mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより104 ノウゼンカズラ

  炎天下に咲く夏の花   寺田寅彦花物語」に思う

 暑い夏に花を咲かせる樹木が少ないなかで、炎天下でも次々と花を咲かせて、夏を強烈に印象づける花がノウゼンカズラです。
 晴れた夏の日の午後は空が怪しくなりざあっとひと雨。夕立が去って、爽やかな風が吹き抜けると、オレンジ色の花はひときわ艶やかにゆれて涼を呼びます。


         夕立後のノウゼンカズラの花はひときわ艶やか

 ノウゼンカズラの花を見ると、物理学者で随筆家の寺田寅彦の「花物語」の「のうぜんかずら」の文章が浮かんできます。
花物語」は寅彦の花にまつわる思い出を綴った随筆。「のうぜんかずら」は、算術の嫌いだった小学時代の思い出のなかに登場します。ちょっと長くなりますが、引用してみます。(・・・・・は一部略しています。)

 小学時代にいちばんきらいな学科は算術であった。いつでも算術の点数が悪いので両親は心配して中学の先生を頼んで夏休み中先生の宅へ習いに行く事になった。宅(うち)から先生の所までは四五町もある。 宅の裏門を出て小川に沿うて少し行くと村はずれへ出る、そこから先生の家の高い松が近辺の藁屋根や植え込みの上にそびえて見える。これにのうぜんかずらが下からすきまもなくからんで美しい。・
・・・・・先生が出て来て、黙って床の間の本棚から算術の例題集を出してくれる。横に長い黄表紙で木版刷りの古い本であった。「甲乙二人の旅人あり、甲は一時間一里を歩み乙は一里半を歩む……」といったような題を読んでその意味を講義して聞かせて、これをやってごらんといわれる。先生は縁側へ出てあくびをしたり勝手の方へ行って大きな声で奥さんと話をしている。・・・・・・・ 何時間で乙の旅人が甲の旅人に追い着くかという事がどうしてもわからぬ、考えていると頭が熱くなる、汗がすわっている足ににじみ出て、着物のひっつくのが心持ちが悪い。頭をおさえて庭を見ると、笠松の高い幹にはまっかなのうぜんの花が熱そうに咲いている。よい時分に先生が出て来て「どうだ、むつかしいか、ドレ」といって自分の前へすわる。 ラシャ切れを丸めた石盤ふきですみからすみまで一度ふいてそろそろ丁寧に説明してくれる。時々わかったかわかったかと念をおして聞かれるが、おおかたそれがよくわからぬので妙に悲しかった。うつ向いていると水洟(みずばな)が自然にたれかかって来るのをじっとこらえている、いよいよ落ちそうになると思い切ってすすり上げる、これもつらかった。・・・・・・・・・・・ 繰り返して教えてくれても、結局あまりよくはわからぬと見ると、先生も悲しそうな声を少し高くすることがあった。それがまた妙に悲しかった。「もうよろしい、またあしたおいで」と言われると一日の務めがともかくもすんだような気がして大急ぎで帰って来た。宅では何も知らぬ母がいろいろ涼しいごちそうをこしらえて待っていて、汗だらけの顔を冷水で清め、ちやほやされるのがまた妙に悲しかった。

  (「花物語」・寺田寅彦随筆集 第一巻・岩波文庫 2021年第109刷)

 この時の妙な悲しさやつらさが、ノウゼンカズラと結びつき、寺田少年の心に深く印象づけられていったようです。


          旺盛に花をさかせる姿はダイナミックです。

 ノウゼンカズラは、ノウゼンカズラノウゼンカズラ属のツル性落葉樹です。
 原産地は中国で、日本には平安時代頃に渡来し、当初は薬用として栽培されていました。その後鑑賞用に神社仏閣で栽培されますが、夏に鮮やかに咲くオレンジ色の花は日本の風土や庭園にはあまり好まれなかったのか、それほど広くは広まらなかったようです。
 中国名は「凌霄花」といいます。「凌」は「しのぐ」、「霄」は「大空」といった意味で、ツルが空に届くほどによく茂らせることから、この名がついたと思われます。
 日本でも「凌霄」(リョウショウ)の名で伝えられ、平安時代本草書「本草和名」(918年)には万葉仮名の「乃宇世宇(ノウセウ)」の字が当てられていますが、その「ノウセウ(ノウショウ)」が、転じて「ノウゼン」となったと考えられます。「カズラ」はツル植物を表す言葉として一般に使われています。


      絡みつく樹木をめざして旺盛につるをのばしていきます。

 
   茎は木質化して太くなります。      樹木に絡みつき高く伸びていきます。

 ノウゼンカズラが新芽を出し始めるのは4月頃です。他の樹木と比べて、休眠から目覚めるのはやや遅めですが、暖かくなるごとに旺盛にツルを伸ばし葉も広げていきます。
 茎の節からは気根を出して他の樹木に絡みついたり、塀やコンクリートの壁面に張りついたりして高く伸び、樹高は3mから、高くなると10mにもなります。
 茎は樹齢を重ねると木質化して直径10cmほど太くなり、30cmを超えるものもあるといいます。石川県の玉泉園や島根県龍巌山では、樹齢300年から400年ともいわれるノウゼンカズラの古木がまだ花を咲かせています。

 葉は対生について、ギザギザした葉が鳥の羽のように並んで、奇数羽状複葉といわれる葉の形をしています。葉の濃い緑は花の色とは対照的、オレンジ色の花がより鮮やかに浮かび上がる効果を上げているようです。

