を持っていることに由来します。ちなみに英語名はBush killer(ブッシュ キラー)。直訳すれば「籔の殺し屋」というぶっそうな名前。西欧でもその行動はかわらず、警戒されているということなのでしょう。
 別名はビンボウカズラ。茂って山林が荒れ果てて家が貧乏になるとか、痩せた土地に生えるつる草という意味で、これも歓迎されている名ではありません。

 ヤブガラシが地上に姿を出すのは4月。茎が急速に伸びてつる性の茎となり、その茎から二又に分かれた巻きひげを出し、周囲の植物にコイルのように絡まって成長していきます。
 つる植物は自分の重さを支える茎を立ち上げるかわりに、つるを長く伸ばすことにそのエネルギーをかけますが、ヤブガラシも巻きつく相手を探して上に伸び、どれだけ早く光を独占するかにすべてをかけています。

   
      芽吹く新芽      二又に分かれた巻きひげ    巻き付く巻きひげ   

 近くの雑木林の林縁で観察したつるの長さは2~3mほどありました。ササ竹やイタドリ、幼木のオニグルミやヤナギの木の上によじ登って葉を広げています。
 この時期はクズも大きな葉を広げていますが、そのクズに巻きつき、張り合うように覆いかぶさっているのがヤブガラシです。その旺盛な繁殖力に圧倒されます。

 
 茎の長さ2~3m     クズと張り合うように葉を広げるヤブガラシ

 このヤブガラシの巻きひげは、手当たりしだいに巻きついているように見えますが、じつは、巻きつく相手を識別し、選択しているといいます。
 この性質を明らかにしたのは深野祐也氏(東京農工大学)と山尾僚氏(弘前大学)の2人の研究者でした。2人が所属する大学が共同で報道機関向けに「つる植物における自他識別能力の発見」(2015年8月26日リリース)として紹介、その後、深野祐也氏(東京大学大学院へ移籍)によって研究が深められ、その内容を2017年発信の東京大学プレスリリースで次のように伝えています。
 
 東京大学大学院農学生命科学研究科附属生態調和農学機構の深野祐也助教は、ブドウ科つる植物であるヤブガラシの巻きひげが、接触によって同種の葉を識別し、巻きつきを忌避する能力を持っていることを発見しました。また、その識別に関与する物質は、ヤブガラシの葉中に高濃度に含まれるシュウ酸化合物であることを特定しました。
 巻きひげの素早い運動はダーウィンの時代から世界中で研究されてきましたが、巻きひげが接触した物体を化学的に識別し、巻きつき相手を選択できるということは、今回初めて明らかにされた現象です。つる植物は、自らだけでは上に成長することができず、安定した物体に巻き付いて登っていく必要があります。高い密度で繁茂することの多いヤブガラシにとって、同種を適切に避ける能力は、他種の植物など安定な物体に巻きつく上で必須な能力だと考えられます。それゆえ、同種かどうか葉を識別し、強く避けるという性質が進化したのだろうと考えられます。 (略)
           (東京大学大学院農学生命科学研究科 プレスリリース)

 ヤブカラシのつるには、自分とそれ以外を区別するセンサーがあって、自分には巻きつかず、他の植物を選んで巻きつき、高く伸び上がっていくというのです。ヤブガラシのつるにこんな能力があったとは。驚きました。

 ヤブガラシの繁殖力の強さは、つるの能力に加えて、葉の形にもあるようです。
 植物の葉の形には、葉が1枚 からできている単葉と複数の小葉が集まってできている複葉とがあります。ヤブガラシの葉は、写真(下左)のように側らの小葉からもう一つの小葉が分かれて、全体が5つの小葉でできている複葉です。鳥の足の形に似ているので鳥足状複葉と呼ばれています。

 
  小葉が分岐する鳥足状複葉    小葉は巧みに角度を変化させ光を吸収しています。

 複葉は同じサイズの単葉と比べて、低エネルギーで速くつくれて、軽量で耐風性にすぐれ、二酸化炭素の取り込みも勝っているといわれています。
 ヤブガラシの成長が早く、あたりの植物を覆いつくしてしまうほど勢力を拡大できるのは、優れたセンサーを持つつると、夏の暑い時期に効率よく光合成する葉を備えているからなのでしょう。

 ヤブガラシの花の時期は6月~8月頃です。小さな花は、4枚の花びら、4本の雄しべ、1本の雌しべ、花盤で構成されています。ガク片は退化したのか見られません。花盤とは花のオレンジ色の部分です。ガク片や花びらがついている茎の先端の花床(花托)の一部が大きく突き出たものです。
 花粉と雄しべは黄色、花盤はオレンジ色で、その真ん中に黄色い雌しべが小さなローソクのように立っています。地味で控えめな緑色の花びらは、これらの引き立て役です。

 
  花全体の姿     花のつくり(花びら4、 雄しべ4、 雌しべ1、 花盤、 ガクなし) 

 前日に開きそうなつぼみに目をつけておいたら、早朝に花開きました。花の姿を1時間置きに撮影し、変化のあった時間を選んで並べてみたのが下の写真です。

        ヤブガラシの花・朝から夕方までの変化
     

     

 早朝に開いた花は、昼までには花びらと雄しべを落としていました。一方、雌しべは、花びらと雄しべの落下後、午後に急に伸びて長くなっています。
 ヤブガラシの花は、午前の数時間に雄しべが成熟して花粉を出し、花びらと雄しべの落下後、雌しべが成熟して受粉体制に入っています。午前中は雄性期で、午後は雌性期と、一つの花の役割を変えていました。こうすることで、ヤブガラシの花は、自家受粉を避けて他家受粉で丈夫な子孫を残そうとしています。