 
   つぼみのようす      葉の濃い緑がオレンジ色の花を引き立てます。

 花芽ができるのは6月頃。咲き出すのは7〜8月です。つるを伸ばして上に伸びる枝には花がつきません。花は下に垂れた枝に房状について、いったん咲き出すと、暑さのなかでも次々と開花していきます。

 花の形はアサガオに似たラッパ状の合弁花で、その形がトランペットのように見えるので、英語でチャイニーズ トランペット フラワー(Chinese Trumpet Flower)(中国由来のトランペットの花)などとも呼ばれています。
 花のなかには、高さの違う大小2本ずつの雄しべと、その中心にへら状の柱頭が2つに裂けている雌しべが顔を出しています。

   
    開花直前のすがた       トランペットの花姿     シベも独特の形

 ノウゼンカズラの花は、朝開いたかと思うと夕方にはしぼんでしまう一日花です。しぼんだ花は2、3日でスポンと抜け落ちてしまいますが、それでもあとからあとからつぼみをつけて次々に花開くので、長く咲き続けているように見えるのです。

 花のなかには蜜がたっぷり用意されていて、ヒヨドリメジロなどの鳥類や、アゲハ、ハチ類などの昆虫類がたくさん集まってきます。花の後には長さ6~10cmほどの豆状の果実ができるということですが、日本ではどういうわけか、花が落ちやすく結実しにくいそうです。受粉後の実を探しましたが、見つけられませんでした。
 WEB上で実や種子を探してみると、細長い鞘に入った実ができたという記事もあって、実ができないわけではないようですが、ふつう種で繁殖することはなく、園芸店などでは株分けや挿し木で増やしているとのことです。
 ノウゼンカズラは 11月頃には葉を落とし始め、12〜3月は裸木となり休眠します。挿し木は落葉期に採取した一年目の枝を使うとよく根づくそうです。前回のヒルガオ季節のたより103)と同じようにクローンで仲間を増やしているのでした。

 ノウゼンカズラは暖地性の植物で暑さに大変強く、寒さにも比較的耐えられますが、日当たりや風通しのよい環境を好み、晴天が続くとよく開花しても、日当たりの悪い場所ではつぼみが落ちてしまいます。また、肥沃な土壌を好み、粘土質などの極度に水はけの悪い場所では育ちにくいようです。
 森林には、フジ、イワガラミ、ツルアジサイなどの大型のツル植物がみられますが、ノウゼンカズラがこれらの樹木と対等に花を咲かせているところを見たことはありません。野外に出てもよほど条件がよくなければ、他の植物たちとの競争にまけてしまうので、日本には野生種として存在していないようです。
 ノウゼンカズラは、古来人々が薬用として利用し、花を愛でるために、日当たりのよい環境と適度に養分も必要とする土地で栽培されてきた栽培植物です。ノウゼンカズラは、人に役立つことで、人の力を借りてその命をつないできている植物といえるでしょう。

 なお、ノウゼンカズラは少し前まで有毒とされていて、1970年代頃までの古い植物図鑑や百科事典には有毒と記されていました。これは、江戸時代の学者貝原益軒の「花譜」という本に「花を鼻にあてて嗅ぐべからず、脳を破る」と書かれているところからきているようです。
 実際は「誤解で毒はない」(湯浅浩史著「花おりおり」・朝日新聞社)ということです。「有毒植物」関係の図鑑にも、厚生労働省「有毒植物に要注意」(2022・7月現在)のリーフレットにもノウゼンカズラの名は出ていませんでした。

 
晴天で長期に咲き続ける花    透過光で見る花はきれいなオレンジ色です。

 さて、算術嫌いだった寺田少年ですが、特に憧れたわけでもなく、故郷高知に最も近いという理由だけで第五高等学校に進学し、そこで二人の教師に出会います。
 一人は数学と物理学を教える田丸卓郎先生。先生の講義で物理学のおもしろさに目覚め、造船学科の志望を急きょ変更して物理学科に進学することにしたのです。
 もう一人は、英語の教師だった夏目金之助先生。後の漱石です。友人のテストの成績をあげてもらうために先生宅を訪ね、「俳句とはいかなるものですか」と質問、それがきっかけで文学について議論、漱石の門下生となり俳句を作り文学への関心を深めていきます。
 二人の先生との出会いが、後の優れた物理学者として、科学と文学に通じる随筆家としての誕生へとつながっていきました。


          一般の住宅地でも花を楽しむ人が増えています。

 寺田少年のつらく切ない思いと結びついたノウゼンカズラの思い出は、「花物語」の文章となったのですが、寺田寅彦は別の「随筆集」でこんな文章を書いています。

 科学者は、普通の頭の悪い人よりも、もっともっと物わかりの悪いのみ込みの悪い田舎者であり朴念仁でなければならない。いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人 足ののろい人がずっとあとからおくれて来て わけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
               (「科学者と頭」・寺田寅彦随筆集 第四巻・岩波文庫

 小学時代の寺田少年には、算術を解くよりも、宝物さがしの方がおもしろかったのかもしれません。

 寅彦が幼年時代を過ごした高知県にある住居跡は、現在、寺田寅彦記念館となっていて、そこではノウゼンカズラが毎年花を咲かせるそうです。(千)

◇昨年7月の「季節のたより」紹介の草花