 花盤の色の変化もきれいです。初めの雄性期はオレンジ色で、雌性期にはピンク色に変わっていきますが、再度オレンジ色に変わり、またピンク色に変わっています。図鑑類には「はじめ橙色、後に淡紅色に変わる」としか書かれていませんが、その変化を繰り返していることがわかります。
 この花盤の鮮やかな色の変化は、早く落下する緑の花びらに変わって、花を目立たせ、昆虫をひきつける役目を果たしています。

 ヤブガラシの花は小さい花なのに、多くの昆虫が集まってきます。
 花盤は昆虫たちが着地して蜜を吸うのに最適な形です。また、花盤には葉の気孔と同じようなつくりの開口部があって、そこから蜜がたっぷり出ています。
 花は雄性期でも雌性期でも、昆虫たちに来てもらわなくては受粉できません。午前も午後も蜜はあふれるように出ていました。

   
 雄しべのある時期の蜜      雌しべの周りの蜜     時間が経っても蜜は出ています

 蜜を目的にやってくる昆虫たちは。蟻や蝶、テントウムシ、ハエ、コガネムシなど多種多様です。いろんなハチも飛来してきて、アシナガバチもよく見られます。
 蜜がたっぷりでる時間帯が決まっていて、ニホンミツバチはその時間帯を把握し、良いタイミングで訪問するということです。

   
  雄性期と雌性期のどちらにもやってきます。   蜜を吸うアシナガバチの仲間

 ヤブガラシは花を多くつけるわりには、まったく実がついていないものが多いのです。調べると、ヤブガラシには2倍体と3倍体のものがあって、種子をつける2倍体は主に西日本に分布、東日本では実が実らない3倍体が分布するとありました。実がつかないのは3倍体だからでしょうか。下の写真は仙台市内で見つけた実です。これは2倍体のヤブガラシです。道路建設や植物の植栽などの人為的な行動が、2倍体の分布を広げている可能性も考えられます。
 この実はやがて黒く熟し、なかに4mmほどの種子が一つだけ入っていました。

   
   初めは  青い実        熟して  黒い実      なかに  種子が一つ

 ヤブガラシは種子でも増えますが、長く伸びる地下茎(根茎)が強い繁殖力を持っています。地表に近い根は細長く、簡単にちぎれてしまう頼りない根ですが、地下50cmあたりには太い根が張り巡らされています。この根が少しでも地中に残っていると、ヤブガラシはそこから再生し、どんどん繁殖していきます。耕作地や植木畑などに入り込まれると大変な困りものになってしまいます。


         地下に張り巡らされている ヤブガラシの地下茎

 困りもののヤブガラシを「厄介な雑草」として目の敵にし、除草剤で駆除することも行われていますが、それでは他の生きものを殺してしまいます。
 ヤブガラシの撤退方法として「巻きつくヤブガラシをほどき、くるくると丸く束ねて、地面に置いておく」ことを、「中央園芸のブログ」(2015-09-24)で、押田さんという方が体験談として紹介していました。こうすると自然に枯れるのだそうです。これはヤブガラシのつるの自他識別能力を逆手にとった方法で、くるくると束ねられると自分の葉や茎に接触、ヤブカラシは自分だけを認識し、巻きつく相手を失い成長を止めてしまうということでしょうか。これなら土に戻すことができます。

 嫌われるヤブガラシですが、新芽はアク抜きをすれば食べられ、独特の辛みを楽しんでいる人もいます。また、中国ではウレンボ(烏斂苺)の名で利尿・解毒・鎮痛などに薬効のある生薬として利用されてきました。
 特に地下に張り巡らされた根茎は、虫刺されの際に患部に生の根の汁をつけると効果があるとの報告もされています。(熊本大学薬学部・今月の薬用植物)


     昼頃の花盤の色は美しく、それぞれの花の成熟段階を示しています。

 ヤブガラシが実際に藪を枯らした場面を見ることはありません。逆に在来種であるヤブガラシは、他の植物たちとマント群落をつくり、森林内の環境保全の役割をしていることも考えられます。
 どんな植物も自然の生態系のなかで何らかの役割を果たしていて、全体として絶妙なバランスが保たれています。
 ヤブガラシが人には厄介な植物であっても、昆虫たちにとってはオアシス的な存在です。荒れ地に多く生えるということは、長いサイクルで大地を耕していることになるでしょう。
 自然は人間のためにあるわけではないので、草木や生きものたちとこの大地でどう共生していくのか、私たち人間の側の知恵がいつも試されています。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花

力不足だから、みんなの力を借りて ~ オレは幸せ者9 ~

 狭い玄関の壁面に、ザオ・ウーキーの絵をかけている。とは言っても、それはカレンダーの写真で、月ごとに切り取って飾っているもの。以前、東京に行くと、その帰りは決まってブリヂストン美術館をのぞいた。2004年の暮れは「ザオ・ウーキー」の企画展だった。その時買ったのがザオ・ウーキーの12種の抽象画で構成した2005年度用のカレンダー。

 仙台に降りるとすぐ青葉画荘で額装してもらった。出来上がると、薄い小さい文字で1列に記されている月の数字は消え、立派なザオ・ウーキーの絵の額に変身した。大いに満足したオレは、以来、月初めに取り換えつづけ、17年になる。月初めの朝、絵の交換によってオレのその月が始まる。今のところ、一度も忘れたことがない。
 今日は8月1日、「ザオ・ウーキー」は8月の絵に変わった。その絵に背中を押され、(さあ、しばらくさぼっていた仕事をしなくちゃ)とパソコンに向かった。

 オレは、若いころ、いろんな刺激を受ける環境に置かれながらも、やるべきことを吹っ飛ばして、子どもたちと遊ぶことで明け暮れた。その頃を思い出すとなんとも恥ずかしい。
 しかも、何もろくにできないくせに授業で悩んだ記憶もほとんどない。どうごまかしていたのだろう・・・。子どもたちは、親は、どう思っていたのだろうか。
 国語サークルの集まりに行って先輩たちの話を聞くうちに、次第にオレのいい加減さにやっと気づくようになりあわてるようになった。
 どうすればいいのか。サークルで国語を考えるだけでも精一杯で、その他は教えるに足る力をまったく持ち合わせていないことにも慌てた。
 どうすればいいか・・・。と言って、すぐ変われるものではない。子どもたちはいつも目の前にいる。
 いろんな人の仕事に直接学ぶことしかない、それも、毎日のことゆえ、「まずは同僚に学ぶことだ」と思った。

 たとえば、かつて、卒業式の式場装飾係になったとき、その係主任のKさんが「演壇に国旗を置くことになっているが、私は、せっかくの演壇、バックの幕に運動会で使う万国旗を飾ることで国旗も含めた装飾はどうだろう」と提案。万国旗は、背面の幕の左下隅から右上に向かって扇状に広がるのだ。私はそのアイデアに大いに驚き、しばらくの間、感じ入った。しかし、その後、そのようなKさんに教えを乞うことをしなかった。考えれば、そんなチャンスはいろいろあったはず。機会を見つけては他所には足を運ぶようになっていたが、もっとも身近な仲間の仕事に学ぶことを大事にしなければならないと気づくには、しばらく時間を要した。

 遅すぎたが、とにかくクラスと自分をオープンにして仲間の力を借りるよりない。その後の例を2~3あげてみる。
 理科専攻だったという若いYさんと一緒になった。時間を見つけてはいろんな話し合いをした。そんな話し合いから、オレのクラスの子どもらのために、Yさんに授業をしてもらおうと思った。5年担任のときだった。Yさんは受けてくれた。私は、「あなたが5年生にやってみたい授業を何でもいいからやってみてほしい。教科書にあるなしにかかわらず」「時間は何時間でもいい」「その間、オレにあなたのクラスの授業をさせてほしい」ということで、Yさんに理科の授業を頼んだことがある。オレはクラスの子どもたちのためになったと思った。

 また、市の書写研究部の部会長だったT校長と一緒のときは、T校長に書初め指導をお願いしたことがある。「私の悪筆はご承知の通りです。時間の取れるときで結構ですから、ぜひ、クラスの子どもたちに書を教えてください。また、私も指導法を学びたいので同席させてください」と頼んだ。T校長は受けてくれた。1時間の授業が終わった時、校長の方から「もう1時間使っていいか」ということで、なんと2時間も教えてもらった。その時間の様子は今になるも記憶に残っている。子どもたちが喜んだことは言うまでもない。

 それ以前の3年生担任だったときのこと。家庭訪問でM子の家を訪ねた時、通された茶の間に、たくさんの折り紙細工がつるされていた。聞くと、母親の趣味とのこと。その場では黙っていたが、(子どもたちに教えてもらったら喜ぶだろうな)と思った。後日、無理にお願いして教室に来ていただき折鶴づくりを教えていただいた。子どもたちは大いに喜んだ。

 6年生担任のときの3学期の初め、「小学校最後の学級懇談会のおり、いま練習している マット・跳び箱をお母さん方に披露するのはどうだろう。その内容は、自分が自分の力でつくれる最高の演技内容を自分でつくること。もしやるというなら、体育館を使えるのは週1回なので、希望者がいるならば、始業前30分ぐらい、オレも早出をして体育館を開けてもいい」と言った。初め男子は全員、女子は半数だったが、すぐにほぼ全員になった。しだいに子どもたちの張り切りにオレの力は応えられなくなった。このままだと緊張感がなくなると思った。どうするか。「それぞれの目的を明確に意識させ伸ばすためには外部の専門家に頼むこと以外ない」と思い、 宮城教育大学の中森先生にわけを話し指導をお願いした。先生は快諾してくださり、希望者を土曜の午後、大学に連れていくことにした。子どもらに話すと、全員「行く」と言う。
 大学では、休みなしで3時間ぐらい教えていただいた。子どもたちは熱心に食いついていった。帰りのバス内で、「教える先生が違うと、ずいぶん違うね」と子どもたちに笑われたが、「だから連れてきたんじゃない」と言い返し、オレは子どもたち以上に満足した。

 他の力を素直に借りるようになると、自分の努力の仕方もいろいろ違ってきた。本屋をのぞいても、子どもの本のコーナーはもちろん、数学とか科学などの専門書コーナーも見逃さなくなった。自分で言うも変だが、少し違う自分を感じるようになった。
 若かったころの子どもたちには詫びなければならないが、後半は多くの方に助けられ、自分としては大きく悔いを感じることなく取り組むことができたように思っている。( 春 )

今週末(30日)の『 夏休みこくご講座』やりますよ!

 奮ってみなさんご参加ください!

 コロナの感染も落ち着いてきたなと思った矢先、7月に入ると徐々に感染者数は増え、7月20日には2,000人を越える感染者数となっています。

 感染拡大の状況は心配ですが、これまでの状況を考えるとコロナが一気に終息することもないだろうと思います。コロナと上手に付き合いながら取り組みをしていくことが必要なのかもしれません。

 そのようなわけで、今週末開催予定の『こくご講座』は、予定どおり行うことにしました。これまでの感染予防対策に努めながら実施しますので、ご協力お願いいたします。

  

季節のたより104 ノウゼンカズラ

  炎天下に咲く夏の花   寺田寅彦花物語」に思う

 暑い夏に花を咲かせる樹木が少ないなかで、炎天下でも次々と花を咲かせて、夏を強烈に印象づける花がノウゼンカズラです。
 晴れた夏の日の午後は空が怪しくなりざあっとひと雨。夕立が去って、爽やかな風が吹き抜けると、オレンジ色の花はひときわ艶やかにゆれて涼を呼びます。


         夕立後のノウゼンカズラの花はひときわ艶やか

 ノウゼンカズラの花を見ると、物理学者で随筆家の寺田寅彦の「花物語」の「のうぜんかずら」の文章が浮かんできます。
花物語」は寅彦の花にまつわる思い出を綴った随筆。「のうぜんかずら」は、算術の嫌いだった小学時代の思い出のなかに登場します。ちょっと長くなりますが、引用してみます。(・・・・・は一部略しています。)

 小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。宅(うち)から先生の所までは四五町もある。 宅の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はずれへ出る、そこから先生の家の高い松が近辺の藁屋根や植え込みの上にそびえて見える。これにのうぜんかずらが下からすきまもなくからんで美しい。・
・・・・・先生が出て来て、黙って床の間の本棚から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷りの古い本であった。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といったような題を読んでその意味を講義して聞かせて、これをやってごらんといわれる。先生は縁側へ出てあくびをしたり勝手の方へ行って大きな声で奥さんと話をしている。・・・・・・・ 何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。頭をおさえて庭を見ると、笠松の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。よい時分に先生が出て来て「どうだ、むつかしいか、ドレ」といって自分の前へすわる。 ラシャ切れを丸めた石盤ふきですみからすみまで一度ふいてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかったかわかったかと念をおして聞かれるが、おおかたそれがよくわからぬので妙に悲しかった。うつ向いていると水洟(みずばな)が自然にたれかかって来るのをじっとこらえている、いよいよ落ちそうになると思い切ってすすり上げる、これもつらかった。・・・・・・・・・・・ 繰り返して教えてくれても、結局あまりよくはわからぬと見ると、先生も悲しそうな声を少し高くすることがあった。それがまた妙に悲しかった。「もうよろしい、またあしたおいで」と言われると一日の務めがともかくもすんだような気がして大急ぎで帰って来た。宅では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。

  (「花物語」・寺田寅彦随筆集 第一巻・岩波文庫 2021年第109刷)

 この時の妙な悲しさやつらさが、ノウゼンカズラと結びつき、寺田少年の心に深く印象づけられていったようです。


          旺盛に花をさかせる姿はダイナミックです。

 ノウゼンカズラは、ノウゼンカズラノウゼンカズラ属のツル性落葉樹です。
 原産地は中国で、日本には平安時代頃に渡来し、当初は薬用として栽培されていました。その後鑑賞用に神社仏閣で栽培されますが、夏に鮮やかに咲くオレンジ色の花は日本の風土や庭園にはあまり好まれなかったのか、それほど広くは広まらなかったようです。
 中国名は「凌霄花」といいます。「凌」は「しのぐ」、「霄」は「大空」といった意味で、ツルが空に届くほどによく茂らせることから、この名がついたと思われます。
 日本でも「凌霄」(リョウショウ)の名で伝えられ、平安時代本草書「本草和名」(918年)には万葉仮名の「乃宇世宇(ノウセウ)」の字が当てられていますが、その「ノウセウ(ノウショウ)」が、転じて「ノウゼン」となったと考えられます。「カズラ」はツル植物を表す言葉として一般に使われています。


      絡みつく樹木をめざして旺盛につるをのばしていきます。

 
   茎は木質化して太くなります。      樹木に絡みつき高く伸びていきます。

 ノウゼンカズラが新芽を出し始めるのは4月頃です。他の樹木と比べて、休眠から目覚めるのはやや遅めですが、暖かくなるごとに旺盛にツルを伸ばし葉も広げていきます。
 茎の節からは気根を出して他の樹木に絡みついたり、塀やコンクリートの壁面に張りついたりして高く伸び、樹高は3mから、高くなると10mにもなります。
 茎は樹齢を重ねると木質化して直径10cmほど太くなり、30cmを超えるものもあるといいます。石川県の玉泉園や島根県龍巌山では、樹齢300年から400年ともいわれるノウゼンカズラの古木がまだ花を咲かせています。

 葉は対生について、ギザギザした葉が鳥の羽のように並んで、奇数羽状複葉といわれる葉の形をしています。葉の濃い緑は花の色とは対照的、オレンジ色の花がより鮮やかに浮かび上がる効果を上げているようです。

 
   つぼみのようす      葉の濃い緑がオレンジ色の花を引き立てます。

 花芽ができるのは6月頃。咲き出すのは7〜8月です。つるを伸ばして上に伸びる枝には花がつきません。花は下に垂れた枝に房状について、いったん咲き出すと、暑さのなかでも次々と開花していきます。

 花の形はアサガオに似たラッパ状の合弁花で、その形がトランペットのように見えるので、英語でチャイニーズ トランペット フラワー(Chinese Trumpet Flower)(中国由来のトランペットの花)などとも呼ばれています。
 花のなかには、高さの違う大小2本ずつの雄しべと、その中心にへら状の柱頭が2つに裂けている雌しべが顔を出しています。

   
    開花直前のすがた       トランペットの花姿     シベも独特の形

 ノウゼンカズラの花は、朝開いたかと思うと夕方にはしぼんでしまう一日花です。しぼんだ花は2、3日でスポンと抜け落ちてしまいますが、それでもあとからあとからつぼみをつけて次々に花開くので、長く咲き続けているように見えるのです。

 花のなかには蜜がたっぷり用意されていて、ヒヨドリメジロなどの鳥類や、アゲハ、ハチ類などの昆虫類がたくさん集まってきます。花の後には長さ6~10cmほどの豆状の果実ができるということですが、日本ではどういうわけか、花が落ちやすく結実しにくいそうです。受粉後の実を探しましたが、見つけられませんでした。
 WEB上で実や種子を探してみると、細長い鞘に入った実ができたという記事もあって、実ができないわけではないようですが、ふつう種で繁殖することはなく、園芸店などでは株分けや挿し木で増やしているとのことです。
 ノウゼンカズラは 11月頃には葉を落とし始め、12〜3月は裸木となり休眠します。挿し木は落葉期に採取した一年目の枝を使うとよく根づくそうです。前回のヒルガオ季節のたより103)と同じようにクローンで仲間を増やしているのでした。

 ノウゼンカズラは暖地性の植物で暑さに大変強く、寒さにも比較的耐えられますが、日当たりや風通しのよい環境を好み、晴天が続くとよく開花しても、日当たりの悪い場所ではつぼみが落ちてしまいます。また、肥沃な土壌を好み、粘土質などの極度に水はけの悪い場所では育ちにくいようです。
 森林には、フジ、イワガラミ、ツルアジサイなどの大型のツル植物がみられますが、ノウゼンカズラがこれらの樹木と対等に花を咲かせているところを見たことはありません。野外に出てもよほど条件がよくなければ、他の植物たちとの競争にまけてしまうので、日本には野生種として存在していないようです。
 ノウゼンカズラは、古来人々が薬用として利用し、花を愛でるために、日当たりのよい環境と適度に養分も必要とする土地で栽培されてきた栽培植物です。ノウゼンカズラは、人に役立つことで、人の力を借りてその命をつないできている植物といえるでしょう。

 なお、ノウゼンカズラは少し前まで有毒とされていて、1970年代頃までの古い植物図鑑や百科事典には有毒と記されていました。これは、江戸時代の学者貝原益軒の「花譜」という本に「花を鼻にあてて嗅ぐべからず、脳を破る」と書かれているところからきているようです。
 実際は「誤解で毒はない」(湯浅浩史著「花おりおり」・朝日新聞社)ということです。「有毒植物」関係の図鑑にも、厚生労働省「有毒植物に要注意」(2022・7月現在)のリーフレットにもノウゼンカズラの名は出ていませんでした。

 
晴天で長期に咲き続ける花    透過光で見る花はきれいなオレンジ色です。

 さて、算術嫌いだった寺田少年ですが、特に憧れたわけでもなく、故郷高知に最も近いという理由だけで第五高等学校に進学し、そこで二人の教師に出会います。
 一人は数学と物理学を教える田丸卓郎先生。先生の講義で物理学のおもしろさに目覚め、造船学科の志望を急きょ変更して物理学科に進学することにしたのです。
 もう一人は、英語の教師だった夏目金之助先生。後の漱石です。友人のテストの成績をあげてもらうために先生宅を訪ね、「俳句とはいかなるものですか」と質問、それがきっかけで文学について議論、漱石の門下生となり俳句を作り文学への関心を深めていきます。
 二人の先生との出会いが、後の優れた物理学者として、科学と文学に通じる随筆家としての誕生へとつながっていきました。


          一般の住宅地でも花を楽しむ人が増えています。

 寺田少年のつらく切ない思いと結びついたノウゼンカズラの思い出は、「花物語」の文章となったのですが、寺田寅彦は別の「随筆集」でこんな文章を書いています。

 科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者であり朴念仁でなければならない。いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人 足ののろい人がずっとあとからおくれて来て わけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
               (「科学者と頭」・寺田寅彦随筆集 第四巻・岩波文庫

 小学時代の寺田少年には、算術を解くよりも、宝物さがしの方がおもしろかったのかもしれません。

 寅彦が幼年時代を過ごした高知県にある住居跡は、現在、寺田寅彦記念館となっていて、そこではノウゼンカズラが毎年花を咲かせるそうです。(千)

◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花

作文講座は、楽しく充実した講座となりました!

 報告が遅くなりました。6月18日開催の作文講座は、オンライン参加も含めると30名を超える参加者となり充実した会となりました。
 報告を兼ねて参加者のみなさんからいただいた感想の一部を紹介します。

   

★「書く」ことが子ども一人ひとり、そして子ども集団の育つことと、どうかかわっていくのか。この問題に、教育・学習の異なる領域に軸足を置きつつ交流する機会となっていたことがよかった。村元さんの報告は「生活指導」に限定されないものだとも思った。

★子どもの世界、子どもから見える世界を作文とおたよりを中心に味わい、受け取ってくれる先生の存在の大切さを感じました。

★それぞれの先生方の実践・・・すごく新鮮ですし、参考になりました。そして何より自分ももっとがんばろうという励みになります。自分自身の実践を振り返ることのできる貴重な機会をいただき、ありがとうございました。

★学級経営や各教科で書くことを取り入れ、それが子どもの思いをくみ取ったり、子どもと教員がつながる手立てとなったりしていて、今後、私も実践してみたくなりました! 何より先生方の子どもたちへの温かな愛情が一番に伝わってきて、心が温まりました。

★どの学習、場面においても「書かせる、読ませる、気付かせる」ことで、子どもたちの書く力だけではなく、多方面に成長を促すことができると思いました。私も書くことを大切にしながら日々の実践をしていきたいと思います。

★ “ 書くこと ” の指導について、教科を超えて発表があったので色々と学ぶことができて、ありがたかったです。特に体育で書くこと(ルール作り)を自分では意識したことがなかったので、やってみたいと思いました。また作文を書かせるときに、“話し合いながら”というのも目からウロコでした。1枚文集の実践で感想カードというのがあったが、それにより子どもたち同士のつながりができるという点でいいなと思いました。本当に勉強になりました。

★村元先生の、書くことが楽しいと思ったからこそぐんぐんのびた一年生の実践、すてきでした。絵かきから文にしてあげたこと、そしてよく聞いてくれる先生に伝えたいと思って力をつけたのでしょうね。鈴木先生の実践では、先生と子どもがつながっていく縦の糸の過程が見えました。太田先生と山口先生の実践からは、子どもたち同士が互いの感想を見合うことで想いを伝え合い横の糸がつながり、「みんなで学ぶ」からこその良さを感じました。鈴木先生の実践を聞くと、自分も忙しさを乗り越えて、少しずつでも、子どもの作文紹介を定期的に続けていきたいと思いました。

★書くことを通して、子どもが思いを表現したり、教員と子ども、また子ども同士がつながれるってすてきなことだと実感することができました。また日記だけでなく体育など教科を通した実践も知ることができ、とても勉強になりました。私も子どもたちとつながる温かい学級づくりを行っていきたいです。

★「作文」というと、自分の中では国語のイメージが強かったのですが、本日のレポート報告を聞くことで、私も様々な場面で書くことに重点を置いて授業実践をしていきたいと思いました。書くことはよくしていますが、書いたものを読み合い、深めるということには至らないことが多いので、読みを通して深めることができるように意識していきたいと思います。

★教科の枠組みを超えて、作文というテーマの中で子どもの内面や考えに触れることができて嬉しかったです。どの実践においても、教材への解釈(教材観)、解釈を形にしたもの(教具)、そして児童の実態の3つを大切にしていると感じました。自分自身も、子どもにとって何を身につけることが最善かを考えながら、教材について考えていきたいと思います。子どもの要求に応える実践を自分も創っていきたいと思った。

今年の東北民教研は、山形天童です!

 お待たせしました。2019年の花巻集会以来3年ぶりの対面開催での集会となります。コロナも、まだまだ油断できませんが、山形県感染症予防ガイドラインに則って実施します。みなさんご協力ください。充実した学びの場にしましょう。

 第69回 東北民教研 天童集会

◆日 時:2022年8月7日(日)~ 9日(火)3日間
◆会 場:天道ホテル山形県青年の家

 【参加費】
   ・教職員・教職員OB 4,000円(2日以上参加)うち記録集1,000円   

   ・保育士、父母一般 3,000円(2日以上参加) 

   ・一日のみの参加者 1,500円 記録集を希望する方は+1,000円

   ※ 学生・院生の参加費は無料。記録集を希望する方は+1,000円  

 【宿泊について】
   天童ホテル天童市鎌田本町2-1-3 ℡023-654-2211)

    1泊2食(12,000円)※朝食及び夕食付
       2泊4食(24,000円)   同 上

    ※ 家族またはひとり部屋を希望する場合は加算料金となります。 
    昼食:弁当販売を行います(申込時にご注文を)会場周辺も飲食店あり

  宿泊申し込み締め切り 第一次締め切りは、7月25日(土)です。
    第一次締め切り以降の申し込みは、宮城民協連事務局まで。
                                           (Email:kzmhksn@yahoo.co.jp) 
            

 ★主な企画・内容
 記念講演(8日 13:30~15:30)
  複雑化の教育論
    講 師 内田 樹さん神戸女学院大学名誉 教授)
 教育とは何か? 成熟とはどのような過程なのか? 子どもたちに何を手渡すのか? 予測困難といわれる時代に、私たち教育にたずさわる者がなすべき使命とは? 内田先生と一緒に考えていきましょう。

 分科会(16の分科会が行われます。詳細はチラシ参照)
  ◎国語と教育 ◎作文と教育 ◎外国語と教育 ◎社会科と教育 
  ◎算数・数学と教育 ◎理科と教育 ◎音楽と教育 ◎美術と教育 
  ◎身体と教育 ◎生活指導と教育 ◎高校生と教育 ◎学校と教育
  
◎障がいのある子と教育 ◎国民教育運動 ◎生活科・総合学習と教育
  ◎不登校・ひきこもりと教育

 ※ 山形県青年の家 が会場となる「生活指導と教育」「理科と教育」「生活科・
  総合学習と教育」「音楽と教育」の分科会参加のみなさんは、内履きをご持参
  ください。

     特別分科会(8日 15:30~17:30)
 (1)震災学習から伝承活動へ ー きずなFプロジェクトの7年
 (2)原発事故を問い、子どもの考えを受け止め、社会の主権者を育てる
 (3)コロナ禍で増した子ども・教員の息苦しさとどう向き合ってきたか
 (4)地域と学校の関わり合いを考える ー 学校統廃合や学校運営協議会はいま
 (5)教員不足の解消と大幅増員を求めて ー 新たな少人数学級実現をめざして
 (6)北方教育のかがり火を灯し続けてー鈴木照男・不不屈の足跡をたどる

季節のたより103 ヒルガオ

  万葉人も愛でた花  古代からクローンで同じ「顔」

 道端にうす桃色のヒルガオの花が咲き出しました。ホタルブクロ、ウツボグサなどと一緒に雨降花と呼ばれているのは、梅雨の頃に咲き出し濡れて咲いているようすがひときわ美しく見えるからでしょうか。そうかと思えば日照草という異名もあって、日照りのなかでもたくましく咲いています。
 雨にも似合うけれど、炎天下でも堂々と花を咲かせて、どちらにも似合う顔を見せているのがヒルガオです。


   ヒルガオの花。夏のつよい日差しの下でも元気に花を咲かせています。

 ヒルガオは、アサガオに似ている花です。アサガオが夏の風物詩として広く親しまれているのに比べ、ヒルガオははるかに影のうすい存在ですが、アサガオヒルガオではどちらが本家なのでしょうか。
 ヒルガオの学名をみると「Calystegia japonica」( 日本のヒルガオ属)とあります。ヒルガオは古くから日本に自生していた花でした。

 万葉集の歌に《容花》(かほはな)という名前の花が登場します。

  高円の 野辺の容花 面影に 見えつつ妹は 忘れかねつも
                    大伴家持万葉集巻8-1630) 

 万葉名の《容花》はカキツバタ(杜若)、ムクゲ木槿)など諸説ありますが、ヒルガオ(昼顔)が通説になっています。(片岡寧豊著「万葉の花」青幻舎)
《容花》の「容」とは「美しい」という意味です。万葉の人々は、ヒルガオを恋しい人の美しさに喩えて愛でていたようです。


        ヒルガオは朝方に花を開いて、日中長く咲き続けます。

 ところが、しばらくしてライバルが現れます。奈良時代に朝廷が派遣した遣唐使が、中国(唐)よりヒルガオによく似たアサガオを持ち帰ってきたのです。
 やがて、アサガオは江戸時代には品種改良され、一大ブームを巻き起こすほど人気が高まりました。今も夏には朝顔まつり、朝顔市などが開かれ大勢の人が訪れて賑わいを見せています。

 アサガオは朝に咲いて昼にはしぼんでしまうのに、《容花》は日中も長く咲き続けているのでヒルガオ(昼顔)と呼ばれるようになってしまいました。似ている花があって、これらは咲く時間によってユウガオ(夕顔)やヨルガオ(夜顔)と名づけられました。ヨルガオは、本当は夕方に花開くのですが、すでに古くからユウガオの名があったので、ヨルガオの名で我慢させられています。
 図鑑では、アサガオヒルガオ、ヨルガオは、ヒルガオ科の植物に分類されています。アサガオヒルガオの仲間に位置づけられています。ユウガオはウリ科で、カンピョウの原料となる野菜です。

        ヒ ル ガ オ 科 の 花 た ち             ウリ科
     
  アサガオ       ヒルガオ      ヨルガオ     ユウガオ(野菜)

 アサガオヒルガオの花はどちらもラッパのような形をしています。花は5枚の花びらが根元から先まで完全につながっている合弁花です。ガクが5枚、雄しべが5本、雌しべが1本あって、花のしくみも同じです。

   
   アサガオ(朝に咲く)  ヒルガオ(昼も咲き続ける) ヒルガオの花のしくみ

 ところが、花のしくみは同じでも、花の咲いた後、アサガオには種子がたくさんできるのに、ヒルガオの種子を見たことがありません。ヒルガオにもチョウやハチが多く訪れ、受粉しているはずですが、花の後に実と種子を探してみても見つからないのです。
 図鑑を見ると、「ふつう結実しない。」(「野に咲く花」山と渓谷社)とありました。種子ができないわけではなく、見つかるのはきわめて稀なことだというのです。

 
アサガオは(なかに種子)ができます。   ヒルガオは虫が来るのに結実しません。

 では、どのようにして仲間を増やしているのでしょうか。その秘密は根茎にありました。
 アサガオは夏が過ぎるとすべて枯れて死んでしまいますが、ヒルガオは地中深く張り巡らせた根茎が冬の間も生きています。翌春にその根茎から芽を出して、再び成長を始めます。

 ヒルガオの根茎を掘ってみると、細い根茎が地中に伸びています。鍬やスコップで、かなり深堀りして引き抜こうとしましたが、根茎は少しの力でもポロッと折れてしまい、先端はどうしても地中に残ってしまいました。
 すぐちぎれてしまうこの根茎が、じつはすごい再生能力を持っているというのです。稲垣栄洋氏はその著のなかで、次のように語っています。

増え方も尋常ではない。学究心に富んだ研究者が丹念に追跡調査した結果、ちぎれた根茎の1つの芽が、わずか2年後には5メートル四方を覆うくらいの根茎を張り巡らせ、5万5千個の芽を持ったという。切断された怪物の1本の腕が再生して5万5千匹の怪物になってしまったのだ。
(稲垣栄洋著「身近な雑草の愉快な生き方」ちくま文庫

 その繁殖力は半端ではないようです。これでは根茎が地下に残っているかぎり、いくら地上部が引きぬかれたり、刈られたりしても生き残ることができます。

 
ヒルガオの地中の根茎  ヒルガオは根茎から芽生え、つるを伸ばしていきます。

 アサガオヒルガオの違いは、それだけではありませんでした。
 アサガオの種をまくと、双葉のあとに本葉が出てきます。それからツルが伸び出し支柱にまきついていきます。ヒルガオアサガオの発芽と同じように進むと思っていたところ、全く違うというのです。

ヒルガオは)双葉が出た後は本葉が出るよりも先に、つるを伸ばしてしまうのだ。雑草として生きるためには、ライバルの植物よりも少しでも早く伸びる必要がある。(略)まだ本葉が出ていないから栄養は決して十分ではない。伸ばすのはひょろひょろした、ごく細いつるである。しかし、ヒルガオの茎は自分の力で立つ必要はない。ほかの植物にまきついて寄りかかればいいので、茎は細くて十分なのだ。茎を太くするよりも、少しでも茎を伸ばす方がいいのである。そして、ほかの植物に抜きん出て光を独占してしまうのだ。(同ちくま文庫

 アサガオは栽培種だから人の手で支柱を立ててもらえるけれど、野生種のヒルガオはまずツルを出し他の植物に巻き付くことなしに生きられないのです。野生の世界を生き抜くために発芽のしかたを変えてきたヒルガオの生き方に驚かされます。

 同一の遺伝資質をもった個体群をクローンといいますが、ヒルガオは根茎で芽を出し、一気にツルを伸ばして全国に仲間を増やしてきたクローン植物です。「もとをただせばたった3本の茎に由来するとも、半ば伝説的に語られている」(同ちくま文庫)とのこと。クローンであるヒルガオは、古代の「顔」そのもので、私たちは万葉人が愛でた花と同じものを見ていることになるわけです。

 
    草むらに咲くヒルガオの花は、古代とそっくり同じ「顔」をしてまま。

 繁殖力の強いヒルガオですが、どんな環境でも生きられるわけではありません。草原には少なく、暗い林内の林床ではまったく見られません。山奥にも生えていません。よく目にする環境は、日当たりがよく、巻き付く相手があって、適度の草刈りなどが行われる里山の道端やあぜ道、都会の道路の緑地帯などです。
 定期的な草刈りは、植物にとっては災難ですが、特別の種類の植物だけとびぬけて育つことはなく、いつもいろいろな植物が一緒に生え得る条件を作っています。
 ヒルガオの見られる場所には、ヨモギ、イタドリ、フキ、ヒメジョオンなども生えていて、これらの植物に巻き付いて花を咲かせています。早く成長するためにツルを急いで伸ばしますが、高くからみあうことはなく、まきつく植物全体を覆いつくすこともありません。
 ヒルガオは道端や緑地帯などの環境に生える植物たちと競争しながらも、その植物たちに依拠しなければ生きられない植物でもあるのです。


  ヨモギに絡んでいるヒルガオ。 競争しながらも他の植物に依拠して生きています。

 ヒルガオはクローンで分布を広げていますが、一般に、クローンで増える生物は、雌雄の遺伝子が混じらないため、遺伝的な多様性がなくなってしまい、急激な環境の変化に弱く、絶滅しやすいと考えられています。

 ところが、ヒルガオのほかにもクローンで増えている植物は珍しくありません。秋の畦道を赤く染めるヒガンバナ季節のたより12)は種子をつけずに球根でふえます。日本全国の春を彩るソメイヨシノは全部が挿し木で育てられたものです。つまりヒガンバナソメイヨシノもすべて同じ遺伝子のクローンなのです。

 クローンは植物の世界だけではありません。信州大学理学部の小野里坦(ひろし)教授は、1970年代に、日本の川や沼にごく普通にいるフナ(ギンブナ)が、メスのゲノムだけで増えるという「雌性(しせい)発生」について研究。その後、私たちの身近にいるドジョウが、雌性発生で増えており、クローンの集団を作っていることを発見しました。その小野教授も参加して行われたセミナーの報告が季刊「生命誌29号」に掲載されています。以下はその一節です。

フナやドジョウは、どれくらいの期間、クローンで増えてきたのだろう。小野里教授によると、フナとドジョウについてはまだ研究中だが、ポエキリア・フォルモーサという海外の魚で少なくとも10万年以上、雌性発生が続いていることが知られているらしい。フナでも、かなり長い年月にわたって生き続けていることを示すデータも出始めている。なぜ、そんなに長く雌性発生を続けられるのか、今は不明だ。確かなことは、人間が頭で考えるよりも自然はずっと不思議なことをやっているということだ。
JT生命研究館・Seminar Report「自然はクローンでいっぱい」佐藤和人)


    人間が頭で考えるより自然はずっと不思議なことをやっているのです。

 植物には自家不稔性(じかふねんせい)と云う性質があって、同じ個体の花粉では受粉してもできない性質を持っています。ヒルガオに種子ができないのは、まわりがすべてクローンで育った花だからでしょう。たまたま種子ができるのは、違った個体に花粉が飛んできて受粉したものと考えられます。
 それにしても、絶滅の危機がありながらなぜクローンで増え続けるのでしょうか。今後研究が深められ、その謎がどのように解き明かされていくのか注目されます。(千)

◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花